絶対不要の運命論

小川 志緒

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未来、十五歳(また、何度でも)

「最高にしあわせに生きるには、人生は短すぎるもの」

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 マリアは十六になる前にあっけなく死んだ。
 春を迎えないままひっそりと。
 一緒に見に行きましょうと言っていた花は僕ひとりで見に行った。
 あなたがいないので感動は薄く、ろくに見ないままあとにした。

 百年も待つ必要はないとマリアは言ったけど、いったいどれくらいの時をひとりで過ごせばいいのかしらと僕は悩んだ。
 マリアのことだけを考えているうちに季節は何巡もし、僕は寂しかったけど、寂しいという状態に慣れつつあった。ぶらぶらと行く当てもなく街や森を彷徨い歩く日々が続いた。ねえ、マリア、どこにいるの。本当に戻ってきたの。約束は必ず果たされるべきもの、あなたも知っているでしょう。

 やきもきしながら過ごしたある日、僕は奇妙な夢をみた。

 ――あのね、マリオン、世界って広いのよ。

 呆れたような面白がるような明るい声が響いた。
 僕はあたりを見まわしたけど、ひとの気配はない。僕以外に誰もいない。だけどさっき聞こえた声、あれは紛れもなくマリアの声だった。

 ――わたしはいま、その街にはいないわ。

 ――もっと早く言ってよ。

 ――だって、マリオンなら何も言わなくても見つけてくれるかもって思ったんだもの。

 僕は溜息交じりに、

 ――あのね、マリア、世界って広いんだよ。

 と言い返した。
 マリアはくすくす笑ってから、ある町の名前を挙げた。

 ――町でいちばん大きな公園の、ピンクの薔薇の隣のベンチで待ち合わせよ。

 ――わかった。

 ――わたしの見た目、ちょっと変わってしまっているけど、ほとんど同じだから、ちゃんとわたしだってわかってね。

 ――もちろん。あなたこそ僕を忘れてなければいいけど。

 マリアは鼻を鳴らして、わたしが忘れるわけないのだわ、と自信満々に言うのだった。
 
     ◯

 僕らは夢で交わした約束の通り、薔薇の香りでむせ返る公園で再会した。
 一目で僕はマリアがわかった。
 うすいブルーの瞳は柔らかな榛色になり、まっすぐ伸びたブロンドの髪は、チョコレートが溶け出したようなとろりとした色合いに変わっていた。
 それでも見間違えるはずがない。僕のマリア。あなたが帰ってきた。どちらともなく駆け寄り抱き合い激しく泣いた。

「ねえ、マリア、今度こそ長生きして」

 僕は必死に頼んだ。

「しわしわのおばあちゃんになるまでずっと僕といると言って」

 マリアは悲しい笑い方をして俯いた。
 ややあってから、ごめんね、と絞り出すように言う。

「わたしのからだ、まだぜんぜん駄目なの」

 マリアにかけられた呪いは未だに解けていなかったのだ。

     ◯

 それであとは繰り返し。
 十五の秋に死んだマリアは、何回生まれ変わっても冬がくる前に眠りにつく。
 生まれ変わるたび少しずつマリアからかつてのマリアの面影が消えていく。
 もう肌のつめたさも爪の形も首筋の匂いもまるでちがう。

 ふとした拍子に目の前の少女を見つめると、果たして本当にこの子は僕のマリアだろうか、という不安に襲われた。
 僕をお城に連れ帰ってくれた子はもうどこにもいない。孤独のあまりまるっきり別人の女の子に、僕は「マリア」という役を押し付けているのではないだろうか。そんな妄想に囚われることもあった。
 だけど口の端をきゅっと持ち上げる笑い方、照れ臭いときには耳を引っぱる癖。「マリオン、だいすき」と事あるごとに早口で囁くこと。マリアに似ても似つかない少女は、胸が詰まるほど昔とおんなじ仕草をする。だから彼女はやっぱりマリアだった。どんな姿になってもマリアはマリア。僕のいちばん大切な子。

 何度も何度もマリアは生まれ、僕と再会し、そして死んだ。僕は何度も何度もマリアを見送り、マリアを待った。月日はおそろしい勢いで流れ去っていき、はっと気づくとまたファッションの流行が一巡していたりするから面白い。もうそれだけの年月が過ぎたのかと呆然としながら、飽きずに僕はマリアを待つ。
 世の中には愛だの純情だのをもてはやす言葉が溢れかえっているけれど、それらはいずれも弱く、悪意や理不尽にはとうてい太刀打ちできない。僕らを襲ったのもそういう類で、それも運命だと、受け入れられなくても受け入れるしかなかった。運命としか呼びようのない、目には見えない巨大な力は、生きとし生けるものすべてに干渉してくる。そこから逃れる方法はない。きっと。おそらく。たぶん。

 だけどもしかするとそんなふうに物分かりよく諦めてしまうのは早いのかもしれない。だって僕らは桜を見た。

     ◯
 
 ――わたし次はうんと東の国で生まれることにする。

 ――どうしてさ。

 ――桜を見るのよ。

 ――さくら?

 ――そう、春の花よ。

 ――ふうん、じゃあ十五になるまでに見に行こう。

 ――だめ。十六になる前の春に見るの。決めたの。

 僕は「それはできないじゃないか」という言葉を必死に飲み込んだ。あなたは春まで生きられない。十五の秋に静かに息を引き取る。もう数えきれないほど繰り返してきたのに、どうして今更そんな駄々をこねるの。

 ――マリオン、気づいてた?

 ――何に。

 ――ひょっとするとわたし、もうすぐ呪いが解けるのかもしれない。

 声を失う僕に、マリアはうふふと嬉しそうに笑った。
 少しずつ生きられる時間が伸びているのと言うから、僕は注意深く記憶を掘り起こし、決してぬか喜びしないよう慎重に確かめた。それでマリアの言っていることが本当だとわかり、僕はちょっと泣いた。まだ何もかも解決したわけではないのだから早いけど泣いてしまった。秋の初めに永眠していたはずのマリアは、確かに最近では冬の気配が色濃くなってから心臓が止まるのだ。
 マリアはいつかおとなになれるかもしれない。よぼよぼのしわくちゃのおばあちゃんになって、もう満足したって心の底から思えるくらい生きて、それで眠るように死んでいく。本当にそんなことが起きるのかしら。だとしたら僕は世界中の何もかもを愛せる気がする。すべてゆるせる気がしてしまう。

 べつに僕はマリアを呪った魔女が、マリアの優しいこころに打たれて絆されたとは思わない。いくつもの時代を超えるうちに呪いも弱まってしまったんだろう。きっとそれだけのこと。
 マリアは笑って、そんなのはつまらないわ、と言う。どうせ真実はわからないのだから、もっと素敵な物語を描いてしまえばいいのよと。

 ――あの魔女はもう何も恨まずにいられるようになったから、こんな呪いも必要なくなったの。やっと彼女の魂は救われたの。もうどこへだって行けるわ。なりたいものになれるわ。大事なものだけを見失うことなく愛することができるのだわ。わたしなんかに構っている暇はないのよ、だから。最高にしあわせに生きるには、人生は短すぎるんだもの。
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