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第四章 二人の日常3
綺麗なお姉さんは好きですか?
しおりを挟むクレス島近海で、真冬の早朝にのみ獲れる魚がある。
それは、透けるように白い小さな魚。クレス島ではこの魚をシロウオと呼んでいる。
シロウオはある魚の稚魚だ。長い長い距離を泳いで成長していくこの魚の群れがクレス島近海を通るのが、ちょうど真冬のこの時期。そして、普段は海の深い深い所を泳ぐこの群れが海面近くまで上がって来るのが、早朝のわずかな時間なのである。
この時期、クレス島の漁師達は普段よりうんと早く起きて、まだ暗い海に漁に出る。
そうして獲れた新鮮なシロウオは、その日の朝市であっという間に売り切れるほどの人気だ。
港に帰って来た漁師達は、各々の船から獲りたて新鮮なシロウオの詰まった木箱を満足気な顔で下ろしている。
そうして彼らがあらかた水揚げを終えた頃、まだ薄暗い港を訪れる人影があった。
「おはようございます!」
澄んだ声音が、漁師達の耳に響き渡る。
現れたのは、小ざっぱりとしたスカート姿にエプロンを付けた黒髪の美女。
この島でただ一つあるパン屋の女店主、アニエス・アウトーリだ。
彼女の姿を目にとめた漁師達(特に年若い彼女と同年代の)の顔が、それまでの真剣な表情から一転、愛想の良い笑顔に変わっていく。年配の漁師達も、そして老齢と言っていいベテランの漁師達も、島一番の美女の登場にどこか機嫌が良さそうだ。
「おはようございますにゃ~」
そして彼女の足元にちょこんといるブチ猫も、漁師達にそう挨拶する。
このブチ猫は朝市の店主たちの間で人気の食いしん坊猫。
今朝も美味い物の話を嗅ぎつけて、お伴について来たのだろう。
「お言葉に甘えて、来ちゃいました。これ、差し入れです。皆さんで召し上がって下さいね」
アニエスはにっこりと笑って、近くにいた漁師に大きなバスケットを手渡す。
実は先日、ある漁師が彼女にこう声をかけたのだ。
この時期旬の、シロウオ。あっというまに売り切れてしまうそれを、分けてあげよう、と。
鮮度が命の魚だから、朝早くに足を運ばせてしまうことになるが…と。
アニエスは大喜びで、ぜひ伺わせてもらうわ、と答えたという。
その場に居た使い魔猫達も、爛々と目を輝かせていたとか。
現に、彼女のお伴であるブチ猫は尻尾をぶんぶんと振って、シロウオの詰まった木箱を見つめている。涎が今にも零れそうだ。
「ああ、わざわざ足を運ばせて悪いねアニエス。差し入れ、ありがとう」
彼女に声をかけたのは、漁師のジャック。アニエスに声を掛けた張本人だ。
彼はバスケットを受け取った漁師仲間からそれを受け取ると、ちらりと中をのぞく。
入っていたのは、まだ湯気立つ焼き立てのパンと、鍋。
早速この後いただこうと、彼は相好を崩す。
「ちょっと待っててくれ。すぐにシロウオを…」
そして、ジャックは彼女に渡すシロウオを用意しようと、踵を返すのだが…。
「あっ、アニエスさん!! これ、俺が獲ったヤツ!! すっごい美味いンで、食って下さい!!」
若手漁師の一人が、顔を真っ赤にして木の笊にこんもりと持ったシロウオを差し出した。
あっ、お前…! と言う間もなく。
「おっ、俺も俺も!! 俺が獲ったヤツの方が美味いンで、食って下さい!!」
他の漁師がわしっと手掴みしたシロウオをその笊に追加し、
「ばっか!! お前なんかが獲ったのより俺の方がでっかくて身も太ってて美味いっつーの!!」
また別な漁師が、同じく笊にシロウオをのせていった。
あっというまに、笊の上に大きなシロウオの山が出来上がる。
「若造どもが!! 混ざっちまったらどれが誰の獲物かなんてわかるわけねーじゃろが!!」
はしゃぐ若手漁師達を一喝する、老漁師の声。
「まったく! それにそんな乱暴に扱ったら、せっかくのシロウオが傷んじまうだろうが」
彼はやれやれと嘆息し、戸惑うアニエスににっこりと笑って見せる。
漁師達に向けた鬼のような顔とはまったく違う、親しげな笑顔だ。
「アニエス嬢ちゃん。どれ、この名人が獲ったシロウオを食わせてやろう。美味いぞ~」
笑顔と共に差し出されたのは、新鮮なシロウオがこんもりと盛られた笊。
これまた新鮮で、とても美味しそうだ。
「あっ!!」
「じっちゃんズリィ!!」
「うるさい若造ども! お前らはとっとと魚を市に運ばんか!!」
「じっちゃんのシロウオ、美味しそうにゃ~」
きらきらとした瞳で、老漁師の笊を見上げるブチ猫。
漁師は「そうだろうそうだろう」と満足気である。
「こんなにいっぱい…」
いいのかしら、とアニエスは戸惑う。
が、そんな彼女にジャックは、「いいから」と苦笑い。
「アニエスが貰ってくれないと、納まらないよ」
なにせアニエスは、彼ら漁師のアイドルなのだから。
彼女より年若い漁師達にとっては、憧れのお姉さん。
彼女と同年代の漁師達にとっては、初恋の君。(彼女に恋していた同級生は多い)
彼女より年上の漁師達にとっては、愛らしい妹や娘のような存在。
そして老齢の漁師達にとっては、可愛い可愛い孫のような存在なのだ。
水揚げした魚を市に卸し終え、一段落着いた漁師達は休憩所(漁師達が使う小さな小屋である)でアニエスの差し入れに舌鼓を打っていた。
寒い海風に晒されて漁に出る自分達を気遣ってくれたのだろう。差し入れのパンは揚げたてのカレーパンだった。スパイスのきいたピリ辛熱々のドライカレーが、冷えた体を温めてくれる。外側もサクサクカリカリで、ほんのり甘いパン生地がカレーによく合う。
そして鍋に入っていたのは、体に優しい根菜がたっぷり入ったスープ。冷めにくいよう、胡麻油が入っていて、細かく刻まれたトウガラシがピリっと辛く、これまた体がよく温まる。
「んめー!! アニエスさんの料理、最ッ高!!」
若い漁師がカレーパンを片手に、叫ぶ。
それに頷く同年代の漁師達も、ほとんどがアニエスの店の常連だ。
独身者が多く、食事はパン屋や定食屋で買って済ますことが多い。
「お前らも結婚すんなら、アニエス嬢ちゃんみたいに料理上手な嫁さん捕まえろよ」
中年の漁師がにやっと笑って、スープを一口。うん、美味い。
「アニエスさんが嫁さんか~」
「イイ…」
「魔法使い様が羨ましすぎるぜ!!」
「悔しい~!!」
口々に言う若手漁師達に、先輩漁師達がどっと笑い声を上げる。
「ばーか。お前らにアニエス嬢ちゃんはもったいねえよ。それに、見ただろうが。あの笑顔。あれには叶わねえよ」
「…ああ…。あの顔はヤバイ」
漁師達が思い浮かべるのは、去り際のアニエスの表情。
抱えきれないほどのシロウオを、人型になった使い魔猫と手分けして持つ彼女は、去り際に。
『…ふふ。サフィールがね、シロウオとっても楽しみにしているの。こんなにたくさん…。本当に、ありがとう』
そう言って、とても幸せそうに。
はにかむように、頬を赤らめて。
微笑んだのだ。
あの笑顔はやばかったと、漁師達は思う。
こう、胸がきゅーんとした。かんわいー!! と、叫びたくなった。
(…あんな顔されたら、諦めるしかないよな~)
ははっと、ジャックは一人笑う。
彼は幼い頃から、アニエスの事が好きだった。
大人になり、島に帰って来たアニエスに何かと自分が獲った魚をお裾分けしていたのも、その好意故である。
だが、ジャックとてわかっていたのだ。
アニエスが愛しているのは漁師ではなく魔法使いで、そして彼女が既に彼の妻であることを。
わかっていても、未練がましく想い続けていたが…。
そろそろ、潮時なのだろうと思う。
サフィールを想って微笑む彼女を見て、以前のように胸が苦しくならない。
素直に、幸せそうで良かったと思える今が。
この想いを手放す、時なのだ。
(…俺も、結婚するかな…)
相手はまだいないけれど。
もし、所帯をもったなら。
(料理の上手い、嫁さんが良いな…)
憧れの、君のように。
************************************************
以前、「島の人の視点から見たアニエス達の話が~」とコメントをいただいて、それは面白いかも! と思い書き上げた第一弾がこのお話です。
ちなみに、シロウオはシラス(シラウオ)のことです(笑)ただし都合よく漁の時期や時間帯などなどを書いていますので、実際のシラスとは違う点も。
そしてそして。アニエスは漁師達を始めとする島の男性陣に大人気!! もちろん人妻なので、憧れの美女としてアイドルとかマドンナのように想われています。
そんな中、唯一名前が出た漁師ジャックは、過去編にちらっと登場した漁師さんです。
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