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パロディ小話『若紫(源氏物語より)』ネリー&ライト編
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キャスト→源氏の君:灰色猫ライト。若紫:ネリー。
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加持のために北山を訪れていた源氏の君は、とある屋敷から響く童女の声に足を止めた。
そしてそっと、垣根越しに屋敷の様子を窺う。
簾を上げた端近に、一人の童女が立っていた。
「…っ!」
その童女の姿に、源氏の君は思わず息を飲む。
柔らかな茶色の髪。あどけない、愛らしい容貌。
それは、源氏の君が焦がれてやまない最愛の女――藤壷によく似た童女だった。
「くすん、くすん…」
童女は空を見上げながら、泣いている。
思わず、源氏の君は童女に声を掛けてしまった。
「どうして…泣いている…」
「!? お、お兄ちゃん、誰…?」
「オレは…」
源氏の君と、呼ばれている。
そう伝えると、童女はきょとんと首を傾げて、「げんじのきみ…?」と名を呼んだ。
その声を聞いた瞬間、源氏の君は自分の胸がざわつくのを感じた。
「あのね、雀が逃げちゃったの」
「雀…?」
「うん。捕まえておいたのに、犬君が逃がしちゃったの…」
ひどいよう、と童女は泣く。
「若紫が、捕まえたのにぃ…」
「若紫…」
それが、この童女の名前なのだ。
「…捕まえて、どうするつもりだったんだ?」
「? あのね、遊ぶの。可愛いねえーって、なでなでして。遊ぶのよ」
「(なでなで…)雀は空を飛ぶ鳥だ。それを閉じ込めては、哀れだろう」
「哀れ?」
「ああ。可哀そうだろうって、ことだ」
「可哀そう…。可哀そうは…駄目」
「ああ、駄目だ。何かを愛でたいなら、もっと他に…」
猫とかが、いいんじゃないか?
源氏の君が言うと、若紫はにこっと笑って「ん! そうする!!」と言った。
そしてその場を後にした源氏の君は、配下に命じて童女の素性を調べさせる。
童女はやはり、藤壷の血縁だった。
彼女の兄、兵部卿宮の娘。
しかし、何故だろう…。
源氏の君の胸に今浮かぶのは、長年狂おしいほどに恋焦がれてきた藤壷の、あのたおやかな姿ではなく、無邪気に笑っていた、あの若紫の姿だった。
どうして来てしまったのだろう。
源氏の君は一人、忍び込んだ若紫の部屋で思う。
あの出会いの後、彼は若紫の後見である彼女の祖母に、若紫を引き取りたいと申し出た。
父の正妻に疎まれ、身を隠すように北山で暮らすのは忍びない、と。
しかし祖母の尼君は、その申し出を拒んだ。
きっと、自分が偽善的な建前に隠していた本音を……、若紫を愛しいと思う気持ちを、悟られていたのだろうと思う。
源氏の君はそれからも、なにくれとなく北山の若紫の元を訪ねるようになった。
都のたくさんのお土産を手に会いに来てくれるこの貴公子を、若紫は実の兄のように慕ってくれた。
それから幾月か過ぎ。若紫の祖母が亡くなり、彼女が兵部卿宮に引き取られるという噂を聞いた。
そして気付けば、源氏の君はこうして若紫の部屋に忍び込んでいた。
我ながら…、と彼は自嘲する。
なんてことを、しようとしているのだろうと。
「お兄ちゃん…?」
若紫は、自分の部屋に突然現れた源氏の君に首を傾げる。
その目が赤いのは、まだ祖母が亡くなったばかりで泣き暮らしているからなのだろう。
なんて、哀れな…。
「どうしたの…?」
「オレは…」
お前を、攫いに来た。
どうしてそう、言えるだろう。
それではまるで、盗賊の言い分だ。いや、それよりもタチが悪い。
恋焦がれても手に入らない女の面影をお前に求めて、愛そうなんて。
そんな、最低の事を。
「…若紫、父宮の屋敷に行きたいか?」
「……ううん」
ほんとはね、と若紫はしょんぼりとした声で言う。
「いきたく、ない。ちちみやのところには怖い人がいるって、みんな言うの。だから…」
それはきっと、兵部卿宮の正妻のことだろう。
彼女の圧力があって、若紫とその母は北山に隠遁することになった。
「…オレの所に、くるか?」
(オレは…なにを…)
「お兄ちゃんの、ところ?」
「ああ…。怖い人なんていない。オレがいるから、淋しくもないぞ」
「淋しく…ない。うん! ボク、お兄ちゃんの所に行く!!」
「若紫…」
ああ、どうして。
この無垢な瞳を、裏切れるだろう。
「これは、お前が大きくなってからでいい。大きくなって、それでもオレを」
好ましく、思ってくれていたら。
「オレの妻に、なってくれるか…?」
その時こそ自分は、藤壷への執着を立ち切って。
君一人を、愛すると誓うから。
「…うん! えへへ、僕、お兄ちゃんのこと」
大好きだよ、と。
若紫は、無邪気に微笑んだ。
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加持のために北山を訪れていた源氏の君は、とある屋敷から響く童女の声に足を止めた。
そしてそっと、垣根越しに屋敷の様子を窺う。
簾を上げた端近に、一人の童女が立っていた。
「…っ!」
その童女の姿に、源氏の君は思わず息を飲む。
柔らかな茶色の髪。あどけない、愛らしい容貌。
それは、源氏の君が焦がれてやまない最愛の女――藤壷によく似た童女だった。
「くすん、くすん…」
童女は空を見上げながら、泣いている。
思わず、源氏の君は童女に声を掛けてしまった。
「どうして…泣いている…」
「!? お、お兄ちゃん、誰…?」
「オレは…」
源氏の君と、呼ばれている。
そう伝えると、童女はきょとんと首を傾げて、「げんじのきみ…?」と名を呼んだ。
その声を聞いた瞬間、源氏の君は自分の胸がざわつくのを感じた。
「あのね、雀が逃げちゃったの」
「雀…?」
「うん。捕まえておいたのに、犬君が逃がしちゃったの…」
ひどいよう、と童女は泣く。
「若紫が、捕まえたのにぃ…」
「若紫…」
それが、この童女の名前なのだ。
「…捕まえて、どうするつもりだったんだ?」
「? あのね、遊ぶの。可愛いねえーって、なでなでして。遊ぶのよ」
「(なでなで…)雀は空を飛ぶ鳥だ。それを閉じ込めては、哀れだろう」
「哀れ?」
「ああ。可哀そうだろうって、ことだ」
「可哀そう…。可哀そうは…駄目」
「ああ、駄目だ。何かを愛でたいなら、もっと他に…」
猫とかが、いいんじゃないか?
源氏の君が言うと、若紫はにこっと笑って「ん! そうする!!」と言った。
そしてその場を後にした源氏の君は、配下に命じて童女の素性を調べさせる。
童女はやはり、藤壷の血縁だった。
彼女の兄、兵部卿宮の娘。
しかし、何故だろう…。
源氏の君の胸に今浮かぶのは、長年狂おしいほどに恋焦がれてきた藤壷の、あのたおやかな姿ではなく、無邪気に笑っていた、あの若紫の姿だった。
どうして来てしまったのだろう。
源氏の君は一人、忍び込んだ若紫の部屋で思う。
あの出会いの後、彼は若紫の後見である彼女の祖母に、若紫を引き取りたいと申し出た。
父の正妻に疎まれ、身を隠すように北山で暮らすのは忍びない、と。
しかし祖母の尼君は、その申し出を拒んだ。
きっと、自分が偽善的な建前に隠していた本音を……、若紫を愛しいと思う気持ちを、悟られていたのだろうと思う。
源氏の君はそれからも、なにくれとなく北山の若紫の元を訪ねるようになった。
都のたくさんのお土産を手に会いに来てくれるこの貴公子を、若紫は実の兄のように慕ってくれた。
それから幾月か過ぎ。若紫の祖母が亡くなり、彼女が兵部卿宮に引き取られるという噂を聞いた。
そして気付けば、源氏の君はこうして若紫の部屋に忍び込んでいた。
我ながら…、と彼は自嘲する。
なんてことを、しようとしているのだろうと。
「お兄ちゃん…?」
若紫は、自分の部屋に突然現れた源氏の君に首を傾げる。
その目が赤いのは、まだ祖母が亡くなったばかりで泣き暮らしているからなのだろう。
なんて、哀れな…。
「どうしたの…?」
「オレは…」
お前を、攫いに来た。
どうしてそう、言えるだろう。
それではまるで、盗賊の言い分だ。いや、それよりもタチが悪い。
恋焦がれても手に入らない女の面影をお前に求めて、愛そうなんて。
そんな、最低の事を。
「…若紫、父宮の屋敷に行きたいか?」
「……ううん」
ほんとはね、と若紫はしょんぼりとした声で言う。
「いきたく、ない。ちちみやのところには怖い人がいるって、みんな言うの。だから…」
それはきっと、兵部卿宮の正妻のことだろう。
彼女の圧力があって、若紫とその母は北山に隠遁することになった。
「…オレの所に、くるか?」
(オレは…なにを…)
「お兄ちゃんの、ところ?」
「ああ…。怖い人なんていない。オレがいるから、淋しくもないぞ」
「淋しく…ない。うん! ボク、お兄ちゃんの所に行く!!」
「若紫…」
ああ、どうして。
この無垢な瞳を、裏切れるだろう。
「これは、お前が大きくなってからでいい。大きくなって、それでもオレを」
好ましく、思ってくれていたら。
「オレの妻に、なってくれるか…?」
その時こそ自分は、藤壷への執着を立ち切って。
君一人を、愛すると誓うから。
「…うん! えへへ、僕、お兄ちゃんのこと」
大好きだよ、と。
若紫は、無邪気に微笑んだ。
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