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雪中ダイブと前世の記憶

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 銀雪の海に溺れていた。
 手足の感覚はずいぶん前になくなっていて、灰色の空からは次々と雪が降り注いでいる。

「おと、さま……」

 呼んだところで、あの人は来てくれない。
 呼んだところで、あの人は見てくれない。

 次第にまぶたが重くなり、眠気に襲われる。
 その時、霞みゆく視界の先で黒い影が揺れ動いた。

「おとう、さま」

 その人は、じっと私を見下ろしている。
 似たような銀色の髪を靡かせ、感情を消し去ったような青の瞳で。
 声をかけることもなく、助け出すこともなく、ひどく冷淡な眼差しで静かに眺めていた。

 最後の力を振り絞って、手を伸ばす。
 躊躇うような気配を感じたあと、腕を掴まれ、強い力で引き起こされた。

 限界がきて、目を閉じる。
 ゆらゆらと温もりに包まれながら、私はそっと意識を手放した。

 お父様、どうか私を――


 ***


 暖かみのある銀の髪。宝石をはめ込んだような、美しい紫の瞳。
 鏡の中に映るのは、どこからどう見ても美少女――いや、まだ5歳児だから、美幼女というべき?
 ともかく私は今、自分の顔をじっくりと観察しながら重大な記憶について考えていた。

 アリア・グランツフィル。それが私の名前。
 遠い昔、大きな戦争で成果をあげ、当時の皇帝から公爵位を賜った由緒ある家門の令嬢だ。

「うーーん」

 どうしてこんなにも悩んでいるのかというと、それは一度目の人生の記憶が蘇ってしまったからなんだけど。
 姿見の前に立っているのは、今の姿を確認するため。そしてこの小さな頭で現状を把握するのに必死だった。

 1ヶ月くらい前、私はベランダから落下して雪で溺れかけた。危うく凍傷になるところでかなり危険な状態だったのだけど、その時のショックで思い出したのが前世の記憶である。

 前世の私は至って平凡な人間だった。
 家族も友達もいたとは思うけど、自分を含めて顔や名前は覚えていない。唯一鮮明に残っていたのは、前世の私が過ごす平和な日常の風景。
 そして一番最後の記憶は、水の底に沈んでいっているなんとも暗いもので。

(って、溺れ死んでるやないかーいっ)

 と、前世のノリで突っ込んでみる。たしか前世暮らしていた国のある地域の方言だった気がする。
 軽い調子だけど全然笑いごとじゃない。溺死とか最悪だ。

「お嬢様、どうなさいましたか? ご気分が優れませんか?」

 姿見の前でバタンと倒れると、メイドのシェリーが私の様子を見にやってくる。

「ううん、なんにも。ちょっと転がってみただけー」

 絨毯に仰向けになって意味もなくコロコロと転がる。
 とりあえず笑って元気ですアピールを見せないと。また余計な心配をかけてしまわないように。

 1ヶ月前のあのことがあってからというもの、シェリーは私の動向をこれでもかと警戒しながら見守っていた。
 そう、1ヶ月前。
 私が前世の記憶を思い出すきっかけになった、名付けて雪中ダイブ騒動。
 あれは前世の記憶を思い出す前のが、故意に身を投げ出したために起こった事件だった。
 どうしてそんなことをしたのかというと、理由はただ一つ。
 義理の父親であるあの人に、気にかけてもらいたかったからである。


 私と義父の関係の前に、もうひとつ重大な事実を受け止めなければいけない。
 それはこの世界が、あるノベルゲームの舞台になっているということだ。

 恋愛ファンタジーノベルゲーム「リデルの歌声」。
 天族――またの名を天使という種族の血筋であるヒロインのリデルと、ヒーローである皇太子が紆余曲折を経て結ばれるまでを描いた恋愛ストーリー。
 そして私の義父、クリストファー・グランツフィル公爵は、ゲーム第一章での黒幕であり、リデルが覚醒をするために存在する悪役だった。

(わあ、天使の血族なんて、さすがヒロイン~)

 なんて呑気なことを考えている場合じゃない。  

 この「リデルの歌声」には、天使のほかにもう一つ忘れてはいけない重要なワードがあるのだけど。
 それが「悪魔」である。

 この世界には魔力という概念があって、悪魔は濃密で良質な魔力をもつ人間を好んで取り憑こうとする。
 目的は体に宿る魔力を生み出す「核」を食べること。
 ターゲットとなる人間を見つけ出し、取り憑いて契約を交わし、その代償として核を奪おうとする。
 そのため悪魔は、強い人間の核を求めて世界に存在していた。

 悪魔に契約を持ちかけられても絶対に結んではいけない。
「リデルの歌声」の読者ならもちろん知っていることなのだが、物語の世界ではあまり悪魔は認知されていなかった。

(……で、ここからが本題)

 作中で悪魔と契約した犠牲者として注目を浴び、悪魔の恐ろしさを知らしめるために当てられる人物。

 その人こそが、クリストファー・グランツフィル公爵なのだ――!

 
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