そんなお前が好きだった

chatetlune

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そんなお前が好きだった 50

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「自分の気持ちにウソつくのもバツです、経験上」
「経験上?」
 響はまた元気を見た。
「響さん、酔った時くらいしか、自分のホンネはかないでしょ?」
「でも俺、昨日、井原にお断りしちまったし………酒でも飲まないとって、そしたら、もう井原に会えないって思ったら、こう、断崖絶壁から落ちていくみたいな? 海の中に沈んでいくみたいな? 恐怖感半端なくて、おまけに振り返ると荒川先生の顔した魔法使いのババアみたいなのが、わあって襲ってくるし………」
「魔法使いのババアって」
 荒川の顔を思い浮かべて、元気はクククっと笑わずにいられなかった。
「ドイツのどこかで、魔法使いと何たらって子供向けなのにすんげえド迫力の演劇見たことがあってさ、その魔法使いってのが、ほんと、よくあそこまで怖ろし気にってくらい……」
 響がポツリポツリ語る話は元気のツボにはまったらしく、しばらく元気は笑いが収まらなかった。
「ほんといって……確かにロクなことなかったんだ……」
 やっと笑いが収まった元気がコーヒーを飲み干すと、響が言った。
「俺が高校卒業するとき、井原が四年後にまたここで逢いましょうって勝手に決めて、でも俺、約束反故にした。井原がいるとは思えなくて。好きだとか思ってても結局モラトリアムの中だけのものだろうって。俺、携帯ももたなかったから井原、手紙よこしてさ、毎週毎週、今時手紙だぜ? でも井原、すごいモテ男だったし、井原がこの先ずっと俺のこと好きでいてくれるなんてないって思ってたし、返事もかかなかったから、そのうち手紙もこなくなって」
 文通……………。
 元気はじっと聞いていた。
 かつて情報交換手段としてあった気もするが、なんつうじれったい………恋人同士で文をやりとりって平安朝だったか?
「でも返事も出さなかったくせに、俺、後生大事にそれ持っててさ、結局大学卒業ですぐにウイーンに飛んだ。ピアノに没頭してる時だけがそれこそ周りと隔絶できてよかったんだけど、人付き合いとかあまり考えなしで、最初いい奴と思ってたのに階段から突き落とされて、脚折ってコンクール出られなくなったりとか、俺、急に何もかもがばかばかしくなって、ヨーロッパ中ドサ回りやってた」
 響は自嘲しつつ続けた。
「こないだ来たやつ、その酒くれたクラウスなんか、妻子あること隠してやがって、とどのつまり絶交したんだけど……俺が来るもの拒まずでつきあってたのが悪かったのかも………ほんと、ロクなことなかったな」
 はああと響がため息をつく。
「そんなこんなで十年………?」
 元気が改めて口にした。
「まあ、そんなこんなで、十年………」
 あり得ないだろ。
 復唱する響の言葉に、元気は心の中で抗議した。
 お互い思い合ってんのに、わざわざ十年回り道して、俺が井原に響さんのことを知らせなかったらバカみたいにまた十年とかって。
「だからどうして、井原だと来るもの拒まずにならないんです?!」
「それなんだよな………何で井原だとこう、なっちゃうんだか………」
 元気に突っ込まれて響は答えに躊躇する。
 こころなしか井原のことを話す響には、まるでお子様かというような、はにかみが伺える。
 俺にも少なからず責任があるのなら、とにかくこの中坊でも今時ないぞというバカみたいな恋を何とかしてやらないと。
 元気が内心、決意を固めて柱時計をみると、そろそろ七時を過ぎようとしていた。
「そんなボロボロじゃGWに生徒を引率してコンクールとか無理ですよ? もういい加減に、その中坊以下の関係に決着をつけてください。でないとマジ断崖絶壁が迫ってきますよ」
 ペットゲートを閉めてから、元気は最後に軽く響を脅して、玄関を出て行った。
「…………中坊以下って、決着って、んなこと言われてもな………」
 出がけに釘を刺された響は、にゃー助を抱いてしばしぼーっと突っ立っていた。
 その日、二日酔いの薬を飲んで何とか午前の授業を終えて、響が音楽準備室で一人モソモソとコンビニのおにぎりを齧っている時のことだ。
「響さん、キョーセンセ、いるか?」
 何やら慌てて音楽室に飛び込んできたのは東だった。
「東? こっち、いるよ」
 すると準備室のドアを思い切り開けて東が現れた。
「もう、メシ食った?」
「メシどころの騒ぎじゃないっすよ。ま、メシは食ったけど。話聞いてつい掻き込むように食っちまった」
 息せき切ってやってきたようで、東はまだ肩で息をしている。
「やっぱ、東、ちょっと絞った方がいいんちゃう?」
「わかってますよ! てか、そんなことより、今しがた美術部の子が話してるの聞いたんすけどね、なんか、ちょっと由々しき事態が起こったみたいで、荒川先生がえらく取り乱してるって」
「荒川先生が? 何か、あった?」
 何だろう、と響は昨日に引き続いて荒川先生というキーワードに嫌な感じがした。
「それが、一年のクラスと三年のクラスで荒川先生の英語の時間、突然ウエーブやらかしたって」
 東の言葉に、響は、はあ? と怪訝な顔を向けた。
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