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11.だから、なんで?

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 悪いようにはしない、と魔王は言った。
 寝起きの頭であろうとも、僕だってはっきりと聞いたのだから間違いない。

 でもどうせ口だけだろうな、と胸の奥で毒づくのはやめられない。
 僕らしくない期待なんて、もう絶対にするものか。
 これからどんな不条理がこの身に降りかかろうとも、取り乱すことなく流されるまま、できる限りは生き延びようと強く自分に言い聞かせる。

 でもそれは、ほぼ無駄な行為だった。

「あぁぁあもおぉお!!おろして!おろして下さいってば!!自分で歩けるって言ってるでしょー!!」 

「はっはっは、余の楽しみを奪うなど酷な真似はよせ。」

「同じ言語なのにどうして意味が通じない……ッ」

 灰色の寝巻シャツはそのままに、黒いゆったりとした膝丈までのズボンをはいたラフな格好の僕は今、魔王におんぶされる形で城らしき場所の回廊を移動しているところだ。
 ここも全てが黒曜のような光沢のある黒い石材で造り上げられていて、窓がないにもかかわらず壁面に一定間隔で灯されている柔らかな照明の光だけで真昼のように明るい。

 というか今は、いつ頃なんだろうか。
 目覚めた時、室内には黄昏の綺麗な光が差し込んでいたが、それが朝なのか夕方なのかは判別がつかない。
 精々三時間ほどが活動限界である初級使い魔こと、マイベストフレンドのスライムも消えていたことから、寝落ちしてからそれなりの時間が経っているとは思うのだけれども。
 その証拠に、なんだかとてもお腹がすいているし。

 そんな疑問もさることながら、僕は一体どこへ連れて行かれているのだろうか。

 自分で歩けるからといくら言っても、頑なに僕を下ろしてくれない魔王。
 その長く手触りの良い銀の髪をもう一度、馬の手綱を引くように両手でひと房ずつ掴んで引っ張りながらどこに向かっているのか、いいかげん尋ねることにした。

 本当ならまずはこの男に媚びるべく下手に出て、初夜後の無礼も含めて謝罪のひとつでも口にしなければいけない、そうわかってはいるのだけれども……。

「魔王はさぁ、僕をどこに連れて行くの?処刑?」 

 どうせ話が通じないならとばかりに、余計な考えを捨て去った言葉がためらうことなく口から飛び出てきてしまった。
 ただ、幸いなことにこんなぶっきらぼうな僕の言い方でも、魔王はとても楽し気にその低く響きの良い声で応えてくれる。  

「ユーリオは同じ冗談を好むのか?余は伴侶を処刑する趣味は持ち合わせておらぬし、嬲る趣味も――しとねの中を除けばないが?」

「ッ……そっちも例外なく否定してよ!」

 ちらりと背後を振り向くようにして僕と視線を合わせた魔王は、そう意味深に口元を吊り上げていた。それはあの薄暗がりの中で浮かび上がっていた笑みと同じ、もの、で――……。
 そのせいで連鎖的に思い出したくもない自分の醜態がありありと脳裏を過って、ついまた声を荒げてしまったではないか。本当に、僕らしくない。

 もう余計な話なんてするものか、と蒼く灯る双眸から顔を隠すように仕方なく男の肩口に頭を乗せて僕は押し黙った。

「……くふ、ふっ……い、愛いなぁ……」 

 その途端、そんな喜色に満ちた囁き声が耳に届いたけれど、僕はまた魔王の髪を無言で引っ張るだけで耐えたのだった。


 こっそり空腹を抱えながらも、そうして僕が運ばれた先は広い広い半円形のバルコニーだった。
 ちょっとした広場ほどはあるそこでまず目を惹くのは、腰の高さほどある黒い手摺壁てすりかべの向こうに鎮座する大樹だ。

 黄金色の空を覆いつくすように枝葉を広げる巨木は、多種多様な知見だけが取り柄である前世の記憶をもってしても想像をはるかに超える大きさで、思わず息を止めて見入ってしまうほど。

 よくよく見れば、バルコニーからその大樹までかなり距離もある。なのに樹が大きすぎるせいで、実際の遠近感が狂ったような気さえしてくる。
 もしその太い幹を囲うとするならば、数百人が輪になろうとも難しいかもしれない。 

 そんな圧倒的な生命力に気圧され、ただ口を小さく開けてその威容に言葉もなく感嘆することしかできない僕を我に返したのは、魔王の平然とした声音だった。

「ふむ、今日も良き日だ。あれを眺めてゆるりと食事でもしながら、話をするとしよう。」

 コツコツと長い足が音を立てて硬質な黒い床を進むにつれ、この場所がかなりの高所にあることに遅ればせながら気づく。
 はるか遠くにそびえる険しい山脈や、その麓に広がる平原が見渡せるくらい見晴らしが良いのだ。

 そして魔王の背に負われたまま何気なく後ろを振り返ると、そこには王国の城より何倍も大きく、高く天を衝く、闇を塗り固めたような漆黒の城。

 大小の尖塔が各所を彩り、城壁の至る所に様々なレリーフが施されたその様は、これがこの世界の人の手では――いや、色々と優れた前世の世界であっても到底造り上げられない物だと文句なしに称賛できるほどの、芸術的な美しさを纏っている。

 僕がこれまたあっけにとられている間にどこから生えてきたのか、何もなかったバルコニーに白いクロスで覆われた丸テーブルと、同じく白いソファーが忽然と現れていた。

 そこへ僕をすとんと下ろした魔王は、当然であるかのようにそのまま隣に腰かけた途端、僕らが出てきた城内へ続く回廊からあのコック帽を被ったペンギン魔族たちが待ってましたとばかりに、わらわらと押し寄せてくる。
 各々の手には料理が乗った皿や、果物らしきものが入ったバスケット、果てはパンや飲み物が満載されたワゴンまで押しながら疾走してくるとか、ちょっとした恐怖映画だ。

 だから、その勢いに小さくひっと息を飲んでしまったのは仕方ない。
 ついでに、掴みやすい場所にあった誰かの純白ローブの裾を握ってしまったのも。

「……あー……どうする寝室に戻るべきか、いやまずは食わさねば……うむ、余の計画は完璧である……」

 天を仰いで鼻の付け根辺りを抑えている魔王がぶつぶつと呟くなか、入れ替わり立ち代わりテーブルに群がるペンギンたち。
 その波が収まる頃には、溢れんばかりの料理の皿が並べられ、目の前にはここ数日で一番お世話になったあの飲み物が、透明なグラスの中で僕を待っていた。

「あ、わ、い……いただきます……」 

 そうコレコレ、この素晴らしく美味しい飲み物の為だけに魔王の求婚なんていうとんでもないものを受け入れる決心をしたのだから。
 もうここは頂いちゃってもいいよね、ね?

 ちらりと隣の魔王の顔色も一応伺ったが、何も言わずにうんうんと微笑んでくれているし。

 だから僕は、欲望に忠実なままグラスに手を伸ばし、今日もまた至福の美酒をまずは一口、味わいながら飲み込んだ。

「ふ、わぁぁ……はー……」

 ふわりと鼻に抜けていく芳醇な香りと舌の上に広がる仄かな甘み、程よく冷えた液体が喉を潤す心地良さ。
 その全てを堪能すれば、もはや幸せなため息しか出てこない。
 もうこの為だけにあの夜を乗り越えたのだと思えば、ちょっとだけ視界も潤みそうになる。

 だが、そう感動に浸る僕を否が応でも現実に引き戻す男が、すぐ隣に存在していた。


「うむ、しっかりと飲むがいいぞ。ただの人間には毒でしかないが、余の魔力に馴染んだ其方ならば何の問題もあるまい。」


 幸せな気分をその一言で葬り去られた僕が、かろうじてグラスを手から落とさなかったのは奇跡だろう。

 そうして唖然としながら魔王を見上げる僕に語られたのは、この魔族の国には魔力由来の毒素が満ちていて、ただの人間では何もしなければ一年ともたずに死んでしまうということ。
 この土地で育まれた毒素に満ちた食材を食べ、その毒素に適応しきっている魔族と……その、体液交換……つまり肉体関係を持ったりすることで体を慣らしていけば、やがては無害となるそうだ。

 だが、

「慣らしに時間をかければかけるほど肉体へ負荷がかかり、寿命が縮む。しかし、急激に負荷をかけたならば人の身にも変化をもたらし、儚い時の制約を打ち破ることもできるわけだ。もっともそのような秘儀は、余でなければ到底なしえぬがな。どうだ、素晴らしかろう?」

 そう得意げに語りながら、僕に緑色をしたゼリー状の物が乗ったスプーンを差し出す魔王。
 その言葉通りであるならば、これも人間ぼくにとっては『毒』なわけだ、へぇー。誰だろう、宴でもう散々食べたり飲んだりしたのって。


「――つまり簡単に言うと……?」

「うむ、最もこの地に適した余の魔力をあますことなく受けた其方は、既に我らと同じような存在に変じているというわけよ!はっはっは、仲睦まじく世界の終りまで共に在ろうではないか。な?ユーリオ。」


 悪びれるそぶりも一切なく、愉し気に笑う男。
 もはやあれこれ考えることすら放棄した僕はまた一口、本当は毒だったというその甘露を飲み込んだ。
 その後に僕ができたことといえば、深い深いため息とともに「だから、そういうことは先に言ってよ」と力なく呟くくらいで……。


 だというのに、それから一か月後――何をどう間違ったのか、僕は魔族たちから「ユーリオたん」の他に「女王様」とまで呼ばれるようになっていた。




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