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7.いやなものはイヤ

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 確かに、魔王の求婚は受け入れた。
 酷く酔っ払っていたような気分だったけれど、もうどうにでもなればいいや、と自分で決めた。
 それくらい口にした飲み物が、おいしかったから。

 相手は敵国の魔族にんげんたちだというのに、生まれて初めて手放しにちやほやされて、戸惑いながらもいい気になっていたんだろう。

 だからこんな、まるで裏切られたかのような酷いショックを受けているのか。
 停戦の為に僕の身柄を魔族へ引き渡す、と告げられた時と同じように。

 それでも僕には余計な知識があるからね。
 別に僕自身が大切にされないことなんて今更だし、むしろ敵国に売り払われた時点で拷問処刑コースを覚悟していたのだから、それに比べればこの程度軽い軽い。

 まがりなりにも魔族が集う席で魔王自身から求婚され、それを了承した僕は、もう単なる敵国のいち魔導士として簡単に殺されることはないはずだ。少なくとも、魔王からの関心がある限りは。
 その魔王だって、あのおいしい飲み物を好きなだけ飲ませてくれると約束してくれたくらいだ。きっと愛玩動物レベルには、僕を大事にしてくれると思う。

 ならばそれと引き換えに男とセックスするくらい、対価としてなら安すぎる。

 それほどまでにこれは破格の、願ってもない好条件のはず、なんだ。
 勝手に抱いた期待で傷ついた気になる前に、ただ喜んでこの貧相な体を差し出せばいいだけ。それが正解。

 そうすれば色事には不慣れであろうとも、この魔王おとこの機嫌を損ねることはまずないだろうし、ここでの僕の未来はますます安泰になる……はずだ。

 前世の知識と経験に基づいて僕の頭は冷静に、そう答えを出せている。そのはず、なのに――……


「っやだ……!いやだっ!!離してっ……ひっ、ぅ……やぁあぁッ!」


 振り回そうとした両手は魔王の大きな片手ひとつであっさりと頭上にまとめて縫い留められ、バタバタともがく足はただ宙を蹴る。
 目から勝手に次から次へと頬を伝っていく熱は、ぬるりとした舌先に小さく舐め上げられて消えていく。

 その感覚にさえ盛大に怖気おじけづいて、せっかく弾き出した最良の答えとは正反対の行動をとってしまうとか、なんて愚かなんだろう。
 だけど、いくら頭では理解していようとも、たかだか十六になったばかりの自分ではこの恐怖と嫌悪を上手くあしらう方法なんて思いつかない、無理。

 本当に、役に立たない記憶だ。
 いや、もしも前世の記憶なんて持っている人間が僕でなければ……これが他の誰かだったら、もっときっと上手く何でもできたのかもしれない。

 家族にも当たり前に愛されて、尽くした国に売られることもなく、自分を好きだと言ってくれる人に本当に大切にされる――……そんな順風満帆、バラ色未来を掴めていたんだろう。

 僕でさえ、なければ。

 仰向けに抑え込まれたまま鬱々としながら鼻を啜っている間にも、大きくて少しだけ冷えた手にゆっくりと体を撫でまわされていく。

 輪郭を辿るように男の掌が全身を辿り、時折長い髪が触れてくるくすぐったさにも身を震わせ、顔や首筋を中心に何度も落とされる軽い口付けに更にきつくきつく目を閉じ、唇を噛んでその時間を耐え忍ぶ。

 そんな時に、僕のあごをその長い指先で捉えた魔王が言った。

「……泣き顔もいが、少し口を開けよ。そろそろつらかろう?」

………………むしろ最初から色んな意味でつらさしかないんですが!!?

 そもそも求婚成立直後に、こんな性急に交わる必要なんてないよね!?まさかこれが魔族の文化!?
 いやいやいや、例えそうだとしても僕のことが本当にちょっとでも好きならさ、ユーリオ『たん』とか変な呼び方する前に!もうちょっとだけでいいから僕の気持ちだって大事にしてよ!!もぉおおぉお!!!

 頭痛と気分の悪さに加えて精神的に追い詰められた状態だったこともあり、思わず頭の中でそう愚痴ホンネをぶちまけた僕は、ついカッと目を開けていた。
 もう少し時間があれば、思考そのままの言葉を魔王にもきっと届けられただろう。

 でも、目と鼻の先で揺らめく双つの蒼いともしびは、とても心配そうに僕を見つめていて、その綺麗な色に束の間、魅入られてしまう。

 そうして固まっているうちに、静かに距離をなくした唇と唇がくっついて――――我に返った。

「ッ!?んぅ~~~!!ん!むぅぅぅう!!!」

 いーやーぁぁぁぁああ!!コレ間違いなくキスじゃん!!しかも舌ぁッ!?舌まで入ってきてるぅうぅ!!
 やだやだやだやだ気持ち悪いッやだぁあああ!!あ、噛んじゃった……!え、つ、つい思いっきり歯を立てちゃったんだけど、魔王大丈夫?怒ってな――ひぃい!?

 熱くてぬるついた、気味の悪い生き物のような他人の舌は魔族だからか魔王だからなのか、反射的に目を閉じた途端、僕が強く噛みついてしまったにもかかわらず、そのまま口内で平気そうに暴れまわるではないか。
 顎を捕まれているから、首を振って逃げることもできない。その尖った両耳を思い切り引っ張ってやりたいのに、手首でまとめて抑えつけられたままの両腕だってびくともしない。

 できることといったら、魔王の長い足……ふくらはぎ部分だろうか?その辺りを自分の踵(かかと)でゲシゲシ足蹴にしながら、悲鳴とも唸り声ともしれない音を喉の奥から立てることくらい。

「ふっ、ぅ……んぅ!っ……ん、ふ……?」
 
 そのはず、だったんだけれど……。
 どちらのともしれない唾液を全身に鳥肌を立てながら幾度か飲み込み、無理矢理絡み合う舌に疲れて怠さを覚えだした頃、体がふっと軽くなったような気がした。

 二日酔いじみた気分の悪さも、ガンガンと鳴り響く頭痛も、先程より随分と楽になっているみたいだ。
 なんで?

 僕がそう疑問に思ったのが伝わったのか、嫌がりすぎていいかげん魔王の機嫌を損ねたのか、唐突に口が解放される。
 どうしよう。興醒きょうざめだ地下牢で処刑でも待っていろ、と不愉快気に言い放たれるのかもしれない。
 正解を無視して悪手一択しか取れなかった自分を呪いながら、そろりと目を開けて魔王の様子を窺うと

「うむ……少しは顔色が戻ったか。余の口づけはどうであった?」

 ほっとしたように目元を和ませて、指先で僕の頬にかかる自分の長い髪を払いのける男が、薄暗がりのなかで微笑んでいた。
 その穏やかな気配に僕の緊張がついに切れたのか、それとも頭がまだ酔っ払っていたのか、どちらにせよ自由に息ができるようになった口からは自分で止める暇すらもなく、本心が言葉となって突撃していってしまった。


「え、気持ち悪いんですけど。」

「ユーリオたーん!!?さすがに余も泣くぞ!?……っごほん、いや待て、違う、よいかユーリオ。余が尋ねたいのはそういうことではなく、いやそれも後々には非常に気になるが……」


 僕の胸に突っ伏して嘆いた後、気を取り直したように顔を上げてつらつらと言い募る魔王。
 彼はどうやら、僕の体調の変化を聞きたかったらしい。

 なんだろう?キスの間に酔い覚まし的な魔法でもかけてくれたのだろうか。……じゃあ、もうこういう変な事は終わりでいいのかな?いいよね!きっとそうだよね!?

「そうか、多少は楽にはなったか。ということはまだ不調ではあると……ふむ、ならば手早く済ませるとしよう。」

 あ、終わった。

 ごく最近も『人生終わった』と思ったことがあったけれど、これは絶対に何か終わった。
 もう涙も止まって虚無が占め始めた頭の中でそう繰り返しながら、僕は簡単にぐるりと体が反転させられるのを感じていた。

 その直後、

「ッッ……!ユーリオたんの尻ちっちゃッ……!!これは尻か!?それとも新種の果実か!?」

「ひぃぃい!?いーやーぁぁぁ!!お尻揉まないで!むしろ触らないでってばぁ!!や、やっぱりもうやだぁぁあッ!!」

 僕の体のなかで唯一それなりに肉らしき部分があるお尻を、大きな手でさわさわもきゅもきゅと揉みしだかれ、たまらず大声で泣き言を叫ぶ。


 それが、いやだいやだと心の底から主張していられた、僕の最後だった。



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