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第一章

不思議な女の子

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 振り向くと、隣にはベージュのトレンチコートを羽織った茶髪の女性が、琢磨と並ぶようにして漆黒の海を眺めていた。
 海風で茶髪色の髪が靡くのを手で押さえつつ、柵にもう片方の手を置いている彼女は、どこか趣があって見目麗しい。
 思わず見とれてしまうほど、横顔が綺麗な女性だった。
 彼女は返答がないことを疑問に思ったのか、顔を琢磨に向けて首を傾げる。

「真っ黒で、何も見えないじゃない」

 彼女がつまらなさそうな目で訴えてくる。
 ようやく琢磨は我に返り、眼下に広がる海に視線を戻した。
 彼女には、この独特の良さがわからないらしい。

「楽しくはないです。でも、逆にそれがいいんですよ。一面真っ黒で、遠くの方に少しだけ光が見えるだけの変わり映えのしない景色と、夜の湾内独特の静けさが」

 彼女は琢磨の答えにふぅーんと興味なさげに相槌を打つと、クルっと身体ごとこちらに向けた。

「私は昼間の方が、もっと色とりどりな景色が見えて、いいと思うけどなぁー」

 細い眉にぱっちりとした黒い瞳にまっすぐな鼻筋。潤ったように艶めいた赤い唇。
 よく見れば、少しあどけなさ残る、可愛らしい美少女だった。
 髪の明るさからして、大学生かそこらだろう。
 琢磨は自分より年下だと分かり、口調が適当になる。

「確かに、あんたくらいの年齢なら、昼間の景色の方が映えるし綺麗に見えるだろうな。でも、この暗闇を包みこむ海の静けさが、俺くらいの年齢になると疲れた心を癒すには丁度いいんだ」
「大人の嗜みってやつ?」

 彼女は琢磨の砕けた口調も気にせずに、質問を投げかけてくる。

「まあ、そんなもんだな。あんたもあと二、三年したらわかるさ」

 琢磨は景色を眺めながら言うと、彼女も琢磨の真似をするようにして、再び漆黒に包まれた湾内の風景を一望する。
 しかし、彼女は目を細めて、納得しかねるという表情を浮かべた。

「やっぱり、私にはまだ分からないなぁー」

 例え彼女が年齢を重ねたとしても、もしかしたら共感できないかもしれない。
 価値観は、人それぞれだから。

 すると彼女は、顎に手を当てて何やら考え込む仕草をする。
 そして、何か思い至ったように、にこっとした笑顔でこちらに視線を向けた。

「でも、街の灯りとかは、きらきら煌めき輝いてて、結構綺麗かも!」

 にっと微笑む彼女を見て、琢磨は少し呆然として言葉を失った。
 決して、彼女の眩しい笑顔に惹かれてしまったわけではない。
 むしろその逆、恐怖心を覚えたのだ。
 琢磨は眉根を引き攣らせ、警戒心が顔に出していることに気づき、はっと我に返り咄嗟に夜闇の海へと向き直る。

「あんた、一人か?」
「そうだよー」
「まだ学生だよな?」
「うん」
「大学のイベント帰りにでも寄ったのか?」
「違うよ、何となく来てみただけ。ヒッチハイクして、知らない人の車でここまで乗せてきてもらった!」
「はっ?」

 琢磨は思わず辺りを見渡した。

「その人は何処へ?」
「知らない。私を降ろして、そのまますぐに車走らせてどっか行っちゃったよ?」

 琢磨は絶句した。
 つまりこの子、海上のPAで野放しにされた帰宅難民者ってこと?

「この後、どうするつもりなんだ?」

 琢磨は恐る恐る尋ねてみる。

「ん? わかんないけど、適当に歩いて帰るんじゃない?」

 はい? 歩いて帰る?
 コイツ、海ほたるPAが高速道路上ってことも知らないのか?
 もしかして、地方かどこかからかやってきた、放浪の旅でもしてる勇者か?

「あんたさ、ここどこだか分かって言ってんのそれ?」
「え? 東京湾の海上」
「そうだけど、常識的に考えて歩いて帰れるわけがないだろ。ここ、高速のパーキングエリアだぞ?」
「え? そうなの!? 知らなかった!」

 驚愕というような表情を浮かべる由奈。
 おいおい嘘だろ……。
 土地勘無さすぎにも程がある。
 海渡れる橋で、無料のところなんてほとんどないだろ……。

 琢磨は呆れて肩を落とす。
 腕時計に目をやれば、時刻は夜の9時を回っている。
 この時間帯じゃ高速バスもないだろうし、彼女は朝一のバスまでここで野宿する羽目になるのだろう。

 まあでも、幸いにもここは高速道路のPA。
 二十四時間開放されていて、締め出されることはない。
 色々と思案する琢磨をよそに、彼女は暢気に話しかけてくる。

「ねぇ、おじさん」
「おじさんはやめろ。俺はまだ二十代だ」
「そうなんだ、ごめんごめん! それで、お兄さんは何しにここに来たの?」

 気楽な様子で聞いてくる彼女に、琢磨は嫌悪感を覚える。
 けれど、嘘を吐く必要もないので渋々正直に答えた。

「……一人ドライブ」
「ぷっ! なにそれ、二十代の男が一人でそんなことして楽しいの?」
「……あんた、結構失礼なことずけずけ言うね」

 別にいいじゃん一人ドライブ、結構楽しいよ?
 誰にも気を使わないで自由気ままに行動できるし。

「あんただって、ヒッチハイクしてわざわざこんなところに来て、変わり者だ」
「ふふっ! なら変わり者同士だ!」

 胸を張って豪語する彼女。
 琢磨としては、あまり同類にはされたくないけども、反論するのも面倒だった。
 すると、彼女ははっと妙案を思い付いたかのように手をパンと叩く。

「あっ、そうだ! それじゃあお兄さん、ドライブがてら私のこと送ってよ!」
「えぇ……」

 嫌なんですけど……。
 琢磨が超嫌そうな顔をすると、彼女は首を傾げて眉をひそめた。

「何? もしかしてお兄さん。『俺の運転する助手席に最初に乗っけるのは、結婚を誓いあった女だけだ!』とか思ってる系?」

 野太い声を出して、カッコつけたような台詞で声真似をして尋ねてくる女の子。

「別にそういう訳じゃねぇよ……」

 琢磨はただ単に、見知らぬ女性に一人ドライブの時間を邪魔されたくないだけ。

「じゃあいいじゃん! たまには出会ったばかりの二人で、夜のドライブなんていうのも一興だと思わない?」

 全く思わない。
 けれど、もしここで琢磨がNOと言えば、彼女はこのパーキングエリアで一泊、もしくは他の人に頼んで送ってもらうことになるのだろう。
 ここまで話しをして、野放しで置いて行くというのも気が引けるので、琢磨は念のため方面だけでも聞いておこうと思った。

「ちなみにアンタ、どっち方面?」
「もち、東京方面。あっ、ちなみに横浜駅で降ろしてくれればいいから!」
「場所指定かよ……しかも東京じゃなくて神奈川じゃねぇか」
「まあ、細かいことは気にしない気にしない! それじゃ、今宵二人ドライブへレッツゴー!」

 なんか、彼女の中では勝手に俺の車で送ってもらうことが決定事項になっている。
 まあ、生憎帰る方面も一緒なので、琢磨に断る理由も特になかった。

「はぁ……」

 琢磨はため息を一つ吐き、残っていたブレンドコーヒーをすべて飲み干し、近くのごみ箱に容器を投げ捨てた。

「ほれ、とっとと行くぞ。ついてこい」
「ホントに!? ありがとーお兄さん!」

 この女、自由奔放で物怖じしないというか、肝が据わってやがる。
 琢磨が実は誘拐魔で、どこか変な場所に連れていかれるとか、そういう考えに思い至らないらしい。
 今までそういう危険な目に出くわしたことがないのだろう。

 琢磨は責任もって、タクシードライバーのような気持ちで、誠心誠意彼女を目的地まで送り届けてあげなくてはならない。

「あと、俺はお兄さんじゃねぇ。杉本琢磨だ」

 琢磨は彼女に名前を名乗っておくことにした。
 タクシードライバーも、後部座席のところに運転手の名前書いてあるし、名乗っておくのもおかしくないだろう。

「へぇー、琢磨さんか……。それじゃあ、横浜まで運転よろしくお願いします、琢磨さん!」
「へいへい。ちなみに、あんたの名前は?」
「私? 私は由奈ゆな相原由奈あいはらゆなだよ」
「了解、じゃあ由奈でいいか?」
「わーお、琢磨さん結構大胆!」
「うるせぇ、お前だって名前呼びじゃねぇか。いいから行くぞ、付いてこい」
「はーい」

 琢磨はこういうノリのいい陽気でフランク女の子とは、高校や大学で何人も友達として付き合ってきた。けれど、あまり得意な方ではない。
 でも、今はタクシードライバーの気持ちになって、この大学生とのドライブを遂行することにしよう。
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