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怪我の功名

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(飽きた……。そもそも羊って眠れないときに数えるやつだし)

 羊を数える暇つぶしは遠に終わってしまった。
 目に届く範囲に時計がないので具合的な時間はわからないけれど、もう十分は過ぎたんじゃないのかと思う。

(ずっと同じ体勢で座ってるし、クリストファーはこっちに見向きもしないし。……ハッ、これは何か試されてるの!?)

 幸いソファは驚くほど柔らかいので、同じ体勢でいてもお尻が痛くなることはない。
 ただ、とんでもなく手持ち無沙汰なのである。

(これでもこっちは5歳児。いつまでも大人しくできる年頃だと思わないでほしいわ)

 じっとしているのがむず痒いのは、年齢が影響しているのか、元の性格かはさておき。

 何も言わないけれど、きっとサルヴァドールも限界がきている頃だろう。
 私にだけ感じる「いつまでそうしてるんだお前は」オーラがひしひしと伝わってくるから。

(本館の空気に呑まれちゃったけど、ここはもう奔放に動き回っていいよね)

 夜中に部屋を抜け出して書庫に行ったり、早朝から部屋を抜け出して庭先を通るクリストファーに大声で話しかけたりしていたのだ。
 ここに来て萎縮してしまっては私らしくない。

(思い返してみると、私って部屋から抜け出してばっかりだな……)

 シェリーの気苦労も絶えないだろうと他人事のように思いながら、私はソファからぴょんっと降りる。

 座るときは手伝ってもらったけれど、降りるときはそれほど問題はなかった。

(げっ)

 しかし思いのほか距離感が掴めず、目の前にあったテーブルの端におでこを強打してしまう。

 ゴンッ、という鈍い音。そして、

「いたーーーー!!」

 私の絶叫により、執務室に流れていた静寂は簡単に破られてしまった。
 


「どうされました!?」

 私の声を聞きつけ、隣の部屋にいたジェイドが素早く現れる。
 おでこに両手を当て蹲った私の姿を目にすると、青ざめた顔をして近寄ってきた。

「一体何が……公爵様!」
「……」

 ジェイドに説明を求められたクリストファーは、密かに眉を顰める。

「お前は何か勘違いしているようだな。俺は特に何もしていない」
「では、アリアお嬢様はなぜ……」
「勝手に落ちて、勝手に頭をぶつけたんだろ」
「頭を!? お嬢様、失礼しますね?」

 痛みに悶える私の顔を上に向けさせたジェイドは、打った部分を確かめた。
 動いた拍子に生理的な涙がぽろぽろとこぼれる。

「ああ、少し腫れていますね。痛かったですよね、お嬢様。そんなに泣いてしまわれて……」
「な、泣いてないよ」

 これは衝撃で勝手に出たものだから。痛すぎてびっくりしたのだ。

「無理はなさらなくていいんですよ。……公爵様、お伝えしましたよね? お嬢様はまだ幼いので目は離さないで頂きたいと」

 ジェイドはクリストファーに物怖じせず意見を言えるといっても、普段は彼の行動を尊重し弁えたところがあった。

 でも、今は私が怪我をしたためか強気な姿勢をみせている。
 
「目は離していない、流れに任せただけだ。お前も言っていただろう、見守るようにと」
「……」

 クリストファーの言い分にジェイドは言葉を失っていた。
 二人の会話を横から聞いていた私も唖然としてしまう。

(そうだ、そうだった。サルヴァの話を聞いて少し変わったのかもって思っていたけど、これがクリストファーの通常なんだ)

 見守る、というのもクリストファーからすれば「手を出さず見ているだけ」という認識しかなかったようだ。

 少し頭をぶつけたところで問題はない。
 だから止めることはせず見守っていた放置していたということだった。

「お前は何をそんなに騒いでいるんだ」
「……では、申し上げます。子供が怪我をしたのなら、すぐに駆け寄るべきです。公爵様が考える以上に子供というのは体が弱く脆いですから」

 それはまるで、右左も知らない幼子に向きを教えるような光景だった。

「弱く、脆い。……そうか、普通はそうだったな」

 思い当たる節があるように呟いたクリストファーは、ようやくペンを置いた。
 そうして椅子を引き立ち上がると、考えの読めない顔で私に近づいてくる。

「お父様?」
「ここだな、打ったところは」

 視線を向けると同時に、クリストファーの手が私のおでこを上からそっと包んだ。
 一瞬、ひんやりとした手の温度に肩が跳ね上がる。
 だけど、私はその手の感触に既視感を覚えた。

(この感じ、同じだ。やっぱり熱を出したとき頭を撫でてくれたのは、本当だったんだ)

 サルヴァドールの言葉を疑ったわけじゃないけれど、その手を思い出して改めて確信する。

 なんだか心地よい。ずっと委ねていたくなるような気持ちになった。

「終わった。もう痛くはないな?」
「え……あれ、本当だ」

 クリストファーの手が離れていったあとで、そういえばと、私はおでこを触る。
 あれだけじわじわと響いていた鈍痛が、ものの数秒でなんともなくなった。

「どうして痛くなくなったの?」
「魔法だ」
「まほー!?」

 確かにこの世界には魔法はあるし、サルヴァドールが姿を変えられるのも魔法の一種なのでそれ自体にはもう驚かないけれど。

(傷を癒す魔法って、リデルの特権じゃなかったっけ……)

 リデルの歌のひとつには、治癒の力を持つものがある。
 ゲーム内でもその力は大いに活躍をみせていた。

「公爵様、それは……」

 疑問を抱えていると、隣にいたジェイドが物言いたげにクリストファーの手元を見つめていた。

「なにか問題か?」
「いえ……」

 今の魔法に関してジェイドはそれ以上のことは触れず、私のおでこをもう一度確認した。

「腫れも引いているので、もう大丈夫そうですね」
「うん、もう気にならない。お父様、治してくれてありがとう」

 ひとまず治癒の魔法のことは置いておき、私は治療のお礼を言う。

「……」

 クリストファーの反応といえば、私の顔をじっと見たあと、ただ瞳を伏せるだけだった。

 その後、私が入室してからずっと放置されていたことを知ったジェイドは、深くため息を吐いた。

「僕の配慮が足りていませんでした。せっかくですから、お二人でお茶を楽しんではいかがでしょうか。菓子も用意させますので」
「お菓子? アリアも食べていいの?」
「もちろんです。アリアお嬢様はどんなお菓子を召し上がりたいですか?」
「うーん、お菓子ならなんでも好きだよ」

 そう答えると、ジェイドは優しい顔をして「それでは何種類かお持ちしますね」と言ってくれた。

「お父様、一緒に食べよう? アリア、もっとお父様と話したかったの」

 歩み寄るのはここからだと、私はクリストファーの目の前に立ち、にこりと笑って告げる。

 やっぱり反応は極薄だけど、以前のように「俺はお前と話したいとは思わない」などと言って私を拒否することはなかった。


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