絶対不要の運命論

小川 志緒

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未来、十五歳(また、何度でも)

「あなた方に感謝を。そして、祝福を」

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 マリオンには言わなかったけれど、一度だけわたしはわたしを呪った魔女に会った。
 会ったのはそれ一度きり。
 もう会うことはできないだろう。
 だって彼女はようやく、愛する娘のもとに行くことが許されたのだから。

 ずっと彼女の気配は感じていた。昔からずっと。最初のマリアでいた頃から。憎いものを見つめる視線ではなかった。見守るような優しい眼差しがいつでもわたしを包んでいるのを、わたしは知っていた。
 あの慈しむような目が悲しいときも苦しいときもわたしを見てくれていたから、わたしはどんなに泣いたってまた笑顔を取り戻すことができたのだ。

「マリアさま」

 声が聞こえて振り向くと、両手を顔の前に組んで跪く女のひとがいた。
 烏のような濡羽色の髪は腰に届くほど長く、伸びるままにしているようだったけど、艶々としてきれい。黒づくめの服から覗く肌は透き通るような白さ。初めて見たのにわたしはそれが誰なのかわかった。
 マリオンは呪いであまりからだの自由が利かなくなったわたしのために、街へいろいろ素敵なものを買いに行ってくれている。部屋にはわたしたちだけでちょうどよかったと思った。

「あなたね」

「はい」女は静かに応えた。「左様にございます」

 彼女は全身からまばゆい光を放っていて、わたしは思わず目を細めた。なんて眩しいのかしら。まるで天使さまね。きらきらと輝くからだは少し透けて見えるような気がして、「あ」とわたしは悟ったのだった。
 ああ、そういうことなんだわ。彼女はもうじき、天の国へ行く。そのお別れを告げに来たのだわ。

「もうきっと最後なのに、顔を見せてはくれないの」

 と、わたしは訊いた。

「罪なきこどもを呪う女の顔など、一目と見られぬ醜さでございますから」

 と、彼女は答えた。
 そうして組んだ両手にますます力を込めて、彼女は深く頭を下げた。

「許されようとは思いません」

「ええ」

「あなたに取り返しのつかないことを致しました」

「ええ」

「本来であれば償えない罪です。一生この世を彷徨うことが、相応しい罰でございました」彼女はうっすら涙声になって言う。「しかし神さまがわたくしに間違った慈悲をお与えになって、あと数分もしないうちに、わたくしの魂は天の国へ導かれてしまいます。自分を呪った女の声など聞きたくはないでしょう。ですがからだが消滅するその前に、やはりあなたにはどうしても、心からの謝罪を申し上げたく思った次第でございます」

 勝手を申しているのは重々承知です、と彼女が言い終える前に、わたしは口を開いた。

「わたしの傍にずっといてくれたわね」

 彼女はハッとしたように肩を揺らし、それから小さく頷いた。

「わたしが悲しい気持ちでいるとき、ほかの誰も気づかないときでも、あなただけはわたしの悲しさを知っていて、いつでも寄り添ってくれたわ」

 彼女は細い鳴き声を漏らしながら、二度、三度と頷いた。

「わたしの幸福を心から願ってくれているのだと、わたしはちゃんとわかっているの」

 彼女はとうとう組んでいた手を解き、そのまま顔を覆って泣き出した。

「ねえ、だから、もういいの。許してあげる。世界中の誰があなたを責めたって、わたしが許すわ。もう泣かないで。あなたに罪はもうないわ」

 しばらく激しく泣いた彼女は、いささか乱暴に頬を拭い、おそるおそるわたしのほうを見た。目が合った途端、そんなのはこの場面に似つかわしくないのに、声を上げて笑いそうになった。醜いなんて嘘。夜と同じ色をした目も、ふっくらとしたくちびるも、通った鼻筋も、ぜんぶ綺麗だわ。うつくしい顔がそこにあった。
 彼女はふっと微笑んだ。
 思わずうっとり見惚れてしまうような微笑だった。
 なんてうつくしいひとだろうと思っていると、彼女が身に纏う光が急に大きくなった。ひときわ明るく輝いて、輝いたと思った瞬間には彼女のからだはますます薄く透き通っていった。

「さようなら、優しいあなた。わたくしは今、心底からあなたが愛しくて堪らない。ひどい仕打ちをお許しになるあなたの気高さ、うつくしさを、わたくしはきっと忘れないでしょう。孤独に押し潰されかけていたこの胸に再び火を灯してくださったあなた。生まれ変わらせてくださったあなた。あなたは謝罪など要らないと仰るのでしょうから、せめてあなた方に感謝を。そして、祝福を。どうか世界中で誰よりも完璧なしあわせを手にお入れになって」

 そうして彼女はきらきらと光り、景色に溶け込んでいった。細かな光の粒子が宙を舞っているのを眺めていると、胸が詰まった。

「ねえ、わたし、花が見たいの! マリオンと春に花を見る約束をずいぶんと前にしたんだけど、守れないまま今になってしまったわ。花の名前を持つあなたなら、素敵な春の花をご存知ない?」

 もう、彼女はいなくなってしまったかしら。返事がない一人きりの部屋でわたしはちょっと泣きそうになった。あなたともっと話したかった。話したかったわ。

 ーー桜が好きですよ、わたくしは。東の小さな島国に咲く、うつくしい花です。
 遠くから響いてくるように声が聞こえて、それきり光もふっと消えて、もう彼女からの返事はなかった。

 それでわたしは決めたのだった。
 桜を見よう。
 十六になる年の春に。
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