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空は遠く 75
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え……な……に…?
佑人の顔に力の吐息がかかる距離。
しかも驚いた佑人の目を覗き込むようにして力の目があった。
身じろぎできないでいる佑人はその時ふいに石鹸の匂いに気づいた。
しかもみんなが使ったボディソープではないと悟った途端、石鹸の匂いに混じって男の性的な匂いを嗅ぎ取った佑人が慌てて身体を起こすまで、おそらくわずか何秒かのことだったろう。
「……びっくりした、帰ってるんなら上に来ればよかったのに」
少し闇に慣れた目で灯りを探してつけた佑人は、転がった拍子にテーブルの下に脱げたスリッパを見つけて履くと、キッチンに向かう。
「……フ…ン、そりゃこっちの台詞。灯りくらいつけて動けよな」
なるべく平静を装いながら冷蔵庫からポカリとノンアル缶を取り出すのだが、まだ佑人の足はガクガクと震えている。
それよりも動悸がなかなかおさまらない。
何だったんだ?
「あ、ポカリとか、飲む?」
震えを抑えて一応聞いてみるが、「俺はいい」と素っ気ない返事が返ってきた。
力はまたソファにゴロリと横になったが、結構大きなソファにもかかわらずおさまりきらない長い足にさっきはけつまづいたらしい。
「じゃ、おやすみ」
声をかけると、佑人は逃げるように階段を駆け上がる。
ドアの前で息を整えようとするのだが、またぞろさっき力に抑え込まれたその腕の感触が蘇り、カッと佑人の中で血液が逆流する。
明らかに女とヤッてきた後だというその腕に抱きこまれたというのに、佑人の頭の中でまるで火花でも散るように現れては消える思いもよらない感情に混乱していた。
力を好きだという思いがあっても、力の女たちのように力とどうこうなんて関係ない、のだと、たったさっき考えていたはずなのに。
ラブアフェアの後の生々しささえ残る男のそんな腕にもっと触れられたいと、触れていたいと、抱きしめたいと抱きしめられたいと、そんな感情が己の中にあるなんて。
力に対する思いを否定するつもりはなかった。
けれど、こんな身体の奥から湧き上がるような感情は、まるで知らない。
ダメだ。
ダメだ、こんなの!
とにかく、こんなことを少しでも考えているなんて、絶対に力に知られるわけにはいかない。
これだけ毛嫌いされている上、キモいとか思われるくらいなら、ほんとこの世から自分を消し去った方がマシ。
ああ、もう、頭の中がパニックしたまんま。
どうしたらいいんだろう。
こんなの………。
立ち竦む佑人の前でドアが開いた。
「お、成瀬、やっぱいた。開けろって怒鳴ればいいじゃん」
「え、あ、ごめん」
坂本は佑人の抱えている缶やボトルを取り上げた。
「どした? 成瀬、顔赤いぞ? 湯冷めして風邪引いたんじゃないか? もうベッドに入れよ」
「え、うん、そう……かも」
坂本の勘違いをいいことに、佑人はベッドに潜り込んだ。
「ポカリ、飲んだ方がいいぞ」
心配そうな顔で、坂本は毛布を掛けてくれる。
「あ、下に山本戻ってるよ。上に来ないかって言ったら、このまま寝るってソファで」
「ああ、力なんか放っといていいから」
不意に坂本の手が佑人の額に触れた。
「熱は……なさそうだけど、引き始めかもしれないし、何か調子悪かったら言えよ?」
冷たい手は何だか火照った顔には気持ちよく、離れていったのが残念な気もしたが、力が触れた時のような凄まじいものとは全く別のものだった。
眠ろう。
眠ってしまえば、こんなぐちゃぐちゃした思いなんか忘れるかもしれない。
くうん、とラッキーまでが心配そうな目を向けた。
大丈夫、という代わりに撫でてやっているうちに、眠りに落ちた。
週明けからクラス内にちょっとした異変が起きていた。
最初は中間テストも近いし、佑人は学年一番をずっとキープしていたから教えてほしいという生徒がいても何も奇異なことではなかった。
だが、「ねえ、成瀬くん」と幾度となく彼女の口から発せられるようになると、クラスメイトの目はその度に振り返った。
それも力の方には目もくれず、内田が力から佑人に乗り換えたと、いつしかヒソヒソだったのが、佑人にもしっかり聞こえるようになった。
坂本の家でバーベキューと勉強会をした翌日曜日、朝から不機嫌な顔を隠そうともしなかった力は、コーヒーだけ飲むと一人で先に帰ってしまった。
佑人とは目も合わせなかった。佑人が見なかっただけかも知れないが。
その矢先の嫌な展開だった。
ヒソヒソと自分の噂をされる、中傷ではないにせよ、佑人にとって忘れたはずの中学時代のあの嫌な感覚が呼び戻される。
まるで力から彼女を奪ったかのような筋書きになっていて、何より、佑人が危惧したのは力の中でまた自分を嫌う要素が増えることだった。案の定、昼にたまたま屋上にやってきた力に嫌味を言われた。
「おんや、成瀬くん、彼女ほっといてこんなヤロウどもとつるんでてもいいのかな?」
東山や啓太、坂本といつものように屋上にいると、やってきた力はニヤニヤ笑った。
「で? もうやっちゃった? あいつ結構いいカラダしてっだろ? ムネ、でけぇし」
わざといかがわしげな言いぐさに佑人はぐっと言葉に詰まる。
「力! 何、言いやがんだ! 成瀬がんなことするわけねぇだろうがよ!」
カッとなった坂本が怒鳴る。
佑人の顔に力の吐息がかかる距離。
しかも驚いた佑人の目を覗き込むようにして力の目があった。
身じろぎできないでいる佑人はその時ふいに石鹸の匂いに気づいた。
しかもみんなが使ったボディソープではないと悟った途端、石鹸の匂いに混じって男の性的な匂いを嗅ぎ取った佑人が慌てて身体を起こすまで、おそらくわずか何秒かのことだったろう。
「……びっくりした、帰ってるんなら上に来ればよかったのに」
少し闇に慣れた目で灯りを探してつけた佑人は、転がった拍子にテーブルの下に脱げたスリッパを見つけて履くと、キッチンに向かう。
「……フ…ン、そりゃこっちの台詞。灯りくらいつけて動けよな」
なるべく平静を装いながら冷蔵庫からポカリとノンアル缶を取り出すのだが、まだ佑人の足はガクガクと震えている。
それよりも動悸がなかなかおさまらない。
何だったんだ?
「あ、ポカリとか、飲む?」
震えを抑えて一応聞いてみるが、「俺はいい」と素っ気ない返事が返ってきた。
力はまたソファにゴロリと横になったが、結構大きなソファにもかかわらずおさまりきらない長い足にさっきはけつまづいたらしい。
「じゃ、おやすみ」
声をかけると、佑人は逃げるように階段を駆け上がる。
ドアの前で息を整えようとするのだが、またぞろさっき力に抑え込まれたその腕の感触が蘇り、カッと佑人の中で血液が逆流する。
明らかに女とヤッてきた後だというその腕に抱きこまれたというのに、佑人の頭の中でまるで火花でも散るように現れては消える思いもよらない感情に混乱していた。
力を好きだという思いがあっても、力の女たちのように力とどうこうなんて関係ない、のだと、たったさっき考えていたはずなのに。
ラブアフェアの後の生々しささえ残る男のそんな腕にもっと触れられたいと、触れていたいと、抱きしめたいと抱きしめられたいと、そんな感情が己の中にあるなんて。
力に対する思いを否定するつもりはなかった。
けれど、こんな身体の奥から湧き上がるような感情は、まるで知らない。
ダメだ。
ダメだ、こんなの!
とにかく、こんなことを少しでも考えているなんて、絶対に力に知られるわけにはいかない。
これだけ毛嫌いされている上、キモいとか思われるくらいなら、ほんとこの世から自分を消し去った方がマシ。
ああ、もう、頭の中がパニックしたまんま。
どうしたらいいんだろう。
こんなの………。
立ち竦む佑人の前でドアが開いた。
「お、成瀬、やっぱいた。開けろって怒鳴ればいいじゃん」
「え、あ、ごめん」
坂本は佑人の抱えている缶やボトルを取り上げた。
「どした? 成瀬、顔赤いぞ? 湯冷めして風邪引いたんじゃないか? もうベッドに入れよ」
「え、うん、そう……かも」
坂本の勘違いをいいことに、佑人はベッドに潜り込んだ。
「ポカリ、飲んだ方がいいぞ」
心配そうな顔で、坂本は毛布を掛けてくれる。
「あ、下に山本戻ってるよ。上に来ないかって言ったら、このまま寝るってソファで」
「ああ、力なんか放っといていいから」
不意に坂本の手が佑人の額に触れた。
「熱は……なさそうだけど、引き始めかもしれないし、何か調子悪かったら言えよ?」
冷たい手は何だか火照った顔には気持ちよく、離れていったのが残念な気もしたが、力が触れた時のような凄まじいものとは全く別のものだった。
眠ろう。
眠ってしまえば、こんなぐちゃぐちゃした思いなんか忘れるかもしれない。
くうん、とラッキーまでが心配そうな目を向けた。
大丈夫、という代わりに撫でてやっているうちに、眠りに落ちた。
週明けからクラス内にちょっとした異変が起きていた。
最初は中間テストも近いし、佑人は学年一番をずっとキープしていたから教えてほしいという生徒がいても何も奇異なことではなかった。
だが、「ねえ、成瀬くん」と幾度となく彼女の口から発せられるようになると、クラスメイトの目はその度に振り返った。
それも力の方には目もくれず、内田が力から佑人に乗り換えたと、いつしかヒソヒソだったのが、佑人にもしっかり聞こえるようになった。
坂本の家でバーベキューと勉強会をした翌日曜日、朝から不機嫌な顔を隠そうともしなかった力は、コーヒーだけ飲むと一人で先に帰ってしまった。
佑人とは目も合わせなかった。佑人が見なかっただけかも知れないが。
その矢先の嫌な展開だった。
ヒソヒソと自分の噂をされる、中傷ではないにせよ、佑人にとって忘れたはずの中学時代のあの嫌な感覚が呼び戻される。
まるで力から彼女を奪ったかのような筋書きになっていて、何より、佑人が危惧したのは力の中でまた自分を嫌う要素が増えることだった。案の定、昼にたまたま屋上にやってきた力に嫌味を言われた。
「おんや、成瀬くん、彼女ほっといてこんなヤロウどもとつるんでてもいいのかな?」
東山や啓太、坂本といつものように屋上にいると、やってきた力はニヤニヤ笑った。
「で? もうやっちゃった? あいつ結構いいカラダしてっだろ? ムネ、でけぇし」
わざといかがわしげな言いぐさに佑人はぐっと言葉に詰まる。
「力! 何、言いやがんだ! 成瀬がんなことするわけねぇだろうがよ!」
カッとなった坂本が怒鳴る。
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