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47.反抗期開始

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『……結論を早まるな。この地の毒によって変質した稀少鉱石や魔力素材は、今ですら国境を侵すほど人間の欲の対象だ。ここに残るということが何を意味するか、わからぬわけではなかろう』

 しばらくの沈黙の後、神樹の姿を遮るように僕の前へとその体を移動させた黒龍が、呆れを滲ませた声音でそう忠告する。
 僕は勿論、と首を縦に振ってそれに答えた。

 あれだけの異変が起きたというのに、神樹から溢れる毒は今まで通りザルツヴェストの国内に留められているという。
 即ちそれは、国境沿いの国々にとってこれまでの状況と変わりなく、むしろ魔族が消えたことで領土を侵しやすくなっている。
 この国の異変――魔王と魔族の不在も、いずれ遠からず人間たちの知るところになるだろう。

 そうなった時、無防備な宝の大地がどうなるかなんて想像に難くない。
 いくら毒の影響があるといっても、権力者たちは替えの利く駒たちに『取って来い』をさせるだけでいいのだから。

 国境から距離はあるとはいえ、手をこまねいていればきっとこの城すら、いつかは人の手に落ちるのだろうか。
 それは――嫌だな。

「ベルちゃんさん、お休み中に叩き起こしてすみませんでした。説明も、ありがとうございました。僕は今から忙しくなるので、これで失礼しますね」

『殴り起こしたの間違いであろう。いや待て、そんな話ではない。だから少し落ち着けと言っている』

 意外にもノリがいいのか、それとも目覚めに必要だった行為を根に持たれているのか。
 合成音声に似た異質な声音で語る黒龍は、きっちりと僕の言葉に訂正を入れた後、まるで姿勢を正すようにその四肢を地につける。
 そうしてS字を描く長い首をもたげ、無機質な紫色の瞳でこちらを見据えながら、

『思い違いをしたまま選択を成すことは、推奨しない。お前は確かに、ラグナレノスにとって「特別」な存在だ。ただしそれは私と同じ、この世界にはない『物』への執着でしかない』

 静かに諭すように、そんな言葉を続けた。

『あれは自らを「魔王」と僭称してはいるが、その実体は生まれながらの最高位存在――世界という枠に囚われることのない、真なる神の一柱ひとりだ』

 唐突に飛び出した単語に僕が目を瞬くなか、言葉を選ぶのを思案するかのように緩く頭を上下させながら、龍は教えてくれた。

『あれは気の向くままに界を渡り、恩寵も滅亡も気まぐれな匙加減一つで齎す、災厄のようなもの。本来ならばこうして一所に留まることなどなく、ましてや、あのように人の形を取ることすらも無きに等しい存在なのだ』

 だからこそ、人間の価値観で魔王のことを考えてはいけない、と。

『この世界へ例外的に根付いたラグナレノスにとって、我らのように別世界を由来とする存在は、その興味関心を強く惹く。異なる世界の記憶を宿したお前の魂など、垂涎の一品であっただろう。故に、手元で愛でたに過ぎない』

 ただ単に、それだけ。

『そこに、人間同士における「愛情」などという感情はないのだ。仮にそう誤認していたならば、今ここで考えを改めよ。あの者は人外であるゆえに、お前の献身に報いる術を持たぬ』

 決定的な言葉を使うことなく持って回ったような言い方をする黒龍は、それが癖なのか、それとも故意なのか。
 少しばかりその言葉を噛み砕く時間が、僕には必要だった。

 この龍は結局、魔王に愛されて大切にされたことを理由に、僕がこの地に残ることを決めたと思っているのだろう。
 それがおかしくて、思わず僕の口からは小さな笑い声が零れてしまっていた。

『――何がおかしいのだ』

「ふふっ……ごめんなさい、ベルちゃんさん。でもね、違うんだ……ふふ」

 そう、違うんだ。
 この龍が言葉にしたからこそ、僕の中でもそれがはっきりと明確になったんだ。

「魔王は確かに僕を大切にしてくれた。その口で何度も『愛い』と言ってくれたし、僕の全てを手放しで褒めてくれた。……たとえそれが、あの人の執着という形だっただけだとしても、僕にとっては愛されたことと変わらない。それに――」

 今にも雨が降り出しそうな、分厚い曇に支配された薄暗い世界は変わらないのに、なぜだろう。
 視界が、晴れていく気がする。
 目の前に立ち塞がる黒龍も、その後ろに遠く聳える白い神樹も、今までになくはっきりと見える。


「魔王が僕をどう想っていようと、関係ない。僕が、ラグナのことを好きだから。だから、待つんだ」


 自分で口にした言葉なのに、頭の片隅で少し驚く自分もいた。
 でもそれは次の瞬間には、胸の奥の最も深い場所で落ちてきて、ストンと収まった気がする。

 きっとその理由は、これが僕の偽らざる本心で、望みだから。

「僕がまた、魔王に会いたいだけ……これが終わりになんて、したくない。それだけが僕の願いで、望みで……だからもう、誰も関係ないんだ」

 魔王の想いも、黒龍の思惑も、唯一人『僕』という存在が抱く望みの前では何の意味も持たない。
 これは僕の意志で、他ならぬ僕こそが、それを押し通したいと願う。

「それに僕が諦めない限り、いつまでも可能性だけは残るよね――ふふっ……僕さえ諦めなければ、また魔王に会えるんだ」

『……元が短命種の身で、一人孤独に時を越えるは酷ぞ。ラグナレノスも、それを望みはしないはず……。だが、今は何を言っても通じぬか――哀れな』

「ふふっ!あはははっ!!」

 ぽつりと呟く黒龍に、今度こそ噴き出してしまいながらも、僕は言った。 

「哀れでも愚かでもいいよ。誰にどう思われようと、魔王が望もうが望むまいが、僕は僕の望みを押し通すだけ。僕にそう在れと教えてくれたのは、魔王だもの!!」

 口にすればするほど、どうしてこんなにも晴れやかな気持ちになっていくのか。
 頭の片隅ではそれを「ストレス過多で思考回路が故障中?」と呟く何かがいる気もするけれど、でももっと大きな声の方が説得力があった。

 僕はこの望みを、絶対に押し通せるはずだと。
 だって、その為に――。


「その為に僕は、こんな生まれ方をしたんだよ」


 僕が持って生まれた、この余計な知識と記憶が、僕の幸せなセカンドライフを終わらせた。
 でもそれがあるからこそ、僕は今、やっと『僕』だけの偽りない望みの為に足を踏み出せる。

 この世界での、ただの人間の十七歳では出来ないことも、きっと僕ならできる。
 これから先に訪れるだろう苦難だって、もう粗方予想もついている。
 なら、先回りして対処していけばいいだけだよね。ほら、いつも通りだ。

 やるべき事だって、究極的には簡単だ。
 僕はただここで、待てばいいのだから。

「ふ、ふふっ……魔王にも、ベルちゃんさんにも、誰にも従わないよ。僕は僕の望みを叶える為に、生きるだけだから」

 ポツポツと遂に空から降り始めた温かな水滴に、頬が濡れていく。
 でも、黒龍の瞳に映った僕は、自分でもこんな顔ができたのかというほど誇らしげに、不遜に、綺麗に――笑っていた。

 きっと魔王が見ていてくれたなら、愛いが極まるとか超えるとかまた大騒ぎして、魔族の皆で『ユーリオたんの花丸笑顔記念日!!』とかでも始めそうなほどに。 

『――もうよい。今はしばし休め……』

「そんなゆっくりしてる暇はないよ!?急いで色々考えたり、準備しなきゃね!」

 雨の向こうに景色が煙るなかでも、白く白く輝く大樹をもう一度見つめた後、僕はバルコニーから城内へ戻るべく踵を返した。

 僕のセカンドライフを、終わらせないために。

 そう、終わったんじゃない。
 これはいわば、中断だから。

 僕が認めない限り、終わりなんて、来ない。


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