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番外編 冷たい視線 その4
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「ちょっと真緒!あんた達一体どうなってんのよ!総務の若い子達が騒いでたわよ?一ノ瀬が彼女と別れたらしいって」
昼休みの社食。いつものように私の前の席に腰を下ろした紗耶香は、開口一番そう言った。私は気まずさから顔を強張らせ、乾いた笑みをこぼした。
「ハハハ…。いやぁ、どうなんだろうねぇ?ていうか、何で皆が私達の事知ってんの?」
「ああ。あの子達も、相手が誰かまでは知らないみたいだったけど。でも、今までどれだけ誘っても、彼女との時間を優先したいからって断り続けてきた一ノ瀬が、自分から同期を飲みに誘ったらしくて。それで女の子達が彼女と別れたんじゃないかって騒ぎ始めてんのよ。……で、実際のとこどうなの?」
私が一ノ瀬君に愛想をつかされてから、既に一週間が過ぎようとしていた。
あの夜。冷たい瞳をした一ノ瀬君が別れ話を受け入れた時。私は自分がどれだけ卑怯で卑屈な人間なのか、どれだけ彼の気持ちの上に胡坐をかいていたのか思い知った。
一ノ瀬君ならば、どんな自分でも受け入れてくれる。どんな事でも許してくれる。当然のようにそう思っていた自分が恥ずかしかった。
本当はとっくに彼を愛していた。手放す事なんて考えられないくらい深く愛していた。それなのに、今ならまだ彼を手放せると本気で思っていた己の愚かさに呆れてしまう。
一ノ瀬君が自分にとってどれだけ大事な存在か。どれだけ得難い存在か。気付いた時には既に失った後で、全てが遅過ぎた。
自分の傲慢さが恥ずかしくて消えてしまいたかった。だから、私は荷物を掴み、走って部屋を出ようとした。
しかし、すぐに一ノ瀬君に腕を取られ、引き留められた。
浅はかな私は、一瞬だけ、一ノ瀬君がいつものように笑って「冗談ですよ」と抱き締めてくれる事を期待した。
けれど現実はそう甘くはなかった。
一ノ瀬君は表情が抜け落ちたような顔で「もう12時回ってますし、女性が一人で出歩くには危険過ぎます。嫌かも知れませんが、今夜はこのままここに泊まっていって下さい。俺が出て行きます」と言い残して部屋を出て行ってしまった。
その日はちょうど金曜だった。
翌日もその翌々日も休みだから、彼が戻ってきたらきちんと謝ろう。そう心に決めて、私はその晩一睡もせずに彼の帰りを待った。だが彼は翌日の夕方になっても帰ってこなかった。
もしかしたら一ノ瀬君は、私がここにいる限り、部屋には戻らないつもりなのかも知れない。私は「ごめんなさい」とだけ書いたメモを残して、虚しい気持ちを抱えたまま帰宅した。
それから私達は、互いに仕事が忙しくて、全く顔を合わせていない。
私は月曜から二泊三日で名古屋出張だったし、一ノ瀬君も私と入れ違うように、水曜の朝から二泊三日で沖縄出張に出ていた。
自分の中でケリをつける為にも、私はもう一度彼に会って、直接謝罪したかった。
その為に、何度かメッセージを送ったのだが、既にブロックされてしまったのか、未だに既読すらついてない。
もう私と関わりたくないのだろう。自業自得だ。だが、もう彼に触れてもらえないかと思うと、切なくて涙が溢れ出しそうだった。
私達は同じチームに属しているから、自席も近い。PCのスクリーンから少し視線を逸らせば、自ずと彼の姿が視界に入る。そんな状況下で、果たして私は仕事を続けられるのだろうか?
だが、今の状況を作り出したのは、他でもなく私自身なのだ。私に傷付く権利などない。一人の女としては愛想をつかされてしまったけれど、職場の先輩としては呆れられたくない。今まで以上に仕事を頑張らなければ。そう思って、どうにか私は自分を保っていた。
昼休みの社食。いつものように私の前の席に腰を下ろした紗耶香は、開口一番そう言った。私は気まずさから顔を強張らせ、乾いた笑みをこぼした。
「ハハハ…。いやぁ、どうなんだろうねぇ?ていうか、何で皆が私達の事知ってんの?」
「ああ。あの子達も、相手が誰かまでは知らないみたいだったけど。でも、今までどれだけ誘っても、彼女との時間を優先したいからって断り続けてきた一ノ瀬が、自分から同期を飲みに誘ったらしくて。それで女の子達が彼女と別れたんじゃないかって騒ぎ始めてんのよ。……で、実際のとこどうなの?」
私が一ノ瀬君に愛想をつかされてから、既に一週間が過ぎようとしていた。
あの夜。冷たい瞳をした一ノ瀬君が別れ話を受け入れた時。私は自分がどれだけ卑怯で卑屈な人間なのか、どれだけ彼の気持ちの上に胡坐をかいていたのか思い知った。
一ノ瀬君ならば、どんな自分でも受け入れてくれる。どんな事でも許してくれる。当然のようにそう思っていた自分が恥ずかしかった。
本当はとっくに彼を愛していた。手放す事なんて考えられないくらい深く愛していた。それなのに、今ならまだ彼を手放せると本気で思っていた己の愚かさに呆れてしまう。
一ノ瀬君が自分にとってどれだけ大事な存在か。どれだけ得難い存在か。気付いた時には既に失った後で、全てが遅過ぎた。
自分の傲慢さが恥ずかしくて消えてしまいたかった。だから、私は荷物を掴み、走って部屋を出ようとした。
しかし、すぐに一ノ瀬君に腕を取られ、引き留められた。
浅はかな私は、一瞬だけ、一ノ瀬君がいつものように笑って「冗談ですよ」と抱き締めてくれる事を期待した。
けれど現実はそう甘くはなかった。
一ノ瀬君は表情が抜け落ちたような顔で「もう12時回ってますし、女性が一人で出歩くには危険過ぎます。嫌かも知れませんが、今夜はこのままここに泊まっていって下さい。俺が出て行きます」と言い残して部屋を出て行ってしまった。
その日はちょうど金曜だった。
翌日もその翌々日も休みだから、彼が戻ってきたらきちんと謝ろう。そう心に決めて、私はその晩一睡もせずに彼の帰りを待った。だが彼は翌日の夕方になっても帰ってこなかった。
もしかしたら一ノ瀬君は、私がここにいる限り、部屋には戻らないつもりなのかも知れない。私は「ごめんなさい」とだけ書いたメモを残して、虚しい気持ちを抱えたまま帰宅した。
それから私達は、互いに仕事が忙しくて、全く顔を合わせていない。
私は月曜から二泊三日で名古屋出張だったし、一ノ瀬君も私と入れ違うように、水曜の朝から二泊三日で沖縄出張に出ていた。
自分の中でケリをつける為にも、私はもう一度彼に会って、直接謝罪したかった。
その為に、何度かメッセージを送ったのだが、既にブロックされてしまったのか、未だに既読すらついてない。
もう私と関わりたくないのだろう。自業自得だ。だが、もう彼に触れてもらえないかと思うと、切なくて涙が溢れ出しそうだった。
私達は同じチームに属しているから、自席も近い。PCのスクリーンから少し視線を逸らせば、自ずと彼の姿が視界に入る。そんな状況下で、果たして私は仕事を続けられるのだろうか?
だが、今の状況を作り出したのは、他でもなく私自身なのだ。私に傷付く権利などない。一人の女としては愛想をつかされてしまったけれど、職場の先輩としては呆れられたくない。今まで以上に仕事を頑張らなければ。そう思って、どうにか私は自分を保っていた。
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