6 / 10
五 やさしい朝餉と悪態と。
しおりを挟む
「殿下、奥様、おはようございます!」
そのとき、帳の向こうから木鈴の元気な明るい声が聴こえてきた。
ふたりきりの沈黙の時間に気まずい想いをしていた羽綺は、それで、ほ、と、息をつく。そして、逃げるように臥牀を抜け出した。
帳をくぐって架子床を出ると、向こうに精緻な透かし彫りの欄間がある。その下には、房間と房間とを仕切る、目隠しをかねた屏風が立てられていて、向こう側には小柄な少女の姿が見えていた。
「奥様、よくお眠りになれましたか?」
羽綺が屏風を抜けて、臥室から居間のほうへと出ていくと、木鈴は、にこ、と、朗らかな笑みを向けてきた。
「え、ええ」
気がついたら隣に裸の夫が寝ていたけれども何も覚えていないのだとは言えず、羽綺は誤魔化すように曖昧に笑ってみせた。
「水を汲んで参りましたから、顔を洗うのにお使いください。ここに置きますね。それから、すぐに朝餉をお持ちいたしますので、支度がお済みになったらあちらの几案にかけてお待ちください」
「ありがとう。何か手伝うことはあるかしら?」
「いえいえ。ぜんぶあたしの仕事ですから、大丈夫ですよ! 奥様はのんびりなさってください」
木鈴は言ってから、今度は臥室と居間とを分ける屏風のほうへと近づいていった。その奥にはまだ、この夜王府の主人、藍蒼瑛がいるはずだ。
「殿下ー、起きていらっしゃいますかぁ?」
木鈴は臥室に向かって、やや声を張り上げた。
「起きてる! やかましい!」
どちらがやかましいのだかわからない声で返事がある。
「着替え、お手伝いいたしますか?」
「いい。自分で出来る」
「はぁい、じゃあお任せしますね。あたし、朝餉の用意してきますので!」
言い置くと、木鈴は慌ただしく房間を出て行った。
羽綺はすこし面食らった。
ふたりは間違いなく主従のはずで、皇族とその使用人だ。それにしてはずいぶんと気安い遣り取りだったな、と、思ったが、そういうものなのだろうか。楊家のことしか知らない羽綺には、いまいち判断がつきかねた。
やがて、着替えを終えたらしい蒼瑛が居間に姿を見せる。木鈴に言われたとおり几案についている羽綺を見ると、彼は、ちら、と、不機嫌そうに顔を顰めたものの、結局は何も言わずに空いている上座に着席する。
さっきまで素裸だった蒼瑛がいま纏っているのは、深衣と呼ばれる、袖も裾もたっぷりとした貴人らしい衣装だった。艶のある瑠璃藍の地に、細やかな刺繍は深藍の糸、襟と裾の差し色は鉄灰色と漆黒だ。すらりと背の高い彼の身体に、落ち着いた色味の衣がよく似合っていた。
長い髪はざっくりと結い上げ、飾り気のない玉の簪を挿しただけだ。が、それでも十分に様になっている。整った容姿の、左目だけは黒の眼帯が覆っていて、けれども白璧の微瑕ともいうべきそれが、かえって妖艶な魅力を醸していた。
(やっぱり、浮世離れしてきれいな人だわ……でも)
これで不機嫌も顕わな表情をしていなければ、きっとうっとりと見惚れずにはいられなかっただろう。逆に言えば、隠しもしない顰めっ面が、類稀なる端正な美貌の魅力を――台無しとまではいわずとも――ずいぶんと減退させてしまっていた。
「……あの」
羽綺は、どかりと椅子に腰掛けたままむすっと押し黙っている夫に声をかけた。が、聴こえているはずの蒼瑛は答えない。
(なんていうか、意外と子供っぽいっていうか……同い年か、わたしよりもちょっと年下くらいの年齢だとは思うけれど)
「あの!」
羽綺はめげずに再び呼びかけた。
これでもし蒼瑛が人形のような無表情だったら、羽綺とてすこしは躊躇ったかもしれない。が、そうではなく、人間らしい感情が顕わなのが、逆に不思議と、羽綺に遠慮の心を起こさせなかった。
「なんだよ」
蒼瑛は、じろ、と、羽綺を見る。
「えっと、さっきの話の続きですけど……わたしたちが、どうして同衾していたのかっていう……しかも、あなたは、その、えっと、は、裸で……」
羽綺は戸惑いながらも訥々と言って、黒曜石の眸で探るようにじっと蒼瑛を見る。羽綺にまじまじと見据えられ、相手は苦虫でも噛んだかのような表情を見せた。
が、すぐは答えず、またむっつりと黙り込んでいる。
(夫婦になったんだから当然だろうとでも言われたらどうしよう……ほんっとにぜんっぜん覚えてないのに、わたし)
顔には出さないようにしながらも、はらはらし通しで固唾を飲んで、羽綺は相手の答えを待った。
「っ、あれは、あんたが……っ!」
蒼瑛が言い倦むようにしながらも、ついに口を開きかける。羽綺は、こく、と、喉を鳴らす。
まさにその瞬間のことだった。
「お待たせしましたー、朝餉をお持ちいたしましたよ! ……って、あれ、もしかしてお取り込み中でしたか?」
扉が勢いよく開いて、膳を抱えた木鈴が戻ってくる。蒼瑛は一瞬そちらを見て、木鈴お前は、と、声を荒らげかけたのだったが、すぐに口を噤み、ふん、と、そっぽを向いてしまった。
(わたしが何かしたっていうの?)
羽綺は蒼瑛の言葉の続きが気になって仕方がなかったが、どうもこれ以上、この場では答えてもらえそうにない雰囲気であり。
「殿下、今朝は枸杞と棗と干し葡萄と落花生の、栄養たっぷり薬膳粥です。どうぞ」
言いながら、木鈴は蒼瑛の前に粥の入った椀と匙とを置く。
「奥様も、どうぞ。あ、すぐにお茶も準備いたしますね。それから、殿下は単に寝起きが悪いだけなので、気になさらなくて大丈夫ですから!」
「えっと……そうなの?」
「ええ、そうですとも」
「おい、木鈴。誰の寝起きが悪いって?」
「殿下ですよぉ。奥様が困ってらっしゃいます、殿下」
「っ、知るか!」
蒼瑛はそう言ったきり、匙を取って、後は黙々と粥を食べている。けれどもふたりの見せる気安い遣り取りに、羽綺は自然と、ふ、と、口許をゆるめていた。
羽綺も匙を取って椀の中味を掬い、ひとくち食べてみる。やさしい塩味と、干した果物のほんのりとした甘味が、身体にじんわりと沁みるようだ。
「……おいしい」
ほう、と、感嘆の息とともに言ったときだ。
「お、奥様?」
お茶を淹れてくれていた木鈴が、急に驚いたような声を上げた。
蒼瑛もまたこちらを見て、ぎょっとした表情をしている。
「え?」
ふたりともがまじまじと自分を見ているが、心当たりのない羽綺は、わけがわからずにきょとんとした。
「あんた……なんだよ。なんで泣いてんだ?」
蒼瑛にそう言われ、それではじめて、羽綺は自分が涙を流していることに気がついた。頬に触れると、たしかに指の腹が濡れるのだ。
「ど、うして……」
理由なんかわからなくて、途方に暮れたようにつぶやいてみたが、それでも涙は止まらない。
「奥様ぁ」
木鈴が困ったようにあたふたとしている。
「あたし、ごめんなさい。もしかして、お口に合わなかったですか? 嫌いなものが入ってたとか? 今度から気をつけますから、泣かないでくださいませ」
「ち、ちがうの……! へいきよ。ほんとうに、なんでもないの」
「ですが」
「あの、たぶん、誰かが作ってくれた料理を食べるのも、誰かと一緒に食事をするのも、ちょっと、久し振り過ぎて……それで、心が驚いてしまったのかも」
羽綺はわずかにうつむき、極まり悪くそうこぼした。
楊府にいる間、羽綺は自分の食事は自分で作って、ひとりで静かに食べていた。母が生きていた頃には、誰かが作ってくれたものを母と一緒に食べていた気もするけれど、もはや遠い記憶でしかない。
食事のときに誰かが傍にいて、他愛ない会話を聴くことが出来る。たったそれだけで、この時間は、こんなにもあたたかく感じられるものなのだろうか。そのぬくもりに、知らず、心がふるえてしまったようだった。
かつては自分も母と共にしていたのかもしれない、なんでもない、けれども尊い時――……そういうものに、ほんとうは、自分はひどく飢え、乾いていたのかもしれない。
「わたしこそ、ごめんなさい。あなたをびっくりさせてしまって……やさしい味付けで、とってもおいしいわ。ありがとう、木鈴」
羽綺は、下がり眉の悲しげな表情になっている木鈴に、だいじょうぶだから、と、微笑みかけた。
「ちっ……そんなことで泣くとか、あんたいったい、楊府でどんな生活してきたんだ?」
蒼瑛が不快げに言い、椀の残りを掻き込むように食べてしまう。空になった椀と匙とを几案に置くと、彼はそのまま、無言で席を立ってしまった。
「あの、旦那様……すみません」
なにが相手の気に触ったのかはよくわからないが、羽綺はどうやら蒼瑛を苛立たせてしまったらしい。思わず詫びたら、羽綺の傍を擦り抜ける瞬間、蒼瑛は、ちら、と、こちらを一瞥した。
「は? 謝んな」
右目だけで一瞬羽綺を見た蒼瑛は、結局、そのままこちらに背を向けて房間を出ていってしまった。あたたかだった空間が唐突に冷めてしまった気がして、羽綺は、ふう、と、溜め息をつく。
(もうすこし……旦那様とお話していたかった気がするのに)
これもまた、羽綺は知らず知らずのうちに誰かとの会話に飢えていた、と、そういうことなのかもしれない。そういえば、作った笑顔、事務的な会話というのでなく、誰かと自然に口をきいたりするのもどれだけぶりだろうか、と、はたはたと静かに瞬きながら、そんなことを思っていた。
そのとき、帳の向こうから木鈴の元気な明るい声が聴こえてきた。
ふたりきりの沈黙の時間に気まずい想いをしていた羽綺は、それで、ほ、と、息をつく。そして、逃げるように臥牀を抜け出した。
帳をくぐって架子床を出ると、向こうに精緻な透かし彫りの欄間がある。その下には、房間と房間とを仕切る、目隠しをかねた屏風が立てられていて、向こう側には小柄な少女の姿が見えていた。
「奥様、よくお眠りになれましたか?」
羽綺が屏風を抜けて、臥室から居間のほうへと出ていくと、木鈴は、にこ、と、朗らかな笑みを向けてきた。
「え、ええ」
気がついたら隣に裸の夫が寝ていたけれども何も覚えていないのだとは言えず、羽綺は誤魔化すように曖昧に笑ってみせた。
「水を汲んで参りましたから、顔を洗うのにお使いください。ここに置きますね。それから、すぐに朝餉をお持ちいたしますので、支度がお済みになったらあちらの几案にかけてお待ちください」
「ありがとう。何か手伝うことはあるかしら?」
「いえいえ。ぜんぶあたしの仕事ですから、大丈夫ですよ! 奥様はのんびりなさってください」
木鈴は言ってから、今度は臥室と居間とを分ける屏風のほうへと近づいていった。その奥にはまだ、この夜王府の主人、藍蒼瑛がいるはずだ。
「殿下ー、起きていらっしゃいますかぁ?」
木鈴は臥室に向かって、やや声を張り上げた。
「起きてる! やかましい!」
どちらがやかましいのだかわからない声で返事がある。
「着替え、お手伝いいたしますか?」
「いい。自分で出来る」
「はぁい、じゃあお任せしますね。あたし、朝餉の用意してきますので!」
言い置くと、木鈴は慌ただしく房間を出て行った。
羽綺はすこし面食らった。
ふたりは間違いなく主従のはずで、皇族とその使用人だ。それにしてはずいぶんと気安い遣り取りだったな、と、思ったが、そういうものなのだろうか。楊家のことしか知らない羽綺には、いまいち判断がつきかねた。
やがて、着替えを終えたらしい蒼瑛が居間に姿を見せる。木鈴に言われたとおり几案についている羽綺を見ると、彼は、ちら、と、不機嫌そうに顔を顰めたものの、結局は何も言わずに空いている上座に着席する。
さっきまで素裸だった蒼瑛がいま纏っているのは、深衣と呼ばれる、袖も裾もたっぷりとした貴人らしい衣装だった。艶のある瑠璃藍の地に、細やかな刺繍は深藍の糸、襟と裾の差し色は鉄灰色と漆黒だ。すらりと背の高い彼の身体に、落ち着いた色味の衣がよく似合っていた。
長い髪はざっくりと結い上げ、飾り気のない玉の簪を挿しただけだ。が、それでも十分に様になっている。整った容姿の、左目だけは黒の眼帯が覆っていて、けれども白璧の微瑕ともいうべきそれが、かえって妖艶な魅力を醸していた。
(やっぱり、浮世離れしてきれいな人だわ……でも)
これで不機嫌も顕わな表情をしていなければ、きっとうっとりと見惚れずにはいられなかっただろう。逆に言えば、隠しもしない顰めっ面が、類稀なる端正な美貌の魅力を――台無しとまではいわずとも――ずいぶんと減退させてしまっていた。
「……あの」
羽綺は、どかりと椅子に腰掛けたままむすっと押し黙っている夫に声をかけた。が、聴こえているはずの蒼瑛は答えない。
(なんていうか、意外と子供っぽいっていうか……同い年か、わたしよりもちょっと年下くらいの年齢だとは思うけれど)
「あの!」
羽綺はめげずに再び呼びかけた。
これでもし蒼瑛が人形のような無表情だったら、羽綺とてすこしは躊躇ったかもしれない。が、そうではなく、人間らしい感情が顕わなのが、逆に不思議と、羽綺に遠慮の心を起こさせなかった。
「なんだよ」
蒼瑛は、じろ、と、羽綺を見る。
「えっと、さっきの話の続きですけど……わたしたちが、どうして同衾していたのかっていう……しかも、あなたは、その、えっと、は、裸で……」
羽綺は戸惑いながらも訥々と言って、黒曜石の眸で探るようにじっと蒼瑛を見る。羽綺にまじまじと見据えられ、相手は苦虫でも噛んだかのような表情を見せた。
が、すぐは答えず、またむっつりと黙り込んでいる。
(夫婦になったんだから当然だろうとでも言われたらどうしよう……ほんっとにぜんっぜん覚えてないのに、わたし)
顔には出さないようにしながらも、はらはらし通しで固唾を飲んで、羽綺は相手の答えを待った。
「っ、あれは、あんたが……っ!」
蒼瑛が言い倦むようにしながらも、ついに口を開きかける。羽綺は、こく、と、喉を鳴らす。
まさにその瞬間のことだった。
「お待たせしましたー、朝餉をお持ちいたしましたよ! ……って、あれ、もしかしてお取り込み中でしたか?」
扉が勢いよく開いて、膳を抱えた木鈴が戻ってくる。蒼瑛は一瞬そちらを見て、木鈴お前は、と、声を荒らげかけたのだったが、すぐに口を噤み、ふん、と、そっぽを向いてしまった。
(わたしが何かしたっていうの?)
羽綺は蒼瑛の言葉の続きが気になって仕方がなかったが、どうもこれ以上、この場では答えてもらえそうにない雰囲気であり。
「殿下、今朝は枸杞と棗と干し葡萄と落花生の、栄養たっぷり薬膳粥です。どうぞ」
言いながら、木鈴は蒼瑛の前に粥の入った椀と匙とを置く。
「奥様も、どうぞ。あ、すぐにお茶も準備いたしますね。それから、殿下は単に寝起きが悪いだけなので、気になさらなくて大丈夫ですから!」
「えっと……そうなの?」
「ええ、そうですとも」
「おい、木鈴。誰の寝起きが悪いって?」
「殿下ですよぉ。奥様が困ってらっしゃいます、殿下」
「っ、知るか!」
蒼瑛はそう言ったきり、匙を取って、後は黙々と粥を食べている。けれどもふたりの見せる気安い遣り取りに、羽綺は自然と、ふ、と、口許をゆるめていた。
羽綺も匙を取って椀の中味を掬い、ひとくち食べてみる。やさしい塩味と、干した果物のほんのりとした甘味が、身体にじんわりと沁みるようだ。
「……おいしい」
ほう、と、感嘆の息とともに言ったときだ。
「お、奥様?」
お茶を淹れてくれていた木鈴が、急に驚いたような声を上げた。
蒼瑛もまたこちらを見て、ぎょっとした表情をしている。
「え?」
ふたりともがまじまじと自分を見ているが、心当たりのない羽綺は、わけがわからずにきょとんとした。
「あんた……なんだよ。なんで泣いてんだ?」
蒼瑛にそう言われ、それではじめて、羽綺は自分が涙を流していることに気がついた。頬に触れると、たしかに指の腹が濡れるのだ。
「ど、うして……」
理由なんかわからなくて、途方に暮れたようにつぶやいてみたが、それでも涙は止まらない。
「奥様ぁ」
木鈴が困ったようにあたふたとしている。
「あたし、ごめんなさい。もしかして、お口に合わなかったですか? 嫌いなものが入ってたとか? 今度から気をつけますから、泣かないでくださいませ」
「ち、ちがうの……! へいきよ。ほんとうに、なんでもないの」
「ですが」
「あの、たぶん、誰かが作ってくれた料理を食べるのも、誰かと一緒に食事をするのも、ちょっと、久し振り過ぎて……それで、心が驚いてしまったのかも」
羽綺はわずかにうつむき、極まり悪くそうこぼした。
楊府にいる間、羽綺は自分の食事は自分で作って、ひとりで静かに食べていた。母が生きていた頃には、誰かが作ってくれたものを母と一緒に食べていた気もするけれど、もはや遠い記憶でしかない。
食事のときに誰かが傍にいて、他愛ない会話を聴くことが出来る。たったそれだけで、この時間は、こんなにもあたたかく感じられるものなのだろうか。そのぬくもりに、知らず、心がふるえてしまったようだった。
かつては自分も母と共にしていたのかもしれない、なんでもない、けれども尊い時――……そういうものに、ほんとうは、自分はひどく飢え、乾いていたのかもしれない。
「わたしこそ、ごめんなさい。あなたをびっくりさせてしまって……やさしい味付けで、とってもおいしいわ。ありがとう、木鈴」
羽綺は、下がり眉の悲しげな表情になっている木鈴に、だいじょうぶだから、と、微笑みかけた。
「ちっ……そんなことで泣くとか、あんたいったい、楊府でどんな生活してきたんだ?」
蒼瑛が不快げに言い、椀の残りを掻き込むように食べてしまう。空になった椀と匙とを几案に置くと、彼はそのまま、無言で席を立ってしまった。
「あの、旦那様……すみません」
なにが相手の気に触ったのかはよくわからないが、羽綺はどうやら蒼瑛を苛立たせてしまったらしい。思わず詫びたら、羽綺の傍を擦り抜ける瞬間、蒼瑛は、ちら、と、こちらを一瞥した。
「は? 謝んな」
右目だけで一瞬羽綺を見た蒼瑛は、結局、そのままこちらに背を向けて房間を出ていってしまった。あたたかだった空間が唐突に冷めてしまった気がして、羽綺は、ふう、と、溜め息をつく。
(もうすこし……旦那様とお話していたかった気がするのに)
これもまた、羽綺は知らず知らずのうちに誰かとの会話に飢えていた、と、そういうことなのかもしれない。そういえば、作った笑顔、事務的な会話というのでなく、誰かと自然に口をきいたりするのもどれだけぶりだろうか、と、はたはたと静かに瞬きながら、そんなことを思っていた。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ギリシャ神話における略奪婚のその後。
真守 輪
キャラ文芸
親子ほども歳の離れた夫との退屈な結婚生活の中で、久しぶりに出逢った幼馴染の少年は、昔とはまるで違っていた。野生的な美貌。これ見よがしにはだけたシャツの胸元もあたしには、いやらしく見えて不安になる。
親しげに話しかけてくる彼のペースにあたしは、巻き込まれていく。
世界グルメ食べ歩き、庶民派王様一家とチヨちゃん
古寂湧水 こじゃくゆうすい
キャラ文芸
世界一の豪華クルーザーで地中海を食べ歩き!料理の内容を詳細に伝えます。
船橋の夏見で陶器店の一店主をしながら毎日蒸かし芋を食べている庶民派ですが、世界一のお金持ちなのです。その王様と7歳の息子の昴と友達の一般家庭出身のチヨちゃんの3人達と、美味しいものを食べることが好きな子供達の食べ歩きの様子をお伝えいたします。
大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~
菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。
だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。
蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。
実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。
~悪魔なメイド(メニュミ)~私に全て任せなさい。(^_-)-☆~
無知我心(むち がしん)
キャラ文芸
悪魔なメイド(メニュミ)。
名前は、『ノスビ・メリッサ・メニュミ』和名「有山・明真美(めにみ)」
幼い少年がヨウロッパのアルプスの山の草原にいる。
小年は、蝶々が好きであった。
いろんな珍しい蝶を収集せずにはいられない。
幼い心は何かを求めている?
マゼンタ虚空痣あげ蝶(マゼンタコクウアザアゲチョウ)。
目の前を一匹の蝶。(奇麗)。
蝶は、少年を誘(いざな)う。
草原の奥、崖の下に、
そこには、一人の女性とバスケットに入った赤ちゃんが倒れていた。
赤ちゃんの胸には蝶のあざ。
そこから物語は、始まる。
少年は、赤ちゃんを救い、海外の孤児院に預けた。
やがて、
赤ちゃんは、高校生になり恩を返すべく『メビ・セキュレタ女学院』に入る。
そして、彼女は、何を求めるのか?
:
メビ・セキュレタ女学院、高等部秘書科。
そして、形見の服を抱きメイド部をつくる。
『何かと戦ってるの?』
そう心が問いかける。
では、物語をどうぞお楽しみください。
あまりさんののっぴきならない事情
菱沼あゆ
キャラ文芸
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
嗅ぎ煙草
あるちゃいる
キャラ文芸
俺は浮浪者である
名前は言いたく無い
昼間は寝ている事が多いのだが、最近見掛ける変な奴の話をしようと思う。
とある浮浪者の日常
ちょっとカテゴリーが分からないので、キャラ文芸にしてみる。きっとアルファポリスの担当者が上手いこと分けてくれるだろうと期待する。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる