上 下
30 / 61

29.課題挑戦中

しおりを挟む

 それはザルツヴェストという国の領土、その中心地に鎮座する存在だということは知っている。
 初めて目にした時にこそ圧倒的な存在感と異様さに強い畏怖と感動を覚えたものの、今ではすっかり日常の景色に溶け込んでいたモノ。

 それが魔族たちが『神樹』と呼ぶ、巨木だ。

 正式な名称も、本当に純粋な自然物なのかすら知らないのは、まだ神樹に関する教育を僕が受けていないだけだからか。
 それとも、やはり元・人間の部外者にはおいそれと語れないものなのか。
 もしくは――魔族たち特有の感性による「本当にどうでもいい物」だから放置されているだけ……?

 どれもが有り得そうな理由に思えるなか、僕は黙々と考えながら一人、『馬』の背に揺られている。
 その理由は昨日、練兵場で使い魔たちの暴走がひと段落着いた後、魔王から唐突に突きつけられた課題のために他ならない。

 魔王城から一人で、神樹の下までやって来い。
 そんな無理難題を吹っ掛けた後、当の本人はいつぞやのように僕の目の前からさっさと消えてしまった。
 僕に想いのままを口にするよう強制してきた張本人のくせに、「嫌だ、無理」とこちらが意思表明する隙すら与えなかったのだ。
 
 独りで眠ることがなんだか落ち着かないとか、あの温もりとあの声が傍にないと意識した途端に生まれる心細さなんて、わざわざ自覚させないでほしい。
 きっと『その日』はいつか来るのだろうけれど、今の僕はもう言い逃れできないほどに、あの強引で無茶苦茶な男の傍にいたいと思って――。

「ひひーん、ぶるぶるぅ」

 のっしのっしと軽快に歩を進める『馬』が上げたわざとらしい鳴き声に、つらつらと考え事を続けていた僕も我に返った。
 魔王城から神樹へ至る道のりは、決して平坦ではない。
 まずは広い草原を抜け、神樹の裾野に広がる魔物と獣が跋扈ばっこする深い深い森を踏破しなければいけないのだ。

 ただ幸いなことに、神樹の下までは道が続いているらしい。
 整備された街道から最終的には獣道へと変わるそうだが、天を衝くほどの巨木を目指して逸れることなく進めば、僕が自分の足で歩き続けるだけでも五日程で到着できるそうだ。
 迷子の可能性が減るのは助かるけれど……五日間歩きっぱなしとか、軍にいた頃ならまだしも魔王の傍で至れり尽くせり生活に慣れた僕に耐えられるの?
 元々体力の無さには自信があったのに、この国での生活で輪をかけてそれが強化されているとしか思えないのに?

 そう不安を口にした僕に、練兵場に集っていた魔族の皆は我が事のように考えてくれた。

「ユーリオたん一人で来いとは言ってたけどよぉ」
「馬を使うなとは言ってなかったッスねぇ」
「馬車でもいいんじゃね?」
「ユーリオたんがさっさと退却できるよう、足は身軽であるべきだべ」

 そんな魔族たちによる相談会議は満場一致で、馬はアリ、となった。
 課題ルールを再確認したくても、出題者本人がさっさと消えてしまったのだから文句は言わせない。

 そうして翌朝、日が昇ると同時に僕は荷物をくくりつけた『馬』と共に、城内にいた魔族総出の盛大な見送りを受けながら、その背に乗って魔王城から出発したわけだ。

 僕が歩くよりも遥かに速い歩みのおかげで既に平原も終盤に差し掛かり、少し先に神樹の森、その外縁部が姿を見せている。
 以前、魔王が連れて行ってくれた農場の森とは別方向だし、距離も随分違うように感じるが、普通の『馬』よりかなり歩みが速いおかげであっという間に森まで到達できたみたいだ。

「もう森に着くんだ……本当に速いね。ありがとう、えっと……『馬』」

「ぐふっ!!ひ、ひひーん!」

 ゴロゴロと喉を鳴らしながらも、馬の鳴き真似をしてみせる僕の騎馬は、オレンジの混じった黄色の体に黒い縞模様を纏った派手な毛皮をした、四つ足の獣である。
 乗馬用というより軍用馬を彷彿とさせる大きさと、がっしりとした体躯なのだが、その頭部はどこからどう見ても馬面ではなく――ネコ科生物だ。
 口元には上顎から生えた二本の牙が飛び出しているし、もっふもふとした白い胸毛も、鋭い爪が隠された大きな足には肉球もある、『馬』……。

 つまり――『馬』と言い張る『虎』なんだよね。

(さすがに、これはいいのかなぁ……。魔王は怒らないかな……) 

 城から出立する時に、僕の『馬』として当たり前に用意されていたのが、このアスタードという名の虎顔武人魔族がその姿を変化させた存在だった。
 本当の馬のように鞍と道中に必要となるだろう荷物をその背に括りつけられ、おとなしく膝を折って長い縞々尻尾をご機嫌に揺らめかせていた虎を前に、僕もしばらく色々と考えてはみた。
 でも、サリオンやウーギを始めとする魔族の皆から口々に、

「いやいや、どこから見ても馬ッス」
「馬ですねぇ。言葉は通じますが戦闘はしませんし、退却も手伝ってくれますが、馬です」
「本気出しゃぁ転移魔法も使えちゃうらしいけども、馬だんべ」
「どこにでもいる馬だなぁ」
「本当は喋れるけど馬語でしか話さないんだから、馬だろうなぁー」

 などと言い募られて、押し切られてしまったんだもの。
 なるほど、魔族にとってはこれも『馬』扱いでいいのか、とその時は僕も洗脳され、いや、納得してアスタードに乗せてもらうことにしたんだけれど……やっぱりいざ考え直すと、これは魔王が出した条件に違反しているような気も……。

(っだめだめ。また考え事に気を取られてる。ここからは森に入るんだから、獣や魔物に注意を払わないと!)

 そう自分に言い聞かせながら、濃緑の外套の下にある肩掛けカバンをもう一度腹の前に置き直した。
 この中にはすぐに使い魔を出せるよう、あらかじめ魔法陣を書き込んだ紙と予備の道具一式を入れている。
 しょぼい攻撃魔法が当てにならない分、これが僕の生命線になるわけだけれども、本来ならなかなかこんな準備はできない。

 魔法陣を構成する術式は魔力を帯びたインクで描かれているが、時間経過と共にその魔力を失ってしまう。
 王国で広く流通していた一般的な専用インクではせいぜい十分が使用限度で、軍で希望者へ僅かに支給される高品質な物でも三十分もつかもたないかといったところだ。

 だから使い魔は、雑用に使われるくらいがほとんどで戦闘には向かない。
 僕だって初陣で追い詰められなければ、前世の知識がなければ、使い魔で一手打とうなんて思いもしなかったもの。 

 でも、魔族の国ザルツヴェスト産のインクはそもそもの出来が違う。
 紙に描いてからも優に半日以上は、魔法陣として機能するのだから。
 これが他国に流通すれば戦争の形も変わるのかもしれないが、さすがの魔王も敵に無条件で塩を送る真似はしていないらしい。

 一応は禁輸品として国内で管理されているそれを、惜しげもなく僕には使わせてくれていることをどう思えばいいのか。

 魔王が傍にいないせいで余計にまた、ぐるぐると頭の中で考え込み始めた僕は『馬』が森の奥へと歩を進めてもしばらく、気が付いていなかった。
 やけに、森の中が静まり返っていることを。
 ようやくその異様な静けさを不思議に思った時、森の奥から今はまだ充分に舗装された街道を歩いて来る数人の人影を目にした。

 魔王城の外にいるのは、AI搭載型ペンギン魔族たちか国境警備にあたる魔族のみ、と知っている以上否応なく緊張してしまう。
 王国では聞いたことも見たこともないけれど、人型の魔物だろうか。
 それとも、魔王の配下ではない魔族……というならず者のような存在でもいるのだろうか。

 だが、次第にその人影たちが近づくにつれ、僕の体からははっきりと力が抜けた。それはもう、盛大に。

「おやおや?これは奇遇ですねぇ」
「女王様もお散歩ッスか~?いい天気ですからね。ウーギたちもこの通り、懇親会を兼ねたお散歩中ッス」
「あ~今日はいい日だなぁ。そうだ、せっかくだからユーリオたんもオレたちと一緒に休憩しましょ。ね?ね?」

 見慣れた宰相蛇に執事兎を筆頭に、なぜか森の奥からやって来た見知った魔族たち。ついでに言うと、今朝見送ってくれた魔族たちに他ならない。
 その最後尾には大きな荷車を引いている魔族もいるのだが、荷台にこんもりと積み上がっているのはどう見ても危険な獣や魔物たちの亡骸で……。

「……ありがたいのは、ありがたいんだけどさ……あの、ちょっと過保護すぎない?」

 これでは魔王の課題の意味がないのではないだろうか。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約者は聖女を愛している。……と、思っていたが何か違うようです。

恋愛
セラティーナ=プラティーヌには婚約者がいる。灰色の髪と瞳の美しい青年シュヴァルツ=グリージョが。だが、彼が愛しているのは聖女様。幼少期から両想いの二人を引き裂く悪女と社交界では嘲笑われ、両親には魔法の才能があるだけで嫌われ、妹にも馬鹿にされる日々を送る。 そんなセラティーナには前世の記憶がある。そのお陰で悲惨な日々をあまり気にせず暮らしていたが嘗ての夫に会いたくなり、家を、王国を去る決意をするが意外にも近く王国に来るという情報を得る。 前世の夫に一目でも良いから会いたい。会ったら、王国を去ろうとセラティーナが嬉々と準備をしていると今まで聖女に夢中だったシュヴァルツがセラティーナを気にしだした。

俺のこと、冷遇してるんだから離婚してくれますよね?〜王妃は国王の隠れた溺愛に気付いてない〜

明太子
BL
伯爵令息のエスメラルダは幼い頃から恋心を抱いていたレオンスタリア王国の国王であるキースと結婚し、王妃となった。 しかし、当のキースからは冷遇され、1人寂しく別居生活を送っている。 それでもキースへの想いを捨てきれないエスメラルダ。 だが、その思いも虚しく、エスメラルダはキースが別の令嬢を新しい妃を迎えようとしている場面に遭遇してしまう。 流石に心が折れてしまったエスメラルダは離婚を決意するが…? エスメラルダの一途な初恋はキースに届くのか? そして、キースの本当の気持ちは? 分かりづらい伏線とそこそこのどんでん返しありな喜怒哀楽激しめ王妃のシリアス?コメディ?こじらせ初恋BLです! ※R指定は保険です。

貴方様の後悔など知りません。探さないで下さいませ。

ましろ
恋愛
「致しかねます」 「な!?」 「何故強姦魔の被害者探しを?見つけて如何なさるのです」 「勿論謝罪を!」 「それは貴方様の自己満足に過ぎませんよ」 今まで順風満帆だった侯爵令息オーガストはある罪を犯した。 ある令嬢に恋をし、失恋した翌朝。目覚めるとあからさまな事後の後。あれは夢ではなかったのか? 白い体、胸元のホクロ。暗めな髪色。『違います、お許し下さい』涙ながらに抵抗する声。覚えているのはそれだけ。だが……血痕あり。 私は誰を抱いたのだ? 泥酔して罪を犯した男と、それに巻き込まれる人々と、その恋の行方。 ★以前、無理矢理ネタを考えた時の別案。 幸せな始まりでは無いので苦手な方はそっ閉じでお願いします。 いつでもご都合主義。ゆるふわ設定です。箸休め程度にお楽しみ頂けると幸いです。

都合のいい妹に婚約者を寝取られて婚約破棄されました~辺境に逃れたら再び恋の嵐?~

tartan321
恋愛
都合のいい妹に導かれて、婚約者はいきなり、 「婚約破棄する!」 と言い出しました。 優秀な妹に出し抜かれて、婚約破棄された令嬢は、辺境に行くことを思いつきました。 適宜、加筆しておりますので、一度読まれた方も、確認いただけると幸いでございます。 2020/10/9をもちまして、完結といたしました。続編につきましては、ご要望がありましたら、書いていきたいと思います。

マジで婚約破棄される5秒前〜婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ悪役令息は一体どうしろと?〜

明太子
BL
公爵令息ジェーン・アンテノールは初恋の人である婚約者のウィリアム王太子から冷遇されている。 その理由は彼が侯爵令息のリア・グラマシーと恋仲であるため。 ジェーンは婚約者の心が離れていることを寂しく思いながらも卒業パーティーに出席する。 しかし、その場で彼はひょんなことから自身がリアを主人公とした物語(BLゲーム)の悪役だと気付く。 そしてこの後すぐにウィリアムから婚約破棄されることも。 婚約破棄まであと5秒しかありませんが、じゃあ一体どうしろと? シナリオから外れたジェーンの行動は登場人物たちに思わぬ影響を与えていくことに。 ※小説家になろうにも掲載しております。

異世界日帰りごはん【料理で王国の胃袋を掴みます!】

ちっき
ファンタジー
異世界に行った所で政治改革やら出来るわけでもなくチートも俺TUEEEE!も無く暇な時に異世界ぷらぷら遊びに行く日常にちょっとだけ楽しみが増える程度のスパイスを振りかけて。そんな気分でおでかけしてるのに王国でドタパタと、スパイスってそれ何万スコヴィルですか!

【完結】美醜逆転!? ぽっちゃり令嬢のビボー録

酒本 アズサ
恋愛
侯爵家の長女として産まれたアレクシアはまるで花の精の様だと周りにチヤホヤされながら育っていた。 3日後に4歳の誕生日を控えたその日は大雨で外に出られなくてイライラしていた為、タイミング良くミスをしたメイドに八つ当たりしてストレス解消していた。 「あなた見た目が悪いだけじゃなく仕事もまともに出来ないのね、そんなかんたんな仕事も出来ない人はこの侯爵家のメイドとしてふさわしくないんじゃない?」 泣きそうなメイドを見てせせら笑った次の瞬間、視界を真っ白に染める程の大きな雷が庭に落ちた。 落雷の轟音を聞きながらフラッシュバックの様に蘇る前世の記憶。 そのまま倒れて1時間。 は? 誰が花の精みたいやって? 溢した紅茶を拭いとったソフィーの方がよっぽど花の精やん、皆私が侯爵令嬢やからってご機嫌取りの為にお世辞を言うとっただけやんか! こんな幼児の内から成人病まっしぐらな体型やのに花の精なんて言われて喜んでた自分が情けないわ、そやけどリップサービスにしては妙に皆うっとりと私を見とったのは何でなん…? 前世の記憶を取り戻し、麗しき悪役令嬢になりそこねた侯爵令嬢……のお話。

またね。次ね。今度ね。聞き飽きました。お断りです。

朝山みどり
ファンタジー
ミシガン伯爵家のリリーは、いつも後回しにされていた。転んで怪我をしても、熱を出しても誰もなにもしてくれない。わたしは家族じゃないんだとリリーは思っていた。 婚約者こそいるけど、相手も自分と同じ境遇の侯爵家の二男。だから、リリーは彼と家族を作りたいと願っていた。 だけど、彼は妹のアナベルとの結婚を望み、婚約は解消された。 リリーは失望に負けずに自身の才能を武器に道を切り開いて行った。 「なろう」「カクヨム」に投稿しています。

処理中です...