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三章

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 昼下がりの公園は初めて来たけど、今猛烈に後悔している。遊びに来ている子供たち、楽しく過ごしている母子、人目もはばからずにイチャついているカップル、俺みたいに昼食休憩をしに来ている人たちがけっこういて、とにかく・・・・・・いやになるほど賑わっている。

 幸せそうな喧噪は今の俺にとっては毒でしかない。気分転換でもすれば、名案が浮かぶかもしれないと淡い期待を抱いてやってきたが間違いだった。女性や、一人の俺は憂鬱が加速する。研究所で昼食をしていると、ゆううつが加速してしまう。いたたまれなくなって空を見上げるが、痛いくらいの青空とちぎれたような雲が、今の俺には眩しすぎて泣きそうになった。

「あれ? ユーグか。 奇遇だね」
「げ・・・・・・」

 こんなときにできれば会いたくなかったやつ、シエナがぶんぶんと手を振って笑って現れた。男女とわず目を奪われ、熱い視線で追ってしまうほどの気品あるこの美少年は、嫌いじゃない。いい奴だってのも知っている。けど、今の状態で誰かと会って話したくはなかった。

「おや? なんだいその牢獄につながれている犯罪者に出されるような粗末なものは。 どこで買ったの?」
「俺の食事ってそれほど情けないのか!」

 奴隷になったやつが食べる物とか牢獄にいるやつが食べるのと比べられて・・・・・・。もうメンタルがボロボロでギリギリなのに。

「珍しいね。君がこんなところで食事なんて」

 シエナは俺が座っているベンチの隣に当然のごとく腰掛けると、包み紙をほどいて骨が飛び出している分厚い肉とバゲットにかみついた。豪快だが、所作が一々美しいので決して下品にならない。むしろ少年ぽいさがあって自然だ。もう一種の才能じゃないだろうか。見た目とギャップのある行動でも不思議と似合う。

「騎士様が、こんなところでのんきにしてていいのかよ」

「見回り兼休憩さ。歩き回りながら食べるなんて、さすがにできないからね」

 スパイシーな香りと白いふわふわの生地が、食欲を刺激する。落ちかけるよだれを拭いながら、致し方なしにあごが痛いほど固い干し肉のわずかな甘味で耐える。

「なんだかしょぼくれているね。ずっと室内で閉じこもって研究ばかりしているからじゃない?」
「好きでやってるんだほっとけ」
「友人の親切は素直に聞いときなって。そんなんじゃ夢にも悪影響が及ぶよ?」

 悪気はないんだろうが、くすくすと笑うシエナが苛立ちを募らせる。この少年は、俺が魔道士を志していることを知っている。具体的なアドバイスはしないけど、時折きにかけてくれる。

「どう? 研究のほうは。好調?」

 二個目の肉を出すシエナが、むかつく。無言で食事を続ける俺に、シエナはなんとなく察したらしい。

「不調なんだね?」
「・・・・・・それだけじゃないがな」

 研究のこと。ルウのこと。今の生活のこと。挙げてもキリがない。

「そうか。まぁそんなこともあるだろうね~。スランプってやつ?」

 うんうんと安易にうなずくシエナの脳天気さが羨ましくなる。こいつはきっと悩みとかとは無縁なんだろうなぁ。イケメンだし騎士だし、仕事できるし。

「たく、こっちの事情も知らないで・・・・・・」
「戦争に行ったんだろう? なら仕方ないさ」
「戦争って・・・・・・それとなんの関係がある?」
「僕も詳しくは知らない。けど、戦争に行った兵士や軍人、騎士団の者がおかしくなっているんだよ。日常生活で戦争中に体験したことを突然思い出して叫びだしたり夜眠れなくなったり。あと普通の生活に違和感を覚えるようになったとか。どうも心の病というものらしいね」
「心の・・・・・・」
「人を殺してまともにしていられるほうがどうかしている。だから、君のスランプもそういう戦争体験が原因じゃないかってね」

 ・・・・・・たしかにそうかもしれない。研究へ熱意と楽しさが持てなくなったのは戦争に行った後、それと同時に戦争中のことの悪夢にもうなされるようになったことを思い出す。

「まぁ、せっかくだ。しばらくは研究も中断して恋にうつつを抜かせばいいんじゃない? 今まで研究ばっかりだったんでしょ?」
「人ごとだからって好き勝手を・・・・・・ん? おまえ今恋って?」
「ほら、この間の奴隷の子。ルウちゃん。好きなんでしょ?」
「・・・・・・ふぁ!?」

 驚きすぎて喉を詰まらせた。シエナは背中を強めに叩いて助けてくれた。なんとか戻ったけど、しきりに咽せてしまう。

「ゲッホゲフォ・・・・・・お前なんで知ってる!?」
「なんとなく?」
「なんとなくで友人に恋愛事情を知られてたまるか!」
「あれでしょ。きっと知り合いに奴隷市場に誘われて、なんとなく一緒に行ってそれで一目ぼれしたとかでしょ?」
「なにおまえ、あのときいたの!?」
「勘だよ」
「勘で友人の過去の行動を言い当てられるとか恐怖でしかねぇよ!」

 なにこいつ。何者? 人の心を読めるのか? 特殊な魔法を会得しているのか!? 

「騎士だからね。特殊な魔法なんてないよ」
「それ理由になってないからな! っていうかまた心言い当てただろ!」
「それで? どうなの? あの子とどこまでいった?」

 友人の恋バナだからだろうか。それとも下世話な野次馬根性からか。とにかくシエナは面白そうだ、というかんじで目を輝かせている。ワクワクと書かれた顔をずいずいと寄せてくる。

「・・・・・・いや実はな?」

 顔が近かったのが嫌なので、距離をとってからシエナに説明した。ルウの状態のことを。

「ふぅ~ん。不思議だねぇそれは。いきなりそんな風になってしまうなんて」
「それで、どうしたらいい?」
「そうだなぁ。まぁ確かなことが一つだけ言える」
「なんだ?」

 もしかしたら、何がしか解決につながるかもしれないから、前のめりになってしまった。

「どんまい!」
「おまえに期待した俺が馬鹿だったわ!」

 いい顔でサムズアップしているシエナに、おもわずずっこけた。期待した俺が馬鹿だった。今すぐこの野郎に魔法をぶち込ましてやりたいくらいがっかりした。

「普通なにかしらのアドバイスくれるもんだろ!」
「頑張れ」
「燃やすぞてめぇ!」

 人をおちょくっているとしかおもえない。『紫炎』を発動しているから、いつでも放つことは可能なんだぞ。そういえば、こいつルウの手の甲にキスしてたよな。その落とし前まだだったよな。

「はっはっは。人間皆、結局決断は己でしなければならないのさ。誰かのアドバイスに従うなどというのは責任転嫁でしかない。僕が死ねと言ったら死ぬのかい?」
「もっともらしいことほざくな!」
「僕にできるのは、これが精一杯だ」
「おいいい加減そのサムズアップやめろ親指へし折るぞ!」
「あっはっはっは! 楽しいなぁ!」
「馬鹿にしてんのか?!」

 大笑いするこいつに、いい加減殺意がやばい。本気で燃やしてしまおうか。

「まぁ冗談はここまでにして・・・・・・。『隷属の首輪』を使ってしゃべらせればいいんじゃない? その子がそうなったきっかけを」
「・・・・・・それは嫌だ」

 あれには頼りたくない。ルウに強制したくはない。二人の関係は、命令とか強制とかそんなもので成立させたくはない。本物の関係って・・・・・・そういうのじゃないだろ?

「まぁそうだろうなって。予想はしていた。君にはできないってね。それにきっかけを知ったとしても根本的問題を解決しないと。無理やりしゃべらせることで関係が悪化する可能性もあるからね。今何かしようとするのは、やめておいたほうがいいよ」

 先程と打って変わって、的確すぎる指摘で唖然用字あぜんとするくらいだった。

「少しの間は、現状維持しかないんじゃない? これから一緒に暮らすうちにさ。理由が判明するかもしれないしさ。知ったとき、またどうすればいいのか悩めばいい。研究についても同じだね」

 悠長すぎではないか。一生無理だったらどうするんだ。研究と同じという何気ない台詞が、俺の不安感と恐怖をかきたてる。それでも、何か他にできることも代替案が浮かぶわけではないし文句を垂れる立場でもない。

「どうするか、最終的に選択するのは君。けど、いざというときのために優先順位をきちんと決めておきなよ」
「・・・・・・なんのだ?」
「ユーグのを一番に優先するか。それともあの子を優先するかさ」

 ? なに意味不明なことを。例えどんな事態に陥ろうとも、俺がルウを差し置いて自分を優先するわけないだろ。ルウのためなら死んでもいい。それくらい好きなのに。

「案外つまらんことでへそを曲げているんじゃないかなぁ。山の天気と女心は移ろいやすいしね。しか、ユーグが恋かぁ。よかったよかった」
「? どういうことだ?」

 うんうんと嬉しそうな、それでいて面白がっているようなシエナが不思議だった。

「以前より心配していたんだよ。君には仕事と夢しかなかった。たまに食事やお酒を一緒にしても、話題はそれだけ。悪いわけではないけどさ。心配だったんだよ友達として。それだけで果たして本物の幸せを手に入れられるのか、ってね。他人がどうなろうと他人がなにを言ってこようと興味がない。ただ自分のことだけに一直線。すごいけど、さみしそうだった。これからずっと一人でそうやって行き続けるのかって不安にもなったよ。恋人とか恋愛とか体験すればより豊かな人生となるんじゃないか、とか」
「・・・・・・」
「だから、君がそうやって好きになった女の子のことで相談してくれて、嬉しいんだよ僕は。ユーグにもまだ人間味というものが残っていたんだから」
「失礼な。俺をまるで人でなしみたいに」
「なんだい。スライムに風魔法が当たった場面を目撃したみたいな顔は」
「どんな顔だ。まぁ、少し意外だっただけだ」

 親友としきりに言うけど、どこか受け流していた。こいつはこんな台詞を誰彼かまわず言ってるんじゃないかって。けど、こいつが俺のことを案じているなんて露ほども知らなかった。本気で俺を親友だと思っていなきゃできない。
 余計なお世話だとか、偉そうな、とか。あと人のことよりまず自分はどうなんだって煩わしさがあるが、それ以上に照れくさい嬉しさがある。

「ありがとな」

 一応礼を述べておいた。すると、かわいい顔で口に手の甲をあてて静かにクスクス笑いだした。ルウに恋していなかったら不覚にもドキッとしていたかもしれない。

「気にしないでもいいんだよ。僕と君の仲だろう? まぁ、しかし礼を述べるくらいなら今僕が担当させられている任務に協力しない?」
「友情を盾にするな! おおまえが得られるメリットがでかいだろうが!」

 まさかこいつ最初からそれ目当てだったのか!? 打算で親友とかアドバイスとかしていたのか!?

「ちくしょぉぉぉ、もう誰も信じねぇ!」
「まぁまぁ。どうせ魔道士(予定)の君は大して忙しくないでしょ?」
「なにその呼び名はやってんの!? 広まってんの!?」
「あ、この呼び方内緒だった。ごめん」
「謝るなぁ! 余計悲しくなるわ! 俺周りからどんな風に見られてるんだ!」
「騎士団と素材屋とその他諸々のお店でしか通じない呼び名だった。ごめん」
「けっこう広まってんじゃねぇかぁあああ! 誰が言いだしたんだそれぇぇ! 皆俺のこと馬鹿にしてんだろおおお! ちくしょおおおお!」

 こいつのことを見直した俺が馬鹿だった・・・・・・と後悔する昼休みだった。
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