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番外編 逃がさないけどね ~一ノ瀬君side~ その17
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「はい。熱いから気をつけてね」
そう言って、彼女はコーヒーが入ったマグカップを俺の前に置いた。そして自分の分をテーブルの上に置き、俺の向かいに腰を下ろした。
「有難うございます。………えっ!…あの、それって茶碗じゃ…?もしかして新しいタイプの食器ですか?いや茶碗型のコーヒーカップって斬新ですね?」
俺の目は彼女の前に置かれたコーヒーに釘付けになった。正確にいうと、コーヒーが入っている器にだ。
形状も大きさも抹茶碗に近いが、抹茶のように適温のお茶が少量が入っているわけではなく、熱いコーヒーがなみなみと注がれている。そもそも器の底に高台もないから、コーヒーが冷めるまで持つのも大変そうだ。あれで火傷せずに飲むのは至難の業だろう。
そんな事を考えていると、彼女が真っ赤な顔をして、「…そんなんじゃないわよ。だってこれ、ドリンク用じゃないし…。仕方ないじゃない。他になかったんだから。あ、でもご飯茶碗じゃないからね?シリアル用のボウルだから」と恥ずかしそうに答えた。
……マグカップが一つしかない?
いくら一人暮らしとはいえ、そんな事があり得るだろうか?割ってしまってそのままだとか?…いや、どちらにしても、今まで人が来た時どうしてたんだ?
そのまま疑問をぶつけると、彼女はムキになってガラスのコップなら二個あるのだと言った。そして、この部屋には誰も来た事がないから今まで困った事なんてなかったのだと。恥ずかしいから、あまり突っ込まないでくれと言ったのだ。
……今まで誰もこの部屋に来た事がない?
さすがにそれはないだろう。言い訳にしても無理がある。
人に部屋に入られるのが苦手な人間は一定数いる。相手がどんなに親しい友人でも、嫌なものは嫌なのだろう。そういう人間は絶対に人を自分の部屋に招かない。
けれど、彼女は過去、あの男と不倫関係にあったのだ。
後ろ暗い関係だから、俺達以上に人の目を避けなければならなかった筈だ。そんな二人が逢瀬を重ねるとしたら彼女の部屋以外考えられない。
「今まで客が来た事ないって…。友達は?間嶋さんの奥さんとかも来た事ないんですか?……あの男は頻繁に来てたんじゃないんですか?」
自分で訊いておきながら、あの男がこの部屋に足繁く通っていたのだと思うと胸が灼けるように痛んだ。
「あの男って…もしかして富永さんの事?富永さんはここの場所すら知らない筈よ?別れた後、ここに越してきたから。その時、食器とかいろいろ処分しちゃったのよ…。
それに紗耶香と会う時はいつも紗耶香の家にお邪魔してるし。他の友達と会う時は外で会うから。……私、自分のテリトリーに入られるのが苦手で…」
あの男がここの場所すら知らないと聞いた瞬間、不思議な事に先程までの胸の痛みは綺麗に消え失せた。逆に、この部屋に初めて足を踏み入れたのが俺だという事実に、言いようのない高揚感を覚えていた。
寧ろ、食器や諸々も全て処分しておいてくれてよかったと思った。下手にペアのマグカップなんかでコーヒーを出されたら、あの男の影を感じてかなりモヤモヤしただろう。それならば、茶碗入りコーヒーの方がよっぽどマシだ。
今度、彼女と一緒に買い物にいこう。彼女が捨てたという様々な物を買い集めに行こう。
そこまで思った時、『自分のテリトリーに入られるのが苦手』だという言葉が耳に届いた。
俺は即座に謝った。
元々、俺は彼女の部屋に上がりこむ気など全くなかった。彼女に会う事ができたなら、個室のある店か、俺の部屋に移動するつもりだった。
だが、思い掛けず、彼女が部屋に誘ってくれたから、嬉しくてついお邪魔してしまったのだ。
…もしかして迷惑だっただろうか?マンションのエントランスで待っていたのも、彼女からしたら、押し掛けられたように感じたかも知れない。
俺が俯きかけると、彼女は俺の両腕を掴んで迷惑なんかじゃないのだと否定した。俺ならば構わないのだと、寧ろ嬉しいのだと言いながら、珠のような涙を流し始めた。
そして泣きながら、何度も何度もごめんなさいと謝罪の言葉を口にしたのだ。
そう言って、彼女はコーヒーが入ったマグカップを俺の前に置いた。そして自分の分をテーブルの上に置き、俺の向かいに腰を下ろした。
「有難うございます。………えっ!…あの、それって茶碗じゃ…?もしかして新しいタイプの食器ですか?いや茶碗型のコーヒーカップって斬新ですね?」
俺の目は彼女の前に置かれたコーヒーに釘付けになった。正確にいうと、コーヒーが入っている器にだ。
形状も大きさも抹茶碗に近いが、抹茶のように適温のお茶が少量が入っているわけではなく、熱いコーヒーがなみなみと注がれている。そもそも器の底に高台もないから、コーヒーが冷めるまで持つのも大変そうだ。あれで火傷せずに飲むのは至難の業だろう。
そんな事を考えていると、彼女が真っ赤な顔をして、「…そんなんじゃないわよ。だってこれ、ドリンク用じゃないし…。仕方ないじゃない。他になかったんだから。あ、でもご飯茶碗じゃないからね?シリアル用のボウルだから」と恥ずかしそうに答えた。
……マグカップが一つしかない?
いくら一人暮らしとはいえ、そんな事があり得るだろうか?割ってしまってそのままだとか?…いや、どちらにしても、今まで人が来た時どうしてたんだ?
そのまま疑問をぶつけると、彼女はムキになってガラスのコップなら二個あるのだと言った。そして、この部屋には誰も来た事がないから今まで困った事なんてなかったのだと。恥ずかしいから、あまり突っ込まないでくれと言ったのだ。
……今まで誰もこの部屋に来た事がない?
さすがにそれはないだろう。言い訳にしても無理がある。
人に部屋に入られるのが苦手な人間は一定数いる。相手がどんなに親しい友人でも、嫌なものは嫌なのだろう。そういう人間は絶対に人を自分の部屋に招かない。
けれど、彼女は過去、あの男と不倫関係にあったのだ。
後ろ暗い関係だから、俺達以上に人の目を避けなければならなかった筈だ。そんな二人が逢瀬を重ねるとしたら彼女の部屋以外考えられない。
「今まで客が来た事ないって…。友達は?間嶋さんの奥さんとかも来た事ないんですか?……あの男は頻繁に来てたんじゃないんですか?」
自分で訊いておきながら、あの男がこの部屋に足繁く通っていたのだと思うと胸が灼けるように痛んだ。
「あの男って…もしかして富永さんの事?富永さんはここの場所すら知らない筈よ?別れた後、ここに越してきたから。その時、食器とかいろいろ処分しちゃったのよ…。
それに紗耶香と会う時はいつも紗耶香の家にお邪魔してるし。他の友達と会う時は外で会うから。……私、自分のテリトリーに入られるのが苦手で…」
あの男がここの場所すら知らないと聞いた瞬間、不思議な事に先程までの胸の痛みは綺麗に消え失せた。逆に、この部屋に初めて足を踏み入れたのが俺だという事実に、言いようのない高揚感を覚えていた。
寧ろ、食器や諸々も全て処分しておいてくれてよかったと思った。下手にペアのマグカップなんかでコーヒーを出されたら、あの男の影を感じてかなりモヤモヤしただろう。それならば、茶碗入りコーヒーの方がよっぽどマシだ。
今度、彼女と一緒に買い物にいこう。彼女が捨てたという様々な物を買い集めに行こう。
そこまで思った時、『自分のテリトリーに入られるのが苦手』だという言葉が耳に届いた。
俺は即座に謝った。
元々、俺は彼女の部屋に上がりこむ気など全くなかった。彼女に会う事ができたなら、個室のある店か、俺の部屋に移動するつもりだった。
だが、思い掛けず、彼女が部屋に誘ってくれたから、嬉しくてついお邪魔してしまったのだ。
…もしかして迷惑だっただろうか?マンションのエントランスで待っていたのも、彼女からしたら、押し掛けられたように感じたかも知れない。
俺が俯きかけると、彼女は俺の両腕を掴んで迷惑なんかじゃないのだと否定した。俺ならば構わないのだと、寧ろ嬉しいのだと言いながら、珠のような涙を流し始めた。
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