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第二話
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ギルドの入り口が閉められ、残っているのは私とマスターだけ。最近はこうした日が多くてドキドキする。早く家に帰らないと、と思うけれど今日は少し時間がかかりそう。ふぅ、と息を吐いた途端、ふらっと目の前が暗くなる。
「あっ」
思わず棚にもたれかかる。最近、こうしたことが増えて困っている。吸血鬼の本性がでてくると、貧血になりやすくなると聞いていた。だからだろう。
さらに困っていることが一つ。……私はある人の匂いを嗅ぐと、吸血欲求が高まってしまう。
そう、あの人の――パウル・ランメルトの血が吸いたくてたまらない。なぜ彼なのかわからない。他にも男性はいるし、別に女性でもかまわないはずなのに……喉の奥が渇いてしまう。
犬歯が尖る。血を求めているのがわかるけれど、どうしようもない。まさか、マスターのうなじに噛みつくことなんてできない――そんなことをしようものなら、すぐに返り討ちにあってしまうだろう。下手をすると仕事がなくなる。
私はくらくらと眩暈のする頭を棚に寄せ、目を閉じて呼吸を整える。すると、心地の良い低い声が聞こえてきた。
「大丈夫か?」
「あ……」
棚にもたれかかっていたら、彼に声をかけられる。立ち上がるとおもむろに近寄って来た。だめ、来ないで。匂いを嗅ぐと、たまらなくなる。でも、そんなこと言えない――
「ダメ」
「ん?」
はぁっと息を吐いた私は、自分の口を両手でふさぐ。彼にこの犬歯を見せるわけにはいかない。淫魔と吸血鬼と人間のミックスなんて、面倒なことこの上ないのだから。
同時に私は持っていた書類をバサリと落としてしまう。——いけない、いつも仕事が遅いと思われているのに……。
「君、紙を落としたよ」
「は……はい」
大切な書類をばらまくように散らした私の足元に屈んだ彼は、紙を拾い上げてくれる。そして一枚の依頼書を持ったところで、端で指を切ってしまった。
「っ……私としたことが」
彼の指から血が流れる。血、血だ! それも私の求める極上の血の匂いが鼻の奥に届いて——
もう、何も考えられなくなる。この血が飲みたいと、私は手を伸ばすと彼の腕を取り、顔を近づける。そして手のひらの先にある指の傷痕をぺろりと舐めた。
「んっ……ん、はぁ……」
もう変態と言われても仕方がない。マスターの長い指の先を口に含んだ私は、我を忘れて極上の赤い血をすする。塞がらない傷痕からは、濃厚な匂いの血がとめどなく流れてくる。
「はぁ……好き……これ、好き」
ちゅぱっと音をたてながら、口内で犯すようにしゃぶりつく。ようやく味わうことのできた彼の血は、最高としか言いようがない。他の人の血をすすったこともないのに、この血が極上のものだと身体が訴える。
私はなぜか、彼にだけ欲情する。その想いが叶えられ、吸血欲求が満たされたところで、私はハッと意識を取り戻した。
どどど、どうしよう、いきなり吸い付いちゃうなんて!
なんてことをしてしまったのだろうと、顔を青くする。さっきまでの酩酊した頭に冷たい水を被ったようだ。
「あ、私……」
彼の節くれだった指を握りしめていた手を震わせる。口を指からそろりと離し、呆然としながら目の前にいるマスターを見上げた。すると。
いつも黒く冷ややかな瞳の真ん中に、まるで熱を持ったように赤い筋が縦に入っている。いつの間にかメガネを外していた彼は、私の顔にかかるメガネの縁を持つと、それを外して机に置いた。
コトリと置いた音が部屋に響くと同時に、彼は空いていた片方の手で髪をかきあげる。その間、私は瞬きすらできなかった。
「なんだ……もう、終わりなのか?」
「えっ」
熱を孕んだ瞳に睨まれる。視線だけで孕みそうなほどの色気をまとった彼の声が身体に響き、ずくりとした疼きが腰に広がる。
「ご、ごめんなさい。私、なんてことを」
まさか、彼の血が欲しいからって、何も言わずに舐めて吸ってしまった。傷口は吸血鬼の唾液の作用ですでに塞がっている。それでも、ただの部下に指を舐められては気持ち悪かっただろう。
でも、震えながらも、彼から目を離すことができない。
「君は、吸血族のミックスだったか」
「母が……吸血鬼と、その、淫魔のミックスで……でも、父は人族なので、私には吸血欲求がなかったのですが、マスターの血を見たら、突然来てしまって……」
私は彼を見上げながら説明をする。でなければ、変に思われ仕事を失いかねない。
「マスター、ごめんなさい」
声を震わせて謝ると、彼は両手を差し出して私の頬を包み込んだ。そして上を向かされ、視線を絡める。目が合った途端、再び私の身体を電撃のような刺激が走り抜けた。
——ドクンッ
ぶわりと全身の血が沸騰したように熱くなって身体を巡る。マスターと視線を重ねながら、私はカッと目を見開いた。いけない、これは母から聞いていた淫魔の血の覚醒に違いない。
ぶわりと甘ったるい匂いが私の身体から放出される。いわゆる淫魔に備わっているフェロモンに違いない。異性がこれを嗅ぐと、強制的に私に欲情してしまうから、気を付けるようにと言われていた。
けど……どうして、今でちゃうの? これだと、マスターを狂わせてしまう。
「あ、マスター……っ」
彼は口を引き結ぶと、まるでフェロモンの誘惑に耐えるように肩を震わせた。
「フェロモンをこんなにも出して……私を、堕としたいのか?」
「ちっ、ちが……っ」
違うと言いたいのに、言葉を発することができない。瞬時に彼に口を塞がれるように口づけられる。
「んんっ……っんっ、ン――ッ!」
頬に触れていた手が、いつの間にか後頭部に添えられていた。顔を動かすこともできず、貪られるようにキスされる。もう片方の手が私の背中に回り、身体を引き寄せられマスターの厚い胸板を感じてしまう。
——いけない、このままじゃマスターが発情しちゃうっ……!
淫魔のフェロモンは異性を引き寄せるだけではない。獣の血を持つ者が相手だと、無理やりにでも発情させられ、我を忘れたように淫魔を襲う。
これだけ強い人なのだから、きっと何か、人外の血を受け継いでいるに違いない。そんな彼が発情してしまうと、私はきっと、無事ではいられない――。
「あっ」
思わず棚にもたれかかる。最近、こうしたことが増えて困っている。吸血鬼の本性がでてくると、貧血になりやすくなると聞いていた。だからだろう。
さらに困っていることが一つ。……私はある人の匂いを嗅ぐと、吸血欲求が高まってしまう。
そう、あの人の――パウル・ランメルトの血が吸いたくてたまらない。なぜ彼なのかわからない。他にも男性はいるし、別に女性でもかまわないはずなのに……喉の奥が渇いてしまう。
犬歯が尖る。血を求めているのがわかるけれど、どうしようもない。まさか、マスターのうなじに噛みつくことなんてできない――そんなことをしようものなら、すぐに返り討ちにあってしまうだろう。下手をすると仕事がなくなる。
私はくらくらと眩暈のする頭を棚に寄せ、目を閉じて呼吸を整える。すると、心地の良い低い声が聞こえてきた。
「大丈夫か?」
「あ……」
棚にもたれかかっていたら、彼に声をかけられる。立ち上がるとおもむろに近寄って来た。だめ、来ないで。匂いを嗅ぐと、たまらなくなる。でも、そんなこと言えない――
「ダメ」
「ん?」
はぁっと息を吐いた私は、自分の口を両手でふさぐ。彼にこの犬歯を見せるわけにはいかない。淫魔と吸血鬼と人間のミックスなんて、面倒なことこの上ないのだから。
同時に私は持っていた書類をバサリと落としてしまう。——いけない、いつも仕事が遅いと思われているのに……。
「君、紙を落としたよ」
「は……はい」
大切な書類をばらまくように散らした私の足元に屈んだ彼は、紙を拾い上げてくれる。そして一枚の依頼書を持ったところで、端で指を切ってしまった。
「っ……私としたことが」
彼の指から血が流れる。血、血だ! それも私の求める極上の血の匂いが鼻の奥に届いて——
もう、何も考えられなくなる。この血が飲みたいと、私は手を伸ばすと彼の腕を取り、顔を近づける。そして手のひらの先にある指の傷痕をぺろりと舐めた。
「んっ……ん、はぁ……」
もう変態と言われても仕方がない。マスターの長い指の先を口に含んだ私は、我を忘れて極上の赤い血をすする。塞がらない傷痕からは、濃厚な匂いの血がとめどなく流れてくる。
「はぁ……好き……これ、好き」
ちゅぱっと音をたてながら、口内で犯すようにしゃぶりつく。ようやく味わうことのできた彼の血は、最高としか言いようがない。他の人の血をすすったこともないのに、この血が極上のものだと身体が訴える。
私はなぜか、彼にだけ欲情する。その想いが叶えられ、吸血欲求が満たされたところで、私はハッと意識を取り戻した。
どどど、どうしよう、いきなり吸い付いちゃうなんて!
なんてことをしてしまったのだろうと、顔を青くする。さっきまでの酩酊した頭に冷たい水を被ったようだ。
「あ、私……」
彼の節くれだった指を握りしめていた手を震わせる。口を指からそろりと離し、呆然としながら目の前にいるマスターを見上げた。すると。
いつも黒く冷ややかな瞳の真ん中に、まるで熱を持ったように赤い筋が縦に入っている。いつの間にかメガネを外していた彼は、私の顔にかかるメガネの縁を持つと、それを外して机に置いた。
コトリと置いた音が部屋に響くと同時に、彼は空いていた片方の手で髪をかきあげる。その間、私は瞬きすらできなかった。
「なんだ……もう、終わりなのか?」
「えっ」
熱を孕んだ瞳に睨まれる。視線だけで孕みそうなほどの色気をまとった彼の声が身体に響き、ずくりとした疼きが腰に広がる。
「ご、ごめんなさい。私、なんてことを」
まさか、彼の血が欲しいからって、何も言わずに舐めて吸ってしまった。傷口は吸血鬼の唾液の作用ですでに塞がっている。それでも、ただの部下に指を舐められては気持ち悪かっただろう。
でも、震えながらも、彼から目を離すことができない。
「君は、吸血族のミックスだったか」
「母が……吸血鬼と、その、淫魔のミックスで……でも、父は人族なので、私には吸血欲求がなかったのですが、マスターの血を見たら、突然来てしまって……」
私は彼を見上げながら説明をする。でなければ、変に思われ仕事を失いかねない。
「マスター、ごめんなさい」
声を震わせて謝ると、彼は両手を差し出して私の頬を包み込んだ。そして上を向かされ、視線を絡める。目が合った途端、再び私の身体を電撃のような刺激が走り抜けた。
——ドクンッ
ぶわりと全身の血が沸騰したように熱くなって身体を巡る。マスターと視線を重ねながら、私はカッと目を見開いた。いけない、これは母から聞いていた淫魔の血の覚醒に違いない。
ぶわりと甘ったるい匂いが私の身体から放出される。いわゆる淫魔に備わっているフェロモンに違いない。異性がこれを嗅ぐと、強制的に私に欲情してしまうから、気を付けるようにと言われていた。
けど……どうして、今でちゃうの? これだと、マスターを狂わせてしまう。
「あ、マスター……っ」
彼は口を引き結ぶと、まるでフェロモンの誘惑に耐えるように肩を震わせた。
「フェロモンをこんなにも出して……私を、堕としたいのか?」
「ちっ、ちが……っ」
違うと言いたいのに、言葉を発することができない。瞬時に彼に口を塞がれるように口づけられる。
「んんっ……っんっ、ン――ッ!」
頬に触れていた手が、いつの間にか後頭部に添えられていた。顔を動かすこともできず、貪られるようにキスされる。もう片方の手が私の背中に回り、身体を引き寄せられマスターの厚い胸板を感じてしまう。
——いけない、このままじゃマスターが発情しちゃうっ……!
淫魔のフェロモンは異性を引き寄せるだけではない。獣の血を持つ者が相手だと、無理やりにでも発情させられ、我を忘れたように淫魔を襲う。
これだけ強い人なのだから、きっと何か、人外の血を受け継いでいるに違いない。そんな彼が発情してしまうと、私はきっと、無事ではいられない――。
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