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夏の章
4 いのち短し 食っとけエビチリ②
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時刻は十一時を少し回ったところ。僕と石橋さんは清流のそばの林に沿って歩きながら、獲物を探していた。とにかくセミの声は四方八方から聞こえるのだが、発見するのはなかなか難しい。絶対にこの木にいる、と確信しても、全然姿が見えないのだ。
「石橋さん! いました。あそこ」
僕が指差す先を、石橋さんが細い目をさらに細めて見上げる。
「クマゼミっすね。いきなりの大物とは、ついてます」
ジイジイという太い鳴き声と、黒っぽくて太い体。まさにクマのように威厳のあるセミだ。
「令和のガンマンの腕が鳴るっす」
石橋さんがニタニタと歯を鳴らした。悪いことを考えている人のように見えて、ちょっと怖い。
いよいよゴム銃の出番だ。僕に与えられたのは小型の拳銃。『2014式ベレッタ92』という名前らしい。その意味は分からないけど、使い方は指でゴムを飛ばすのと同様、単純にゴムを引っかけて引き金を引くだけでいい。
「渡辺くんのはシンプルで扱いやすい半面、威力はたいしたことないんで、狙うなら小型か中型のセミにしといたほうがいいっす。今回は俺ので仕留めます」
「これ、弱いんですか?」
「弱いなんて、とんでもないっすよ!」石橋さんの声は普段より高くて、目の色も違う。「FPSも男女の仲も適材適所、臨機応変、当意即妙っす! 獲物や状況によって武器を使い分け、分(ぶ)をわきまえ、柔軟に対処するのがプロっすよ。バカみたいにフルオートで敵に突っ込んでいく脳死野郎も、味方が全滅するまで後ろでこそこそしてる無能なイモ野郎も、クソくらえっす。要するに俺のライフルで小型を撃つと、威力が高すぎて食材が痛むんすよ。そういうときはそいつの出番っす。使い分けるってことっす」
「な、なるほど」
ちなみにFPSとは、主人公の視点で銃などの武器を使って戦うシューティングゲームのことである。
「ええ、そういうわけで、さっそく一匹目やります。セミが落ちたら捕獲してください」
石橋さんの銃は僕のより銃身が長くて大型だ。何やら複雑な内部機構が備わっているらしい。石橋さんが真剣な面持ちで両手に銃を構える。狙いをつける先には、クマゼミの黒い体。僕は息を飲んだ。
軽く木材のかみあうような音がして、数発の輪ゴムが発射された。それは狙いをたがわず獲物に命中し、クマゼミの歌は中断され、地面に落ちてきた。僕は素早くしゃがみこんでセミを手のひらで包んだ。……捕獲成功だ!
虫かごにおさめた獲物を見て、石橋さんは「うっし。この調子でガンガンいくっすよ」と歯を見せた。
「今みたいな感じで、渡辺くんもガンガンしとめてください。お互い見えるところで別行動するってことで、いいっすか」
「はい、たぶん、大丈夫です」
「小型は自分でバシバシ狙っていいんで、大型を見つけたら俺に教えてください。俺も小型を見つけたら呼ぶんで。そんな感じで」
「了解です」
「渡辺くん、どうせやるんだから黒毛和牛はうちらがかっさらいますよ」
「はい!」
それから僕らは互いが見える範囲をうろうろして、セミを捕まえていった。最初の三十分ほどで僕は二匹、石橋さんは七匹の収獲を得た。さすが昨年のチャンピオンだ。僕はとても心苦しい。
「まあ、初めてならこんなもんすよ。回収するのがめんどうですけど、輪ゴムを三個くらいまとめて撃ってみてください」
「了解です」
成果を報告し合っていたとき、視界に先輩と須藤教授が入りこんだ。向こうも僕らを見つけて近づいてくる。
「やあ、石橋くん渡辺くん。たくさん取れたかい?」
須藤教授が気さくに話しかけてくる。
「先生、しゃべってる場合じゃないですよ! はやく肉を捕まえないと」
先輩にはすでにセミが黒毛和牛に見えているのではなかろうか。
「猪俣さん、君はライバルの状況が気にならないのかい?」
「気になるけど知りたくありません!」
とか言ってそっぽを向きつつ、ちゃっかりと僕らの報告に耳をそばだてている先輩。僕らは合計九匹。先輩たちはそれぞれ四匹ずつで、合計八匹。ほとんど差がない。どう考えても僕が足を引っぱっている。先輩と会えて喜んでいる場合ではない。
現状を知った先輩は不満そうな顔から明るい笑顔に変わった。
「先生、これいけますよ! 和牛が目の前まで来てますよー! ところで渡辺くん」急に名前を呼ばれてハッとする。「申し訳ないけどね、我々は新人に決して手加減などしないのだ! がんばりたまえ! 先生、行きますよ、あっちです」
先輩は一人でずんずん進んでいき、須藤教授がやれやれという様子であとを追った。「先生、いた! これ先生のヤツで、しとめて! はやく!」と教授を急かす。僕らもうかうかしていられない。
「足引っぱってすみません」
「ここから挽回すればいいんすよ」
残りの三十分、僕らはスパートした。斎藤さんと凜ちゃんが、二人とも真面目な顔で何か話しながら林の周囲を歩いているのが見えた。凜ちゃんはなぜか今日も女子高生ルック――制服姿である。小太りで人相の怪しい斎藤さん――二十三歳だが四十三歳にも見える――と連れたって歩いている様は、妙に危険な香りのする光景であった。ここが駅前だったら絶対に警察に声をかけられると思う。
そもそもあの二人は仲が良いのだろうか。凜ちゃんはさらっとひどいこと言ったりするし、心をえぐるような目をしているし。斎藤さんもズバズバと遠慮せずに物を言うし、言い方もキツいし。二人が親しくしているところは未だに見たことがないし、想像もできない。
「あの二人は昨年の二位と三位なんで、要注意っすよ」
「仲はいいんですか」
「特別良くも悪くもないって感じですかね。チームワークも未知数っす」
「あの二人が仲良くしてたら、なんか怖くないですか。通報されそうですよね」
「笑わせないでくださいよ、渡辺くん」
石橋さんは盛大に吹き出している。
あの二人、どんな会話してるのかな。
「今の発言は、あとで斎藤さんに報告しておきます」
「それはやめてください!」
僕らは残り時間を気にしながらセミを撃ち落としていく。遅刻すると甚大なペナルティが発生するため、だんだん集合場所に近づくように移動する。他のチームも同じ考えらしく、集合場所の周辺にすべてのチームが集まってしまった。腕時計に目をやる。残り五分。セミの声は洪水のように四方から降り注いでいるのに、肝心の声の主がなかなか見つからない。額から汗が垂れる。上ばかり見ているので首も痛い。
「さすがに同じところをぐるぐるしてるようじゃ、効率悪いっすね。ここで足踏みするのはマズいっすよ」
石橋さんは首に巻いた濡れタオルで顔の汗をぬぐった。
「少し移動してみますか?」
「リスクも増えますけど、やむをえないっす」
そのとき先に斎藤さん&凜ちゃんが走った。集合場所から離れる動きだ。
「渡辺くん、俺らも」
「はい!」
小川の飛び石を跳んで、別の林へ。梢を見上げ、照りつける真夏の太陽を手で隠して目をこらす。汗ばんだシャツ、かすかに髪をゆらす風、腐葉土のにおい。こうやって夢中でセミを追いかけたのは小学生のとき以来だろう。
先輩はものすごく黒毛和牛が食べたそうだった。僕らが負けて先輩たちが勝利したほうがよいのではないだろうか。それとも僕らが優勝したら、先輩は僕のことをちょっとだけすごいと思うだろうか。
そんなことを頭の隅で考えていても、僕はあえて答えを出さない。それはなぜかといえば、僕はただこうやって無心で何かを追い求めている今が――この時間が好きだからだ。心と体が満ち足りているような気がするのだ。勝ち負けではない。報酬でもない。今こうやって自分の手足や五感を使って、汗をかき、息を切らしながら一生懸命に何かをしていることに、価値があると思うのだ。それは長らく忘れていた感覚だった。あの頃には、いつだって周りを見れば友だちがいた……。
僕は見つけた。緑がかった小ぶりな体に透き通った羽。リズムよく特徴的な音色を奏でるセミ――ツクツクボウシだ。
「渡辺くん、二分前っす! そろそろ行きますよ!」
蝉時雨を縫って、そんな石橋さんの声もちゃんと耳に届いていた。だが僕は左手をざらついた幹に突き、右腕を伸ばし、獲物に照準を合わせる。高い枝だ。厳しいか? いっぱい背伸びをして、限界まで手を伸ばす。ツクツクボウシは懸命に、短い命を生きる。僕は懸命に、その命を狙う。
――動くな。お願いだから動くなよ。
「渡辺くん、時間が!」
僕は引き金を引いた。
「石橋さん! いました。あそこ」
僕が指差す先を、石橋さんが細い目をさらに細めて見上げる。
「クマゼミっすね。いきなりの大物とは、ついてます」
ジイジイという太い鳴き声と、黒っぽくて太い体。まさにクマのように威厳のあるセミだ。
「令和のガンマンの腕が鳴るっす」
石橋さんがニタニタと歯を鳴らした。悪いことを考えている人のように見えて、ちょっと怖い。
いよいよゴム銃の出番だ。僕に与えられたのは小型の拳銃。『2014式ベレッタ92』という名前らしい。その意味は分からないけど、使い方は指でゴムを飛ばすのと同様、単純にゴムを引っかけて引き金を引くだけでいい。
「渡辺くんのはシンプルで扱いやすい半面、威力はたいしたことないんで、狙うなら小型か中型のセミにしといたほうがいいっす。今回は俺ので仕留めます」
「これ、弱いんですか?」
「弱いなんて、とんでもないっすよ!」石橋さんの声は普段より高くて、目の色も違う。「FPSも男女の仲も適材適所、臨機応変、当意即妙っす! 獲物や状況によって武器を使い分け、分(ぶ)をわきまえ、柔軟に対処するのがプロっすよ。バカみたいにフルオートで敵に突っ込んでいく脳死野郎も、味方が全滅するまで後ろでこそこそしてる無能なイモ野郎も、クソくらえっす。要するに俺のライフルで小型を撃つと、威力が高すぎて食材が痛むんすよ。そういうときはそいつの出番っす。使い分けるってことっす」
「な、なるほど」
ちなみにFPSとは、主人公の視点で銃などの武器を使って戦うシューティングゲームのことである。
「ええ、そういうわけで、さっそく一匹目やります。セミが落ちたら捕獲してください」
石橋さんの銃は僕のより銃身が長くて大型だ。何やら複雑な内部機構が備わっているらしい。石橋さんが真剣な面持ちで両手に銃を構える。狙いをつける先には、クマゼミの黒い体。僕は息を飲んだ。
軽く木材のかみあうような音がして、数発の輪ゴムが発射された。それは狙いをたがわず獲物に命中し、クマゼミの歌は中断され、地面に落ちてきた。僕は素早くしゃがみこんでセミを手のひらで包んだ。……捕獲成功だ!
虫かごにおさめた獲物を見て、石橋さんは「うっし。この調子でガンガンいくっすよ」と歯を見せた。
「今みたいな感じで、渡辺くんもガンガンしとめてください。お互い見えるところで別行動するってことで、いいっすか」
「はい、たぶん、大丈夫です」
「小型は自分でバシバシ狙っていいんで、大型を見つけたら俺に教えてください。俺も小型を見つけたら呼ぶんで。そんな感じで」
「了解です」
「渡辺くん、どうせやるんだから黒毛和牛はうちらがかっさらいますよ」
「はい!」
それから僕らは互いが見える範囲をうろうろして、セミを捕まえていった。最初の三十分ほどで僕は二匹、石橋さんは七匹の収獲を得た。さすが昨年のチャンピオンだ。僕はとても心苦しい。
「まあ、初めてならこんなもんすよ。回収するのがめんどうですけど、輪ゴムを三個くらいまとめて撃ってみてください」
「了解です」
成果を報告し合っていたとき、視界に先輩と須藤教授が入りこんだ。向こうも僕らを見つけて近づいてくる。
「やあ、石橋くん渡辺くん。たくさん取れたかい?」
須藤教授が気さくに話しかけてくる。
「先生、しゃべってる場合じゃないですよ! はやく肉を捕まえないと」
先輩にはすでにセミが黒毛和牛に見えているのではなかろうか。
「猪俣さん、君はライバルの状況が気にならないのかい?」
「気になるけど知りたくありません!」
とか言ってそっぽを向きつつ、ちゃっかりと僕らの報告に耳をそばだてている先輩。僕らは合計九匹。先輩たちはそれぞれ四匹ずつで、合計八匹。ほとんど差がない。どう考えても僕が足を引っぱっている。先輩と会えて喜んでいる場合ではない。
現状を知った先輩は不満そうな顔から明るい笑顔に変わった。
「先生、これいけますよ! 和牛が目の前まで来てますよー! ところで渡辺くん」急に名前を呼ばれてハッとする。「申し訳ないけどね、我々は新人に決して手加減などしないのだ! がんばりたまえ! 先生、行きますよ、あっちです」
先輩は一人でずんずん進んでいき、須藤教授がやれやれという様子であとを追った。「先生、いた! これ先生のヤツで、しとめて! はやく!」と教授を急かす。僕らもうかうかしていられない。
「足引っぱってすみません」
「ここから挽回すればいいんすよ」
残りの三十分、僕らはスパートした。斎藤さんと凜ちゃんが、二人とも真面目な顔で何か話しながら林の周囲を歩いているのが見えた。凜ちゃんはなぜか今日も女子高生ルック――制服姿である。小太りで人相の怪しい斎藤さん――二十三歳だが四十三歳にも見える――と連れたって歩いている様は、妙に危険な香りのする光景であった。ここが駅前だったら絶対に警察に声をかけられると思う。
そもそもあの二人は仲が良いのだろうか。凜ちゃんはさらっとひどいこと言ったりするし、心をえぐるような目をしているし。斎藤さんもズバズバと遠慮せずに物を言うし、言い方もキツいし。二人が親しくしているところは未だに見たことがないし、想像もできない。
「あの二人は昨年の二位と三位なんで、要注意っすよ」
「仲はいいんですか」
「特別良くも悪くもないって感じですかね。チームワークも未知数っす」
「あの二人が仲良くしてたら、なんか怖くないですか。通報されそうですよね」
「笑わせないでくださいよ、渡辺くん」
石橋さんは盛大に吹き出している。
あの二人、どんな会話してるのかな。
「今の発言は、あとで斎藤さんに報告しておきます」
「それはやめてください!」
僕らは残り時間を気にしながらセミを撃ち落としていく。遅刻すると甚大なペナルティが発生するため、だんだん集合場所に近づくように移動する。他のチームも同じ考えらしく、集合場所の周辺にすべてのチームが集まってしまった。腕時計に目をやる。残り五分。セミの声は洪水のように四方から降り注いでいるのに、肝心の声の主がなかなか見つからない。額から汗が垂れる。上ばかり見ているので首も痛い。
「さすがに同じところをぐるぐるしてるようじゃ、効率悪いっすね。ここで足踏みするのはマズいっすよ」
石橋さんは首に巻いた濡れタオルで顔の汗をぬぐった。
「少し移動してみますか?」
「リスクも増えますけど、やむをえないっす」
そのとき先に斎藤さん&凜ちゃんが走った。集合場所から離れる動きだ。
「渡辺くん、俺らも」
「はい!」
小川の飛び石を跳んで、別の林へ。梢を見上げ、照りつける真夏の太陽を手で隠して目をこらす。汗ばんだシャツ、かすかに髪をゆらす風、腐葉土のにおい。こうやって夢中でセミを追いかけたのは小学生のとき以来だろう。
先輩はものすごく黒毛和牛が食べたそうだった。僕らが負けて先輩たちが勝利したほうがよいのではないだろうか。それとも僕らが優勝したら、先輩は僕のことをちょっとだけすごいと思うだろうか。
そんなことを頭の隅で考えていても、僕はあえて答えを出さない。それはなぜかといえば、僕はただこうやって無心で何かを追い求めている今が――この時間が好きだからだ。心と体が満ち足りているような気がするのだ。勝ち負けではない。報酬でもない。今こうやって自分の手足や五感を使って、汗をかき、息を切らしながら一生懸命に何かをしていることに、価値があると思うのだ。それは長らく忘れていた感覚だった。あの頃には、いつだって周りを見れば友だちがいた……。
僕は見つけた。緑がかった小ぶりな体に透き通った羽。リズムよく特徴的な音色を奏でるセミ――ツクツクボウシだ。
「渡辺くん、二分前っす! そろそろ行きますよ!」
蝉時雨を縫って、そんな石橋さんの声もちゃんと耳に届いていた。だが僕は左手をざらついた幹に突き、右腕を伸ばし、獲物に照準を合わせる。高い枝だ。厳しいか? いっぱい背伸びをして、限界まで手を伸ばす。ツクツクボウシは懸命に、短い命を生きる。僕は懸命に、その命を狙う。
――動くな。お願いだから動くなよ。
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僕は引き金を引いた。
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