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赤き羽毛の復讐者《スリーピングスナイパー》
鎮魂の慈雨《レクイエムレイン》9
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俺の身体に掛かっていた重みが嘘のように軽くなった。
「ルーカスッ!!なっ……!?」
痛みに呻くルーカスを見た俺は、そこでようやく彼のもう片方の腕が千切れていたことに気が付いた。僅かに残っていた重みは、俺の肩に残っていたルーカスの切断された左腕の分だ。
「……ぅ……」
ギリースーツの表面を真っ赤な血で塗りつぶしていく。声すら出すことのできない苦痛に、ルーカスは動けずにいた。
ターンッ……!
はるか遠くから聞き覚えのある音が僅かに俺の耳に届く。
狙撃だ……!しかも方角は西、ベトナムの密林の方からだ。
俺はすぐに姿勢を低くしながらルーカスの背後に眼をやると、そこにはどす黒く赤い血に濡れた地面の中に、鋭利な緋色の光を放つガラス片が幾つも混じっていた。
やはりそういうことだったのかッ……!
俺は内心でそう吐き捨てる。世界でも指折りの狙撃術を持つことから、魔術弾使いがルーカスだと俺は思いこんでいた。だが、実際はそうじゃなかった。
魔術弾使いは他にいたんだ。
奴は港区での戦闘の後、仕留めきれなかった俺達を追ってベトナムまでやってきた。そして昨日ルーカスと戦っている時に高見の見物しながら、隙を見てあの緋色の魔術弾を俺に放ってきた。まるでルーカスが放ったかのように見せかけるように……その証拠に、中国大陸から飛んできた銃弾は全て鉛弾だった。ロナが撃たれた時も、アイリスが戦っていた時も。それに俺がバンゾックの滝に落ちた後、竹を洞窟に持ち帰ろうとした時も、人の手が入っていた痕跡があった。あれも恐らくはベトナムの密林に潜んでいた魔術弾使いが、俺と同じように竹を取りにきていたのだろう……
でもだとしたら奴は一体何者なんだ……!?どうして密輸現場で俺達を妨害してきたのか……そして、何故ベトナムまで来て俺達を狙うのか……!?
「クソッ……」
今それを考えている余裕はない。
俺は持っていた左腕を優しく地面に置いてからルーカスの手当てをしようとするが……これは完全に致死量を超える速度で流血しているぞ……!
ただでさえアイリスの狙撃で血が少なくなっていたってのに……!このままじゃ────
「ぁ……ぁ……」
「アイリス!!」
手当てできるものを探していた俺は、アイリスがショックで立ち尽くしてしまっていることに気づき、腕を乱暴に引っ張って倒す。
パリィィィィン!!!!
その瞬間、窓ガラスを叩き割ったような音が再び俺達の背後近くの地面で響いた。
アイリスを狙った狙撃がギリギリで外れ、緋色の魔術弾が着弾した音だ。あ、あぶねぇ……
あとほんの少しでも遅れていたら、アイリスは頭の中をぶちまけて即死しているところだった。が、呆然と父親の血を見ていたアイリスは、そのことにすら理解していない様子だった。
そのまま、バタリッ……糸切れた人形のようにその場に倒れてしまった。
「おいアイリスッ!!しっかりしろッ!!」
俺がその小さな双肩を掴んで身体を揺さぶるが、力の抜けた木偶人形のように首の据わっていないアイリスは、ガクガクと流れに身を任せるだけ……ダメだ……!魔力切れで完全に正気を失っている……!
今まで起きていられたこと自体、奇跡に近かったんだ。それが父の姿にショックを受けて、意識を繋ぎとめていた糸が途切れてしまったらしい。
「セイナ!ロナ!聞こえるか……ッ!」
俺は応援を求めるべく、インカム越しに待機中の二人を呼びかけるが、電波妨害か?それとも距離が離れすぎているのか応答はない。
「クソッ……!」
俺は低姿勢のまま、気絶状態のアイリスと瀕死のルーカスを、西側からの死角になっている近くの大樹の影へと引っ張っていった。とりあえず狙撃される心配は無くなったが、このままここに居たら、中国側の増援が到着してしまう以上早く動かなければならない……だが長い連戦で消耗しきった俺では、二人を担いで移動することなんてほぼ不可能だ……それどころか、俺一人でも逃げれるかどうかも分からないくらい状況は最悪だった。
狙撃最大の優位性、最初の一撃は相手にバレず放つことのできる。その一発は例えどんなに屈強な相手でも抵抗することのできない、文字通り必殺の一撃だ。
そのため狙撃手は複数人目標が存在するとき、誰を最初に撃つのが効率的かを考える。
今回の場合、ここにいる三人全員を殺すつもりなら、最初に撃つのが効果的なのはルーカスだ。
脅威はアイリスの持ってきたレミントンM700を扱える人物に抵抗されることだ。狙撃が下手な俺は眼中に無い、とすると後の二人だが、アイリスを最初に始末したとしてもルーカスは抵抗できる。が、その逆は無理だ。現にアイリスは父の瀕死状態に意識を失っていた。
さらにルーカスを即死ではなく重傷を負わせることで、俺の判断まで鈍らせてくるあたり、全て計算してやがるんだ……奴はッ……!
ルーカスの傷口を手当てしつつ腕時計に眼をやると、中国側の増援の到着まで残り三分を切っていた。
刻一刻と迫る時間制限に、俺の額から脂汗が流れ落ちる。
どうする……どうすればいいんだ……!
「……フォル……テ……」
判断に迷って片手で頭を抱えていると、掠れた声が俺の名前を呼んだ。
見るとルーカスが血みどろの中、こっちを向いていた。
「たぶん……やつ……だ……二年前に……アイリスが撃った……スナイパー……この銃弾が……その証拠……ガハッ……!」
ルーカスは血反吐と共にそう告げた。
「喋るなルーカス……!気をしっかり持て!!気絶した瞬間死ぬぞ……!!」
俺は鼓舞するように、必死の形相でルーカスに呼びかけた。
もしルーカスの言っていることが事実なら、二年前にルーカスの腕を撃ち抜き、アイリスの頬に傷をつけた奴こそが、俺とセイナを襲撃した魔術弾使いだったということなのか……!?
結局最初の予想が正しかったことや、どうやって復帰不可能とされたスナイパーが二年越しに現れたのか、その情報量の多さにフリーズしかけている俺に、ルーカスは喉から絞り出すようにして声を出す。
「アイ……リス……を、たの……む……」
「バカなこと言ってんじゃねえ!!アンタにとって二年越しに会えた家族だろ!!地べた這いずりまわしてでも連れて帰る!!だからそんな弱音を吐くんじゃねぇ!!」
そう怒鳴る俺に、ルーカスはまるで自分の子供にでも向けるような穏やかな微笑みを向けてきた。
なんで……なんでそんな安心したかのような顔を俺に向けてくるんだよッ……!
「……しっかり……つかんで……いろ……」
ガスッ……!ルーカスは突然俺のことを倒れていたアイリスへと蹴り飛ばした。
「グッ……!?」
瀕死の人間とは思えない力と、不意を突かれたことで抵抗できなかった俺は、アイリスの身体に覆いかぶさるようにして倒れ込んだ。
さらしで巻いているらしいパーカー越しの胸が、俺の顔面を受け止めた。
その張りのある弾力や、ミントのようなアイリスの香りを感じている余裕なんて今の俺には無かった。
すぐさま起き上がって「何すんだ!?」と言おうと身体が動き出す前に、背後でルーカスが短く詠唱を唱える。
「荒れ狂う……疾風……」
「……!?」
近くにいたルーカスが歪んで見えるほどの濃い魔力と共に、俺とアイリスの身体は宙にふんわりと浮かんだ。その周りを空気で作られた五角形の層が全身を包み込む。
「何する気だルーカス!?ただでさえ魔力を消費しているお前が、こんな大技使ったら……!」
魔量は基本、通常の運動量と少し似ている。
個人差はあるが、魔術で起こせる運動エネルギーは、身体を動かしたときのエネルギーと比例する。人を軽く持ち上げるくらいの魔術を使えば、その時間、高さが、実際に身体を動かした場合と同じくらい消耗するのだ。
それを二人の人間を浮かすほど強力な魔術を使うとなれば、万全な状態でもかなり魔力を消耗するはずだ……満身創痍の状態で使うとなれば、ルーカスの身体が持つはずがない!
俺は止めようと無重力の空気の中で藻掻くが、身体の周りに現れた分厚い五角形の層がそれを阻み、脱出を許さない。
そんな俺の前で、ルーカスはさらに魔術の詠唱を告げた……
「魔力全開……!!」
体内からこみ上げてきたドス黒い血と共にそう告げた瞬間────俺とアイリスの身体が何かに殴られたかのような衝撃を受けて、密林の外に向かって弾き飛ばされた。
密林から飛び出る前────視界に映っていたルーカスは力尽きたかのように木の幹に倒れ、瀕死者とは思えない穏やかの表情を浮かべながら口元を僅かに動かした。
声はもう聞こえない……だが、その口の動きで俺はなんて言っているか理解してしまう。
『愛している……アイリス……』
「ルーカスゥゥゥゥ!!!!」
俺は突風に包み込まれる中で右手を伸ばすが、ルーカスとの距離はどんどん遠くなっていく。
竜巻のようにうねる風に煽られたまま密林を抜け、中国大陸の上空へと投げ出された。ルーカスの姿はもう見えない……それどころか、眼下に見える半壊した工場や倒れたグリーズですら豆粒のように小さい。
「グッ……!?」
高々と打ち上げられた俺とアイリスが同時に、ジェットコースターの急降下のような軌道で落ち始める。
そんな状況下でもアイリスは眼を覚まさない……このままだと、頭から地面に激突してしまう。
しっかり掴んでいろって、そういう事かッ……!
「アイ……リス……!」
渦巻く空気の中で、俺は必死にアイリスへと手を伸ばす。
ダァァァァン!!ダァァァァン!!
ビュウビュウと風の音の中で銃声が響いた。
魔術弾使いが俺達に向けて発砲してきたのだ。
これは……躱せない……!
そう思った俺が息を呑むが、恐れていた緋色の銃弾が着弾することは無かった。
渦巻く空気の層に触れた緋色の銃弾は砕け、竜巻に乗ったガラス片が雲の切れ間から差し込んだ光に煌びやかな閃光を走らせる。
殺傷能力を上げるために脆くしていた銃弾が仇となったのだ。
それに、娘のために命を懸けた父親の一撃をそう簡単に破れるはずが無かった。
「……う……くぅ……!」
狙撃が怖くないと分かれば気にする必要はない。
緋色の風の中、俺よりも先に仰向けの状態のまま落ちているアイリスに向けて、目一杯手を伸ばす。
義手のアンカーを使えば簡単に届く距離だが、真下に向かって発射しても風圧に負けて上手く伸ばすことができない以上、右手で頑張るしかない。
そうしている間にも、工場とグリーズの姿がだんだんと視界を埋めてくる。
クソ……間に合わない……!
グリーズと工場の真上、地上まで数十メートルの位置まで落ちてきたところで俺が諦めかけた刹那、ふわ……と何かが指先に触れた……柔らかいその感触は風に揺れていた、アイリスが首に巻いているマフラーの先端だった。
「ッ……!」
俺は首を絞めないようにそのマフラーを優しく掴み、ロープのように手繰りながらアイリスに抱き着き、後頭部に腕を回す。
地上まで残り五メートルを切り、衝撃に備えた俺達を、竜巻がクッションのように優しく受け止めた。
数百メートルからの落下エネルギーを吸収すると、そこでようやくこと切れたかのように、荒れ狂う疾風は霧散した。
結果として四、五メートルから落下した程度の衝撃だったが、高さが無くても首から落ちれば人は死ぬので、無駄な努力では無かったと思いたいところだが……今はそんな悠長に考えている暇はない。
風の守りが消えた以上、また魔術弾使いが襲って来るかもしれないんだ。
プップゥゥゥゥ!!!!
身構えた俺の真横から、鼓膜を劈くクラクションと共に軍用車のジープが飛び出してきた。
「フォルテ!!乗って!!」
アイリスの愛車の迷彩柄とは違い、この工場に配置されていた迷彩柄の車体に銃を構えた俺に、助手席から幼い少女の声が響いた。
さっきインカムで連絡が取れなかったセイナだ。
「急いでダーリン!!中国の奴ら、電波妨害まで使ってロナ達を殺そうとしている!!早く逃げないとまじでヤバいよ!!」
助手席に乗っていたセイナよりも奥、ジープを運転していたロナが慌てた様子で叫んだ。
俺はアイリスを抱えたまま、後部座席に飛び込み────
「乗ったぞ!!いけぇ!!」
「うんッ!!」
俺の声にロナがアクセルを力いっぱい踏み切る。
塗装させたコンクリート地面の上でタイヤのスリップ音を響かせたジープは、闘牛のように急発進した。
バキュゥゥゥゥ!!
衝撃音と共に、後部座席のリアガラスが蜘蛛の巣状に割れ、緋色のガラス片と混じり合う。
魔術弾使いの狙撃────だが、防弾仕様のガラスのおかげで銃弾は貫通しなかった。
そのままジープは工場の塀を抜け出し、キーソン川の川沿いを駆け抜けていく────
激闘を繰り広げた工場の姿が遠くなっていく。
その工場が見えなくなるころには、スナイパーの銃弾は射角を逃れたのか、それから銃弾が飛んでくることは無かった。
「ルーカスッ!!なっ……!?」
痛みに呻くルーカスを見た俺は、そこでようやく彼のもう片方の腕が千切れていたことに気が付いた。僅かに残っていた重みは、俺の肩に残っていたルーカスの切断された左腕の分だ。
「……ぅ……」
ギリースーツの表面を真っ赤な血で塗りつぶしていく。声すら出すことのできない苦痛に、ルーカスは動けずにいた。
ターンッ……!
はるか遠くから聞き覚えのある音が僅かに俺の耳に届く。
狙撃だ……!しかも方角は西、ベトナムの密林の方からだ。
俺はすぐに姿勢を低くしながらルーカスの背後に眼をやると、そこにはどす黒く赤い血に濡れた地面の中に、鋭利な緋色の光を放つガラス片が幾つも混じっていた。
やはりそういうことだったのかッ……!
俺は内心でそう吐き捨てる。世界でも指折りの狙撃術を持つことから、魔術弾使いがルーカスだと俺は思いこんでいた。だが、実際はそうじゃなかった。
魔術弾使いは他にいたんだ。
奴は港区での戦闘の後、仕留めきれなかった俺達を追ってベトナムまでやってきた。そして昨日ルーカスと戦っている時に高見の見物しながら、隙を見てあの緋色の魔術弾を俺に放ってきた。まるでルーカスが放ったかのように見せかけるように……その証拠に、中国大陸から飛んできた銃弾は全て鉛弾だった。ロナが撃たれた時も、アイリスが戦っていた時も。それに俺がバンゾックの滝に落ちた後、竹を洞窟に持ち帰ろうとした時も、人の手が入っていた痕跡があった。あれも恐らくはベトナムの密林に潜んでいた魔術弾使いが、俺と同じように竹を取りにきていたのだろう……
でもだとしたら奴は一体何者なんだ……!?どうして密輸現場で俺達を妨害してきたのか……そして、何故ベトナムまで来て俺達を狙うのか……!?
「クソッ……」
今それを考えている余裕はない。
俺は持っていた左腕を優しく地面に置いてからルーカスの手当てをしようとするが……これは完全に致死量を超える速度で流血しているぞ……!
ただでさえアイリスの狙撃で血が少なくなっていたってのに……!このままじゃ────
「ぁ……ぁ……」
「アイリス!!」
手当てできるものを探していた俺は、アイリスがショックで立ち尽くしてしまっていることに気づき、腕を乱暴に引っ張って倒す。
パリィィィィン!!!!
その瞬間、窓ガラスを叩き割ったような音が再び俺達の背後近くの地面で響いた。
アイリスを狙った狙撃がギリギリで外れ、緋色の魔術弾が着弾した音だ。あ、あぶねぇ……
あとほんの少しでも遅れていたら、アイリスは頭の中をぶちまけて即死しているところだった。が、呆然と父親の血を見ていたアイリスは、そのことにすら理解していない様子だった。
そのまま、バタリッ……糸切れた人形のようにその場に倒れてしまった。
「おいアイリスッ!!しっかりしろッ!!」
俺がその小さな双肩を掴んで身体を揺さぶるが、力の抜けた木偶人形のように首の据わっていないアイリスは、ガクガクと流れに身を任せるだけ……ダメだ……!魔力切れで完全に正気を失っている……!
今まで起きていられたこと自体、奇跡に近かったんだ。それが父の姿にショックを受けて、意識を繋ぎとめていた糸が途切れてしまったらしい。
「セイナ!ロナ!聞こえるか……ッ!」
俺は応援を求めるべく、インカム越しに待機中の二人を呼びかけるが、電波妨害か?それとも距離が離れすぎているのか応答はない。
「クソッ……!」
俺は低姿勢のまま、気絶状態のアイリスと瀕死のルーカスを、西側からの死角になっている近くの大樹の影へと引っ張っていった。とりあえず狙撃される心配は無くなったが、このままここに居たら、中国側の増援が到着してしまう以上早く動かなければならない……だが長い連戦で消耗しきった俺では、二人を担いで移動することなんてほぼ不可能だ……それどころか、俺一人でも逃げれるかどうかも分からないくらい状況は最悪だった。
狙撃最大の優位性、最初の一撃は相手にバレず放つことのできる。その一発は例えどんなに屈強な相手でも抵抗することのできない、文字通り必殺の一撃だ。
そのため狙撃手は複数人目標が存在するとき、誰を最初に撃つのが効率的かを考える。
今回の場合、ここにいる三人全員を殺すつもりなら、最初に撃つのが効果的なのはルーカスだ。
脅威はアイリスの持ってきたレミントンM700を扱える人物に抵抗されることだ。狙撃が下手な俺は眼中に無い、とすると後の二人だが、アイリスを最初に始末したとしてもルーカスは抵抗できる。が、その逆は無理だ。現にアイリスは父の瀕死状態に意識を失っていた。
さらにルーカスを即死ではなく重傷を負わせることで、俺の判断まで鈍らせてくるあたり、全て計算してやがるんだ……奴はッ……!
ルーカスの傷口を手当てしつつ腕時計に眼をやると、中国側の増援の到着まで残り三分を切っていた。
刻一刻と迫る時間制限に、俺の額から脂汗が流れ落ちる。
どうする……どうすればいいんだ……!
「……フォル……テ……」
判断に迷って片手で頭を抱えていると、掠れた声が俺の名前を呼んだ。
見るとルーカスが血みどろの中、こっちを向いていた。
「たぶん……やつ……だ……二年前に……アイリスが撃った……スナイパー……この銃弾が……その証拠……ガハッ……!」
ルーカスは血反吐と共にそう告げた。
「喋るなルーカス……!気をしっかり持て!!気絶した瞬間死ぬぞ……!!」
俺は鼓舞するように、必死の形相でルーカスに呼びかけた。
もしルーカスの言っていることが事実なら、二年前にルーカスの腕を撃ち抜き、アイリスの頬に傷をつけた奴こそが、俺とセイナを襲撃した魔術弾使いだったということなのか……!?
結局最初の予想が正しかったことや、どうやって復帰不可能とされたスナイパーが二年越しに現れたのか、その情報量の多さにフリーズしかけている俺に、ルーカスは喉から絞り出すようにして声を出す。
「アイ……リス……を、たの……む……」
「バカなこと言ってんじゃねえ!!アンタにとって二年越しに会えた家族だろ!!地べた這いずりまわしてでも連れて帰る!!だからそんな弱音を吐くんじゃねぇ!!」
そう怒鳴る俺に、ルーカスはまるで自分の子供にでも向けるような穏やかな微笑みを向けてきた。
なんで……なんでそんな安心したかのような顔を俺に向けてくるんだよッ……!
「……しっかり……つかんで……いろ……」
ガスッ……!ルーカスは突然俺のことを倒れていたアイリスへと蹴り飛ばした。
「グッ……!?」
瀕死の人間とは思えない力と、不意を突かれたことで抵抗できなかった俺は、アイリスの身体に覆いかぶさるようにして倒れ込んだ。
さらしで巻いているらしいパーカー越しの胸が、俺の顔面を受け止めた。
その張りのある弾力や、ミントのようなアイリスの香りを感じている余裕なんて今の俺には無かった。
すぐさま起き上がって「何すんだ!?」と言おうと身体が動き出す前に、背後でルーカスが短く詠唱を唱える。
「荒れ狂う……疾風……」
「……!?」
近くにいたルーカスが歪んで見えるほどの濃い魔力と共に、俺とアイリスの身体は宙にふんわりと浮かんだ。その周りを空気で作られた五角形の層が全身を包み込む。
「何する気だルーカス!?ただでさえ魔力を消費しているお前が、こんな大技使ったら……!」
魔量は基本、通常の運動量と少し似ている。
個人差はあるが、魔術で起こせる運動エネルギーは、身体を動かしたときのエネルギーと比例する。人を軽く持ち上げるくらいの魔術を使えば、その時間、高さが、実際に身体を動かした場合と同じくらい消耗するのだ。
それを二人の人間を浮かすほど強力な魔術を使うとなれば、万全な状態でもかなり魔力を消耗するはずだ……満身創痍の状態で使うとなれば、ルーカスの身体が持つはずがない!
俺は止めようと無重力の空気の中で藻掻くが、身体の周りに現れた分厚い五角形の層がそれを阻み、脱出を許さない。
そんな俺の前で、ルーカスはさらに魔術の詠唱を告げた……
「魔力全開……!!」
体内からこみ上げてきたドス黒い血と共にそう告げた瞬間────俺とアイリスの身体が何かに殴られたかのような衝撃を受けて、密林の外に向かって弾き飛ばされた。
密林から飛び出る前────視界に映っていたルーカスは力尽きたかのように木の幹に倒れ、瀕死者とは思えない穏やかの表情を浮かべながら口元を僅かに動かした。
声はもう聞こえない……だが、その口の動きで俺はなんて言っているか理解してしまう。
『愛している……アイリス……』
「ルーカスゥゥゥゥ!!!!」
俺は突風に包み込まれる中で右手を伸ばすが、ルーカスとの距離はどんどん遠くなっていく。
竜巻のようにうねる風に煽られたまま密林を抜け、中国大陸の上空へと投げ出された。ルーカスの姿はもう見えない……それどころか、眼下に見える半壊した工場や倒れたグリーズですら豆粒のように小さい。
「グッ……!?」
高々と打ち上げられた俺とアイリスが同時に、ジェットコースターの急降下のような軌道で落ち始める。
そんな状況下でもアイリスは眼を覚まさない……このままだと、頭から地面に激突してしまう。
しっかり掴んでいろって、そういう事かッ……!
「アイ……リス……!」
渦巻く空気の中で、俺は必死にアイリスへと手を伸ばす。
ダァァァァン!!ダァァァァン!!
ビュウビュウと風の音の中で銃声が響いた。
魔術弾使いが俺達に向けて発砲してきたのだ。
これは……躱せない……!
そう思った俺が息を呑むが、恐れていた緋色の銃弾が着弾することは無かった。
渦巻く空気の層に触れた緋色の銃弾は砕け、竜巻に乗ったガラス片が雲の切れ間から差し込んだ光に煌びやかな閃光を走らせる。
殺傷能力を上げるために脆くしていた銃弾が仇となったのだ。
それに、娘のために命を懸けた父親の一撃をそう簡単に破れるはずが無かった。
「……う……くぅ……!」
狙撃が怖くないと分かれば気にする必要はない。
緋色の風の中、俺よりも先に仰向けの状態のまま落ちているアイリスに向けて、目一杯手を伸ばす。
義手のアンカーを使えば簡単に届く距離だが、真下に向かって発射しても風圧に負けて上手く伸ばすことができない以上、右手で頑張るしかない。
そうしている間にも、工場とグリーズの姿がだんだんと視界を埋めてくる。
クソ……間に合わない……!
グリーズと工場の真上、地上まで数十メートルの位置まで落ちてきたところで俺が諦めかけた刹那、ふわ……と何かが指先に触れた……柔らかいその感触は風に揺れていた、アイリスが首に巻いているマフラーの先端だった。
「ッ……!」
俺は首を絞めないようにそのマフラーを優しく掴み、ロープのように手繰りながらアイリスに抱き着き、後頭部に腕を回す。
地上まで残り五メートルを切り、衝撃に備えた俺達を、竜巻がクッションのように優しく受け止めた。
数百メートルからの落下エネルギーを吸収すると、そこでようやくこと切れたかのように、荒れ狂う疾風は霧散した。
結果として四、五メートルから落下した程度の衝撃だったが、高さが無くても首から落ちれば人は死ぬので、無駄な努力では無かったと思いたいところだが……今はそんな悠長に考えている暇はない。
風の守りが消えた以上、また魔術弾使いが襲って来るかもしれないんだ。
プップゥゥゥゥ!!!!
身構えた俺の真横から、鼓膜を劈くクラクションと共に軍用車のジープが飛び出してきた。
「フォルテ!!乗って!!」
アイリスの愛車の迷彩柄とは違い、この工場に配置されていた迷彩柄の車体に銃を構えた俺に、助手席から幼い少女の声が響いた。
さっきインカムで連絡が取れなかったセイナだ。
「急いでダーリン!!中国の奴ら、電波妨害まで使ってロナ達を殺そうとしている!!早く逃げないとまじでヤバいよ!!」
助手席に乗っていたセイナよりも奥、ジープを運転していたロナが慌てた様子で叫んだ。
俺はアイリスを抱えたまま、後部座席に飛び込み────
「乗ったぞ!!いけぇ!!」
「うんッ!!」
俺の声にロナがアクセルを力いっぱい踏み切る。
塗装させたコンクリート地面の上でタイヤのスリップ音を響かせたジープは、闘牛のように急発進した。
バキュゥゥゥゥ!!
衝撃音と共に、後部座席のリアガラスが蜘蛛の巣状に割れ、緋色のガラス片と混じり合う。
魔術弾使いの狙撃────だが、防弾仕様のガラスのおかげで銃弾は貫通しなかった。
そのままジープは工場の塀を抜け出し、キーソン川の川沿いを駆け抜けていく────
激闘を繰り広げた工場の姿が遠くなっていく。
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