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第五章
王子様は永遠に 04
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暫く大人しかった携帯電話がまた振動を始める。その画面を見て、クロエは手を伸ばす。
颯太が不思議そうに見てくるが、クロエはこの時を待っていた。
なぜかは説明できないが、先程までは『今はこの時ではない』と自分の中で声が聞こえるようだった。また声が聞こえる。今だ、と。
実際にそれが正しいと思っている。今、ディスプレイに表示されているのは捺樹の番号だ。それまでの知らない番号とは違う。
捺樹の身に何が起きているかは知っている。最初に送られてきたのはメールだった。薄暗い部屋で椅子に縛り付けられて気絶しているらしい彼の写真が添付されていた。
颯太にそれを言えば騒ぎ立てただろう。薄情だと罵られたかもしれない。クロエが誘拐された時には大翔に色々と言ったようだった。物忘れのひどい彼が根に持つほどだ。
だから、黙っていた。彼には言ってはいけないと声が聞こえた。
「もしもし?」
電話の向こうで聞こえるのは少女の声だ。とても明るい。彼女は今優越感で天にも昇る気持ちに違いない。宝生捺樹を手に入れたと本気で思っている。
「私に何を言いたいのか知らないけど、聞きたいとしたら一つ、宝生の悲鳴だけ。生きてる写真もいらない。退屈なことはしないで」
相手の言おうとすることを遮ってクロエは言う。相手は自分を試そうとしていたのだろうが、不安はない。
横で颯太が息を飲んだのがわかった。状況がわからないにしても物騒な気配を感じ取ったはずだ。
誘拐された時に確信したが、自身のことにも他人のことにも薄情なのだ。現実的に感じられない。死という狂気に囚われていることが自分の欠陥だとクロエは考えてきたが、それは壊れた感覚から来ているものだったのだ。
知らない誰かの死からあれこれ妄想して自分の心を満たすのが悪いことだとは思わない。存在しない誰かを残酷に殺すのも自由だ。
危険思想を持っていてもクロエは現実に人を殺したいとは思わない。あくまで非現実でのことだ。自分の世界でならいくらでも殺す。現実世界とは重ならない。境界が曖昧になることもない。
殺されると思ったのは嘘ではない。けれど、恐怖はあまりに薄かった。あるいは、あれは自分の中の狂気が更なる段階へと開花することへの拒絶だったのかもしれない。
クロエは狂気と共存しているが、まだ薄暗闇だと感じている。大翔も捺樹もそうだ。それは危うさを孕んでいるとも知っている。
「まだ殺してないのね?」
クロエの確認に颯太が何かを言いたげにしているのがわかったが、唇に人差し指を当て視線で刺すようにして制する。
自分は捺樹が死なないと根拠もなく確信しているが、彼は違う。
「じゃあ、今から言う通りに殺してくれる?」
ひっ、と颯太が声を上げる。クロエは胸元からペンを抜く。テーブルの上に常備されているメモに『大丈夫。口を塞げ』とだけ書いて見せれば颯太は素直に両手を口に宛ってコクコクと頷いた。
「ナイフはある? なかったら、多分宝生が持ってる」
絶対に誤解されているとクロエは言いながら思う。彼にも電話の向こうの彼女もそうだ。おそらく一緒に聞いている彼だけがわかっているだろう。
「頸動脈を切って。二人で同じ体液を浴びるって素敵じゃない?」
颯太の目がグラグラと揺れているのがわかる。その目に映る自分はどんな顔をしているのだろうか。顔の見えない彼女はどう思っただろうか。今の自分は人殺しと同じ顔をしているだろうか。
「頸動脈の位置もわからないなら宝生に聞いて」
殺人の指示をしている。けれど、自分が言っているのではないような気にさえなってくる。
それでも、何の感動もなかった。溺れられそうもない。
「死んだらまた写真送ってくれる?」
前に言ったことがある。彼が死体になったら好きになるかもしれないと。だが、好きになることはないだろう。きっと彼の死体を見ることはない。少なくとも他殺や自殺という形で、近い内には。
颯太が不思議そうに見てくるが、クロエはこの時を待っていた。
なぜかは説明できないが、先程までは『今はこの時ではない』と自分の中で声が聞こえるようだった。また声が聞こえる。今だ、と。
実際にそれが正しいと思っている。今、ディスプレイに表示されているのは捺樹の番号だ。それまでの知らない番号とは違う。
捺樹の身に何が起きているかは知っている。最初に送られてきたのはメールだった。薄暗い部屋で椅子に縛り付けられて気絶しているらしい彼の写真が添付されていた。
颯太にそれを言えば騒ぎ立てただろう。薄情だと罵られたかもしれない。クロエが誘拐された時には大翔に色々と言ったようだった。物忘れのひどい彼が根に持つほどだ。
だから、黙っていた。彼には言ってはいけないと声が聞こえた。
「もしもし?」
電話の向こうで聞こえるのは少女の声だ。とても明るい。彼女は今優越感で天にも昇る気持ちに違いない。宝生捺樹を手に入れたと本気で思っている。
「私に何を言いたいのか知らないけど、聞きたいとしたら一つ、宝生の悲鳴だけ。生きてる写真もいらない。退屈なことはしないで」
相手の言おうとすることを遮ってクロエは言う。相手は自分を試そうとしていたのだろうが、不安はない。
横で颯太が息を飲んだのがわかった。状況がわからないにしても物騒な気配を感じ取ったはずだ。
誘拐された時に確信したが、自身のことにも他人のことにも薄情なのだ。現実的に感じられない。死という狂気に囚われていることが自分の欠陥だとクロエは考えてきたが、それは壊れた感覚から来ているものだったのだ。
知らない誰かの死からあれこれ妄想して自分の心を満たすのが悪いことだとは思わない。存在しない誰かを残酷に殺すのも自由だ。
危険思想を持っていてもクロエは現実に人を殺したいとは思わない。あくまで非現実でのことだ。自分の世界でならいくらでも殺す。現実世界とは重ならない。境界が曖昧になることもない。
殺されると思ったのは嘘ではない。けれど、恐怖はあまりに薄かった。あるいは、あれは自分の中の狂気が更なる段階へと開花することへの拒絶だったのかもしれない。
クロエは狂気と共存しているが、まだ薄暗闇だと感じている。大翔も捺樹もそうだ。それは危うさを孕んでいるとも知っている。
「まだ殺してないのね?」
クロエの確認に颯太が何かを言いたげにしているのがわかったが、唇に人差し指を当て視線で刺すようにして制する。
自分は捺樹が死なないと根拠もなく確信しているが、彼は違う。
「じゃあ、今から言う通りに殺してくれる?」
ひっ、と颯太が声を上げる。クロエは胸元からペンを抜く。テーブルの上に常備されているメモに『大丈夫。口を塞げ』とだけ書いて見せれば颯太は素直に両手を口に宛ってコクコクと頷いた。
「ナイフはある? なかったら、多分宝生が持ってる」
絶対に誤解されているとクロエは言いながら思う。彼にも電話の向こうの彼女もそうだ。おそらく一緒に聞いている彼だけがわかっているだろう。
「頸動脈を切って。二人で同じ体液を浴びるって素敵じゃない?」
颯太の目がグラグラと揺れているのがわかる。その目に映る自分はどんな顔をしているのだろうか。顔の見えない彼女はどう思っただろうか。今の自分は人殺しと同じ顔をしているだろうか。
「頸動脈の位置もわからないなら宝生に聞いて」
殺人の指示をしている。けれど、自分が言っているのではないような気にさえなってくる。
それでも、何の感動もなかった。溺れられそうもない。
「死んだらまた写真送ってくれる?」
前に言ったことがある。彼が死体になったら好きになるかもしれないと。だが、好きになることはないだろう。きっと彼の死体を見ることはない。少なくとも他殺や自殺という形で、近い内には。
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