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 誰かのせいなら、自分に責任がないなら、他人事としてきっと簡単にやり過ごせた。
 でも、それが他ならない自分のせいだというのなら、話は別だ。

 僕のせいで、人という種族が滅びるのだろうか。
 数少ない大切な人たちはもとより、確執はあれど確かに血を分けた家族たちも、言葉を交わしただけの人も、全く接点のない見ず知らずの人たちも――子供も老人も、男も女も皆全て……死んでしまう?

 僕が前世の知識を覚えていたせいで、人間みんなが死ぬことになる?

 魔王を始めとした魔族たちのように、「仕方ないね」と嗤って言えるほど、僕は強くない。
 だって、戦場で誰かを殺してしまうのとは、わけが違う。
 敵対しているわけでもなく、憎んでも恨んでさえもいない『誰か』が『みんな』、僕のせいで死ぬのだとしたら――。

 その罪悪感に、耐えきれるはずがない。
 たとえ体が変わったのだとしても、僕の中身は、こうして最悪な想像だけですら震えるほど怖気づくこの心は、いつだって弱いままの人間ぼくなのだから。

「あぁ……なるほど。これが『可哀かわいい』というものか。うむ、愛い!……愛いのは間違いないのだが……ユーリオよ、そこまで震えてくれるな。どちらかと言えば、其方がむくれているか笑っている方が、余の好みらしい」

 軽い足取りで、いつかのように深い森を悠然と進む魔王。
 その腕の中に横抱きされ、見るからに毒々しい濃い緑の靄がかかった鬱蒼とした小道を見下ろすなか、そういつもと変わらぬ声音が聞こえた。
 それに身を固くしながら、長く奔放な銀髪を靡かせる精悍な男の顔色を反射的に窺う。

 魔王城のバルコニーから彼と二人で神樹の近くへ転移してきたのは、青ざめたまま震えの止まらない僕を見た魔王の提案だ。
 気になるならば、共に神樹の様子を確かめに行くか?と。

 抱き上げられ、あっという間に周囲の景色が変わった途端、目にした森の様子は以前と大きく様変わりしていた。
 この緑の靄もそうだし、どこかから生木の焼ける臭いも漂ってくる。
 そして神樹へと向かう小道に所々転がる、見覚えのない鎧に身を包む事切こときれた、人間たち。

「……これも、毒のせい……?みんな、こうなるの……?」

 からからに乾いた口から絞り出した声はみっともなく掠れていたけれど、間近にいる魔王にはちゃんと届いたらしい。
 まるで散歩にでも来ているかのように、愉しげな微笑を口元に浮かべたままの男は、はっきりとその首を縦に振った。

「毒を抑える結界を壊しただけならまだしも、神樹の枝や幹を傷つけたようだからな。この時代の人間共は自力で毒へ対処する術も失っている以上、こうして毒に触れただけで直ぐに死へ至る。多少時間はかかるだろうが魔物を含む獣や木々たちも、いずれはそうなる。

 無事で済むのは、余と魔族くらいだ」

 小道の真ん中でうつ伏せに横たわる亡骸を避けることもなく、跨ぎもせず、単なる小石のようにそれを踏みつけて歩を進める『魔王』は、そう事実を語った後おもむろに、僕へと問いかける。

「余には、こ奴らの自業自得のついでに世界が滅ぶだけと思えるのだが、何故これがユーリオのせいになるのだ?」

「……っ」

 ひたと見据える蒼く灯る双眸には、侮蔑も嘲笑も、哀れみの色すらない。
 ただ静かに僕を映し、いっそ甘さすら滲ませながら言外に告げるのだ。
 語ってみせよ、と。

 それに背中を押されるように、やっと僕は、自分だけの秘密を口にした。

 僕には、こことは違う世界で生きた記憶と知識があること。
 それを使って、小賢しく生きてきたこと。
 この侵攻方法も、浅はかな自分が思い付き、人に伝えてしまったこと――。

「だか、らっ……僕のせい、で……僕がいたから、みんな……死んじゃう、なんて……」

 どうしよう。本当にどうしよう。怖くて仕方ない。
 口を開くたびに滲む視界も、頬を伝う熱も、全てに責められている気がする。
 お前がいるから、余計な物を持っているのがお前だから、こんな事になったのだと。

 その罪の意識から逃げるように、たまらず魔王の肩口に顔を埋めた。
 すると、静かに喉の奥で笑いだす男がいるではないか。

「ふっ……く、くくくっ!愛い!やっと余にも話してくれたか!あぁ愛い、愛いな。ユーリオは誠に愛いっ!!」

「さすがにここは空気読んでよ!?もうっ……魔王の馬鹿ぁぁ!うぅ、ぐすっ……うぇぇっ…んっく……う?」

 人が抱えきれない罪悪感に押しつぶされそうになっているというのに、この魔王、どうしてそんなに愉しそうなの。
 八つ当たりで思わず声を荒らげた拍子に、盛大にしゃくりあげた後、その言葉の違和感に遅ればせながら気づく。

「……『余にも』って、どういうこと……?」

 でも、上機嫌で鼻歌まで歌い出しそうな魔王は問いに答えてくれないまま、ただ歩を進めるのみだった。

 誰も知らない僕の秘密を、やはり知っていたということなのだろうか。
 このストーカー魔王なら不思議ではないのかもしれないけれど……なら、やっぱりもっと早く告げておけばよかったんだ。
 そうすれば、もしかしたらこの事態だって防いでくれたかもしれない。

 結局、僕がうだうだ悩んでいるせいで――僕なんかが生きているせいで、この世界の人間ひとたちが皆死んでしまうんだ。
 それも人間だけじゃない……きっと魔族を除いた他の生き物たちまで――全部、僕のせいで。

 そんな想いで頭がいっぱいのまま、温かい腕の中できつく目を閉じてしばらく打ちひしがれていると、「着いたぞ」という声が響いた。
 おそるおそる目を開けた先には、すっかりと萎れた青と白の無残な花畑の中心で、緑の炎のような光を纏う巨木が聳え立っている。
 晴天だったはずの空も、毒々しい色の雲にすっかり覆われて、森を抜けたというのに辺りは薄暗い。

 朽ちた枯草色に変わった花々の中をざくざくと進むにつれ、神樹の根元に転がる骸たちの姿も見えてくるが、魔王はそれを一瞥することもなく天を覆う巨木を見上げた。

「ふむ……やはり、ベルちゃんの言うように防御魔法くらいは施しておくべきだったか……しかし、それではこの緊張感は愉しめぬ……」

 独り言のように呟かれる言葉を聞き流しながら、暗鬱とした思いで僕も毒を零し続ける大樹を見つめた。
 圧倒的な太さを誇る黒々とした幹の数か所から、ドロリとしたような一際濃い緑の煙が細く細く立ち昇っているから、きっとそこが攻撃魔法を受けた場所なのだろう。
 広がる枝葉の天井からも極一部、その濃い緑が溢れているみたいだ。

 たったこれだけ――大樹全体からしてみれば、数%にも満たないような損傷で、こんな事になってしまうの?

「……神樹って外傷に弱すぎない?今までこの世界、よく無事だったね……」

「はっはっは!獣たちが神樹を害することはないからな。ここまで人間が辿り着けた方が素晴らしいのだ。さすが余のユーリオよ。愛いな、愛い」 

 逃避するように呟いた僕を、手放しでまだそう褒めてくれる魔王の声が胸に刺さる。

 僕はこのひとが、好きだ。
 いつまでも傍にいてほしいし、この温もりを感じていたいし、愛いと言い続けてほしい。

 でも、僕以外の人間全てが死に絶えて、魔物も獣も消えて、魔族たちしかいなくなった壊れた世界で、僕が今まで通りその言葉を受け入れられるはずがない。

「……やめてよ。こんな僕を愛い、なんて……っ」

 ――死にたくなるだけだもの。

 その言葉はぐっと飲み込んだはず、なのに……。
 
「――ふむ。それは困ったな」

 魔王の肩口に顔を隠した僕の背を、いつにも増してそっと撫でてくれる大きな手には、全て見透かされている気がする。
 敏感になった背中への刺激に、少しだけぞわぞわとした場違いな感覚が生まれるなか、唐突に僕は地へと下ろされた。

 思わず縋るように見上げた先では、本当に困ったような顔をした魔王がその形の良い唇をゆっくりと開くところだった。

「初めてこの場を訪れた時にも、ユーリオは言ったな。世界が滅ぶのは嫌だと。余も、『万が一の時には善処する』と答えたか……」

「っ、どうにか、できるの!?」

「……んーむ……」 

 額に手を当て、曇った表情を浮かべながらしばし押し黙った魔王は、やがてその身をかがめて僕へと視線を合わせてくれた。
 そして、やけに静かな光が灯る双眸に映った自分と視線が交わるなかで、その声を聞く。

「余は、今の其方を愛でておる。故に、失くしたくはない。なればこそ、余ではなく其方の望みに従おう」

 余裕たっぷりにそう微笑む魔王の言葉を、数度瞬きを繰り返してやっと理解できた僕は、気が付いたら地面の上にペタリと座り込んでいた。
 それをいつもの調子で「腰の抜けたユーリオも愛い愛い」とはしゃぐ男を見上げながら、嗚咽交じりにひとまず叫んでおく。

「何とかできるなら早く言ってよ!?もおぉっ!!……ひっく、んっ……ごめっんな、さい……ありがと、まおぉ……」

「うむうむ。余に任せておくがいい。手始めに――ルーチェットは滅ぼしておこうな」 

 満足気に身を起こした魔王が、どこか遠くの空を見上げながら小さく指を鳴らす。
 彼のことだ。きっとその言葉をすぐさま、現実のものとしたのだろう。

「それくらいなら僕も賛成……ほんと人でなし……ぐすっ」

 世界中の人間全てが滅ぶことには耐えられなくても、侵攻してきた敵対国が滅ぶくらいなら許容範囲とか、自分でも人間的に決して褒められたものではないと思う。
 でも頼もしい魔王の言葉に、心の底から安堵したんだ。
 強大な力を持ったこの存在ひとが、僕の望みを叶えてくれると確約してくれたのだから。

 だから、忘れていた。
 この男はいつだって、どんな時だって、絶対的に――説明が足りないということを。


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