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空は遠く 44
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朝から降っていた雨が夕方になると霙に変わっていた。
一月も終盤に差し掛かると、二年の教室では塾や模試の話題もあちこちで聞かれるようになる。
「ちょっと聞いてください」
クラス委員の西岡が授業が終わって帰ろうとするクラスメイトに向かって声を張り上げた。
帰りのショートホームルームは基本的に連絡事項がある場合のみ、担任かクラス委員によって行われることになっているが、七時限目まである水曜はみんなとっとと帰りたいばかりで、しかも雪に変わりそうな空の気配に、教室中からブーブー文句が出る。
「えっと、加藤先生からです。三者面談の希望日について提出していない者は必ず週末までに提出して下さい。また、保護者の印鑑必ずもらってくること」
「げー、うち親いねぇし」
「勝手に親、消すなよ」
「いいじゃん、印鑑なんて」
西岡の言葉が終わらないうちに、口々に勝手なことを言う。
「それと進路調査票、まだ提出していない者、即刻加藤先生に提出するように。岩村、佐藤、高田、成瀬、野村、東山、山本、以上」
西岡が教壇から降りると、ガタガタと皆が帰り始める。
「ここ四人みんな一緒?」
ニカニカ笑う啓太の頭を東山がポカリ。
「嬉しそうにいうんじゃねー」
「ってぇな、だって、俺を入れてくれるガッコさがすのなんか大変なんだぞ? 成瀬も、志望校まだ決まってねぇの?」
啓太に無邪気な笑顔を向けられると、佑人は何となく無視できない。
「ああ、そうなんだ」
「でも、成瀬、T大行くんじゃねぇの?」
「ばぁか、成瀬は入れてくれるとこばっかだから、選ぶのが大変なんだよ」
東山が佑人の変わりに答える。
志望校を決めかねているのは、国外も視野に入れているからだ。
山本は、どうするんだろう。
思わず心の内でそんなことを呟いた佑人はちょっと苦笑する。
「ねぇ、力って文系? 理系? どっちかくらい決めてるんでしょ?」
「文系だよね? 絶対」
佑人だけではなく、女子の間でも力の進路は気になるものらしい。
「っせーな。てめぇらに関係ねーだろ」
不機嫌そうな声とともに力が立ち上がるのを見て、佑人は顔を逸らす。
ってそっか、俺には関係ないか。俺ってとことんバカ?
「あ、成瀬」
力が数人の女子にキャラキャラと囲まれているうちに、ロッカーからコートを取り出した佑人は廊下から呼んでいる声の主を見た。
「ちょっと聞きたいんだけど、柳沢さんの好みって何か知ってる? 食べ物でも酒でもいいんだが」
コートを羽織って佑人が廊下に出ると珍しく坂本は真面目な顔で聞いてくる。
「酒なら、ワインとか好きみたいだけど。食べる方はあの人、甘い物も辛い物も好き嫌いはないみたいだ」
佑人はちょっと小首をかしげる。
「ワイン、ワインだな。いや、うちの親がさ、柳沢さん、礼儀正しいし、えらくすばらしい家庭教師だとかって感激しちゃってさ、何かお礼がしたいってんで。ってぇと、シャトーなんたらとかロマネコンティとか?」
「いや、そんなんじゃなくても全然、そういえばイタリアのワイン結構好きとか言ってたかな?」
佑人は柳沢の顔を思い浮かべながら言った。
「なるほど、そっか、わかった、サンキュ。そういや、うちの親、いい人紹介してくれたって、成瀬んとこにも何か礼したいとか言ってたぞ」
「え、うちなんか別にそんな心配しなくていいから」
廊下の窓から外を見ると、霙は大粒の雪に変わっていた。
「成瀬、お待たせ」
学生のくせにトレンチコートが妙によく似合う上谷は、姿勢正しく、整った顔立ちに爽やかな笑顔を周囲に振りまくように佑人の元へやってきた。
上谷が通るだけで女子の目はその姿を追っている。
だが、別に佑人は上谷を待っていたわけではない。
週に何度か、生徒会の仕事がない時など、上谷は勝手に佑人を誘いに来るようになった。
佑人としてはあまり目立ちたくはないので、今日もさっさと帰りたかったのだが。
「成瀬、ダッフル似合うよな、可愛い」
しかも帰国子女というより、半分アメリカ人のせいか日本人なら言葉にするのを躊躇するようなことも平気で口にする。
ある意味兄の郁磨と同質の部類に入るのかもしれないが、兄以外の人間に、そんな台詞を言われるとぞっとしない。
「図書館行く?」
ここのところ柳沢が来ない日は図書館で勉強していくというのが日課になりつつある佑人に、この上谷が勝手につき合うようになった。
さすがに図書館ではうるさく話しかけてくることもないのだが、問題の解き方を話す上谷の言葉がいつの間にか英語なので、何となくボストンにいた頃に戻った気がして、つられて佑人も英語で返したりする。そんな時間は佑人にとっても悪いものではなかったのだ。
「なーんか、いつの間にオトモダチになっちゃったんだ? あれ」
肩を並べて階段を降りていく佑人と上谷を見送りながら、坂本は廊下に出てきた力に言った。
「知るか。優等生同士だから話も合うんじゃねぇ?」
フンと鼻で笑い、面白くもなさそうな顔で力が言った。
「それを言うんなら、成績じゃやつより俺のが成瀬にふさわしいだろ」
「バーカ、お前なんか正体知られちまってるじゃねぇか」
「大体貴様のせいだぜ? もとはと言えば!」
坂本はムッとして、力にくってかかる。
「何が」
「てめぇが成瀬の兄貴とかに俺の名前を騙ったりするから、柳沢さんがいくら俺を褒めたとしても、成瀬の兄貴はお前の顔が浮かんだりするんだ! どうしてくれる? え?!」
力はガハハと声を上げて笑う。
一月も終盤に差し掛かると、二年の教室では塾や模試の話題もあちこちで聞かれるようになる。
「ちょっと聞いてください」
クラス委員の西岡が授業が終わって帰ろうとするクラスメイトに向かって声を張り上げた。
帰りのショートホームルームは基本的に連絡事項がある場合のみ、担任かクラス委員によって行われることになっているが、七時限目まである水曜はみんなとっとと帰りたいばかりで、しかも雪に変わりそうな空の気配に、教室中からブーブー文句が出る。
「えっと、加藤先生からです。三者面談の希望日について提出していない者は必ず週末までに提出して下さい。また、保護者の印鑑必ずもらってくること」
「げー、うち親いねぇし」
「勝手に親、消すなよ」
「いいじゃん、印鑑なんて」
西岡の言葉が終わらないうちに、口々に勝手なことを言う。
「それと進路調査票、まだ提出していない者、即刻加藤先生に提出するように。岩村、佐藤、高田、成瀬、野村、東山、山本、以上」
西岡が教壇から降りると、ガタガタと皆が帰り始める。
「ここ四人みんな一緒?」
ニカニカ笑う啓太の頭を東山がポカリ。
「嬉しそうにいうんじゃねー」
「ってぇな、だって、俺を入れてくれるガッコさがすのなんか大変なんだぞ? 成瀬も、志望校まだ決まってねぇの?」
啓太に無邪気な笑顔を向けられると、佑人は何となく無視できない。
「ああ、そうなんだ」
「でも、成瀬、T大行くんじゃねぇの?」
「ばぁか、成瀬は入れてくれるとこばっかだから、選ぶのが大変なんだよ」
東山が佑人の変わりに答える。
志望校を決めかねているのは、国外も視野に入れているからだ。
山本は、どうするんだろう。
思わず心の内でそんなことを呟いた佑人はちょっと苦笑する。
「ねぇ、力って文系? 理系? どっちかくらい決めてるんでしょ?」
「文系だよね? 絶対」
佑人だけではなく、女子の間でも力の進路は気になるものらしい。
「っせーな。てめぇらに関係ねーだろ」
不機嫌そうな声とともに力が立ち上がるのを見て、佑人は顔を逸らす。
ってそっか、俺には関係ないか。俺ってとことんバカ?
「あ、成瀬」
力が数人の女子にキャラキャラと囲まれているうちに、ロッカーからコートを取り出した佑人は廊下から呼んでいる声の主を見た。
「ちょっと聞きたいんだけど、柳沢さんの好みって何か知ってる? 食べ物でも酒でもいいんだが」
コートを羽織って佑人が廊下に出ると珍しく坂本は真面目な顔で聞いてくる。
「酒なら、ワインとか好きみたいだけど。食べる方はあの人、甘い物も辛い物も好き嫌いはないみたいだ」
佑人はちょっと小首をかしげる。
「ワイン、ワインだな。いや、うちの親がさ、柳沢さん、礼儀正しいし、えらくすばらしい家庭教師だとかって感激しちゃってさ、何かお礼がしたいってんで。ってぇと、シャトーなんたらとかロマネコンティとか?」
「いや、そんなんじゃなくても全然、そういえばイタリアのワイン結構好きとか言ってたかな?」
佑人は柳沢の顔を思い浮かべながら言った。
「なるほど、そっか、わかった、サンキュ。そういや、うちの親、いい人紹介してくれたって、成瀬んとこにも何か礼したいとか言ってたぞ」
「え、うちなんか別にそんな心配しなくていいから」
廊下の窓から外を見ると、霙は大粒の雪に変わっていた。
「成瀬、お待たせ」
学生のくせにトレンチコートが妙によく似合う上谷は、姿勢正しく、整った顔立ちに爽やかな笑顔を周囲に振りまくように佑人の元へやってきた。
上谷が通るだけで女子の目はその姿を追っている。
だが、別に佑人は上谷を待っていたわけではない。
週に何度か、生徒会の仕事がない時など、上谷は勝手に佑人を誘いに来るようになった。
佑人としてはあまり目立ちたくはないので、今日もさっさと帰りたかったのだが。
「成瀬、ダッフル似合うよな、可愛い」
しかも帰国子女というより、半分アメリカ人のせいか日本人なら言葉にするのを躊躇するようなことも平気で口にする。
ある意味兄の郁磨と同質の部類に入るのかもしれないが、兄以外の人間に、そんな台詞を言われるとぞっとしない。
「図書館行く?」
ここのところ柳沢が来ない日は図書館で勉強していくというのが日課になりつつある佑人に、この上谷が勝手につき合うようになった。
さすがに図書館ではうるさく話しかけてくることもないのだが、問題の解き方を話す上谷の言葉がいつの間にか英語なので、何となくボストンにいた頃に戻った気がして、つられて佑人も英語で返したりする。そんな時間は佑人にとっても悪いものではなかったのだ。
「なーんか、いつの間にオトモダチになっちゃったんだ? あれ」
肩を並べて階段を降りていく佑人と上谷を見送りながら、坂本は廊下に出てきた力に言った。
「知るか。優等生同士だから話も合うんじゃねぇ?」
フンと鼻で笑い、面白くもなさそうな顔で力が言った。
「それを言うんなら、成績じゃやつより俺のが成瀬にふさわしいだろ」
「バーカ、お前なんか正体知られちまってるじゃねぇか」
「大体貴様のせいだぜ? もとはと言えば!」
坂本はムッとして、力にくってかかる。
「何が」
「てめぇが成瀬の兄貴とかに俺の名前を騙ったりするから、柳沢さんがいくら俺を褒めたとしても、成瀬の兄貴はお前の顔が浮かんだりするんだ! どうしてくれる? え?!」
力はガハハと声を上げて笑う。
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