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十八章

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 どうも。ルウです。現在私は街を全力疾走して走り回っております。ユーグ様の実家なんて当に通りすぎちゃってます。このままではまともではいられないからです。

 私は一体なにをしたのでしょうか。ユーグ様のほっぺたを舐めるなんて。自分で自分が信じられません。はしたないです。ウェアウルフとして、奴隷としてあるまじき振舞いです。

 以前のときとは違います。あのときはご主人様の傷を癒したいと願ったからです。ですが、今回はまるで意味が違います。ウェアウルフは、親しい人や夫婦同士のコミュニケーションとして顔を舐める習性があります。私の両親も、たま~~~にしていました。
 
 ご主人様のおっしゃってくださったこと。私のおかげ。私のために魔法を創る。そんな途方もない妄言が、嬉しかったのです。ご主人様ともっと一緒にいたくて、離れたくなかったのです。でも、そうしたら私は変になってしまいそうで。もどかしくて。

 そうしたら、無意識にご主人様を舐めていました。

 もう自分のしたことの恥ずかしさと、この心地のよい不思議なときめきを消すためには走るしかありません。足が痛くなって息も絶え絶えになるくらいへとへとになって。ふぅ。疲れたけど、いい具合ですね。もう少ししたら元にもどれるでしょう。



          それだけで、俺は、救われ、たんです

「……………」


          あなたの傷を舐めてくれる人はいますか? 


「う、ぐ、あんな恥ずかしいことを、よくもっ」


        それだけで、きっと産まれてきてよかったって実感できます


「あう……」

 だめです。また胸が痛くなってきました。うずうずとして、ムズムズして顔が熱くなってしまいます。尻尾をぎゅううう、と抱きしめてそのまま転がったり足をじたばたさせたり。それだけじゃ足りなくて。持って帰ってきたご主人様の服を被ってごまかそうとします。

 ご主人様の匂いがしまう。なんだか落ち着いてきてご主人様の横顔が浮かんで。

 余計悪化しました。なにをしてもご主人様をおもいだしてしまいます。地面に正拳突きをして、架空の敵を想定した体術の技と動きをして発散させます。けど、ご主人様に抱きしめられたことをおもいだしてしまって動きが鈍くなって、受け身を取り損なってしまいます。

「私はどうしてしまったんでしょう」

 間違いなく異常です。ユーグ様ほどではないとしても、このままでは確実に奇行にはしってしまいます。ユーグ様達の邪魔をしてしまうかもしれません。私の感情が呪いに引っ張られた。だから墓場でも池でも呪いが発動してしまった。嫉妬と羨望によって。

 ルナ様には話したことがあります。呪具に引かれてしまったのは私の感情が原因だと。嫉妬、羨ましいとかんじた状況と理由。ユーグ様と話も息も合うルナ様と、私よりも奇麗なガーラ様と一緒にいるユーグ様を見ていると妬ましいとかんじたと。

 私は感情の起伏が小さいと自覚していますが、ないわけではありません。私より大きい獲物を狩れる父を妬んだことも、私より美味しい料理を作れる姉を羨んだこともあります。ですが、そのときとはまったく違いました。

 家族に対する感情は例えるなら純粋なもの。ルナ様とガーラ様に対する感情は黒くてどろどろとしていて、もやっとする怒りを伴うもの。

 ユーグ様に鉄拳制裁をされたり喧嘩しながら和気あいあいとしているルナ様。そして皸一つない気品のある上等なドレスを着た奇麗なガーラ様。そんな二人と私を比べてしまいます。ユーグ様を見ていると、無性に許せなくなる。

 ゆっくりと自分の感情を赤裸々に説明しました。私自身の異常な変化に戸惑っていましたし、もしかしたら呪いの影響なのでは? と疑っていたからです。

「ははぁ。なぁぁぁるほどぉ~~。ほうほう。それはある意味呪いですね~~~~~~。いやぁ、これは面白いことになってまいりましたねぇ~~」

 ルナ様はニマニマとしながら、もっと尋ねてきました。

「なるほどなるほど~~~。ほほぉ~」
「ルナ様。私はどうなってしまったのでしょうか」
「はいはい。私はあなたの感情の正体に気づいていましたですよ~? でもでも、それは私ではなんともできませんね~。協力はできますけど~?」

 本当にこいつで大丈夫なのかよ。

 ただ単純に面白がっているようにしか見えないルナ様に疑問を持ちました。でも、時間が経つにつれてもやもやが大きくなっていって、ユーグ様にも冷たい態度をとってしまって。

もちろん、ユーグ様が私のことを愛してくださっているのは十分承知しています。ですが、異種族婚、お義母様との確執もあったので、私なりに努力しているつもりでした。ご主人様もそういった問題を改善しようとしているのはわかっていました。

 ですが、頭でわかっていてもどうしても暴走してしまうのです。極めつけは『もふもふタイム』を断られたことです。『もふもふタイム』さえも、ユーグ様の分際で断りやがったときは殺意を抱きました。私の大事な尻尾を拒んで。そのくせルナ様とガーラ様とは一緒にいやがって、と。

 ご主人様の奴隷をやめたら。ご主人様の奴隷にならなかったら。悩んで悩んで。苦しくて苦しくて。

 でも、ご主人様に抱きしめられたら全部吹っ飛びました。『念話』で私との出会い、私への気持ちを改めて伝えてもらいました。普段だったら素直に気持ち悪がるのに、あのときは泣きそうなほど嬉しかった。

 この人に出会えてよかった。この人に愛されてよかった。そうしたらガーラ様とルナ様への感情も驚くほど消えていました。屋敷から出るとき、ユーグ様がルナ様に拳骨しているときも何故か優越感に浸れていました。

 えへへへ、と嬉しくなってしまうのです。もうルナ様とガーラ様のことなんてどうでもいいや、と何故か勝った気分でいます。もう全部どうでもいいやって気にならなくなります。


 でも、私がこうなってしまうのには、なにか理由があるはず。しかも絶対にユーグ様が原因のはず。

 ユーグ様は私の苦しみも悩みも、解決できる魔法すら創るとおっしゃっていました。途方もなさすぎて当てにできませんけど。でも、それすら嬉しくて、楽しみです。できればずっと創れなければいいのに。そうすれば私はユーグ様の側にずっと。

 と、周りがちょっとずつ明るくなっています。もう早い人は起きだしている頃合いでしょう。私ももう帰らないと。あ。そういえば全部終わったら伝えたいこととはなんでしょう。

 仕事のことでしょうか。住む場所のことでしょうか。それとも魔導士試験のことでしょうか。

「むむ? です」 

 歩いているうちに、すれ違う人達に異変をかんじとります。なにやら皆ふらふらとした足取りでぼ~っとしていてなんだか様子がおかしいです。

 いえ、それよりもこの時間帯にこれだけの人が起きて外に出るなんて。水汲みや野菜を洗いに行くわけでも、仕事に行くわけでもないでしょうに。

 しかも皆一つの方向へ歩いていきます。どこか集団として纏まっていて、でも連帯感が一切なくて。年齢も性別も種族さえもバラバラで。違和感しかありません。

 そんな一団を眺めていると、ある意外な人物が混じっていました。

「お義母様?」

 近づいてもお義母様は私に気付いてすらいません。ただぼんやりとした目でふらふらと歩いています。

「お義母様。どうされたのですか? お義母様」
 
 いくら私に悪感情を持っていて、私も気に食わない相手であってもさすがに焦ってきます。

「犬の子が混じっている」

 冷たい感覚。大人っぽくてそれでいて怪しさを含んだ女の人の声がどこかから響いてきました。

「いや、狼か。どちらにせよ話に聞き及んだ、魔法士の奴隷。であれば捨て置くことは」

 聞き覚えのない言語。それも荘厳でなにがしかの力を孕んでいておそろしい言葉の羅列。周囲の気配が一斉に変わります。ユーグ様と出会ってから機会が増えた魔法と魔力。すなわち呪文の詠唱。魔法が発動する直前に似た力をかんじとってしまい、全身の毛が一気に逆立ちます。

 声の聞こえた方角にむかって、駆けました。集団の一番後ろにフード姿の人物が立っています。モーガンのときのように、薄い膜のようなものに覆われていますが。

「うん?」

 目の見えない力、おそらく魔法。突如として生じたその障壁を飛び越えて肉薄します。ですが、迫る寸前で別の個所に現れた障壁が。

「見えているのか?」
「ぬ、あああっ」

 拳では壊せない。また別の見えない攻撃を視界の端で捉えたので、諦めて後方に避けます。

「まさか。まさかまさか。ふふ。おもわぬ拾い物。ふふふ」
「なにをしたのですか?」

 くるくると宙を回転し、四足で着地したまま対峙します。怪しげな人物。お義母様達の状態。この街で起きている問題。すべてを引き起こしていた元凶だと結論したのは自然といえるでしょう。

「だとすれば、あなたはエルフですね」
「とすればなんとする?」

 フードを自ら外して、顔が露わになります。これが、エルフなのでしょうか。ご主人様から聞いていた相貌は特徴からかけ離れすぎています。それを抜きにしても、この人は不気味です。呪いも実力も未知数。自身の正体に迫られているのに、余裕しゃくしゃくとした笑い声。

「この人達を元に戻してください。さもなくば」
「ふふ。わらわはなにもしておらぬ。この者達を操っているのは己の心にある闇。この者達が望んでいたこと。わらわはそれをただほんの少し後押ししたにすぎぬ」
「たわごとを。逆恨みしただけでしょう」
「筋違いも甚だしい。これは天罰。雑じり者でありながら分を弁えない小娘に、身の程を弁えさせようという老婆心よ」
 
 雑じり者。ガーラ様への罵倒。何故か今の私にはそれが許せませんでした。

「愚かなり。血が薄まればこれほどに零落するか。致し方なし」

 また、呪文を詠唱します。黒い靄がどこかからたちこめ、お義母様をはじめとした周囲の人達が少し反応を。全員が一斉に向き直り、近づいてきます。

「ふふ。わらわが手を下さずともここは滅んでおった。負と憎悪、怨嗟が強かったゆえにな。いうなれば、この世の業。人が為したる過ちと生きとし生ける者達の宿命」

 もう迷っていられません。ここでこのエルフを倒してしまえば、すべては終わる。他の人達の相手をしていたら手間取って逃げられる。

 ここは一気に。

「あの雑じり者がいるかぎり、この街は滅ぶ。あの雑じり者の憎悪こそがすべての呪いの根源であるのに」
「え?」

 飛び掛かろうとした刹那。エルフの言葉に気をとられて隙になってしまいました。ガツン! と後頭部に鈍い痛みが。なにかで殴られたのでしょうか。それから二回、三回と続きます。

「ふふ。ふふふふ。醜い。ああ、醜い。この世のなんと醜いことよ。業より解き放とう。偽りの肉体を捨て去り、真の魂のままに」

 な――に――をいっているのでしょうか。暗くなっていく意識が最後に覚えているのは、エルフの邪悪な笑み。それとユーグ様のことでした。
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