上 下
215 / 406
緑色の指輪

しおりを挟む




 「では、このままでしばらくお待ち下さい。」

 鏡越しにそう言った彼の笑顔は本当に爽やかで……
私は、小さな声ではいと答えて、すぐに手元の週刊誌に目を落とした。
 髪を全部カーラーで巻かれ、キャップをかぶせられた姿はあまり見栄えの良いものではない。
だから、恥ずかしくてなかなか顔を上げられない。



 大人になってからの片想いっていうのも悪くない。
 片思いっていうよりは、憧れといった方が良いのかもしれない。



 職場には、心ときめく男性は一人もいない。
 三十を過ぎたあたりから、出会いもほとんどなくなった。
 本当なら、頑張って婚活でもしなきゃいけないんだろうけど、わざわざ出会いを求める気持ちもなくなって……
いつの間にかひとりでいることに慣れ、気が付けばひとりでいることが当たり前になってしまっていた。
 最近では同性の友人さえもが煩わしく思えて、どこに行くにもひとりで行動するようになっていた。
ときめくのは映画やテレビの中の人だけ。
それで良い。
それが一番楽……


そんな時、久しぶりにときめいたのが、たまたま入った美容院の滝沢さんだった。


 新規オープンとかで割引チケットを配っていたから。
それだけの理由で行った美容室。
 一年近くも美容院に行かず、伸び放題になっていた髪を一つに束ねて……
私はそんな姿も少しも恥ずかしいなんて思ってなかった。
でも、そこで滝沢さんに出会ってから、三ヶ月に一度はその店を訪ねるようになった。


 特に人目を引くタイプではない。
 特別イケメンってこともないけれど、笑った時の顔がとても優しくて可愛くて……
滝沢さんの笑顔を見るだけで、いやな気分はどこかへ吹き飛んだ。
だけど、彼は私より明らかに年下で……私はこれといって特徴のない地味なタイプだから、きっと、私のことなんて、顔さえ覚えてはいないだろう。



お店に通い始めてから数ヶ月が経ったある日、彼が可愛らしい女の子と仲良さそうに歩いてるのを見かけた。
きっと、滝沢さんの彼女だ。
とてもお似合いの二人だった。


 正直、ショックはあったけど、滝沢さんに彼女がいても不思議はない。
 却ってそのことがわかってた方が、気が楽だ。
その方がただの片思いでいられるから……
三ヶ月に一度、彼の笑顔が見られるだけで私は幸せなんだから……


***


ある時、近所のショッピングセンターで、手作り市のような催しがあった。
 小さなスペースに、素人さんが手作りしたものを展示、販売する催しだ。
 冷やかしがてら見ていると、私はあるものに意外な程引き寄せられた。
 小さな緑色の石の付いたシルバーの指輪だ。
その周りには、ブレスレットや他の指輪もいくつかあったけれど、他には全く目が行かず、緑色の指輪だけが私の気持ちを捉えて離さなかった。
 私はそれを手に取り、薬指にさした。
それは、まるで、あつらえたようにぴったりだった。


 指輪なんてもう何年もつけたことはなかった。
 久しぶりのおしゃれを私の手はとても喜んでいるようだった。
 自然に顔が綻ぶ……だけど、値段はそれなりに高かった。
 他のアクセサリー店で探せばもっと安くで似たようなものがあるかもしれない…そんなことを考えたけど、どうしても、私はその指輪をはずすことが出来なかった。


 次の日からずっと私はその指輪をさしていた。
 手入れされてない指が急に恥ずかしく思えて、久しぶりにマニキュアを塗った。
いつもより、手が綺麗になった気がして心が弾んだ。
 美容室に行くのがいつもよりもさらに楽しみになった。



 *


 「あ、その指輪!」


 指輪を見た滝沢さんの驚きは尋常なものではなかった。



 「この指輪がどうかしたんですか?」

 「まさか、これ…手作り市で……」

 「は、はい、そうです。」

 「やっぱり……」

 滝沢さんがなぜそんなに驚いているのか気にはなったけど、途中で担当が変わり、それ以上の話は出来なかった。


 「13000円です。」

 「はい、ではこれで……」

お会計を済ませた時、滝沢さんからメモを一緒に手渡された。
メモには仕事が終わってから会いたいということが書いてあった。


 待ち合わせた喫茶店で、私は、指輪を作ったのが滝沢さんだということを聞かされた。
 彼女の誕生日にプレゼントしようと作ったものの、その少し前に彼女とは別れ、プレゼントすることが出来なかった。
 手元に置いておくのがいやで手作り市に出したものの、どうにも気に掛かってて、出品をキャンセルしようと思っていたら、それがすでに売れていたことを話してくれた。


 「本当にすみません。
そんな縁起の悪いものを売ってしまって……
それは僕に買い取らせて下さい。」

 「そうだったんですか……
でも、私なら大丈夫です。
とても気に入ってますし……ほら、けっこう似合ってると思いませんか?」

 私は指輪をさした左手を滝沢さんの前に差し出した。


 「……ありがとう、三浦さん。」


 ***


それが縁で、私達は結ばれた。


ただの憧れ…ただの片思い…
そう思ってた人が、私の旦那様になった。


 縁起の悪いはずだった指輪は、私に大きな幸せをもたらしてくれた。



 ~fin.


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました

ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら…… という、とんでもないお話を書きました。 ぜひ読んでください。

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

【R-18】クリしつけ

蛙鳴蝉噪
恋愛
男尊女卑な社会で女の子がクリトリスを使って淫らに教育されていく日常の一コマ。クリ責め。クリリード。なんでもありでアブノーマルな内容なので、精神ともに18歳以上でなんでも許せる方のみどうぞ。

処理中です...