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秋の章

8 回顧と文化祭②

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 お昼を過ぎて客足が落ち着いてきた頃、斎藤さんが「そろそろ順番に休憩するか。俺と石橋で店は回しとくから、遊んできていいぞ」と言ってくれたので、ありがたく休憩をもらうことにした。
「猪俣、おまえも一緒に休憩しとけ。一時間くらい休んだら、戻ってきて俺らと交代な」
「了解! 渡辺くん、何か食べに行こう!」
「はい!」
 斎藤さんと石橋さんにお礼を言って、僕と先輩は露店を離れた。これって文化祭デートみたいなものだよね!? 夕方までずっと仕事するのかと思ってたから、最高のご褒美だ。
 僕はナース姿の先輩と並んで歩きながら、広場の露店を見て回る。先輩を見て「可愛い!」「すごい美人!」なんて言っている人もいるので、僕は自分みたいな冴えない男がこうやって並んで歩いている事実に、恥ずかしさや申し訳なさを感じる。一方で、先輩を独占している優越感のようなものもあって、いろいろと複雑な気持ちだった。だけど先輩はそんなことを気にしない様子で、いつものように振舞っていた。
「渡辺くん、お腹空いてるでしょ? なに食べたい?」
「嫌いなものとかはないので、僕は何でも」
「じゃあ黒蜜カイコ買っちゃう?」
「それはちょっと……」
 いや、でも、買えば先輩と写真が……って、それはお客さんだけか。
 先輩は僕が困っていることに気付いて、くすくすと笑う。
「冗談だってば。私、チュロスがいいなー」
「あ、いいですね。でも昼ご飯がチュロスですか?」
「こういう日はあらゆる不摂生が許されるんだよ」
「そういうもんですかね。じゃあ僕も」
 二人でそろってチュロスを買った。
「渡辺くんも黒蜜かける?」
「え? あ、どうも……」
「どうせ余るから、いっぱいかけていいよ」
 持ってきたのかよ! というかお店に置いとかなくて大丈夫なのか……?
 それからフランクフルトや肉巻きといったジャンクフードを頬張りながら、広場以外のところにも行ってみることにした。
 共通棟で展示物を眺めたり、国際交流カフェでコーヒーを飲んだり、野外ステージでライブ演奏を聴いたり。やがて歩くのに疲れてきて、僕らは人の少ない屋外のベンチに座った。
「ふー、ちょっと疲れた」
「そうですね。結構いろいろ回りましたね」
「うん。やっぱり、いいよね。こういうの。お祭り。全部がキラキラしてる」
 先輩は澄み渡った青空を見上げている。その横顔は見つめる先の快晴のように、すっきりとしていて、僕は見惚れてしまった。
「いいですよね……」
 先輩と写真が撮りたいとか、そういう邪念さえ吸い込まれて消えてしまいそうな、綺麗な秋空。空が綺麗だと感じることが、幸せってことなのかもしれない。
「先輩と一緒なら、どこへ行っても、何をしても、きっと楽しいんだろうなって思います」
「渡辺くん……?」
 呼ばれて横を向くと、先輩が不思議そうな顔をして僕を見つめていた。それでようやく、恥ずかしいセリフを言ってしまったと気付いた。
 ほとんど無意識のうちに、素直に今、思ったこと、感じたことを呟いていたのだ。だって、面と向かってそんなセリフを言えるわけないから。
「あっ、いや、特に、深い意味は……!」
 顔をそむけて誤魔化したけど、頬は燃えるように熱い。文化祭のせいで僕のテンションはおかしくなっているのかも。
「ええと、あの、ざざむしの佃煮、よく食べるんですか?」
 唐突だとは分かっていたけれど、話題を変えるしかなかった。
「小さい頃はよく食べてたよ。あれ、地元で有名だから宣伝しようと思って」
「先輩って、確か長野出身でしたっけ」
「そ。長野の山の中で生まれた田舎者」
 自虐だけど卑屈さは感じない。たぶん先輩は田舎の自然も大好きなのだろう。考えてみれば、僕は先輩の生まれや過去について、ほとんど何も知らない。
「あのざざむしの佃煮って、もしかして、まさか先輩の実家で作ってたりとか……?」
「惜しい。実家じゃなくて、うちのじいちゃんが働いてる地元の会社から送ってもらったの。身内割引で」
 なるほど、長野の田舎と、そこでざざむしの佃煮を作るおじいちゃん。少しずつ先輩のルーツが分かってきた。
「あれ? でも先輩、ウォーターサーバーの会社に入るって。おじいさんのところにコネがあるのに、こっちで虫とは関係ないところに就職して、いいんですか?」
「まあね。私は長野に戻るべきじゃないから」
「えっ?」
 なんだか先輩らしくないセリフのような気がして、僕の胸の中は少しさざ波が立った。
 先輩はまた空を仰いでいる。その横顔に何か先輩の秘めた思いを感じた。ナースキャップから零れた髪が風に揺れて、先輩のしなやかな指が、その髪を耳にかける。
「何か理由があるんですか」
 聞いてもいいのかどうか分からなかったけれど、思い切って聞いてみた。たぶん今ここで聞かなかったら、二度とチャンスがないような気がして。
 先輩は「大したことじゃないんだけど」と前置きしてから、話し始めた。
「中学のときにね、私、そのざざむしの会社と協力して、新しい商品を作ったの。ざざむしって真冬に川の中に入って捕まえるんだけど、それがけっこう大変で、じいちゃんもやってたし、なんかこう、私なりに応援したくなったというか、地域貢献したくなったわけだよ。それで、生まれた町のため、じいちゃんのいる会社のため、それから私の興味もあって、チャンスをもらって、商品開発をした。その新作のざざむし商品が道の駅とかで売られて、新聞に載ったり、テレビ局が取材に来たりしたんだ」
 すごいですね、と言おうとしたけれど、僕は何も言えなかった。先輩が全然嬉しそうじゃなかったから。
「私はすごいことをしたと思ってた。意味のある、立派なことができた、って。でもそれは私の気のせいだって後から気づいた。商品が売れたのは数週間だけ。最初は物珍しさとか好奇心で買う人がいたけど、すぐに売れなくなった。現実を思い知らされたというか、まあ、商売は遊びじゃないってことだね。私のしたことが無駄だとは思わないけど、どのくらい意味があったかは分からない」
「なんだか、残念ですね」
 そういう僕も、虫料理をわざわざ買うかというと、買わない人間なわけで。コメントしてから、僕って白々しいなと自己嫌悪にとらわれた。
「うん、残念だった。あの町は虫を食べる文化が今もあって、それは私にとって当たり前だったけど、他のところでは昆虫食はゲテモノ扱いされてる。それであの町とか長野が嫌いになったわけじゃないけど、外に出なきゃいけないって思うようになったの。私の見ている世界は狭い。外の世界はもっと広い、って。だけど東京とか名古屋とかに一人で飛び込んでいく勇気もなくて、その真ん中にあるハンパな場所――静岡に落ち着いちゃった。ああ、もちろん、ここは大好きな場所になったよ。だからここで就職したし」
「その気持ち、分かる気がします。僕も東京は自分に合わないような気がして、ここに」
「東京、怖いよねー」
「ですよね。なんとなく勇気が要りますよね、東京って聞くと」
 意外にも先輩が僕と同じ小心者だと分かって、おかしくて笑ってしまった。先輩も笑っていた。
「虫のこと、自然のことは、全部じいちゃんに教えてもらったんだ。じいちゃんは長野で頑張って虫食いの文化を守ってる。私はこっちで頑張って、虫食いの文化を広めたい。せっかく居心地のいい地元を、決意して飛び出してきたんだから、簡単に帰るわけにはいかないんだ。でもまあ、ここでの活動も、意味があるかどうかなんて分からないけど……」
「意味はありますよ!」
 自嘲気味に微笑んだ先輩を励まそうとして、声に力をこめた。
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