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一九章

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 しん、と静まりかえった家屋の中には何者の気配もない。灯りも無しに歩くのは不便だけど、朧気な記憶を頼りにずんずんと進んで行く。

 それにしても、まさかこんなところにエルフがいたなんてなんとも間の抜けた話だ。俺達が節穴だったってことになる。街からいなくなった住人の家に隠れ潜んでいたなんて。

 以前の住人は建物ごと処分できなくてそのまま放置されてた。ガーラ様もどう手を付けていいかわからず放置されていた。そんな建物や店がこの街には無数にある。けど、戸籍調査によって流民が正式に街に住むことになれば、いずれはバレる。

 だからこそ、焦ったエルフは住民を暴徒化させたんだ。バレない間に目眩ましにして、逃げる時間を稼いでいた。もしくは――――。

「先輩、本当にエルフはここにいるんでしょうか?」
「さぁな。もしかしたらもう逃げたのかもしれない」

 エルフの魔法については俺もはっきりとは把握できていない。けど、この建物には結界が張られていない。最初からだったのか、それとも別の思惑があるのか。

「います」

 ガーラ様が母親から受け継いだ目の良さか。鼻の良さか。一度会っただけ覚えているエルフのなにかを、鋭敏に感じとって教えてくれた。エルフの魔法がどんなものか。どんな呪いを使ってくるのか。けど、ここまで来るのに散々話しあった手筈を使えれば。そして、俺の義眼も。なによりガーラ様もここにいる意味はある。

「それも、二人います」

 !? エルフだけじゃない!? もう一人は誰だ?

 ダッダッダッ、とそこかしこで音がする。なにかを蹴る音だ。床、天井、壁。大きさからして、きっと人一人分ある。エルフの使い魔か? それとも誰かを暴徒化させた? 誰だろうと関係ない。ここと、周囲にある建物の影響を鑑みれば俺とルナの魔法は使いづらい。

 それでも、もし万が一エルフ達がどんなことをしてきても乗り切れる自信がある。

「きます」

 さぁ、こい。こっちには切り札も考えもある。例え誰がこようとも戦う意志は変わらない。

 

「ご主人様ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


「ご主人様ご主人様あああああ! ああ、この匂いこの汗の味この骨格! 間違いありませんルウのご主人様ですううううううううううううううううううう!」

 なんでルウの声でルウの豊満な肉体と肢体が俺に絡みついてんの? 幻覚?

「ああ、ご主人様あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 なんかすっごい顔中ペロペロペロペロ舐められまくってあちこちスンスンと嗅がれているし。

 いやいやいや。いくらなんでもこれはおかしいだろ。きっと俺の聞き間違い。ルウじゃなくて別人。

「先輩! 大丈夫ですか!? なにがあったんですか!?」

「おい、ルナ。俺は――――」

 もふっ♪

「ぬがあああああああああああああああああああ!!」
「先輩!?」

 もふっ♪ もふっ♪

「あああああああんっっっ!! 腹があああああああああああああ!!」
「腹!? なにかされましたか!? 貫かれました!?」
「首いいいいいいい!! 脇にいいいいいいいいいいいいいい!?」
「虫ですか!? 蜘蛛ですか!?」

 はぁ、はあ・・・・・・。間違いない。今俺にしがみついているのはルウ本人。服の下を這いずり回る毛並み、大きさ、肌で伝わる触感。ルウの尻尾以外ありえない。

 そして、今こうしている間にもルウの奇行はとまらない。艶めかしく体を蹂躙する。ときに擽るように、ときに包まれるように、ときに抓られるように、いやらしく悪戯めいたくすくすという笑みとともに。もふっ♪ もふっ♪ と。

「んんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんんあああああああああっっっ!!」

 ただでさえ『もふもふタイム』ができていなかったのに、こんなことされたら。

「えへへへへへ~~♪ ご主人様は本当にルウの尻尾がお好きなのですねぇ♪ じゃあ永遠に、ずっとずうううううううううううううううっっっとして差し上げますね♪」
 
「お願いしま――――――――――す!!」

 え? じゃあこれ本物のルウ? まさかこんな風に

「う、ググググ・・・・・・!グハアアアアッッ!」

 あまりにも現実離れしすぎてて。そしてなんて馬鹿馬鹿しくて。そしてなんて衝撃的なんだ。あまりにも突飛がなさすぎて、嬉しすぎて――――

「先輩!? 先輩いいいいいいいいいい! うわあああああああああああ! やっぱりくるんじゃなかったああああああああああああああ! きっとあのアホのユーグにしかかからない特殊な呪いなんだあああ! というわけでガーラ様さようなら私はもう帰ります!」

 呪い?

「いい加減になさいルナ殿。逃がしませんよ。あなたも覚悟を決めなさい」
「ええええええ! いだああああああ!? なんですかこの握力ううううう! ごめんなさいごめんんさいいい!」
「ご主人様? ルウとずぅぅぅぅっと『もふもふタイム』していましょう?」
「ごふぅっっ!」

 かわいすぎて吐血してしまったけど、そうか、これがエルフの呪いなんだ。『紫炎』をあちこちに発動して灯りに。もう誰? ってくらいいつもと違いすぎるニコニコで尻尾と耳を動かしまくっているルウとバッチリ視線が合った。

「ご主人様?」
「かわいんんんんんんんんんんんんんっっっ! はぁ、はぁ・・・・・・!」
「え!? 先輩! 奴隷ちゃん!?」

 キュンキュンしすぎて死にそうだけど、どうやらルナもガーラ様もルウが視認できている。なら、これは確実に本物のルウ。影も重みもある。

「きっと、ルウもエルフの呪いにかかっているんだろう。そのせいで――――」
「あ、ご主人様。鼻血が出ていますよ? お拭きしますね♪」
「――――――――――んああああああありがとう大好き愛してるううううう!! ――――とまぁルウはこんな状態になっているんだ」
「あ、ご主人様♪ 傷もできていますね♪ ペロペロ♪」
「んんんああああああ――――だからやっぱりエルフをなんとか――――あああああああああああああああああああ好き好き大好きいいいいい――――しないとガーラ様もう一人の気配んんんんんんんんんんぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぐををををを――――――はどこではあああああああああああああああああああああん!!」
「先輩とりあえず奴隷ちゃんを引き離しましょう」
「叫ぶかよがるか説明するかどれかに統一していただけないかしら?」

 いや、このままでもかまわないんだけど。むしろこういうときじゃないとルウはこんな風にしてくれないし。それに、いくらなんでも想定外すぎる。

「ほぅ~~~ら奴隷ちゃん。先輩から離れましょう~~? あとでお肉あげますよ~~? ハウス。お座り。お手」
「ご主人様以外が私に触れないでくださいっガルルルルルル!」
「ほら、ええっと。あとで骨をあげるわよ?」
「うるさい泥棒猫共! ヴヴヴヴヴヴヴ~~!」

 ああ、ルウがこんな風に俺を大切にしてくれるなんて。嬉しい。いつ死んでもいい。

「先輩。いい加減にしないとはっ倒しますよ?」
「・・・・・・チッ! なぁルウ。少し離れてくれないか? あとでいくらでもイチャイチャチュッチュしていいから。な?」
「・・・・・・・・・ご主人様、そんなに他の女のほうがいいのですか?」

 え?

 視点が上下逆さまになったとおもったら、ドガグシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!! という衝撃と、激痛、目眩。足を放したルウが掴んだまま後ろに勢いよく仰け反った。背中でブリッジを形成して俺を支えて、そのまま頭から地面に叩きつけられた。そのまま床を突き破って肩まで入ってしまって動けない。

「ご主人様、どうしてわかってくださらないのですか? ご主人様は私のことがお好きなのですよね? でしたらそこにいる女もそこの女もこの街にいるご家族も生け贄にしてくださいますよね?」

 なんとか脱出したけど、そのときには既にルウはいなかった。ルウの動きを捉えるより足を刈られたルナの体勢が崩れるのが早かった。

 バランスを崩したルナの落下する顎に勢いよく膝を叩きあげる。ポォン、と蹴り上げるようにして跳ねさせると掌底を二連続。腹部と顔面に直撃させる。

「私は変です。私はご主人様の側にいて、ご主人様のお世話をしているだけで充分幸せでした」

 ガーラ様に近づいていくルウを後ろから抱きとめる。ぐるん、と真後ろを向いた顔と、まっすぐ見つめてくる曇りなき眼。

「ご主人様のせいです。そしてこの女のせいです。この女のせいです。この街のせいです。お義母様のせいです。ご家族のせいです。私が奴隷のせいです。私がウェアウルフのせいです。だから、全部殺して壊してしまいましょう。私とご主人様以外のすべては煩わしくてなくてもよい存在でどうでもよいものです♪ ご主人様にはルウがいて、ルウにはご主人様がいる♪ それでよいではありませんか♪ 私のことがお好きなら私以外の物全部犠牲にできますよね♪ それとも、私のことを愛しておられないのですか?」

 ゾクッとする。普段とは違う狂気に満ちた、ルウの純粋な笑顔と支離滅裂な言葉。ヤバい。

「ああ、ご主人様。私の知っているお優しくておかわいくて愛おしくて素敵で知的でたくましくて物知りで真面目で一生懸命で大切な大切なご主人様」

 歯軋りをする。よくもルウにこんな真似を。こんな・・・・・・ルウが絶対に言わないし絶対にしないことをよくも!

「ご主人様。ユーグ様。私はあなたが好きで――――」
「『風縛』!」
「きゃ! このアホ女よくも――――!」
「『絶風!』 先輩今のうちに!」

 頷くより早く、義眼を解放して、探る。明確に反応を示した箇所目掛けて、急速に視神経を伝わって重く鋭い負担に歯軋りをして解析。複雑な構築法を操作する暇も惜しく、手短に制御を奪う。よくも。ルウにあんなことを言わせようと。

「くそエルフがあああ!」

 

               おお、こわいこわい。




 どこからか、底冷えのする声が響く。黒い影とも靄ともとれない物が濛々と集まってくる。ルウを窒息させて気絶させて、攻撃に加わるルナ俺の魔法を飲み込み、その分だけ体積を増やしていく。



  人の世から外れた理を振われてはかなわん。聞きしに勝る人の分際には過ぎたるものよ



 靄を、『固定』で止めながら義眼で制御に入ろうとした瞬間、消えた。俺が魔法のすべてを解析しきって制御を完全に奪いきる前に。エルフにふさわしいでたらめな構成、魔法士が基本的に使う構造とは違う魔法を一瞬で消して、また新たに創りだして、それを繰り返している。あざ笑っている態度そのものな行いに腹がたってしょうがない。



      お気に召したかえ? 人を越えし種族。エルフにのみ許された禁術――――



「妾からすれば、他種族の心を操るなど造作もなきこと。痴れ者のくせに逆恨みをするは己の浅慮を晒すことと同じぞ?」

 実体感を伴った、声が近くから。バッと声のほうに一人の女性が立っていた。どこか扇情的な顔立ちとつんと高い鼻と浮世離れした若々しさ。見る人によっては馬鹿にされてるとも微笑んでいるともとれる不気味な笑み。なんといっても不自然なほどの浅黒い肌、黒髪。尖った耳。人並み外れた圧倒的なプレッシャーと存在感。

「え? いつの間に? え?」

 一体どんな魔法を使ったのだろうか。そもそもこの部屋に最初からいたのか。それくらい音もなく気配もなく。そいつが立っていた。聞いていた特徴とは違うけど、佇まい、自信。

「ガーラ様。こいつが?」

 頷かれたことで、確信する。遂にエルフが姿を現したのだ。 
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