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三章

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 時刻は八時をとっくにすぎている。これくらいになると、もう外に人影はほとんどない。薄暗い石畳の道を、月明かりが薄ぼんやりと照らしている。マットと別れて以降、いつも以上に静かすぎる道を歩いて我が家を目指す。

 けど、その足どりはどちらも重い。双方から発せられるどんよりとした暗い雰囲気が関係しているのは明らか。

「腹が減ったなぁ。騎士団は食事すら出してくれなかったしなぁ」

 努めて明るく話しかけても、ルウは無視。けど、理由はきっと数時間前の出来事ゆえ。悪意からではなく罪悪感からだっというのは沈痛な面持ちと肩を落として歩いている姿勢、なにより元気のない耳と尻尾から一目瞭然。

 シエナによって俺たちは騎士団の営舎に連行、それから事情聴取を受けた。帝都の警備や治安維持を担当している騎士団は、逮捕する権限とその気になれば己の裁量で牢獄送りにすることができる。営舎で事情聴取を受けているとき、とんでもないことになったと遅れて戦々恐々とした。

 けど、単なる喧嘩沙汰、それも相手はいなくなっていたから処分はされなかった。簡単な説明と証言をして、口頭で厳重注意のみで終わり。シエナは自分がやると手心が加わるからと、営舎を出て行ったらしい。
 
「明日にはあんた帝都中の有名人だなうわさが広まるのは早いぞ。魔道士(予定)が魔法士を殺しかけたってな。まぁ、魔道士なんてのは変人しかなれないらしいから」

 そんなことを笑いながら言われたのが癪だった。それとは別のことで最悪だったが、さらに気分が悪くなった。俺のあだ名どこまで広がってるんだ。このせいで帝都中に広まりはしないか。そんな不安は今別のことで占められている。

 もっと早く動くべきだった。そうすればルウが怪我をすることも、こんな風に罪悪感を抱くこともなかったのに。なんとかして自分は平気だって教えないと。

「あの、ご主人様」

 そうだ忘れてた。ルウはけがをしているじゃないか。こんな遅くになって思い出すなんて。ああ、あざになってる。内出血だってしているかもしれない。血豆も、打撲だって。騎士団のやつら、奴隷だからって手当もしなかったなくそが。税金泥棒め。

「ルウ、ちょっと急ぐぞ」

 さっきまでの足どりが嘘のように、忙しなく駈ける。何が何やら、と不思議がりながらもルウは追従してきた。我が家についても安心することなく、真っ直ぐ工房を目指す。そこからは迅速だった。目当ての薬を探し当てて、手当をする。

「あのご主人様?」

 湿らせた布で顔と傷口を軽く拭って少し奇麗に。そのまま薬を傷口に塗っていく。そのまま別の薬を塗った湿布を殴られて腫れているとところに優しく貼りつけた。

「明日の朝には貼り替えるといい。こっちのは飲むタイプだから、水と一緒に。明日一日分飲めばいいだろう」
「はぁ」

 包帯と湿布まみれのルウは、なんとも痛々しくて胸が張り裂けそう。くそエドガーの野郎、次あったらただじゃあ――。

 そこで怒りとは違うエドガーとの過去も連想してしまう。あの魔法を使った記憶も。途端に胸が息苦しくなって、また気持ち悪くなりそうだ。

「ご主人様」
 
 感情が表情に出てたのか、不安そうなルウと目が合った。視線を合わせていると、何故かここにいたくなくなった。

「氷水を作ってくる。ちょっと待っててくれ」
「あの、私に――」
「・・・・・・悪かった」

 俺のせいで、ルウに迷惑をかけている。後ろめたいのだ。だから今ルウと一緒にいれれなくなってしまった。今回のことじゃない。最近のルウの異常な行動は俺に原因にあるに違いないって考えまで。

「・・・・・・なにゆえ、ですか」

 扉を開けようとした矢先、後ろからなにか衝撃が。いきなりすぎて対応できず、扉に鼻頭をぶつけ、足をもつれさせる。そのまま床に倒れてしまう。

 一体なんだ? と鼻をさすりながらたしかめると、ルウが俺に覆い被さっていた。腹にしがみつくようにして、ぎゅうぅぅ! と弱くない力で背中を掴んでいる。

 押し倒されているんだと気づいたのはいつか。それでも事態を把握できなかった。

「え?」

 え? え?! なにがどうなってんの!? もう頭の中はパニック状態。にも関わらず俺の全神経は体の前面、ルウの柔らかい体とか圧し潰されている豊かな二つの膨らみとか足に何度も当たっている尻尾の感触・・・・・・・・・・・・とにかくルウをかんじることに使われている。意識だけではとめられない。男としての性か、恋する男の宿命か。ともかく自然とそうなってしまっているんだ。

 当たっている! いろいろあたってる! こんな近くに! とりあえず・・・・・・好きだ! 

「え? えええええ!?」

 頭で浮かんでいることと口からでる言葉は一致していない。もうずっとこのままでいいんじゃないかって諦めたとき、

「なにゆえ、ですか」

 いやこっちがなにゆえだよ? と返事しようとしたけど、今にも泣きだしそうな悲痛な面持ちに、胸をつかれる。

「なにゆえ、私にそれほどしてくださるのですか。なにゆえ、あのようなことをなさったのですか。私などのために、危うく逮捕されてしまうところだったのですよ」
「あ、ああ?」
「答えてください! なにゆえあんなことを!」
「いや、なにゆえもなんでも・・・・・・あんなこと、どうでもいいだろう」

 好きだから。そんな単純明快なことは今の俺には言えない。
 
「どうでもよくございませんっ」

 初めて聞いた、ルウの大音声に体がびくつく。怒っている。悲しみながら怒っている。無茶をした俺に対して。

「ご主人様には、夢がございます。大魔道士をこえるという御立派な夢が。それが、終わってしまうところでした。犯罪者になってしまうところでした。仕事もできなくなって、そのあとどうなるか――」

 好きな子が泣いている。おそらく、俺のせいで。

「私のような奴隷を、道具を、守る対価と釣り合ってございません。むしろ損でございます。なのになにゆえ。今回だけはございません。傷の手当ても、」

 涙の理由も、俺を責めている理由も、聞けなかった。じゃあどうして最近変だったんだ? どうして今になってそんな優しい態度をとるんだ? わからない。ただ、胸が張り裂かれるように痛く切なく苦しい。

「私などのために、私なんかにそんな価値ありません。それに、そんなことをしていただいては、割りきれないではありませんか。覚悟が揺らいでしまうではないですか」

 割り切り? 覚悟? 一体なんのことか。

「どうかルウにこれ以上優しくなさらないでくださいませ、奴隷でいられなくなるではありませんか・・・・・・」

 もう、限界だった。ルウを力いっぱい抱きしめる。壊れてしまうくらい、息ができなくなるほど、ルウの涙をとめられるほど、ぎゅっと。いろいろ確かめたかった。今の言葉の意味。これまでの変貌っぷり。そして、今どうしてこれほど泣いているのか。わからない。

「駄目な主だな、俺は。ルウを悲しませた」

 自然と、抱きしめていた。言葉を紡いでいた。わからないことだらけだけど、好きな子を泣いているのがつらくて、それだけを今どうかしたくて、自然とできてしまったことだ。

「違います、調子にのらないでください。ご主人様のせいではございません。ご主人様のような矮小なかたのせいで、なにゆえに私などが、そもそも、ご主人様は頭が悪いのです。なにゆえあそこまでお怒りになられたのですか。どれほどまで愚かなのですか。ばかですあほです」

 最後には、幼子がけんかするときに言う簡単な悪口しか出てこなくなった。そんな彼女がいとおしくて。かわいくて好きで。抱きしめ続けた。
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