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四話
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「またこれか……」
どうやら椅子に座ったまま眠ってしまったらしい。
カーテンの隙間からは光が差し込んでおり眠りから醒めたばかりの目にまぶしかった。
俺はゆっくりと立ち上がりぐーっと伸びをする。座りながら寝たせいで体のあちこちがずきずきと痛む。
時刻は午前十時手前。明らかに寝すぎだ。
今日は病院に行く日なのだが、予定にはまだ時間がある。
「少し、執筆ができそうだ」
時計を見た後、コップ一杯の水を飲んで軽く喉を潤してから顔を洗う。
頭の中にはさっきまで見ていた出来事が頭の中を支配するようにぐるぐるしている。
あれは夢であっても夢じゃない。
俺が過去に体験したことでもあり、この小説に書いたことでもある。
だけど、いつもそこまでなんだ。
「断片的な記憶だけで、肝心な部分だけが掠れるんだ」
症状が治り思い出せるようになっても高校の事や友人関係、未だにあの一週間以外の記憶は戻らない。
高校三年生の春。始業式から始まった一週間。
俺が思い出せる記憶はその一週間のほんの一部だった。
「何年も女の子に辛い思いさせて……あんなベタな台詞吐いて、それで記憶は戻らない。しまいには彼女の名前さえ思い出せないとか……ほんと何やってんだろうな」
俺は全身の力が抜けるようにベッドに倒れ込む。
あの記憶から二年たった今、俺は大学生になった。
俺の症状が戻ったのは高校を卒業してからすぐの事。
激しい頭痛に襲われて気絶し、病院に運ばれてしばらくした後に起きたら「症状が治りました」なんて先生に言われたものだから、訳が分からなかった。
俺にとってこの世界は本当に突然で溢れてる。
出会いも別れも、気づいた時には突然。
彼女が今どこで何をしているのか俺には見当も付かなかった。
探そうにも容姿しか思い出せないから誰の助力も得られない。
だから二度と会うことはないかもしれないし忘れられてる可能性だってある。
どんな物語にもハッピーエンドがつきものなんてそんなのは空想の中だけだ。
俺は彼女の事を散々忘れてきたんだ。今更、彼女に会いにいく資格なんてない。
俺はゆっくり立ち上がりノートパソコンを開いて文の推敲を始める。
「昨日は確かここら辺を推敲してたんだが――」
これは誰かに見せるためじゃない。ただの自己満足だ。自分の記憶を知るために書いているだけなのだ。
だから、人物名や細かい情景は全て空欄……のはずだった。
「う、嘘だろ? 全部埋まってる。空欄が一つもない」
どんなにマウスホイールをスクロールしても全てちゃんと埋まっている画面に俺は釘付けになった。
「とりあえず落ち着くんだ俺。適当に書いただけかもしれない。最初から読まないと」
俺は隅々まで目を凝らして見る。
変更点はなく、空欄だったその場所に名前が付け加えられただけで、物語の終わりまで見えてきた。そしてラストの彼女に名前を教えてもらう場面。
「ああ……」
そこには名前がしっかりと書いてあった。
嘘かもしれない。俺が考えた空想の名前かもしれない。
そんな疑問は名前を見て一瞬で消えた。
もちろん、ここに空想の事を書くつもりはなかったしこれからもない。
やっぱりこの世界はいつも突然だ。
時刻は既に十二時を回っている。
出かけるには丁度いい時間じゃないだろうか。
俺はノートパソコンを閉じ着替えと準備を済ませ、棚に置いてあった数学と書かれたノートを最後にバッグに詰め、病院に向かった。
病院に着いて受付を済ましてからというもの、落ち着いてはいられなかった。
そわそわとしてしまい名前を呼ばれるのが待ち遠しい。
彼女の名前を見た時、なんで俺はもっと早く気づかなかったんだろう。
彼女は、ずっと傍にいてくれたんだ。比喩なんかじゃなくそのままの意味。
看護師がただの患者に名前を教えるだろうか? 症状が治った時一番喜んでいたのは彼女だったじゃないか。
……思い返せば心当たりのあることばかりだ。
「増山ますやまさーん」
「は、はい! 」
呼ばれた瞬間、心臓の鼓動が早くなっていき、内部から破裂しそうなほどうるさい音が耳をつく。
俺は立ち上がって一度深呼吸をして心を落ち着かせる。
大丈夫だ。前から顔を合わせていたんだしちょっと、ほんのちょっとだけ関係を思い出しただけじゃないか。それが何だというんだ。何も緊張することはない。
早足で移動するが、今日は一段と空いており診察室の扉は既に開いていた。
俺は間髪入れずに堂々と入る。
「増山です。お久しぶりです」
「お久しぶりです。あの後体調に異変や困ったことなどはありましたか? 」
「いえ、特にはありません。でも記憶はあまり……」
「そうですか……。まだ思い出せないと。こればっかりは原因が分からなくて申し訳ない」
先生が軽く頭を下げるので俺は腕をぶんぶんと横に振りながら「全然大丈夫ですので頭を上げてください」と言えば先生は恐る恐る顔を上げてくれた。
俺が記憶をなくした時からお世話になっているというのにこの人はいつまでたっても謙虚だ。
人柄もいいのでいつも安心して話せる……のだが、今日はいつもサポートをしている看護師が知らない方で少し不安になった。担当は彼女ではなくこの人に変わったのだろうか。
そんなことを気にしていると話は進んでおり、今日は脳のレントゲンを撮ったりするらしい。
あんまり聞いてなかった……とは言えないので俺は相槌をしながら話を聞いた。
無事長い検査が終わり、診察室に戻ってきた。
「お疲れ様です。検査結果はまた後日報告致します」
「はい。分かりました」
先生がパソコンで俺の事が書いてあるだろう書類を手際よくまとめ、次に病院に行く日にちを教えてもらうと、先生の後ろに立っていた看護師さんに退出を促され、俺はそれに従い颯爽と部屋を出る。
結局、俺の探していた人には会えなかった。
嫌な予感はしていたけど、今日はもう会えないだろう。
そう思い俺がとぼとぼ歩きだすと目の前で紙をぶちまけしまったであろう看護師さんが、床に落ちた書類を必死にかき集めていた。
でも、周りに手伝ってあげる様子は一切ない。
自分でやったんだから、自分で拾えよ。そういった空気が流れている。
でも俺は周りに流されるような人間にはなりたくないんだ。
ある程度近づいてもその看護師さんは俺に気づかず必死に書類をかき集めていた。
俺は、看護師さんのすぐ後ろにある一枚の紙を拾い上げる。
「すいません。落としましたよ」
肩を叩くとその人ははっとし、俺の方を向くと立ち上がって頭をぺこぺこと下げる。
「ありがとうございます……」
彼女は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに笑みに変わる。
その笑顔は前に見た時とそっくりで、眼鏡をかけていても今の俺にはすぐに分かった。
でもどこかそっけなく、赤の他人のような会話に俺は心が痛苦しくなったが、今日は彼女に会えないと思っていたの嬉しい気持ちの方が大きい。
俺が拾った紙が最後らしく、彼女はそれを受け取るとそそくさとその場から離れていく。
「あの……! 」
反射的に叫んでいた。
彼女が離れていくのを黙ってみているのは耐えられない。
急に大声を出したから、視線が痛いが今だけは勘弁してくれ。
今、声をかけられなかったらいつチャンスがあるか分からないんだ。
「どうしたんですか? 」
彼女が微笑んで振り返る。
困ったような、でも嬉しそうな、そんな表情だった。
やっぱり、おれは記憶を失っても一週間の中で君に恋をしていたんだと、自信を持って言える。
「――――さん。おれは……いや、僕は約束を守れたかな」
彼女は一瞬目を丸くすると、眼鏡をゆっくり外した。
俺の記憶よりは大人びていた彼女だけど、でも変わらない。
「……うん。君はきっと守れてる。でもさ、ちょっと遅すぎるよ」
時間はかかったかもしれない。
彼女を待たせすぎたかもしれない。
けれど……僕らのこれからは、もっと長い時間になる。
「――おかえり蓮くん」
どうやら椅子に座ったまま眠ってしまったらしい。
カーテンの隙間からは光が差し込んでおり眠りから醒めたばかりの目にまぶしかった。
俺はゆっくりと立ち上がりぐーっと伸びをする。座りながら寝たせいで体のあちこちがずきずきと痛む。
時刻は午前十時手前。明らかに寝すぎだ。
今日は病院に行く日なのだが、予定にはまだ時間がある。
「少し、執筆ができそうだ」
時計を見た後、コップ一杯の水を飲んで軽く喉を潤してから顔を洗う。
頭の中にはさっきまで見ていた出来事が頭の中を支配するようにぐるぐるしている。
あれは夢であっても夢じゃない。
俺が過去に体験したことでもあり、この小説に書いたことでもある。
だけど、いつもそこまでなんだ。
「断片的な記憶だけで、肝心な部分だけが掠れるんだ」
症状が治り思い出せるようになっても高校の事や友人関係、未だにあの一週間以外の記憶は戻らない。
高校三年生の春。始業式から始まった一週間。
俺が思い出せる記憶はその一週間のほんの一部だった。
「何年も女の子に辛い思いさせて……あんなベタな台詞吐いて、それで記憶は戻らない。しまいには彼女の名前さえ思い出せないとか……ほんと何やってんだろうな」
俺は全身の力が抜けるようにベッドに倒れ込む。
あの記憶から二年たった今、俺は大学生になった。
俺の症状が戻ったのは高校を卒業してからすぐの事。
激しい頭痛に襲われて気絶し、病院に運ばれてしばらくした後に起きたら「症状が治りました」なんて先生に言われたものだから、訳が分からなかった。
俺にとってこの世界は本当に突然で溢れてる。
出会いも別れも、気づいた時には突然。
彼女が今どこで何をしているのか俺には見当も付かなかった。
探そうにも容姿しか思い出せないから誰の助力も得られない。
だから二度と会うことはないかもしれないし忘れられてる可能性だってある。
どんな物語にもハッピーエンドがつきものなんてそんなのは空想の中だけだ。
俺は彼女の事を散々忘れてきたんだ。今更、彼女に会いにいく資格なんてない。
俺はゆっくり立ち上がりノートパソコンを開いて文の推敲を始める。
「昨日は確かここら辺を推敲してたんだが――」
これは誰かに見せるためじゃない。ただの自己満足だ。自分の記憶を知るために書いているだけなのだ。
だから、人物名や細かい情景は全て空欄……のはずだった。
「う、嘘だろ? 全部埋まってる。空欄が一つもない」
どんなにマウスホイールをスクロールしても全てちゃんと埋まっている画面に俺は釘付けになった。
「とりあえず落ち着くんだ俺。適当に書いただけかもしれない。最初から読まないと」
俺は隅々まで目を凝らして見る。
変更点はなく、空欄だったその場所に名前が付け加えられただけで、物語の終わりまで見えてきた。そしてラストの彼女に名前を教えてもらう場面。
「ああ……」
そこには名前がしっかりと書いてあった。
嘘かもしれない。俺が考えた空想の名前かもしれない。
そんな疑問は名前を見て一瞬で消えた。
もちろん、ここに空想の事を書くつもりはなかったしこれからもない。
やっぱりこの世界はいつも突然だ。
時刻は既に十二時を回っている。
出かけるには丁度いい時間じゃないだろうか。
俺はノートパソコンを閉じ着替えと準備を済ませ、棚に置いてあった数学と書かれたノートを最後にバッグに詰め、病院に向かった。
病院に着いて受付を済ましてからというもの、落ち着いてはいられなかった。
そわそわとしてしまい名前を呼ばれるのが待ち遠しい。
彼女の名前を見た時、なんで俺はもっと早く気づかなかったんだろう。
彼女は、ずっと傍にいてくれたんだ。比喩なんかじゃなくそのままの意味。
看護師がただの患者に名前を教えるだろうか? 症状が治った時一番喜んでいたのは彼女だったじゃないか。
……思い返せば心当たりのあることばかりだ。
「増山ますやまさーん」
「は、はい! 」
呼ばれた瞬間、心臓の鼓動が早くなっていき、内部から破裂しそうなほどうるさい音が耳をつく。
俺は立ち上がって一度深呼吸をして心を落ち着かせる。
大丈夫だ。前から顔を合わせていたんだしちょっと、ほんのちょっとだけ関係を思い出しただけじゃないか。それが何だというんだ。何も緊張することはない。
早足で移動するが、今日は一段と空いており診察室の扉は既に開いていた。
俺は間髪入れずに堂々と入る。
「増山です。お久しぶりです」
「お久しぶりです。あの後体調に異変や困ったことなどはありましたか? 」
「いえ、特にはありません。でも記憶はあまり……」
「そうですか……。まだ思い出せないと。こればっかりは原因が分からなくて申し訳ない」
先生が軽く頭を下げるので俺は腕をぶんぶんと横に振りながら「全然大丈夫ですので頭を上げてください」と言えば先生は恐る恐る顔を上げてくれた。
俺が記憶をなくした時からお世話になっているというのにこの人はいつまでたっても謙虚だ。
人柄もいいのでいつも安心して話せる……のだが、今日はいつもサポートをしている看護師が知らない方で少し不安になった。担当は彼女ではなくこの人に変わったのだろうか。
そんなことを気にしていると話は進んでおり、今日は脳のレントゲンを撮ったりするらしい。
あんまり聞いてなかった……とは言えないので俺は相槌をしながら話を聞いた。
無事長い検査が終わり、診察室に戻ってきた。
「お疲れ様です。検査結果はまた後日報告致します」
「はい。分かりました」
先生がパソコンで俺の事が書いてあるだろう書類を手際よくまとめ、次に病院に行く日にちを教えてもらうと、先生の後ろに立っていた看護師さんに退出を促され、俺はそれに従い颯爽と部屋を出る。
結局、俺の探していた人には会えなかった。
嫌な予感はしていたけど、今日はもう会えないだろう。
そう思い俺がとぼとぼ歩きだすと目の前で紙をぶちまけしまったであろう看護師さんが、床に落ちた書類を必死にかき集めていた。
でも、周りに手伝ってあげる様子は一切ない。
自分でやったんだから、自分で拾えよ。そういった空気が流れている。
でも俺は周りに流されるような人間にはなりたくないんだ。
ある程度近づいてもその看護師さんは俺に気づかず必死に書類をかき集めていた。
俺は、看護師さんのすぐ後ろにある一枚の紙を拾い上げる。
「すいません。落としましたよ」
肩を叩くとその人ははっとし、俺の方を向くと立ち上がって頭をぺこぺこと下げる。
「ありがとうございます……」
彼女は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに笑みに変わる。
その笑顔は前に見た時とそっくりで、眼鏡をかけていても今の俺にはすぐに分かった。
でもどこかそっけなく、赤の他人のような会話に俺は心が痛苦しくなったが、今日は彼女に会えないと思っていたの嬉しい気持ちの方が大きい。
俺が拾った紙が最後らしく、彼女はそれを受け取るとそそくさとその場から離れていく。
「あの……! 」
反射的に叫んでいた。
彼女が離れていくのを黙ってみているのは耐えられない。
急に大声を出したから、視線が痛いが今だけは勘弁してくれ。
今、声をかけられなかったらいつチャンスがあるか分からないんだ。
「どうしたんですか? 」
彼女が微笑んで振り返る。
困ったような、でも嬉しそうな、そんな表情だった。
やっぱり、おれは記憶を失っても一週間の中で君に恋をしていたんだと、自信を持って言える。
「――――さん。おれは……いや、僕は約束を守れたかな」
彼女は一瞬目を丸くすると、眼鏡をゆっくり外した。
俺の記憶よりは大人びていた彼女だけど、でも変わらない。
「……うん。君はきっと守れてる。でもさ、ちょっと遅すぎるよ」
時間はかかったかもしれない。
彼女を待たせすぎたかもしれない。
けれど……僕らのこれからは、もっと長い時間になる。
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