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「異常なし!さぁ、頑張って来なさい!」

 年配の医師はそう言って、僕の背中を思いっきり叩いた。



 「あ、あれ~?じゃ、じゃあ、僕の気のせいだったのかな?」

 僕は冷や汗をかきながら、下手くそな作り笑いを浮かべるしかなかった。



 ***



そんなことは言われなくてもわかってる。
だけど、なんでお医者さんがいるんだよ。
いるってわかってたら、最初からこんな芝居なんてしなかったのに…



今日は会社の運動会。
 今年から社長が代替わりし、その若き新社長の方針で、運動会が催されることとなった。



 「健全な精神は健全な肉体に宿る!」

 職場の壁には、お世辞にも上手だとは言えない文字でそう書かれたものが掲げられた。



なぜだ?
なぜ、大人になってからまで、運動会なんてものに出にゃならんのだ!?
 運動会なんて、忌まわしきものに……



僕の脳裏に、いやな記憶の数々が走馬灯のようによみがえる。



そう……誰にだって苦手なものの一つや二つはあるもんだ。
 僕は幸いルックスには恵まれていた。
 美男美女と言われる両親のもとに生まれた僕は、当然のごとく両親のDNAを受け継いで…どこに行っても、可愛いとちやほやされたものだった。
その上、頭も良く、明るくけっこう社交的で…
僕は、本当にのびのびとした幼少時代を過ごしていた。

ところが、小学生になって何年かが過ぎた頃…そんな毎日に暗い影が差し始めるのを僕は感じた。
それは、体育という科目のせいだった。
 僕は小さい頃から走るのは遅かったし、運動神経があまり良くないことは薄々感じていた。
それが僕のただの気のせい等ではなく、真実だということを突き付けられたのがその頃だ。
やがて、それは決定的なものとなり、運動音痴のうんちくんというありがたくないあだなをつけられるまでになった。
 秋になると毎年開催される運動会はまさに地獄だった。
 僕が登場すると、それだけでみんなが盛り上がる。
そして、僕が行動した途端、その場は爆笑とやじに包まれるのだ。
 頑張れば頑張る程、事態は悪くなった。
 玉入れに頑張ってたら、なぜだかかごがぶっ飛んで、僕の頭にすぽっと被さってきたり、大玉転がしでは、大玉に二回も轢かれてしまったり、二人三脚ではバランスをなくして、近くの人につい掴まってしまったら、そこらにいた全員が次々にバタバタと全員倒れてしまったり…
同級生はこういうのを「うんちの祟り」としてからかった。

そんなことから、僕の性格はだんだんと変化していった。
 趣味はいつしか読書とゲームに変わり、休みの日にも外に行くことは滅多になかった。
 子供の頃っていうのは、見た目が良いとか成績が良いってことよりも、運動がよく出来たり、面白いことが人気のバロメーターとされる。
 小さい頃にはたくさんもらってたバレンタインデーのチョコも、高校の頃にはお母さんとおばあちゃんからだけになっていた。


 大学は、家から離れたところに行った。
 運動会に悩まされることもなく、僕のことをうんちくんと呼ぶ者もいなくなり、僕はまた少しずつ元気を取り戻していった。
とはいえ、やはり長年の辛い体験が一気に忘れられるはずもなく、僕はどこか消極的な人間になっていた。
でも、そんな僕にも彼女と呼ばれる人が出来た。
それは、僕が小さな出版社に就職して二年目のことだった。
 新入社員の彼女は、僕とは違い、明るく元気で魅力的な女性だった。
すぐに、職場のマドンナのような存在になった彼女・敦美が、どうして僕のことを好きになったのかがわからないけど、とにかく、彼女の方から告白されて、僕たちは付き合うようになった。
その付き合いは至って順調で…僕はとても幸せな日々を過ごしていたのだけれど、そんな時にこの運動会だ…



(……きっと、これでもうおしまいだ。)


 僕がこれほど運動神経のない人間だと知られたら、きっと、彼女も僕に愛想を尽かすことだろう。
 楽しかった日々は半年足らずで幕を閉じるんだ……


そうならないために、僕はマスクをして、わざとらしい咳をしながらここにやってきた。
 「どうやら風邪をひいてしまったようなので、今日は休ませて下さい。」
そう言って帰る予定だったのに、なぜだかそこにはいるはずのないお医者さんがいて、僕の仮病は簡単に見破られてしまったんだ。
しかも、スポーツウェアも予備のものが準備してあるなんて…



あぁ、あぁ、わかったよ。
もう僕は観念した……
好きなだけ笑ってくれよ。



 ***



 「しっかし、意外だったな。」

 「本当に藤岡さんってお茶目~!」



やっぱりみんなには笑われたものの……それは意外と悪くない反応で……

運動会の後の打ち上げ兼夕食会では、僕はなぜだか話題の主役となっていた。


 「藤岡さんって、今までどこか近寄りがたい雰囲気あったけど、今日でイメージ変わっちゃった!」

え!?そうなの?
 僕をみつめる女子社員の瞳はなんだかハート型になってるようで……



「野村さん!だめよ!
 雅人は私のものなんだから!」

 僕の前にさっと現れた敦美に、男子社員からのひゅーひゅーという冷やかしの口笛が響いた。



あんな無様な姿を見ても、敦美は僕に愛想を尽かすことはなく、それどころか、却って僕への愛情は深まったようだ。
そのことが僕にとっては一番の誤算で、しかも、一番嬉しいことだった。



 *



 「ねぇ、敦美…
僕があんなに運動音痴だってわかって…なんともなかった?」

 「なんともって……そりゃあ、ちょっとはびっくりしたけど……
でも、雅人にも苦手なものがあるんだってわかったら、却って親近感がわいてきちゃった。」

 「そ、そう…?」



 今までずっと僕の心の闇となっていた運動が、それほど気に病む程のものではないとわかったら、少しずつ闇が晴れていくような気分だった。
ひさしぶりに身体を動かしたことも、気持ちが良かった。


 「それにしても、堅物だと思ってたのに、雅人ってけっこう面白い人だったのね。」

 「え…?」

 「だって、あんなに大げさな演技して……あんなおかしな走り方、コメディアンでもなかなか出来ないわよ。」

 「そ、そうかなぁ?」

どうやら敦美は、僕がウケ狙いで過剰に運動音痴をアピールしてると思っているようだ。
 晴れかかった心がまたどんよりと曇って来るのを感じながら、僕はへらへらと笑うしかなかった。


 ~fin.
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