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健やかなる時も病める時も…?

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十二月初めの木曜に退院した高遠は、翌週の月曜から職場復帰した。
右手が使えず、多少不便そうではあったけれど、営業事務の子の手助けもあり、それなりに仕事はこなせているようだった。

いや、実際にはそれなりどころではない。復帰後、高遠の営業成績は凄まじく伸びたのだ。
暴走トラックから、身を挺して子供を守ったという高遠の武勇伝を耳にした得意先クライアントからの評価はうなぎ上りで、それまで縁がなかった会社とも取引できるようになり、高遠は一躍時の人になった。



退院から二週間が経った頃、高遠の右手のギプスが取れた。ギプスが取れるまでという約束で高遠の家に泊まり込んでいた私は、晴れてお役御免となった。
すぐに自宅に戻るつもりだったが、このまま同棲したいとゴネる高遠に譲歩する形で数日間延長し、クリスマスまでは高遠の家で過ごすことになった。

半月近く一緒に生活していたのだ。私だって、別々の生活に戻るのは寂しい。けれど、いつまでも高遠の部屋に居座るわけにもいかなかった。冬とはいえ、空気の入れ替えをしないと部屋に臭いがこもるし、観葉植物の世話もある。何より、単身用のワンルームで同棲するのは厳しかった。着替えや化粧品等、最低限の物しか持ち込んでいないのに、物が溢れてしまうのだ。

ならば、広めの部屋を探そうと高遠が言い出したけれど、年末年始は互いに仕事が多忙を極めるため、現実的ではなかった。

それに…不安もあった。私がクリスマスイブの夜、起こすつもりの行動に、高遠がどう答えるか分からなかったから。



クリスマスイブの昼過ぎ、私は高遠の入院中に注文しておいたを取りに銀座に来ていた。

(これを見て、どんな反応するんだろう。受け取ってくれればいいけど、もし受け取ってくれなかったら泣く。絶対泣く)

ベルベット地のトレイの上で輝くを見て、溜息を吐く。
身に着けやすいよう、シンプルなデザインで着け心地を重視して選んだは、高遠の節くれだった長い指によく似合うだろう。問題は受け取ってくれるかどうかだ。


事故によって、恋人の言かいと結婚の重要性を痛感した私は、面会時間の合間をぬって、この店を訪れた。
ブランド品に興味がない私にとっては、人生史上最高額の買い物だった。受け取ってもらえるかどうかも分からない物だけれど、それを承知で敢えて購入したのだ。
後遺症を恐れ、未だに結婚に二の足を踏んでいる高遠に、私の決意と覚悟を示すために。

「刻印はこちらでお間違いないですか?他に何か気になる点はございませんか?」

「はい。大丈夫です」

「では、こちらをお渡しできるようご用意させていただきますね」

そう言うと、営業スマイルを浮かべた店員は店の奥へと姿を消した。暫くして戻ってくると、商品と保証書を私の前に並べた。

「こちらになります。こちらが保証書です。こちらでお買い求め頂いた商品につきましては、全て永久保証がついております。お持ち帰りになられた後、気になる事がございましたら、こちらの店舗までご連絡ください。サイズのお直しやクリーニング等は無料で行わせていただきます。その際にはこちらの保証書も必要となりますので、大切に保管しておいて下さい。
それでは、お買い上げありがとうございました」

深々と頭を下げる店員に見送られ、私は小さな紙袋を片手に店を後にした。



***



夕食用の食材とクリスマスムードを盛り上げる雑貨を購入して帰宅すると、部屋の方から慌ててクローゼットを閉める音がした。

「今何隠したの?もしかして新しい右手の友だったりして。復活祝いってとこかしら?」

ニヤつきながら揶揄うと、高遠はそんなんじゃねーわと逆ギレ気味に反論した。
何故逆ギレしたのか見当もつかなかったので、とりあえず私は高遠を無視して夕食の準備を始めた。

今日のメニューも高遠リクエストのものだ。クリスマスケーキならぬクリスマスアップルパイと、ローストビーフに人参のラペとベビーリーフのサラダ。そして、高遠の大好物のバターチキンカレー。
何だか最近、アップルパイとバターチキンカレーばかり作っている気がする…。


クリスマスムードを演出するために、百円均一で買った雑貨をテーブルの上に並べる。クリスマスカラーのランチョンマットを敷き、中央にキャンドルを置く。できあがった料理を並べてキャンドルに火を灯せば、ムーディーな雰囲気のレストランのようだ。

「すっげぇー!さすが真尋!こんなに小洒落たクリスマス初めてだわ」

「大袈裟ね。今までどんなクリスマスを過ごしてきたのよ。元カノ達とはどうしてたわけ?」

「は?いや、殆ど外食がだったし…。つーか、何でここで元カノの話を振るわけ?じゃあ何か?俺はお前が元彼達とどんなクリスマスを過ごしたのか訊かなきゃなんねーのか?」

「そんなわけないでしょ。初めてだなんていうから、気になっただけよ。言っとくけど、私だってこんな事、長く付き合った人にしかしてないわよ」

「お前喧嘩売ってんの?どうせ、あの人にはもっといろいろしてやったんだろ?そんなん知ってるわ!ああ、すっげーむかつく!何で今日に限って、そんなに突っかかってくるわけ?」

「だって…。私はこんなに緊張してるのに、佑が右手の快気祝いとかアホなことばっか考えてるんだもん」

私が不貞腐れると、高遠は頭をガシガシと掻き毟りながら否定した。

「だから、誰が右手の友だって言ったよ!マジで違うから!あれは、その、お前へのクリスマスプレゼントだよ。サプライズで渡したかったから、隠しとこうと思ったの!とにかく、そんな変なもんじゃねーよ!」

「…へ?プレゼント用意してくれてたの?すっごく嬉しい!私も佑にプレゼントっていうか、渡したい物があるんだ」

「マジか。何くれんの?」

嬉しそうに破顔する高遠を見て、私は今しかないと思った。鞄から小さな箱を取り出して、居住まいを正す。緊張を解すように一度大きく深呼吸してから言葉を紡いだ。

「これを受け取って欲しいの。好みもあるし、勝手に買うのもどうかと思ったんだけど。けど、どうしても佑に渡したくて…。だから、一番シンプルなデザインで、つけ心地のいい物を選んだんだ。
えっと…結婚式で問われる誓いの言葉ってあるじゃない。私達は今まで散々喜びも悲しみも分かち合ってきたし、慰め合い、助け合い、支えあってもきた。あと足りないのは、健やかなる時も、病める時もって部分じゃないかな?佑は未だに後遺症を気にして結婚に消極的だけど、逆の立場なら気にする?きっと気にしないよね?私だって同じだよ。どんな状態の佑とだって一緒にいたいの。
だから…だから、私と結婚して下さい!」

頭を下げながら小さな箱を差し出すと、高遠は「マジかよ」とあえぐように呟き、深い溜息を吐いた。私は高遠の顔を見るのが怖くて俯いていた。
すると突然高遠が立ち上がった。釣られるように顔をあげると、高遠はクローゼットの中から何かを取り出すところだった。そして、その何かを手にしたまま私の前まで戻って来ると、それを私の前に差し出した。

「完全に被ったわ。つーか、こういうのは普通男が先に言うべきだろ?」

高遠は照れ臭そうにそう言うと、小さな箱を私へと差し出した。

「えっと、今回いろいろ弱音吐いちまったし、情けない姿を散々晒しちまったけど。俺、結婚するならお前としたい。お前以外考えられない。だから…山瀬真尋さん。俺と結婚してくれませんか?」

手渡された箱の中には、ダイヤの入ったプラチナの指輪が輝きを放っていた。
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