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19. 腐女子、機密事項を開示する

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「私も同じ考えだ。それで? 可能なら、世界崩壊のより具体的な理由も聞かせてくれ」
 カミルは淡々と頷き、苦しげな面持ちのラチカに先を促した。ラチカは唇を噛みしめ、だが俺には一切視線を向けることなく、冷静に口を開いた。
「……カノンの正体が世界の核なら、理由は簡単だ。カノンはシルヴァに執着していたからな。恐らく自分のいない光の降臨祭で、他の友人たちと仲良く過ごしているシルヴァの様子を見て、ヤキモチから癇癪を起したんだろう。世界の核ならば、いつでもどこでもシルヴァの行動を感知する能力はあったはずだ。けど、少なくとも俺の知るカノンには、自分が世界の核である自覚はなかった。そして自分がただの人間だと思い込んでいる状態で、無自覚の能力を使うのは難しい。だから多分、何かきっかけが必要だった。例えば、そう、そのガラスの小瓶のペンダント。シルヴァがいつも身に着けて、大切にしていたものだ」
 ラチカの言葉に、俺はハッとして胸元のペンダントに目をやった。まさか……。父の小瓶をぎゅっと握りしめた俺の横で、ラチカが続けた。
「そのガラスの小瓶には、シルヴァが能力で集めた水が入っている。そして水の民が作った水鏡には、遠くの景色が映し出されると聞く。何より、シルヴァはそれをオルカに渡したあと、同じように能力で水を集めた対のペンダントを身に着けていた。シルヴァは小瓶の水を通して向こうの様子が見えたことはないと言っていたが、世界の核ならば、無自覚の能力を発動するきっかけとして十分足りえる。あくまでも、俺の推測に過ぎないが」
「いや。君の推測でまず間違いない」
 肯定し、引き継ぐようにカミルが補足した。
「皆の見送りで館を出たあと、泣き疲れたのかカノンが歩きながら眠ってしまってな。どうやら世界の核たる自覚も、共に長く過ごした私たちのことも記憶にないようで、本当にただの人の子のようだった。仕方がないので私たちは眠ったカノンを背負い、人気がない開けた場所で漆黒の鳥へと姿を変え、とにかく星の雨の中に戻った。この一連の騒動について話を聞くまでは、こちらとしても動きようがないしな。けれどいつまで経ってもカノンが目覚めないので、もう始まりの柩に押し込んで終わったことにしようかと、オルカと二人で相談していたところ……」
「さっきから思ってたが、あんたら、ちょいちょい雑だよな」
 若干顔を引きつらせたラチカに、カミルがひらひらと手を振ってみせた。
「何を言う。我らは生命に関わるほどの仕打ちを受けながら、こんなにも親身に世話を焼いているではないか。記憶もなく、無防備に徘徊する危険な輩を、この世界の秩序から僅かながらも遠ざけたのだぞ。褒められこそすれ、文句を言われる筋合いなどない」
「ああ、もう。わかった! 俺が悪かった。それで? 結局、何があって世界が崩壊したんだ」
 面倒臭そうにラチカが先を促し、カミルは肩を竦めてみせた。
「どうということもない。先程の君の推測通りだ。いつまでも目を覚まさないカノンに業を煮やし、私たちは一度どこかの島に降りる相談をしていた。一応無事に再融合を果たしたものの、まだ微調整が必要だったからな。ラチカ、実は君と砂漠で遭遇したあとも、私たちは何度か液状化して分離しかけたりしていたんだ。まあ、そのおかげで君が執拗に突き刺してきた杭で傷を負うこともなかったのだが」
「え……あ、えと、それは……すみません……」
「なぁに。こちらも驚かせてしまったし、お互い様だ。で、私たちは取り敢えず流れ島に降りるつもりだったのだが、その前にオルカがペンダントのことを思い出した。シルヴァから預かっていた、その小瓶のペンダントを」
 カミルとラチカの視線が、俺の胸元で揺れるガラスの小瓶を捉えた。
「実のところ、オルカはそのペンダントを手放したくなかったみたいなのだが……」
「カミル! 余計なことを言うな!」
「ハイハイ。……とまあ、こんな感じだ。しかしながらシルヴァ、君との大切な約束だ。オルカはぐずぐずしながらも、眠ったままのカノンに君のペンダントを渡した。それから間もなくだ。世界が崩壊し始めたのは。だが、私たちは周囲から隔離された星の雨の中にいたせいで、そのことに気づくのに遅れた。カノンにペンダントを渡して少し経ってから、その頬が涙で濡れているのは見たが、特に目を覚ますこともなく、本当に静かだった。オルカが君の命の危険を察し、私たちはようやく外の異変を知ったわけだ」
「なるほどな……」
 思案深げにラチカが呟いた。
「その後、あんたたちは鳥の姿で星の雨の中から飛び出し、空中に放り出された瀕死のシルヴァを捕まえた。そしてシルヴァの時間を戻そうとしたが、結果、世界そのものの時間が大幅に巻き戻った」
「その通りだ」
 悠然と頷いたカミルに毅然とした眼差しを向け、ラチカは言った。
「俺には、その大元の理由までは想像もつかない。だが、恐らくあんたたちは違う。シルヴァの時間を戻そうとしたとき、いつもと異なる感覚に直接触れたはずだからだ。そしてその正体について考え続け、さっきあんたが口にしたように、世界崩壊に至る大体の経緯を把握した。少なくとも、ただあんたの推測を聞いただけの俺ですら、世界の時間が戻った理由は見えたからな」
「そうか。では、答え合わせといこうかな。君と私が同じ結論を導き出したのかどうか」
 ラチカはその挑戦を受けるように唇を引き結び、静かに口を開いた。
「──シルヴァの中には、恐らく世界の一部が入っている。ほんの僅かな、小さな欠片、けれど世界そのものの一部。もしかしたら、それは元々世界の核の一部だったのかもしれない。だからこそ、それに気づいた世界の核が始まりの柩から出てきた。つまりこの事の発端も、世界の核の機嫌が悪かった理由も、これで全て説明がつく」
「ほほう」
 無表情ながら楽しげな相槌を打つカミルと相反し、ラチカは淡々と、だが敵意すら滲む眼差しで続けた。
「シルヴァの中に世界の核の一部が入っている理由は、俺にはわからない。けど、あんたがさっき口にした二つの推測はどちらも正しいことになる。シルヴァの中に、あんたたちの時間を戻す能力を増幅させる何かがあるという、一つ目の推測。そして二つ目の、最初から世界そのものに能力を使おうとしていた可能性。何より、敢えて明快な言い方をせず、わかりにくく二つに分けて提示した理由は明白だ」
「それは?」
「一つは、シルヴァの反応を見るため。自分のことをどこまで把握しているか、様子を探りたかったんだろう。もう一つは俺に対する時間稼ぎだ。シルヴァの反応によっては、俺を交えずに一度相談する時間を作るつもりだったんじゃないか? 今後どうするか、あるいは俺にどう話をするか、とかな」
「まったく……聡いというのも時には考え物だ。私の気遣いが台無しじゃないか。君ならそこまで読んでいそうなものだがね」
「想定はしてた。けど、あんたのお節介は無用だ。俺は、シルヴァを信じているからな」
 この話題になってから、初めてラチカの目がまっすぐ俺に向けられた。その迷いのない眼差しを受け、俺は胸のすく想いがした。まるで、体の中を、一陣の風が吹き抜けたような。
 人の心は時に単純なものだ。今まで重大な決断だと思い込んでいたものが、実はそうではなかったのだと、盲目的に固執していた価値観すら、あっさり覆されてしまうのだから。
「ラチカ…………。そう……だな。結論は出た。俺も手の内を晒すときが来たようだ」
 例えそれによって、俺に向けられた信頼を壊すことになってしまったとしても。ラチカ一人では俺の真実に辿り着くかはわからない。けど、カミルはすでに到達している。だからこその気遣い、であろうから。
 カミルに目をやると、無表情ながらも小さく頷いてくれた。そこに僅かなエールが含まれていると勝手に解釈し、無理やり勇気に変換すると、俺はそっと息を吸い込んだ。
「──俺は、元々この世界の人間じゃない。こことは全く違う、別の世界で生きていた記憶がある。だが俺はその世界で一度死に、今いるこの世界に改めて生まれ落ちた。夢見人の島の小さな村に、この水の民の体で、ガラス職人の息子シルヴァとして。俺の容姿は父と母に似ているし、体はこの世界のもので間違いないはずだ。しかし俺の、この魂は違う。別の世界から紛れ込んだ俺の魂は、この世界にとって恐らく異物だ。何故、そしてどうやって混入してしまったかはわからない。そもそもそんなことがわかる奴の存在すら疑問だ。道を歩いてるとき靴に小石が入り込んだとして、その過程や理由を詳細に説明できるか尋ねているようなものだからな。気づいたら靴に入ってた。人も小石も、その程度の認識だろう」
 一度言葉を切り、俺はラチカの様子を窺った。愕然としている。それはまあ、当然だ。けれど意外にも、話にはついて行けているようだ。意味が理解できない、という表情は浮かんでいない。全てがこの世界一つで完結し、異なる世界という概念すら存在しないこの世界では、俺の転生を理解するのは難しいと思い込んでいたが、実はそうでもないのかもしれない。
 が、一応確認すべく、俺はラチカの顔を覗き込んだ。
「……ラチカ? えっと、その……大丈夫か?」
「うっ……、だ、大丈夫! 大丈夫だから……!」
 我に返ったように顔を赤くすると、ラチカはベッドに腰掛けたまま、身を乗り出している俺からじりじりと後ずさった。
「……本当か? だったら何で俺から逃げるんだ」
 ムッとした俺がさらにぐっと身を寄せると、ラチカはあわあわしながら言った。
「ちょっ……顔が近え! 適切な、距離を! 話を、するんだろ!」
「……そうだけど」
 いつもリアムとこれくらいの距離間で威嚇し合っているくせに、何で今更そんなに慌てるのか。もやもやしつつも、俺はラチカから適切な距離を置いてベッドに座り直し、改めて口を開いた。
「っていうか、俺が言ったこと、ちゃんと意味わかったか? 必要なら、何度でも丁寧に説明するぞ。遠慮しなくていい」
「あ……いや」
 すっと考え込むような面持ちになると、ラチカは己の感覚を追うように口を開いた。
「何となくだが……漠然と理解した……気はする。この世界……例えば、これは平面だが、一つの世界として……」
 ラチカはハンカチを取り出すと、ベッドの上に広げ、改めて四隅が中心になるように畳み直した。
「こうして、閉ざされた一つの世界があるとする。そこに、外から何かが入り込んだ……」
 今度はポケットから硬貨を一枚取り出し、ハンカチの中心で重なる四隅の隙間から中に滑り込ませた。
「これが、シルヴァの魂だ。そしてこの世界の外……」
 ハンカチの周りのベッドを軽く一撫でし、ラチカは続けた。
「そこにまた別の世界がある。お前が、この世界に生まれる前に、生きていた世界。それで、あってるか?」
「完璧だ! そうか。見くびっていてすまなかった。そうだよな。ちゃんと説明すれば、そんなに難しいことじゃないよな!」
「あ、いや……ちょっと待て。多分、お前が思っているほどには、俺は理解できてない。他の奴も、まずここまで理解できるかどうか、怪しい」
「そうか……。どこら辺がわかりにくい? 全力で対処しよう」
「いや、そうじゃない。これは多分、感覚の問題というか……言葉で説明されただけじゃわからないことって、たくさんあるだろ? シルヴァが言いたいことはわかる。けど……」
 どう説明しようかと言葉を詰まらせたラチカに代わり、カミルが口を開いた。
「シルヴァ。君もわかっているはずだ。自分が食べたことのないものを、他人に口で説明してもらっても、そのおいしさまでは理解できない。それは致し方のないことだ」
「う……そうだったな。悪い、ラチカ。でも少なくとも概要はラチカがハンカチで再現した通りだ。そこまでわかってくれれば十分だ。嬉しいよ」
「ああ、うん。それで……」
 ラチカは少し気落ちした表情になったものの、すぐに切り替えたように真剣な眼差しで続けた。
「繰り返しになって悪いんだが、もう一度確認したい。お前は、この水の民の体でシルヴァとして生まれる前、こことは全く別の世界で生きていた。そうだな?」
「ああ」
「その別の世界で一度死に、魂だけこの世界にやってきた」
「恐らくな。そしてこの世界に紛れ込んだとき、俺の魂に世界の核の一部が宿ったんだろう。世界の核が不機嫌な目覚めをし、結果、分離したカミルがオルカの姿で伝導の館にカノンを連れてきたのが約十年前。俺がこの体で生まれて十一年だから、多少時間差はあるが、納得の範囲内だ。星の雨の中が特殊な空間なら、外とは時間の流れが異なる可能性もあるしな。あと、さっきの例えで言うと、靴に小石が入っても、その存在にすぐには気づかなかったのかもしれない」
 ああ……とカミルが呟いた。
「さっきの例え、つまり世界が靴で、君が小石、世界の核たるカノンが人か。それは十分あり得るな。私もオルカと融合して初めて知ったのだが、靴に入り込んだ小石は実に不愉快だ。しかし、いつ入り込んだかは不明だし、靴から出したと思って快適に歩いていたら、変な場所で踏んで痛い思いをし、まだ小石が残っていたと気づいたりするしな」
「そうそう! 多分そんな感じだ。ちなみにカミルはいつ、俺の中に世界の核の一部があると気づいたんだ? やっぱ、世界の時間が巻き戻ったとわかったときか?」
「確信したのはその時だ。それまではただの違和感だと自分に言い聞かせていた」
「それまでって?」
 俺の問いに、カミルは肩を竦めてみせた。
「最初は時間が戻る前、旅立ちの別れで君の魂に印をつけたときだ」
「あ~……、アレね」
 オルカが俺の額にキスしたヤツか。何となくその時の感触を思い出し、俺は額に軽く触れた。
「あの時は君の魂に触れたのはほんの一瞬だったし、自分が何故違和感を覚えたのかも不明だった。しかし死にかけている君の時間を戻そうとしているとき、私は自分の違和感を十分吟味するだけの接触を持った。君の体は確かに水の性質を帯びている。だが君の魂からは何の性質も感じられない。いわば無属性だと知った。だが五精霊によって成り立つこの世界において、そんなことはあり得ない。何の性質も持たずに存在できるはずがない。そこまで考えて、私はようやく君の魂を包み込む膜のようなものに気づいた」
「……俺の魂を包み込む、膜?」
「そう、非常に薄い、だが意外にも強靭な、保護膜のようなもの。それは体積で例えるなら極めて僅かな分量にもかかわらず、人の魂をこの世界にとどめるに足るだけの水の性質を帯びていた。それの正体に思い至ったのは、さっき君が言ったとおり、世界の時間が戻ったときだ」
「要するに、その保護膜が世界の核の一部か。それが水の性質を帯びているということと、今のカノン状態には、恐らく関連性がある」
 ラチカの呟きに、俺は顔を上げた。
「ああ……そうか。あれはそういう意味だったんだ」
 思わず俺が口にすると、二人の視線が集まった。俺は言葉足らずの内容を補足するように続けた。
「世界の時間が戻ったあと、今のカノンが水の民の姿をしているわけがわかった。水のカノンは今までの記憶もあるようだが、まるで別人だ。そう、オルカとカミルのようにね。世界の核は多分、五精霊の意識の集合体のようなものなんじゃないかな。つまり最初から、性質ごとに五つの人格を有する存在。俺たちが知るカノンは光の精霊が表に出ていた状態で、今のカノンは水の精霊が主導権を握っている。カミル、違うか?」
「いや、大まかなところはあっている。というか、今のカノンが水の民の姿をしているとは、私は初耳なんだが……まあ、いい」
 咳払いをし、カミルは改めて口を開いた。
「世界の核とは、正確には四精霊、光、闇、炎、水の意識の欠片の集合体、それが実体化したものだ。風の精霊は世界のあらゆる法則やら何やらを機能させるために、明確な自我というものを残さなかったらしい。しかし突き詰めれば、この世界のありとあらゆるものに、風の精霊の意志が宿っているとも言える。そして世界の核はさしずめ、調整機能を宿した観測者のような存在だと、私は聞いている」
「聞いているって、本人……世界の核から?」
 俺が口を挟むと、カミルは恭しく頷いてみせた。
「まさしく、その通りだ」
「え、でもバグってるよね……。えーっと、つまり、世界崩壊とか引き起こしちゃったよねってことなんだけど……いや、まあ、そもそも! 俺がこの世界に入り込んじゃったのが全ての原因なんだけどね?」
「調整機能を果たしていないという意味であれば、君という別の世界の魂の侵入を許してしまったことこそが、と言い換えることもできるがね。さっき君も言及していたように、靴に小石が入り込んだことに誰かの非を詮索するのは不毛なことだ。違うかね?」
 カミルに諭され、俺はハッと我に返った。
「そう、だったな。すまない」
「気にするな。私は自傷行為は好きではない。ただそれだけだよ」
「そうか。でも感謝する。カミル、ありがとう」
「素直なところは君の美徳だ。君の感謝は喜んで受け入れよう。どういたしまして」
 俺が無表情なカミルとにこやかに微笑み合っていると、仏頂面のラチカが口を挟んだ。
「茶番はいい。それで? まだ話の途中だったろ、シルヴァ」
「あ、うん。そうだった。ありがとな、軌道修正してくれて」
 チッと舌打ちしたラチカに構わず、俺は先程の思考を手繰った。
「そうそう! さっきあれを思い出したんだ。水のカノンに会ってすぐ、俺、言われたことがあって。何か、俺があいつのものを盗んだ、みたいなことをさ」
「それって……」
 ハッと息を呑んだラチカに頷き、俺は続けた。
「今思うと、確かにその通りですわ~って感じなんだけど、あの時はそんなこと知らなかったし。ずっと水のカノンの機嫌が悪かったのも、今なら納得しかないけど、そもそも会話が成り立たないっていうか。まあ、俺がわかるように説明する気なんか最初からないんだろうけど」
 やれやれ~と肩を竦めてみせた俺に、ラチカは想いを言葉にする術が見つからないような、辛そうな面持ちを向けた。ラチカは優しい。世界崩壊の元凶たるこの俺に、同情を寄せることも、心を痛める必要もないのに。
 友人の心を癒す一助にはならないことを知りつつも、俺はそっと微笑んだ。
「俺は世界の核の一部、水の精霊から僅かながらもその性質を奪った。そもそもやろうとしてできることではないし、まして俺が意図したことではない。だがそれが事実だ。水のカノンは今も不快に思っているだろうし、この世界の調整機関に不具合があるままにしておくのはどう考えてもよろしくない。俺は己が持つべきではないものを、正当な所有者に返すべきだ。そうだろう? カミル」
 先程のカミルの説明によれば、本来無属性である俺の魂は、まさしく保護膜として機能している世界の核の一部がないと、この世界にとどまることができない。つまり、水のカノンに世界の核の一部を返した瞬間、俺は死ぬ。しかし俺がこの世界で生きていることこそがおかしいのだから、致し方あるまい。俺のせいで、俺の大切な人たちを危険に晒し続けるわけにはいかない。理は、正さなければ。
 が、決死の覚悟を持って放った俺の言葉に、カミルは思案するように首を傾げた。
「……どうだろうな。第一に、水のカノンが君の前に姿を現し、そこに己の一部を見出している時点で、いつでも簡単に取り返せたはずだ」
「──あ……。何か、そんな感じする……」
 不意に、水のカノンが一瞬にしてリアムの命を奪い、さらには生き返らせるという荒業を披露してみせたことを思い出し、俺はぞわぞわと怖気立った。
「そして世界の核ですら、元々の精霊からしたらほんの僅かな意識の欠片でしかなく、さらに言うと、君の中にあるのは……えー……何というか、ささくれのささくれみたいなものだ」
 大きな瞬きを一つし、俺は聞き返した。
「……ささくれって……アレ? 爪の周りの皮膚がちょろっと剥けちゃって痛い……みたいな、アレ?」
 カミルは大きく頷いた。
「まさしくそれだ。オルカと融合して初めて知ったのだが、あれは実に不快だな。衣服に引っかかったりすると特に。皮膚の破片が取れたあとも、しばらくヒリヒリするし」
「……俺の中にあるのって、そのささくれ取れちゃった的なヤツ?」
「ささくれのささくれ、みたいなものだがね。あるいは、ささくれのささくれのささくれ、ぐらいかもしれん。いや、もっとかな。とにかく、まさにその通りだ。話が早くて助かるよ」
 お気楽に返すカミルと相反し、俺の中で負のスイッチが入ったのをどこか遠くのことのように感じた。
「へええ……。つまり水のカノンは、俺にささくれのささくれのささくれを奪われたことで、あんなにも怒っていたわけか」
「ん? ああ、いや。君と水のカノンの間に何があったかは知らないが、大元の水の精霊からしてそもそもあまり人好きする性格ではない。人の子から見たら傲慢だったり、怒ったりしているように感じたかもしれないが、特に天変地異のような現象が起きていないのなら通常通りだ。むしろ機嫌がいいまである」
 天変地異、はさすがに起きてない。世界の時間が戻ってからは。つまり……。
「……え、あれ……機嫌、よかった……の?」
 ギギギ……と軋む首を回し、ラチカに目をやれば、俺と同じく引きつった顔がそこにはあった。
「だって……だって、あの……すごい、すごい怖くて……な? そうだよな。ラチカ」
 泣きそうな声で、ふにゃふにゃと同意を求める。と、ラチカも強張った声でカミルに訴えた。
「あ……ああ。すごい威圧感で、何度も押し潰されそうになった。命の危険を感じるくらいの迫力で、他の奴のことも羽虫呼ばわりして……」
「おや。どうでもよい他の人間にも気を留めるとは。そんなに機嫌がいいなんて、随分と久しぶりだ。余程楽しかったのだろうな」
「そん……そんな感じなの? マジで???」
「まあ、意識の一部であろうと、性質は精霊のままだからな。肉体が必要な我らとは魂の次元が全く異なる。意思の疎通に多少難があれど、致し方ないというものだ」
「多少の難……」
「多少の難……か」
 がっくりと項垂れつつ、俺とラチカは繰り返した。
 いやいやいや! あれをただのコミュ障と同列に語るのは如何なものかと、俺は思うんですがねえ! 少なくとも俺は三回ぐらいは確実に死んだと思ったし、何なら同じ場所にいるだけでいつ息絶えてもおかしくないくらいの恐怖を、あいつ撒き散らしてたよ??? あれで御機嫌とか頭おかしいだろ!
 言いたいことならいろいろある! 自分のことを棚に上げて上げて上げて、喚き散らしたくらいの心持ちだが、今は一つ一つを突き詰めている時間はない。ざっくりとでも広く浅く確認したいことが山ほどあるのだ。俺は体内の水分の乱れを落ち着けると、言った。
「……カミル。取り敢えずのところは理解した。そろそろ館に戻らないとまずいのはわかってるが、あといくつか質問させてくれ」
「もちろん。できるだけ手短に答えよう」
 ちらりと視線をやると、ラチカが同意するように頷いてくれたので、俺はカミルに向き直り、続けた。
「オルカの姿が最初に会ったときより年齢を重ねたように見えるのは、世界の時間を戻したからか? 確か、その能力を使うと生命力を消費すると言っていたな」
「そうだ。恐らく私たちはもうこの能力は使えない。蕾の開花を速めることすらできないだろう」
「そうか……」
 つまりタイムリープはこの一回きり。オルカとカミルはまさに命を削って世界を救ってくれたわけだ。ここにいる者しかその事実を知らなくとも、彼らこそ英雄だ。何より、世界崩壊の元凶たる俺にとっては、本当に恩人としか言いようがない。どんなに言葉を尽くしても足りないが、せめて心から俺はそれを告げた。
「……ありがとう。カミル。そしてオルカ。本当に感謝する」
「……どういたしまして。シルヴァ。感極まって声が出ないようだが、オルカもそう思っている」
「…………ああ」
 感極まっているのは俺のほうだ。が、表面上は恭しくやり取りを交わし、改めて俺は口を開いた。
「──それと、世界の時間が巻き戻ったあと、ラチカにだけ以前の記憶があったのは何故だ? 俺やカノン、オルカとカミルは立場は違えど当事者だから、記憶があるのはわかる。だがラチカは? さっき言っていたように、風の民だからか? それに世界崩壊のときも、今思えば、あのひどく具合の悪い様は、まるで前兆を感じていたかのようだった」
「それは……」
 俺の問いを受け、カミルはラチカに目を向けた。ラチカは小さく頷き、言った。
「正直、まだ確証はない。相変わらず、八年前に闇の都の路地にいた以前の記憶はないままだからな。けど、ある程度推測はしてる。ただ……」
 耳を赤く染め、ラチカは長い前髪で顔を隠すようにしながら続けた。
「ちょっと、自分で言うのはバカみたいだから、カミル、あんたから言ってくれ。頼む」
「そうか? 多分、君の推測は間違ってないぞ」
「そういう問題じゃない!」
「ふむ……。よくわからないが、まあいい。僭越ながら、私が紹介しよう」
 じゃじゃーんとばかりにカミルはそれを口にした。
「ラチカ。彼こそは選ばれし者、風の民の代表たる、羽の導き手だ。世界の核であるカノンが星の雨から出てきたことで、この世界の均衡が崩れたと誤認され、風の島からこちらに送り出されたのだろう」
「……………………」
 大いに驚きたいのはやまやまだが、またしてもカミル特有の情報過多な状況に、まず何をどう反応したらいいのかわからない。とにかくいろいろ質問したり、質問したり、質問したりしたい。そうだ! 質問しよう!
 俺は淡々と首を傾げ、意味不明にくるくると両手を動かしてみたあと、取り敢えず思いついたことを質問した。
「──つまり、世界の核が星の雨の外に出ると、それだけで世界の均衡が崩れたと判断されるのか? 実際には世界の均衡が崩れてなくても?」
「その通りだ。正直、私が知る限り、世界の均衡が崩れたといえる現象を目の当たりにしたのは、君たちも経験したあの世界崩壊だけだ。この機能は本来、何か別の原因によって世界崩壊のような事象が発生し、それを解決するために初めて世界の核が星の雨から出てくるという仕様になっていたはずなのだ」
「……ああ。本来はね……」
 ところが実際は不具合を解決するための調整機能がバグって、自らが世界崩壊を引き起こしたというナンセンスな事態に。
「一応確認するけど、俺の魂が入り込んだことで、この世界の均衡が崩れたということは……」
「それはない」
 これ以上ないほどはっきりきっぱり断言し、カミルは続けた。
「君は心身ともに健康だ。靴にただの小さな石が入り込んだだけで、命の危険に陥るかね?」
「はあ……」
 辛辣。
「今回のことは、いわば靴に入り込んだ小石が不愉快なことに気づき、片足立ちのまま靴を脱いで小石を取り出そうとしていたら、うっかり転んで頭を打ったようなものだ。つまり世界の均衡が崩れた一因ではあるが、直接的な原因ではない。最初からどこかに座って靴を脱げばよかったのだ。転んで頭を打ったのはあくまでも人為的な判断ミスの結果であって、小石の責任ではない」
「……ああ、うん。そうね……」
 カミルは俺を慰めるつもりも、ましてディスるつもりなど毛頭なく、ただただ真面目に説明しているんだろうなぁ……と理解できるだけに、何か余計に辛い。
 いやいや、うんうん、俺もちゃんとわかってるよ! 俺は世界の均衡を崩すほどの存在ではないし、そんな存在になりたいわけでもないし、そうではないことはむしろ救いだ。が、何かフクザツな気分。自分は取るに足らない存在だと言われているようで。いや! 確かに取るに足らない存在なんだけど! うにゃあぁあぁあ!!!
 堂々巡りに陥っている思考を無理やり断ち切り、俺は次の質問に移った。
「……えっと、じゃあ、とにかく、世界の核が星の雨から出てきたということは、すでに世界の均衡が崩れ始めている……と判断したのは誰……あるいは何だ?」
「この世界のありとあらゆるものに宿る、風の精霊の意志……とでもいうかな。いわばこの世界を守るために残した、安全機能のようなものだろう。世界の核が星の雨から出てくると、自動的に各種族の中から一人ずつ、世界の核の補佐役として選出され、集められる。カノンはずっと伝導の館にいたから、探せばラチカだけでなく、他の四つの手も近くにいるかもな。恐らく特殊な能力はまだ発現してないだろうが。あれには条件がいくつかあるからな」
「おお! 特殊な能力! 伝説の五つの手!」
 一瞬わくわくしてしまったものの、俺はすぐにハッと我に返った。己の浅慮に恥じ入りながら、ラチカに目をやる。そうだ。水のカノンは確かこうも言っていた。俺のせいで、ラチカはこちらに弾き出されたのだと。隠れ人の末裔……水のカノンはラチカのことをそんなふうに呼んでいたはずだ。
 と、カミルは相変わらずマイペースに話を続けている。
「光、闇、炎、水の四つの民は、もともと伝導の館にいくらでもいるからな。いちいち呼び寄せるのも面倒だし、多分その中から適当に選ばれたと思うが、風の民だけは常に自分たちの島に引き籠って出てこない。たまに世界の核が気まぐれを起こして外に出たりすると、風の民の中から必ず一人、訳もわからず島から放り出されてしまう被害者が現れるのだ。ラチカ、君も災難だったな」
「ちょっ……カミル、待て!」
 ラチカの様子は一見とても冷静で、憤怒に駆られたり悲しんだりショックを受けているようには感じられなかったが、俺は慌ててカミルの言葉を制止した。そもそも人間ではないせいか、俺からするとカミルは少々無神経な物言いをする傾向が時折ある。しかもその元凶はまたしてもこの俺なのだ! 友人の一大事に関する話で、自らの保身を考えてしまう浅ましさにはもはや弁解の余地もないが、それを抜きにしてもナイーヴな問題だ。もっとデリケートに接してくれ!
「────ラチカ……その、俺…………」
 一体、何をどうしたらいいのかわからない。どんなに言葉を尽くしたところで、謝罪できるような事柄ではない。七歳のとき、ラチカは着の身着のまま、自分の故郷から、家族から遠く離れた知らない場所に、いきなり一人で放り出されたのだ。それまでの記憶も失って、僅かな食べ物を得るために全身が青あざになるくらい殴られて。どれほど過酷な生活を強いられてきたのか、俺には想像もつかない。そしてそれは全部、俺のせいなのだ。
 俺は、この世界に生まれてくるべきではなかった。生まれてくるべきではなかったのだ、俺は。一度死んだのだから、そこで終わりになるのが当然だった。それなのに。
 カノン、リアム、クルス、ギュスター、トリー、そしてラチカ。俺は今生で友人たちに恵まれ、自分の居場所をやっと見つけたと思った。こここそが俺の居場所だと。だがそれは俺の身勝手な幻想だった。実際の俺は世界崩壊の元凶で、友人の人生を狂わせた異物そのものだった。
 オルカとカミルのおかげで一度はやり直す機会を得られたが、結果、そのために大きな代償を払ったのも俺ではない。オルカとカミル、何よりラチカに対して、俺は何をどうしたら、この償いを果たせる? 起きてしまったことは、今度こそもう二度と変えられないのだから。
 もはや声も失った俺を見ると、ラチカは何故か小さく苦笑した。
「……そんな顔をするな」
 そしていつものように俺に向かって手を伸ばした。
「っ………………」
 けれど反射的にビクリと身を竦めてしまった俺を見ると、ラチカは少し傷ついたように手を止めた。
「……あ、いや、違う。そうじゃ、なくて……」
 俺は慌てて弁明しようとしたけれど、自分でも理由がわかっていなかった。ラチカが怖かったわけではない。ぶたれるとか、咄嗟に思ったわけでもない。ただ、受け入れられない。その資格がない。ラチカの優しさに甘えてはいけない……と、多分、俺はそう感じて本能的に動いてしまったのだ。
 戸惑う俺をじっと見つめたあと、ラチカはおもむろにベッドから立ち上がり、俺の前までやって来ると、否応なく俺を抱きしめた。
「……ふあっ? えっと……ラチ……ラチカ……???」
「いいから。今は黙って俺の我儘に付き合え」
「!!!!!」
 電流が、俺の全身を駆け抜けた。
「────う……、はい…………」
 涙は、出なかった。抱きしめ返すことも、できなかった。ただ、俺はラチカの温もりだけを感じていた。温かくて、優しくて、大きい。ラチカの魂が、そこにはあった。そして俺は一つの気づきを得た。誰かに許されるというのは、決して終わりではない。自分を許すための、新たな始まりなのだと。
 しばらくして、俺が落ち着いたのを感じたのだろう。ラチカは抱擁を解くと、何事もなかったようにベッドに腰掛けた。そして改めてカミルに向かって口を開いた。
「カミル。さっきも言ったが、俺は八年前に闇の都の路地にいた以前の記憶がない。そしてカノンが館に預けられたのが約十年前。この時間差と、俺の記憶がないことは、風の民が自分たちの島から出てこないことと何か関係があるか?」
「まあ、そうだな」
 カミルもまた、それまで目の前で繰り広げられたあれやこれやのことなどまるで見なかったように、ラチカの問いに答えた。
「そもそも君たちは、この世界の地図に風の島が描かれているのを見たことがあるかね? 魂の川を巡る流れ島と混同し、今でもそこに風の民が住んでいるかもしれないなどという説を唱える者もいるようだが、あれとは全く別物だ。普段は外から見えないように、精霊によって守られているだけで、風の島は今もちゃんと存在する。もっとも、君たちは世界崩壊の折に目撃したかもしれないがね」
 俺はちらりとラチカを見やったあと、おずおずと口を挟んだ。
「……俺は、多分、見た。……と、思う。館の塀が崩れて、この世界が壊れていくのを呆然と眺めているときに、気づいたんだ。魂の川に浮かぶ流浪島の他に、大きな浮遊島が四つ見えた。けど、それはおかしいんだ。俺はこの繋ぎ手の……光の島の端にいて、他に闇と炎と水の三つの浮遊島が見えるはずだったのに、もう一つ、大きな浮遊島があった……」
「ああ、俺も見た。あれは多分、水と炎……夢見人の島と癒し手の島の間だ。地図で見ると、そこだけ島と島の間隔が広い。魂の川を運航する船でも、その区間だけ二倍の時間がかかるという。流浪島と混同している説があるとカミルもさっき言っていたが、その流浪島は元々この場所にあったんじゃないかっていう説もあったくらいだしな」
 俺とラチカの言葉に頷き、カミルは言った。
「そして実際、風の民の住む島が今もそこにある。私もよくは知らないが、風の精霊が水と光の力を借りて、この島全体が外から見えないようにしているらしい」
「ああ……なるほど」
 原理は詳しく説明できないが、いわゆる光学迷彩のようなものを施しているということだろう。規模が大きすぎるうえに、天候に関わらず水と光を用いて透明化を常時展開とか、もはやこの世界では意味わからないレベルのTHE魔法だが、それを発動維持しているのが世界を創造した精霊なら、逆に納得しかない。
 と、傍から見るといとも簡単に理解したように感じられたのか、ラチカとカミルが少し驚いたように俺に視線を向けた。
「ん? ああ……いやいや。俺もちゃんとわかってるわけじゃない。ただ、水と光の反射、角度調整の動力としての風があれば……何というか、虹や鏡の応用かな、と。まあ、精霊にしかできない超絶すごい応用なんだけどね」
「へえ……」
 何とも言えない面持ちでラチカが呟き、カミルは無表情に首を傾げた。
「君のその思考は、この世界に生まれる前に身に着けた知識によるものか?」
「まあ、そうだね。ただ、俺の知識はどれもふわっとしていて、詳しくは語れない。何一つ極めてこなかったからな」
「そうか。君は後悔しているのかね? 何一つ極めなかったことを」
「そうだな。……あ、いや、どうだろう」
 反射的に答えてしまったあと、俺はちょっとばかり思案した。そして改めて自分の真っ正直な気持ちと向き合い、ファジーな笑みをへらっと浮かべてみせた。
「ああ、何というか……本当は、何一つ極めなかったことを後悔してる、と言うべきなのかもしれない。けど、俺は怠惰だからな。自分が困ったときは一瞬後悔するかもしれないけど、結局自業自得だし。何より、俺には極めたいものがなかった。多分、一番の問題はそこだ」
 思わず真顔で呟いてしまったあと、俺は明るく言い足した。
「ま、例え何か一つ極めていたところで、それ以外のことで問題が起きたときに対処できるとは限らないし。そもそも全てを極めるのは無理な話だし。何かもう、いっかなって」
 あはは、と笑った俺を見ると、カミルは大真面目に頷いた。
「君に憂いがないのであればよかった。だが、これから見つかるといいな。君が極めたくなるものが」
 俺は大きな瞬きを一つし、微笑んだ。
「……ああ。そうだな。ありがとう、カミル」
「それで。さっきの話だけど」
 俺とカミルのにこやかなやり取りを遮るように、ラチカが言った。
「俺の記憶がないこと、それにカノンが星の雨を出た時期とずれがある理由は何だ?」
 カミルはひょいと肩を竦め、答えた。
「この世界において風の島が隔離されていることは、今ので理解してもらえたと思う。そして人の子である君が風の島から出た方法、それは恐らく徒歩で流れ島に渡ることだ。風の島の中からは外、つまり魂の川や流れ島、他の四つの島が見えないし、当然船など作っていない。多分、君は羽の導き手として選ばれた瞬間、半ば夢遊病のように歩き出し、風の島の端まで行って、ちょうど魂の川を巡ってきた流れ島に渡ったのだろう」
 さらりと口にしたカミルの説明にぎょっとし、俺は思わず疑問を差し込んだ。
「えっ? いやいや、ちょっと待て。そんな子供の歩幅程度のギリギリまで、流浪島はいつも島のそばを移動してんの? 怖い! ぶつかったり擦ったりしないのか? 風圧だけでも島がどんどん削れて、ガンガン小さくなっていきそうなんだが!」
「案ずるな。他の島と接岸するほど、流れ島が近寄ることはない。最も接近しているときでさえ、この光の島から流れ島に人の子が徒歩で渡ることはできない。しかし風の島は常に精霊によって守られている。そして羽の導き手として風の島から外に送り出そうとしているのもまた、その精霊だ。いきなり竜の御許に行かせるはずがない」
「な、なぁるほど」
 つまりシステム管理者として残っている風の精霊の意志が、風の島から流浪島へのラチカの大きな一歩を完全サポートしてくれた……ということか。よ、よかった……。
 俺が胸を撫で下ろしている間にも、カミルの説明は続く。
「しかしこの流れ島というのが、また少々厄介でな。常に魂の川の影響を受けた霧が立ち込めているせいか、長く滞在すればするほど時間の感覚や、それまでの記憶を失っていくらしい。先程の申告と照らし合わせると、ラチカ、恐らく君は二年ほど流れ島を彷徨い、それまでの記憶の一切を失った」
「────────っ」
 時間のずれと記憶の喪失。最初からその理由を説明してもらっているのはわかっていたのに、改めてその原因を知らされると、何故かショックを受けている自分がいた。当事者でない俺でさえそうなのだ。ラチカ本人の衝撃は、俺には到底測り知れない。
 ちらりと俺が目をやると、ラチカは拳を握り締め、何とか平静を保とうと懸命に努めているようだった。
「……けど、あんたはさっき、流浪島に降りて、オルカとの再融合の微調整をするつもりだったと……そう言ったよな。体の調子が悪いのに、わざわざ危険な場所に行くつもりだったのか?」
「私はこれでも精霊の愛し子だぞ。多少不純物が混ざったとはいえ、か弱き人の子とは全く違う。それにさっきも言ったが、実際、他の島から移り住んで長い同胞も多いしな。特に問題はない」
「そうか……。いや、そうだな。確かに、そうだ」
 まだ動揺が収まらない様子のラチカが心配でならなかったけれど、俺は、動けなかった。今までのように、何も知らなかったときのようには、できない。手に触れたところで慰めにならない、というだけならいい。むしろ不愉快にさせてしまうかもしれない。いや、その可能性こそが大きい。そう思うと、本当に何もできない。ただ、息を殺して、俺は自分の存在を消し去りたいとひたすらに願った。
 ラチカはぎゅっと眉間にしわを寄せたあと、何とか自制心を取り戻したようにそっと息をついた。
「……時間のずれと、俺の記憶がない理由はわかった。けど、それじゃあ俺はどうやって流浪島を出た? 闇の都の路地には、どうやって行ったんだ?」
「全ての問いに答えたいのはやまやまなのだが、実のところ、流れ島については私もよくわからないことが多くてな。島そのものに意志があるとか、気に入らない来訪者はいつの間にかどこか別の島に放り出されているとか、そういう噂だけは聞いたことがある。私はあまり長居したことがないので、そういった経験はないのだが、少なくとも君は羽の導き手として流れ島にやって来た。結果的にだが、世界の核であるカノンのいる場所、即ち伝導の館に辿り着いていることを鑑みても、君は流れ島によって然るべき時、然るべき場所に送り届けられたのではないかと、私は推察する」
「然るべき時、然るべき場所って、そんなわけないだろ!!!」
 気がついたら、俺はベッドから立ち上がってそう叫んでいた。
「他に……! もっと……! 適切な……!」
 カミルに向かって言っても仕方ないのはわかっていた。これはただの、俺の八つ当たりだと。それでも。
「何で、ラチカだけ……! どうして……!」
 わかっている。これはラチカのことだけを想って出た言葉じゃない。俺の、行き場のない罪悪感をただ吐露しているだけだ。
 ラチカとカミルは、唐突に激情に駆られた様子の俺を、呆気にとられたように見た。
 俺は、我に、返り……己が拳でその激情を無理やり握り潰すと、懸命に笑みを形作って、言った。
「………………あ、ごめん。何か、ちょっと、厠行ってくる……。水、飲みすぎちゃったみたい……」
 言い訳にもならない言葉を口の中でもごもごと捻くり回し、俺はそそくさと部屋の扉に向かった。顔を上げられない。とにかく、今すぐここから立ち去りたい。
 と、背後でラチカが立ち上がる気配がした。
「場所、わかるか? 俺も一緒に……」
「大丈夫! 一人で行く!」
 叫ぶように答え、慌てて後ろ手で扉を閉める。そんなつもりはなかったのに、思った以上に大きな音を立ててしまい、俺は自らの行いの結果ながらビクリと身を竦めた。心臓がバクバクする。
 拒絶したいわけじゃ、全くない。そうやって気にかけてくれるのは、本当に非常に有り難いことだと、頭では理解している。ただ、今は少しだけ、一人で考える時間が欲しい。あとで、ちゃんと謝る。だから……今は、俺の我儘を、ちょっとだけ、許してほしい。
 部屋の扉をそっと撫でると、俺はその向こうにいる二人……いや三人から逃げ出した。
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