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後編

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***


「……今日も、嫌われた。おそらく、いや絶対に」
「ちゅう(嫌っていないけれど、もう少し会話ができればとは思っています)」

 ここ数日の公爵様の予定は、執務がほとんどだった。
 邪魔をしない範囲でお茶に誘っていたのだが、言葉を発したのは一言二言。
 話し難い空気を放つ彼を前に、やっぱりあの晩はなにかの間違いだったのだと思い込んだ私も話すことができなかった。

 あまりにも静かであったため、メイドたちには「沈黙のティータイム」と名付けられてしまった。ちょっと上手いし面白いから困る。

 でも、ふと思い立ってここに来てみれば、やっぱり公爵様はこんな感じで。
 お酒が入っているから素が出やすいんだろうと、ようやく理解した。

「チーズをやろう。その代わり、俺の晩酌に付き合ってくれ」
「ちゅう(ありがとうございます)」

 ネズミを友人だと頑なに思い込んでいる公爵様は、快く迎え入れてくれて、また丸いコップに私を入れた。

「それにしても……やけに毛並みがいいな。ネズミにしては飼われた猫のように清潔だ。まさかお前、飼い鼠か?」
「ちゅう(飼い鼠って初めて聞くんですが)」
「俺の話も理解している節があるのも興味深い……いっそ俺の補佐になるか? ちょうど解雇を検討中の補佐がいるからな」
「ちゅちゅちゅー(それ、ヨハンのことよね。冗談だってわかります)」
「そうか、なるか。よしよし」

 名案だと微笑む公爵様は、とても可愛らしい。
 本人に言っては怒られてしまいそうだけれど、この人は案外お茶目な一面がある。
 ネズミでないと知り得なかった、本当の彼の姿だ。

「では、名は……そうだな、ネズ……いや、チーズ……。よし、エメンタールにしよう」

 ほろ酔いふんわりな公爵様に、なんだか仰々しい名を付けられたけれど、要するに穴あきチーズエメンタールである。
 最初のネズ、はどこにいってしまったのか。そもそもネズミにエメンタールと名付ける人がいるだなんて。

「どうだ、名は気に入ったか? ふふ、エメンタール。エメ…………。タール、こちらにこい」

 しかも名付けた直後に「やっぱり少し長すぎるな」と考えて端折るのやめて。そこは頑張って、あなたの名と変わらない長さなんだから。

「怖がることない、おいで」

 とても優しい声音で彼は囁く。
 浮かんだ微笑みも温かいもので、これまで私にそんな顔を向けてくれたのは、母だけだった。

 手を差し出され、絆された私は、素直に公爵様の手に飛び乗る。

「さて、俺の部下なら良い提案が出ることを期待する……妻が、俺を恐れないでくれるにはどうすればいい」
「ちゅう……(そもそも、恐れてはいないのに)」

 どうやら公爵様は、初対面のときに私が言葉を詰まらせたのを気にしているらしい。
 あの時は公爵様の美貌に慄き、加えて短期間に詰め込まれた作法がごっちゃになってしまい上手く振る舞うことができなかったのだ。
 それがこんなにも気にされているなんて、申し訳ない。


 また、ある晩のこと。

「にゃあ……?(うまそうなネズミだ、食ったろ)」
「ちゅうー!!(いやーー!!)」

 ガゼボに向かっていたら、灰色の猫とばったり出くわした。
 猫は目をきらりと光らせ、私を食べようと追いかけてくる。

「ちゅちゅーちゅー!(公爵様、たすけてー!)」

 人間に戻れば食べられることはない。
 しかし、ここで戻れば全裸になる。だから人間に戻るわけにはいかなかった。

「……ん? タール?」

 ガゼボに逃げ込むと、すっかり出来上がった公爵様が不思議そうに首を傾げた。
 私は勢いよく公爵様へ飛びついて、無我夢中で懐に隠れる。

「……もう、いったぞ。ほら、出てくるんだ」

 もぞもぞと手で探られ、公爵様は私を服の外に出す。
 瞼を開けると、公爵様が目元を緩めて楽しげに私を見下ろしていた。

「危うく餌になるところだったな」
「……ちゅう(もし食べられていたら、明日あなたの妻は一生行方不明でした)」
「しかし、まずいな。俺の部下なのだから、もう少し立ち向かえるようにしないといけない……」

 何を言い出すのかと思いきや、公爵様は私をテーブルに載せると、近くにあったスプーンを渡してくる。

「十回だ」
「ちゅ?(まさか、鍛えようとしているの?)」
「……どうした。早くやらないと、今日のチーズは抜きだ」

 じいっと見守るように視線はこちらに固定されたまま。
 おそらく、私が腕を動かすまで注がれ続けるのだろう。

 ネズミに筋肉トレーニングをさせようとするだなんて……可愛げが強すぎておそろしい。しかも狙っているわけじゃないのがなんとも。

「ちゅう……(仕方がない……)」
「よしよし。慣れてきたら、次は二十回だな」

 そこまで食い意地は張っていないけれど、結局は公爵様の圧に負けてスプーン筋トレを始めることになってしまった。
 どうしてこんなことに……このままじゃ、筋肉ネズミになってしまう!


 まさか公爵様とこんな関係になるとは思わなかったが、案外楽しくて通ってしまう私がいる。

 こうしてネズミとしての交流が数日続き、少しずつだが公爵様の事情も知ることになった。

 公爵様は、今は亡き前公爵夫人……つまり私の義母とは仲良くなかったらしい。
 公爵様は歴代の公爵家当主と比べても凄まじい力を持って生まれたらしく、その力を前公爵夫人は恐れたのだ。

 公爵家の力……それは異能力というもので、この力があるから公爵様は獰猛な魔物や魔獣を最前線に立って退治できる。
 そして、攻撃には一切の容赦を知らず、すべての領民のためを思って非情になることから、冷酷な獣という蔑称がついたのだという。

 大きな力を持った人を恐れる心理はわかるけれど、公爵様が北の領地を守っているから、魔物や魔獣の侵攻が防がれている。
 領地は安定し、飢えがなく人々が暮らしていける。

 けれど功績に反して王都での公爵様の評判は、あまりいいものとは思えなかった。
 なんだかそれが、私の中で納得いかなくて、やるせない気持ちになった。

 よく彼が言っている、妻に嫌われる、という言葉は、公爵様のこういった事情が関係しているのかもしれない。
 そして、嫌われたくないから遠ざける。嫌われたくないから、最初から線を引く。

 でも私は、最初からあなたを嫌ってなかったんですけどね。
 やっぱり、言葉でしっかりと伝えなければ。

 おこがましいかもしれないが、考えてしまう。
 野良ネズミに話しかけては部下にすると笑う、本当は温情に溢れるこの人に寄り添うことができるのならば、と。
 
「……ちゅちゅ、ちゅう?(次に人間の姿で会った時、私の言葉を、聞いてくれますか?)」
「うん? 腹が減ったか、ほら、チーズだ」
「ちゅう!!(違う!)」

 やきもきしながら渡されたチーズの欠片を受け取る。
 チーズなんてたくさん食べて来たのに、公爵様から貰ったチーズが今までで一番美味しく感じた。


 ***


 公爵様と面と向かって話そうと決意した次の日。
 北の国境で魔物よりもさらに凶暴な魔獣が出現したという報せを受け、公爵様は夜が明ける前に屋敷を出発した。

 それから数日、公爵様は帰って来なかった。
 次にヨハンから伝えられたのは、公爵様が部下を庇って重傷を負ったという凶報である。


「奥様、これより先はいけません! 旦那様から奥様をお通しするなと言われて――」
「では、部下として会いに行くなら構わないでしょう」
「は、はい?」

 ヨハンの制止を振り切って、私は帰ってきた公爵様の寝室の扉を開ける。

「……なぜ、ここに」

 寝台に横になっていた公爵様は、私が入ってくると瞠目し、すぐにふいっと顔を横に向けた。

 本当に、酷い怪我。
 体のほとんどは包帯で覆われていて、顔にも擦り傷がたくさんある。
 痛いだろうに、公爵様はなんでもないような顔を崩そうとはしない。

「ヨハンに、通すなと言ったはずだ」
「はい、でも無理を言ってしまいました」
「簡単な命令も遂行できないとは……」

 もしかして今も、素が出せずに思ったことが言えないのだろうか。

「では、クビにしますか?」
「……は?」
「クビにして、新しく補佐を立てましょうか。たとえば、白いネズミですとか」
「ネズミ……?」
「ああ、だけど……ある意味ヨハンは命令を守っていますよ。だって、私は部下として見舞いに来たんですもの」

 突拍子のない私の言葉に、公爵様は目を丸めた。
 心当たりのある顔をして、それでも理解が追いつかず黙り込んでいる。

「…………君は、なにを言っているんだ?」
「知っていますか? ネズミでも筋肉痛になることを。おかげで両腕ともしばらく痛くて大変でした」
「…………いや、なにを言っているんだ?」
「何ってだから……私とあなたの話です」

 そこからしばらく、無言の時が続いた。
 けれど、それもすぐに公爵様によって破られる。

「………………、…………、………………タール?」
「ええ、タールです。エメンタールの、タール」

 ものすっごく溜めたあと、公爵様はその名をつぶやく。
 私は頷き、ゆっくりと公爵様のそばに近寄った。
 
「私は……あなたの事をまだよく知らないけれど、あなたが怪我をしたと聞いて心臓が凍てついたように痛くなりました。もうお顔を見ることができなくなるのではと、怖かった」
「いや、タールが、君で、君がタール……」
「だから、話しましょう。何時間でも。お互いの不安をすべて取り除けるまで。だって私たち、他人の干渉で出来上がった関係だとしても、もう夫婦なんですから」
「……」

 公爵様が怪我を負って危ないと、使用人たちがざわついていたせいか、私の焦りも大きくなっていた。
 思っていたことを脈略もなく吐き出す形になってしまったけれど、もう公爵様は、私から目を逸らさない。

「……つまり君は、ネズミだったということか?」

 まじまじと私を上から下まで確認する公爵様は、考えた末にそう言った。

「半分くらいは、正解です……」

 出会って日は浅いけれど、彼を信じていきたいと心が告げていた。


 あれから私たちは、お互いを理解し合えるように少しずつ会話を増やしていった。
 異形術については驚いていたけれど、それよりもネズミだった私にしていた数々の失言のほうが気になるらしい。
 お茶も楽しく過ごせるようになり、もう沈黙のティータイムとは言われなくなった。

「アーノルト様、今度一緒にお酒を飲みませんか?」
「……いやだ」
「ええ、残念……」

 もう酔った姿は十分に知っているのに、彼は頑なに断る。

「……酔って、」
「はい?」
「君に、嫌われたくない」
「もう、今さら嫌いになるわけないじゃないですか」
「そういう意味じゃない」

 はあ、と横でため息をつかれる。
 あの晩の寂しく憂いだ表情とは違って、アーノルト様の横顔は違った意味で憂いでいた。





── ── ── ── ── ──


ありがとうございました!
こちら小説家になろうにて先行公開しております。

アルファポリスのみで更新中の
『忌み色公女のリスタート!~体感100年、やっと自分の体に戻れたので、心を入れ替えて人生を謳歌してもいいですか?~ 』もよろしくお願いします!((宣伝))


物語のちょっとした後日秘話↓

ラシェル・クラングファルベ(18)
・遠い異国では神衣族と呼ばれる「異形術」を操る一族の血筋。
・まともな教育を受けることができなかったため、公爵家では教養と公爵夫人としての責務を全うできるように日々精進中。
・子爵家での待遇については過去のことと割り切っているのだが、本人があっさりしすぎて逆に公爵様が根に持つようになる。
・嫁いできた当初の誤解は解かれ、使用人らとは良好な関係を築けている。

アーノルト・クラングファルベ(22)
・代々伝わる異能力を歴代で最も強力に操れる稀代の若公爵。
・家族からの愛情を知らず、夫婦生活に関しては今でも戸惑うことの連続だが、ラシェルとの時間、ティータイムは好き。
・改めてラシェルから子爵家での扱いを聞いたときは、自分でも驚くほど動揺していたようで、一瞬公爵邸が地響きを起こした。
・異形術について理解している。先日、ラシェルが体調を崩して中途半端な異形術姿(ネズミの耳だけ生える)になったときは、愛らしくてどうしようかと思った。もちろんしっかり看病して付き添った。


(魔物の毒を受けた公爵様を助けるため、貴重な解毒草を採取しようと公爵領中のネズミたちをドドドドー!と引き連れ従えるラシェルも書きたかったのですが、長くなるのでボツにしました)
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みんなの感想(6件)

NOGAMI
2022.06.11 NOGAMI

楽しかったです!
今度はぜひ長編で!
長くなるのは一向に構いませんよ〜。
なんなら、この話を長編バージョンで!

解除
dragon.9
2022.06.11 dragon.9

【妄想】

公爵領では月に1度、不思議な現象がおこる(笑)
公爵邸隣接に作られた広い広い庭とゆうなの森に
公爵領のネズミが集まるのだ(笑)

公爵領のネズミには
月に1度の病疫検査が義務付けられているのだ!

この森にも
ネズミ達用に住居などが整備されている
街の至る所にも
ネズミ達用の連絡所があり、休憩したり、訓練したり、
任務に当たるための備蓄がしてあるそうな。

ネズミ達の任務とは?
警護から密偵など、適材適所(笑)
先頭に立ち指示指導をするのは白いネズミだとか、

ネコたちには猫缶と寝床を提供する事で配下につけたそうな(笑)
もちろん、ネコたちにも月一検査があるそうな(笑)

ネコに乗って颯爽と駆け抜けるネズミ(背中に伝令旗)!
公爵領の名物...ヽ( ´_つ`)ノ ?(笑)



シリーズ化しておくんなまし
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/ ̄ ̄ ̄ ̄
    ∧_∧    
  ;;(´・ω・)  
 _旦_(っ(,,■)__
 |l ̄l|| ̄じじ ̄|i






解除
蓮
2022.06.11

はじめまして〜
とても面白かったです❤️
是非是非番外編をお願いします。
またなろうでは同じ題名、作者名で載せていらっしゃるのでしょうか?
見つからないのですが……

解除

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