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2.海勇《みお》24歳side
しおりを挟む『……なにか?』
……ドナタ様??
持ち前の声域でギリギリ出せる低い声と、
そこそこの目力で汚いものを見るように睨んだ。
自分が通うデザイン学科の生徒の顔は
だいたい覚えていたけれど…
目の前にモデルのような容姿の男。
一度でも会っていれば
印象に残っているはずなのに見覚えの無い顔。
人がデッサンしている手元を
ジロジロと見てきたから
牽制のつもりで声をかけた…だけのはずだった。
そんな、なんの変哲も無い出会いだった。
『…きみ、良いねぇ…
山本さんの生徒で優秀な子がいるって…
きみの事かなぁ…』
『……先生のお知り合いですか』
『うん。今日だけ授業を頼まれて。
山本さんが出してる課題をそのまま…
質問があればそれを受けるだけだけど』
……ドナタ様??…消えない'?'
こんな先生の代わりにもならない人に
何を聞いても無駄そうだけど…と、
また牽制のつもりで質問した。
…俺はいつも牽制を繰り返してた。
『まだ見当たらない生地なんですけど、
これから出来る生地として想像を踏まえて
デザイン進めていいですか』
ダメだと言われてもまた山本先生に聞けばいい。
良いと言われたら、
この人が良いと言ったとデザインしてしまおう。
…この人が、デザインや生地の事、
どれだけ熟知してるのか……
『えっと……どんな生地かなぁ…?
薄いけど折り目が付いて、ホツレなくて…?
あ、うちにあるかも。今度持って来ようか?』
そう言って次の日には
いくつもの見た事ない生地を
俺の為に持って来てくれた。
…そして彼は、山本先生の助手として、
何度も教室へ来るようになった。
山本先生に認めて貰う事は
希望する進路への1番な近道な為、
彼を羨む声や山本先生との関係が
学生達の間で噂になった。
人気なデザイナーと綺麗な男が
寄り添っていればそう見えなくもない。
彼…惟月さんはそういう雰囲気…
ジェンダーというか、色気が溢れているからだ。
男女問わず、沢山の生徒から惟月さんと呼ばれ
そういう目で見られるような彼。
あれは…確か簡単な仕事を頼まれて、
惟月さんの家に入った時。
仕立て屋みたいに生地が溢れる部屋の中、
デッサンの紙も沢山散らばっていて
俺の部屋と似ていた。
いや、俺の部屋以上に散乱していた。
『努力しないで簡単になんでも出来る、みたいな、
もともと才能もセンスもある、みたいな、
容姿で特してるから、みたいな…
そんな目で見られたままのスタンスは
カッコつけてるからですか?』
褒め言葉のつもりだったけど、
棘のある言葉だったのは自分でも分かった。
けど、そんな言葉を何なく跳ね返す惟月さんに
……奪われたんだ。
デザインだけが占領していた頭の中と、
偉人の才能だけに感じていた嫉妬心を。
『…ふぁっふぁっ!!何それ!
何そのスタンス、初めて聞いた!僕の事?
僕カッコつけてる?普通に仕事してるのに?
あ、僕カッコイイって事?海勇?』
敵わないと思った。
お腹を抱えて笑う惟月さんは
綺麗な顔を少し赤くして、大きな口を開けて、
肩を振るわせて…
『なんでそんなにウケてるんですか』
『え?だって…僕とかけ離れてるから。
もともと才能なんてないし。
いや、そう見られてても全然いいんだけど。
僕なんてどうしようもない人間なのにー…
身近な人にはだいたい嫌われてくし…』
『身近な人…って、家族ですか?恋人?』
『え?恋人、かな…
人には領域っていうのがあるからね。
僕はその関わって欲しく無い域が広いみたいで、
あーだこーだ言われると…嫌われて終わり。
その点仕事は結果が残るし
努力した分前にも進めるから、
僕の生活仕事中心になってるんだけどね』
"彼女"ではなく、"恋人"と表現した。
惟月さんも"彼女"とは言わない事で、
もう俺の中のいろいろな憶測が確定に変わる。
『…それって、別に嫌われてるわけじゃ
ないんじゃないですか?』
『いやー…なんだろうね?
まぁ、全てにおいて不器用なんだ、僕。
こんなに散らかってるから分かるでしょ?』
『…試していいですか。領域。
嫌いになるかどうか』
そして惟月さんの領域に両足で踏み入れた。
俺の言葉に少し不思議そうな顔。
まだ少し赤い耳たぶを触ると、
なんとも言えない柔らかさと肌触り。
良く料理で例えられる硬さ?…あり得ない。
これを生地の肌触りで例えたら…?
俺の方が頭の中が'?'だらけになった。
目を瞑った惟月さんは何を考えてるんだろう。
柔らかそうな赤い唇に、俺の唇を重ねたら
どんな反応をするだろう。
そうして、どんどん身体に触れた。
身体を重ねた。
鮮明に覚えている。
映画のワンシーンみたいに、
全てが綺麗だったから。
鮮明に覚えている。
惟月さんが持っていた香水の封を切り、
いつも2人で付けていたから。
香りは、色褪せないから。
『え?あれ?僕、
今、恋人いないって言ったっけ?』
『え、いるんですか』
『うん…多分。
あ、けどもう振られてる感じかも。
後で確認しとく』
突然あっけらかんとした言葉に
両足が泥濘みで動かせないように重くなる。
業務連絡かよって思った。しかもかなり適当な。
それでも、踏み入れた領域、
普段はフワフワで楽しくて…
何度も味わった唇を思い出してはニヤけて。
いつも同じ香りの中で1人ニヤけて。
同じ香水でも、惟月さん独自の香りが混ざった
匂いを嗅いではニヤけて。
全て知りたいと進んだ。惟月さんの全て。
『……ッ…アァッ……ン…』
俺の下で可愛く鳴く。
ピクピクとお尻や脚を小刻みに跳ねらせ、
シーツにしがみつきながら、
時々苦しそうに後ろを振り返っては
キスを強請るように見つめてくるから、
堪らずに赤い唇を貪る。
『…ッ…ぅわ………すご…
まだ、…ッまだダメだよ?…もっと…
ッもっと気持ち良くなってから…』
『…ッけどッ……ァンッ…そこ、ダッメェ…』
裸で乱れるいやらしい姿を知っているから、
スーツを着ていても、ラフな格好をしていても、
教壇に立っていても、部屋で作業をしていても、
惟月さんを見ると善がらせたくなった。
時間も場所も構わず、
2人で2人の香りに包まれて酔いしれた。
惟月さんの部屋に押しかけたり、
学校の使わない教室に引きずり込んだりして。
学校を卒業して、
就職も上手い事出来た頃には
俺と惟月さんの噂が広まりだし、
陰口が直接、俺にまで届いた。
'コネクションっていいよな'
'身体まで使ってよくやるな'
'これだからファション系は…'
'どこまで身体使って仕事とるんだか'
対処法は分かっていた。
惟月さんみたいに、実力を見せつければ
胸を張って歩ける。
…けど、それが簡単じゃない。
駆け出しの俺には、まだ歩く事がやっとで。
惟月さんがデザインをしたブランドの展示会。
これから俺も一緒に仕事するはずのバイヤー達、
顔見知りのプレス関係者、ブランドの人達、
有名なインフルエンサー達が集まる中、
俺も仕事で招かれていた。
そう、仕事だから、視線だけの挨拶で
近寄らず遠巻きで営業する姿を見ていた。
初めは笑顔を振り撒く惟月さんを
ただ可愛いと思って見ていたけれど、
馴れ馴れしく惟月さんにくっつく男が多くて
目が回って気持ち悪くなってきて…
奧のカフェスペースへ逃げ込んだ。
口にしたコーヒーメーカーのブラックコーヒーも
惟月さんが淹れるコーヒーが恋しくなるだけ。
惟月さんの部屋で、お揃いのカップを使って、
コーヒーと香水の香りの中の空間が恋しくて…
チョコや飴…お洒落なお菓子に手を伸ばすと
隣から惟月さんの手も伸びて来た。
『僕も喉乾いたー…』
『……』
コーヒーメーカーに
惟月さん用のカップをセットした。
そんな俺の隣に並んで、待ちきれないのか
俺のコーヒーを奪って口にする惟月さん。
…こんな時でも…自分と同じ香水なのに、
惟月さんの香りに反応してしまう。
『……セクハラされ過ぎじゃない?』
『えー?セクハラって程じゃ…』
『いや、惟月さんを舐めるように見てるし、
触り方も手つきもおかしい。気持ち悪い』
『あーーそう?あーーそう…
僕が作った服を気に入られてると思ったけど…
僕が狙われてるから服を買って貰える、と、
海勇は言いたいのね。そう思ってるのね』
『…そうは思ってないけど。
デザイン、凄いし。さすが、って思うし』
『ありがと……
今日は23時に来れる?それからは海勇との時間』
今日は23時か。
…約束の時間より
早めに惟月さんの家へ行った事もある。
外で待たされたうえに、
モデルのような男とすれ違うと
微かに惟月さんの香り。
さっきの男は仕事か?なんて聞けなかった。
実際、確かめる事なんて出来ないし…
嘘をつかれても、本当の事を言われても、
信じられないのは一緒だから。
『……海勇?』
『あ、…はい』
出来上がったコーヒーを惟月さんに差し出す。
『え?…あ、これで十分。
このコーヒーメーカー美味しいよね?
これ部屋に置こうかな?』
『え?なんで。惟月さんが淹れた方が…
うん、うわ、マズ、これ』
『……そう?…フッ……
じゃあやっぱりずっと僕が淹れて飲も…って
飲み方!フッ…』
まるで内緒話をするみたいに、
顔を近づけて笑いかけてくる惟月さん。
…あ、俺の飲み方を見て笑ってるのか。
笑顔の理由なんて何でもよくて…
『…今、キスしていい?』
『フッ…バカ。いいわけないだろ』
冗談のように聞いたものの、
実際に近くで動く唇は
今すぐに吸い付きたくなる唇で…
その唇が他の奴らに
そういう目で見られるだけでも腹が立つし、
いつ、どこで、誰に、貪られてるか考えただけで
胸が斬りつけられた。
笑い合っているのに、沢山傷つく。
好きな気持ちが大きくなればなる程、
胸が傷だらけになっていた事に気付いた。
そうだ……
そしてその夜、23時に部屋にあがると
ちょうど男が帰るところだった。
その男は…俺のデザインを、いつも…
真似してくるような…しがないデザイナーで…
けど、何故か人気なブランドを手掛けていて…
惟月さんの唇は少し腫れていて、
首すじには赤くなった箇所がいくつかあった。
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