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39.あっという間

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 聖イグナベルク王国での政変の動きは、アルベルト殿下の自決という表向きの理由によってひとまず収束したそうだ。
 最終的に国王は譲位し、貴族派閥に近いという第二王子が新国王へ即位したことで一応の決着となったらしい。

 僕の父も上手く立ち回ったのだろう。
 他の貴族が何家も没落していったなかで、実家は一応安泰。今では王派閥と貴族派閥、そのどちらにも属さぬ中立派重鎮としての地位を固めたという。

 そんな報告を受けたのは、アルベルト殿下とロレンツ様をフェルシオラ帝国にポイ……ではなく、事実上の秘密亡命して頂いてから一か月後のことだった。

 でもその時には、もう僕の関心は王国にはなかったからね。
 やけにいい笑顔のサリオンに「ご実家の処遇については、どういたしましょうか?」と尋ねられたけれど、別に僕は家族を憎んでいるわけでも嫌っているわけでもないのだから、放置一択だし。

 勿論、愛されたかったなぁという過去の想いは誤魔化しようもないけれど、幼い頃の僕は今の自分から見ても異質だったという自覚はある。
 そんな子供にも衣食住の保障をし、ほぼ丸投げとはいえ高等な貴族教育まで施してくれた上に、独り立ちするまで手元に置いてくれたのだから、感謝してもいいくらいだろう。
 世界は違えど、数々の悲惨な事案を知っている前世の記憶が昔からそう言ってくれたから、叶わぬ期待を無駄に長く抱くこともなかったし。

 だから王国のことも実家のことも、僕はもうどうでもいいのだけれど……僕の王子様についてだけは、別である。

「っ……ど、どうしよう魔王……殿下、やっぱり来るって……」

 きっちり整理整頓されるようになった、魔王の仕事部屋。
 その巨大で立派な黒い執務机の横にちょこんとくっついた淡い色をした木目のデスクという自分の席で、僕は震える手に持った手紙をどうにか隣の魔王へと差し出した。
 ……そっちの机の方が遥かに広いのに、ぴったりと僕の隣に座る必要性の是非についてはまた今度、じっくりと話し合わなくっちゃ。

 でも、今はそれどころではない。
 事の発端はアルベルト殿下たちが亡命した一週間後、帝国から魔王宛に届いた書状だ。

 それはあの人の良さそうなお爺様皇帝直筆のもので、魔王の頼みとあらば喜んであの二人の身柄を預かろう、という非常に好意的な内容だった。
 まぁ、そこかしこに「もっと先に根回ししてくれ」「これ以上帝国ウチを巻き込むのはやめてね?」「ほんっと!もう少しだけでも事前に教えてほしいよね!」という気配が滲むどころか溢れ出てもいたけれど。

 とはいえ、数少ないザルツヴェストからの友好国からのそんなお手紙には勿論、一切の問題はない。
 大問題だったのは、同封されていたもう一通の書状だ。
 差出人の名もなく、僕が知る印章も当然なく、されど受け取る側にとってはその文面だけで誰からの物か容易に想像ができる分厚いお手紙は、まず丁寧な感謝の言葉で始まっていた。

 命を救われ、新天地へも無事に送り届けてくれたことにまず礼を述べ、帝国では身に余るほどの丁重な待遇を受けている、という近況報告が筆跡からすらも漂う王子様度満点の文章で綴られていたのだけれど、その後から始まった深い深い謝罪の言葉……。
 それを理解した瞬間のことは、実はあまり記憶にない。
 ウーギ曰く、「女王様でもあんな風に取り乱されることがあるッスねぇ~お可愛らしいッス!むひゅひゅ~ん!!」という有様だったようだけれど。

 だってアルベルト殿下の謝罪内容って――僕と魔王の挙式についてだったんだもの。

 国政からも遠ざけられていたために、魔王との婚礼の件について一切承知していなかった。
 直接顔を合わせたというのに、言祝ぎすら伝えられなかった非礼を深く謝罪する。
 禍根のあるイグナベルク王国をも挙式に招待されたというのに、代理の使者すらも立てず欠席すると応えたことも人づてに知ったばかりである。
 重ねての非礼を詫びる手立てもない不肖の身ではあれど、挙式に参列させてもらえないだろうか。
 勿論、席など不要。ただ大恩ある貴公らにせめて直接祝意を伝えたく――。

 なんて御言葉が惜しげもなく並べ立てられていたら、いくら僕であろうと記憶が飛ぶくらい焦ったって仕方ないじゃないか。

 かなりの時間をかけて、どうにか殿下へ「お気遣いなく。お気持ちだけで充分です」と要約できる返書をしたためたのに、さすがは筋の通った王子様。
 一度や二度のやり取りなどでは、一向に退いてくれない。
 ついには、参列するフェルシオラ皇帝の一団の中に紛れてひっそりお祝いするから!と一途に頑固に突っ走っておられる始末。

「……ほぅ。ラシュフォードの侍従にふんして訪れるつもりか。そこまでして、余のユーリオの晴れ姿を見たいとな。うむ、許す」

「許す、じゃないでしょ!?殿下がいらっしゃるってことはロレンツ様も一緒だろうし、そうしたらあの御二人の前で僕は魔王と誓いのキスまでするわけでしょ!?まだ全員見ず知らずの相手で揃ってる方がよかった!!そこに知り合いが混じるなんてっ……恥ずかしさが段違いぃ……うぅ……ぐすっ」 

「はっはっは!嬉し恥ずかしと悶えるユーリオの愛いさはまた格別である」

「魔王はちょっと黙ってて」

 デスクの上に突っ伏して逃れられそうにない来賓二名の列席に今から悶えている人の気など一切考慮することなく、朗らかに笑いながら僕の頭を掻き回す魔王も、相変わらずだ。
 僕の気持ちを汲んでアルベルト殿下へ参列しなくてもいいよ、気にすんな!とでも伝えてくれたらいいのに、来るもの拒まず何ならどんどん来い!状態なんだもの。

 結局、僕一人の拙い説得では殿下の鋼の意思を曲げることはできず、こうして挙式までもうすぐ二か月に迫ろうかという今日、ついに、具体的な参列手段までお知らせされてしまった。

 これはもう、確定事項だよね。
 ということは何か?僕はこともあろうに殿下とロレンツ様がひっそり見守るなかで、この魔王と婚礼の儀式に臨まねばならないと?

「ふっふふふ~楽しみでございまッスね~!あ、魔王様。御式では絶対に軽い接吻で終わるッスよ。くれぐれも女王様を酸欠にさせちゃダメッスからね?」
「ウーギよ、誰に物を申すか。余がユーリオの愛い顔をそこまで有象無象共に大盤振る舞いするはずもなかろう」
「それもそうでしたッスね!」

「……ダメだ心を落ち着けよう……」

 うきゃきゃ、はっはっは、と愉しげに笑い合う主従の会話を極力意識しないよう努力しながら、僕はデスクの引き出しからいつものように紙とペン、そして魔法インクの瓶をささっと取り出した。
 そうしてここ最近、落ち着かない時の逃避行動として採用した最も生産的な作業――即ち、使い魔生成の魔法陣を描くことに集中する。

 写経って多分こんな感じだよね、と頭の片隅で思いながら、適度に命令の自由度を持たせた使い魔を造る術式をこれまた適当に書き込んでいく。
 そうして続けて三枚ほど描けば、僕の心も平静になるというもの。
 それにこの魔法陣も、無駄じゃないしね。

 僕がへっぽこ攻撃魔法ではなく、まだマシそうな使い魔を主力にすると決めてから、密かに魔法インクの改良を魔族の皆総出で頑張ってくれていたそうだ。
 その結果、ザルツヴェストで新たに製造されるようになった魔法インクは大幅に品質アップした。
 元々、使用時の有効期限は半日以上という、人間の国で流通している魔法インクなどとは文字通りレベルが違ったのに、改良版ではそれすらもを大幅に上回り約一年間は魔法陣として機能するという……。

 絶対国外流出禁止の貴重品だけど、そのおかげで僕にとってはまさに一石二鳥。
 心を平静に保てるだけでなく、いざという時――魔王の気まぐれによる試練再発などがあったりしても、その為の備えにすることができるのだから。

「うむ……真剣なユーリオたんの逃避姿も愛い。愛いのは間違いないのだが……ユーリオよ。其方、一体何枚の魔法陣を描き溜めているのだ?よもや、一度に余へけしかけようなどとは考えておらんな?」

「よっし、できた!……え?何か言った?」

「女王様の在庫魔法陣……どう見ても数百枚はありそうッス……」

 乾きも素早く、深い藍色をしたインクの美しさも申し分ない。どれだけ下手に描いてしまっても、それなりの魔法陣に見えるなんて本当に凄い。
 そんな満足気な思いで、持ち歩くようにしている小型の肩掛けカバンを座っていた椅子の背から手繰り寄せ、その中に描き上げたばかりの紙をまとめてしまった。
 段々とカバンの中身も分厚くなっている気もするが、備えあれば患いなしだからね。

 若干引きつった笑みの魔王と、そわそわと毛繕いをしている兎執事の様子に首を傾げながらも、ひとまず僕は殿下列席決定の衝撃から立ち直ることはできた。
 当日はできるだけ……いや絶対に目を合わせなければいいだけだ。
 あの御二人どこにおられるか意識さえしなければ、舞台下のお客さんはジャガイモと一緒という演劇役者さんの境地に達せられるはず……。よし、これならいける。

 そう前向きに対策も思いついた時、久しぶりに部屋の外から激しい音を立てて扉が開かれた。

「お待たせいたしました!!委細準備、整いましてございます!」

 なんだかいつもより遥かにテンションの高い宰相蛇が、その赤い瞳をもやけにキラキラとさせた満面の笑みで言い放った言葉に、僕は思わず目を瞬いていた。
 だって今日は本当に特別な予定は何もない、はずだった。

 いまだ全貌は見えないけれど、とにかく高級そうな布地の山に埋められる日でもないし、ちょっと気分を変えて神樹の下で魔王と飲み会の日、でもない。
 練兵場で使い魔VS魔族の運動会でもなければ、農場視察と銘打った宝探しゲーム開催日でもないはずで……。

 不意打ち公務なんて困るな、とサリオンにお願いしてから、彼が突発的なイベントを発生させるようなことは、もうほとんどなかったのに。
 そう身構えている僕の横で、おもむろに席を立った男がいた。

「ついにかッ!!よくぞここまで秘密裏に成し遂げた。サリオン、ウーギ、並びに全ての余の下僕たちよ!褒めて遣わす!!」

「ウーギとしては別の意味で微妙な気持ちなんですが……まぁそれは今後の課題とするッス」
「ふふふ……今から来年のユーリオ君も楽しみです」

「え?……え?ほんと……なに??」

 どうやら僕に関係する何からしい、という気配は察するものの、全く心当たりがない。
 思わず助けを求めるように、高い位置にある蒼く灯る瑠璃色の双眸を見つめた。

 その途端、黙っていれば文句なしに精悍で整った美貌をどこまでもどこまでも甘く緩く崩しながら、勝ち誇ったように魔王は言った。

「やはり忘れていたか。今日は余がユーリオたんを確保した永久記念日――そう、其方の生まれた日……の、前日ぞ?」

 昨年は一日遅れになってしまったが、今年は前夜祭から盛大に祝うとしよう。
 そう喜色に満ちた声音で語られて初めて、僕は自分が既に一年、このザルツヴェストで生きてきたことを自覚した。

 そして明日が、自分の十七回目の誕生日であることも。

「――え?う、嘘!?もうそんなに!?はっや!!」

 そんなことを忘れていられるくらい、この国での日々は――魔王の隣でのセカンドライフは、幸せだったんだもの。


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