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二十六章

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 狭まった低い通路を進む毎に、茹だる熱気が遠ざかっていく。乱暴に堀りぬかれた入り口を見つけられたのは、風の流れに違和感があったからだ。

 魔力の消費を抑えるために手探りで進んでいるけど、鉱石が共鳴しているのかそこかしこを照らしてくれている。二股に別れている道があるところ、鉱石によって方向感覚を狂わせているのかもしれない。

 この先になにがあるのか。ともすれば不安に押し潰れそうになる。けど、ここを乗り越えられれば。魔道士になれる。なによりルウと一緒に暮らせる。
 
 なんだったら、結婚式を挙げてもいいんじゃないか? 魔道士になったことを祝うためにも。今後の人生に一区切りと決意を固める意味もこめて。

 純白のウェディングドレスに包まれたルウが目に浮かぶ。ただでさえ傷だらけの体に負担が興奮したことで悪化したのか鼻血も出たけど。

 結婚式には誰を呼ぼうか。そうやって明るい未来、ここを出たあとのやりたいことを連想して、前へと進む。

 足が、なにかを蹴った。石ほどの大きさがあっても、固さがない。靴下ごしに感じたのは丸みと弾むような軽さをかんじた。骨だ。それもどこの部位なのか不明なほどの大きさと湾曲があった。

 一つ二つじゃない。進むたびに数と大きさを増してく。柱さながらに突き刺さっていたり、壁に埋まっているのまである。なんの骨なのか興味は尽きないけど、持って帰るのは諦めた。

 ひんやりとした冷気が伝わってくる。汗で塗れた体を無遠慮に凍えさせる。川のせせらぎが聞こえてきたとおもったら、一面の湖に辿りついた。

 顔を突っ込んで水をがぶ飲みし、喉を潤す。顔を上げて濡れそぼった髪の毛を払い、ぐっしょりとした布を解いたところで、腰を抜かしかけた。

 蛇の抜け殻があった。壁に張りつきながら蜷局を巻き、螺旋を描きながら天井へと伸びている。その抜け殻を目で追うと、湖の中にまで届くほど長く伸びている。横幅は目測で数えると、俺の身長三倍ほど。

「まさかここであいつと戦えってわけじゃないよな?」

 けど、その不安は無駄だった。楽に俺を丸呑みできるほどの蛇の頭部が白骨化していながら鎮座していた。通路にあった骨は、こいつの体の一部だったんだろうか。

 白骨化した頭部は口が閉じられていて、鋭い牙が口中の外にギザギザしたかんしで飛びだしている。眼孔の奥で、きらりとした鉱石じゃない光をかんじた。

「あった・・・・・・・・・!」

 骨の一部をてこの原理で開けて支えにすると、口を古ぼけた宝箱が安置されていた。鉄製のもので、魔法がかけられている。この中に遺産があるのは明白だけど、問題はどうやって開けるか。

「あげない」

 不釣り合いなほどの可憐な幼女の声。聞き間違いか、とおもうほど儚げで、だけどそこかしこで反響している。

「それ、あなたの、じゃない」

 耳元で、囁かれた。心臓が凍りつくほど怜悧的な声音にゾクッと寒気がする。振り向いても、誰もいない。

 宝箱を引きずり、口中からの脱出を試みる。地面から伸びた黒く太い筋、鞭に似たものがしなやかに支柱を叩き落とした。

 乱雑な落下音とともに口が閉じられる。

「だめ。逃がさない」

 地面から杭をおもわせる黒い何かが露出し、隙間を埋めていく。それが影だと気づいたときには足が沈んでいく。魔法は発動した瞬間から黒い影に飲みこまれる。

 上半身、首だけを残した状態になると、一人の女の子が前方に姿を現した。雪のように純白で、滑らかな髪の毛は三メートルはあるだろうか。病的なまでも輝くような色素の薄い肌と包帯のように雑に巻かれた布はワンピースは一体化していると錯覚するほどで、浮世離れしている。

「君は、誰だ!?」
「?」

 少女は頭を捻りながら、影に手をつっこむ。「んんんんんん~~~~~~~」と唸りながら弄っている。ひょい、と宝箱を取りだしてしまった。

「あった」

 少女は宝箱だけでなく、なにか器財をも取りだしていく。影を操っているのか? とおもっていると儀式めいたことをはじめようとしている。

「おい、なにをしようとしてるんだ! 答えろ!」

 一切のことを無視し、魔法陣を紡ぎ、呪文を唱える。磨りつぶした薬草が振りかけられると、邪気めいた煙とオーラが宝箱よりたちこめだした。

「できた。記憶通り」

 フン――、と鼻息を鳴らし、宝箱をあっさりと開けてしまった。中には尋常ではない魔力が込められている壺が心臓の鼓動のようなリズムで脈動している。魔道具だ。あれが遺産か?

 そして、ミイラ化した胎児。それを手にすると、「おおおおお~~~~~」と抑揚が皆無な感嘆を漏らした。

「待て! それが一体なんなのかわかっているのか!?」
「わかって、る。あなたより、世界中の誰より」
「それは大魔導師の遺産なんだぞ! それを取りに俺はここまで来たんだ!」

 頬を餅のように膨らませて、「んんん~~~」と少女が睨んでくる。

「私は、取りにきただけ。そして返しにいく」
「返しにって、誰にだ!」
「私の、主。ご主人様」
「は、はぁ!?」
「大魔導師様に、返す」
「・・・・・・・・・」

 閉口してしまう。少女は嘘をついているとはおもえない純真さで、曇りなき眼で淡々と事実であるように告げてきた。

「君は一体、誰だ?」

 影を操り、宝箱の仕掛けをあっさりと解除し、自らを大魔導師の使いと嘯くこの子は、

「あ、」

 少女が屈んで俺の顔をまじまじと舐めるように観察しだした。

「あなた、ユーグ?」
「え?」
「帝国の魔法士、ユーグ? 魔道士(予定)とあだ名されている変態の?」
「お前は一体本当に誰だ!?」

 一体どこまで俺の呼び名は浸透してしまっているんだろう。こんな正体不明の少女にまで聞かれるなんて。

「えい」

 顔の布を取り外し、顔の傷が晒される。咄嗟に少女の視線と反対に顔の向きを変えた。俺が沈んでいる黒い影から手のようなものが三本生えて、無理やり元の位置に戻された。

 無造作に戒めの糸を抜きとり、義眼をじ、っと見つめる。

「効果、失ってる」

「でも、危険。ご主人様、あなた危ない。そう言ってた。制御、奪う。自分の目的、阻まれる」
「だから、殺す」

 そこかしこからにょろにょろとした営利的な影が生え、ゆっくりと俺へと伸びてくる。防ぎ、脱出をしようにも飲みこまれていく。

 ピタ、と肌に到達する直前にして影がとまった。地底湖が、揺れた。

「忘れてた」

 口をすぼめてしょぼんとしている少女は、魔道具を弱々しく抱きしめる。

「細心、注意。油断。邁進」
「・・・・・・・・・もしかしてその魔道具を取りだすと遺跡が崩壊する仕組みなのか?」
「わかった。魔法士ユーグ、危険。わかった」
「当たりかよちくしょう!」

 だとすればまずい。ここにいる俺だけじゃなくて、ルウ達だって。 

「ユーグ、殺す。間に合わない。無理」

 すぽん! と引っこぬかれるような小気味よさで影の中から押し出された。少女が今度は影の中へと消えた。遺跡の崩壊に伴って封印が解けつつあるのか。義眼が痛みだした。

「ユーグ、殺す。この子に任せる」

 あまりの痛さに、そして振動を伴った遺跡の崩壊音のせいで、周囲から影が消えていることにも、少女が蛇の骨に施しているなにかにも気づくことができなかった。

 ただ、念話でルウに脱出を伝えるだけで精一杯だった。
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