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熱帯びる額 クリストファー
しおりを挟む夜。元々眠りが浅かったクリストファーは、姉の死をきっかけに不眠症になっていた。
寝酒で無理やり酔わせて眠ろうとはしているものの、効果はあまり感じられない。
それでも気休めにはいいだろうと、アリアが風邪だと聞かされたその日も酒を呷っていた。
「…………」
疲労は溜まっているはずなのに、どういうわけか眠れない。
いつも緊張感が常にあり、深く意識を手放そうとすれば何かに追われるような心地になってすぐに目が覚めた。
だからこうして、クリストファーはぼんやりと虚空を見つめることしかできない。
なにか、考えなければいけないことがあるような。
しかし、なんだったか。
思考に入る前に、それらは霞んで消えてゆく。
(……っ?)
その時、ふとクリストファーの目の前がちかっと光ったような気がした。
「……」
気がしたというだけで、特になにかが起こることはなかった。
クリストファーは手に持っていたグラスを置いて、何気なく一呼吸を入れる。
そして天井に視線を流しながら背もたれに深く寄りかかった瞬間、聞こえた幻聴に耳を疑った。
『――お父様』
間違いなく、それはアリアの声だった。
すぐそばで発せられたような、妙に現実味のある声音に堪らず振り返る。
けれどそこには誰の姿もなく、クリストファーはゆっくりと瞬きを落とした。
「…………アリア」
なぜだろう。今朝はどうでもいいと思ったはずなのに、急に気になって仕方がない。
(…………風邪なんて、大したことないはずだ)
昼間にジェイドは言っていた。
アリアのことが心配ではないのかと。
たかが熱が高いだけで、何をそんなに心配する必要があるのかクリストファーには理解できなかった。
(死ぬわけじゃないだろう、あいつもいちいち大袈裟だ。…………そうだ、死ぬわけじゃ)
今も理解はできないのに、なぜかクリストファーの足は別館のほうへと向いていた。
別館に到着したクリストファーは、歩く速度を落とすことなくアリアの部屋へと進んでいく。
やがて部屋の前にたどり着くと、ちょうど盥を抱えたシェリーと出くわした。
「公爵、様……?」
初め誰が来たのかわからず警戒を強めていたシェリーは、相手がクリストファーだとわかると信じられない形相を浮かべた。
廊下に灯された光に照らされ、シェリーの表情はくっきりと見える。
相手がクリストファーだとわかっても、その警戒はあまり緩んでいないようだ。
「公爵様に挨拶申し上げます。無礼を承知でお聞きしますが、どのようなご要件でこちらにいらしたのでしょうか」
「……あれは」
そう言いかけて、不意にとまる。
一度シェリーの後ろにある扉に目をやり、クリストファーは再び口を開いた。
「あの子は、まだ熱が下がらないのか?」
「そ、れは……アリア……お嬢様のことで、しょうか」
「ほかに誰がいる」
あからさまに不快感をあらわにしたクリストファーだが、それだけ彼の発言にシェリーはド肝を抜かれたのだろう。
何せアリアがベランダから雪の中に落ち、凍傷になりかけて寝込んでいたときも、クリストファーは一度だって様子を見に来たことはなかったのだ。
それなのに今夜、突然として現れた彼は、感情が読めないもののアリアを気にかけていた。
こんなこと、シェリーが知る中では初めてのことである。
「…………」
シェリーの横を無言で通り過ぎたクリストファーは、ドアノブに手をかけ扉を開いた。
「誰も入れるな」
そう言いながらクリストファーは部屋に足を踏み入れ、シェリーの返答を待たずに扉を閉める。
暗い室内を照らしているのは、魔力が流れる鉱石を用いて作られた魔鉱ランプの柔らかな光。
ランプのすぐ近くにあるベッドには、高熱に苦しむアリアの姿があった。
「う……うう……」
瞼をきつく閉じたアリアの顔はひどく険しい。
苦痛に耐えるようにしながら、そばにある黒いぬいぐるみにしがみついていた。
熱にうなされ、呼吸を荒くした小さな体はぶるぶると震えている。
そんなアリアの姿をクリストファーはじっと見下ろした。
「……がい、さま」
ふと、か細い声がアリアの唇からこぼれ落ちる。
一度は聞き逃したクリストファーだったが、アリアは続けて縋るように声に出した。
「…………おね、がい。お父、様……わたし……を、ころさないで…………」
静まり返った室内に、その言葉はやけに残響する。
クリストファーは思わず瞳を見開き、今も荒い呼吸を繰り返すアリアを凝視した。
まるで幼き日の自分を見ているようだと思った。
前公爵に逆らえず、無力に従っていたあの頃。まだ父親というものに期待していたときは、クリストファーも同じように「どうか殺さないで」と願っていたのだ。
「……俺に殺される夢でもみているのか?」
それが熱のせいで出たものなのか、それともアリアの本心なのかはわからない。
ただ言えることは、この瞬間からアリアの認識が確かに変わった。
気に留めることのなかった存在から、自然と気に留まる存在になったのだ。
「……」
何を思ったのか、クリストファーはアリアへと手を伸ばす。
汗で肌にぴったりと張り付いた髪を横に流し、火照る小さな額にそっと手のひらを乗せた。
「……すう……すう」
不思議なことに、クリストファーに触れられたアリアの表情は少しずつ和らいだ。
「…………」
クリストファーは枕に落ちた布を取り、アリアの額に乗せると、踵を返して部屋を出ていった。
「感触としては、まあ十分だろ」
そして扉が閉まると、寝息を立てるアリアに抱きしめられた黒キツネのぬいぐるみが、そう呟いた。
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