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出発の朝

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 早朝、迎えに来た馬車を見て、ベルフェルミナはホッと胸をなでおろした。

 罪人用の護送馬車ではなく、王宮の役人が乗る馬車であったからである。

 牢屋に車輪がついただけの護送馬車は、見せしめとして人目に晒され、雨風を凌ぐことも出来ず、身体的にも精神的にも苦痛を強いられるのだ。



「――それにしても、誰も見送りに来ないなんて酷いですよ」



 重苦しい空気が漂う馬車の中、町を出たあたりでマリーが呟いた。侍女服姿なのは、ベルフェルミナを見捨てた薄情なウォーレス家への当てつけだそうである。



「仕方ないわ。もはや、お父様……ウォーレス家にとってわたくしは、利用する存在価値をなくした厄介者でしかないのだから」



 生まれ育った町並みを目に焼き付けていたベルフェルミナが、まるで他人事のように応える。



「ベルお嬢様……」

「ねえ、マリー? わたくしはもう家名もない平民なのだから、お嬢様と呼ばなくてもいいのよ。その侍女服だって、自分の好きな服でいいのに」

「何度も言わせないでください。私にとって、お嬢様はずっとお嬢様なのです」



 マリーがベルフェルミナの手を握り締め、フンスと鼻息を荒くする。



「わ、わかったわ。ごめなさいマリー」

「家名だって好きな名をつければいいんですよ。ベルお嬢様だったら、他国で何か功績を上げて爵位を貰えると思います」

「そんなこと簡単に言わないで。それに……」



 表情を曇らせたベルフェルミナが口籠った。



「な、なんですか? 気になります」

「……なんでもないわ。これからのことを思うと、少し不安になっただけ」

「先のことを考えてもしょうがないですよ。国外旅行だと思って楽しみましょう」

「そう言えば、わたくしについて行くことは、お父様に伝えたのでしょう? 反対されなかったの?」

「いいえ。今まで雇って頂いた感謝のお手紙だけを置いてきたので……」

「えっ!? 何も言わずに出てきたの?」

「侍女長には挨拶してきましたよ。久しぶりに、ものすご~く怒られました。でも、最後にいい思い出になりました」

「思い出って……まったくもう、マリーったら」



 これでも自分より五つ年上なのだ。前向きなマリーに元気を貰ったベルフェルミナが笑顔を見せる。もし、この当ての無い旅が一人であったなら、どんなに辛かっただろう。マリーがいるだけでこれほど心強いとは、改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。

 それでも大きな懸念がある。

 二人いる御者に訊ねても、国境というだけでハッキリと行き先を教えてくれないのだ。さらに問題なのは、護衛がいないことである。王都より百五十キロ圏内であるならば、魔物に遭遇する確率はかなり低い。しかし、それより先に護衛無しで進むのは、あまりにも危険過ぎるのだ。



(ひょっとして、国境に辿り着く前に、わたくしたちを……)



 真っ暗な山の中に放り出され、魔物の群れに囲まれる光景を思い浮かべたベルフェルミナは、自身を抱きしめブルッと身を震わせた。



 ◇  ◇  ◇



「ねえ? フレデリック様?」



 王宮のバルコニーから闇夜に浮かぶ城下町を見下ろしながら、ナイトガウン姿のリーンが猫撫で声を上げる。



「どうした? リーン?」



 天蓋付の豪華なベッドで横になっていたフレデリックが、気だるそうに半身を起こした。



「お姉様は、今ごろ何をしているのかしらね?」

「さあな、あの女のことはパトリックに任せてある。まあ、どこか辺鄙な町の安宿で疲れ果て寝ているのではないか? いや、安宿のベッドは元伯爵令嬢には硬すぎて寝られぬだろうな。ククク」

「でも、これでリーンは安心して眠ることができます」



 ナイトガウンを脱ぎ捨ててベッドに潜り込んだリーンは、フレデリックの胸に抱きついた。



「いずれ俺は国王になる。国王と聖女が結婚すれば、この国は今まで以上に繁栄するだろう。大陸を支配するのも夢ではない。俺は歴史に名を残す王となるのだ。フハハハハハハッ!」



 高価な調度品で飾られた煌びやかな部屋に、約束された未来を確信したフレデリックの高笑いが響き渡った。



 しかし、何の罪も無いベルフェルミナを追放したことによって、エストロニア王国は繁栄するどころか、滅亡の危機に陥ることになろうとは、このとき夢にも思わなかったであろう。

 なぜなら、ベルフェルミナは深淵の竜オルガの転生した姿であり、人知を超えた膨大な魔力と、強力な魔法とスキルを受け継いでいるのだ。

 つまり、聖女の力などではなく単にベルフェルミナの存在によって、魔物たちが鳴りを潜めていたに過ぎず。その抑止力がいなくなれば、魔物たちが活動を始めるのは明白であった。

 そして、聖女でもなく何の力も無いリーンが、結界を張れるわけもなく。平和ボケしていた王都エストと近郊の町は、容易く魔物の侵略を受けることになるのだ。



 さらに、オルガのような神に近い竜を崇める神竜教なるものが、長い沈黙から秘かに動き始めようとしていた。



 およそ千五百年前に眠りについたとされるオルガに匹敵する竜を、目覚めさせようというのだ。その竜の眠りについた場所というのが、エスト城の地下深くであり、ベルフェルミナの追放が引き金となる。
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