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三 皇太孫殿下は皇帝の密命を帯びているようです。
3-5 皇太孫の不興
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「誓って……蘇家と高家とは、交際を絶っております」
紅月は、厳しい表情を見せる朗輝を前に、言い訳をするように小声で言った。
朗輝はいま、江棟の、特に緯県からの租賦の流れについて、不審があるのを密かに調査しているところであるらしい。その過程で、戸部を預かる高家には、当然、疑いの目を向けていることだろう。
紅月に近づいたのも、高家を探るためか、あるいは、蘇家が高家の不正に手を貸していたりしないかどうかを確かめるためだったのかもしれない、と、昨日、英俊はそう言っていた。
紅月もまた、自分などがふいに朗輝の縁談相手になったのも、そうした理由だったのだろうということで、納得していた。
朗輝の意図が、ふたつのうちのどちらなのかは、知れない。
けれども、どちらにせよ、高家と紅月とにいま繋がりがないということは、はっきりさせておくべきだろうと思われた。
高圭嘉と紅月とは、完全に切れている。
高家と蘇家とは、いま、交際を断っている。
朗輝がいくら紅月に近付こうとも、紅月が、高家に這入りこむための取っ掛かりになることはありえなかった。そして、たとえば本当に高家が不正を為しているのだとしても、真実、あちらとは断交状態にある蘇家は関わってはいない。
この書状は、だから高家との繋がりを示すものではないのだ、と、紅月はそれだけは主張しておきたかった。
「昨日、高家のご嫡男と行き合いましたでしょう。わたしが殿下とご一緒させていただいていたものですから、わたしと殿下とは懇意だと、あちらに思われたようなのです。それで……」
ただそれだけのことだから、と、紅月は言った。
蘇家と高家とは、いまは本当に付き合いがない。だから朗輝は、蘇家を、紅月を、もうこれ以上、気にかけずともよいのだ、と、そういう意図も裏に含めた。
もう、無理に口説くような真似をしてまで近づこうとする価値など、紅月にはない。そんなことをしても、すこしも朗輝の役には立たない。
ただの、徒労だ。
だから、今後はもう、何となればこの書状を利用して高家に近づいて、あるいは高家息女である鈴麗と親しくなったほうが、きっと彼の調査にとっては有用なのに違いなかった。
「用件は、それだけです……わたしはこれで」
失礼します、と、そう言って、紅月はその場を去ろうとした。
けれども、挨拶の礼をして踵を返そうとするこちらの手を、ふと、朗輝は強く掴んだ。
「――あいつは、あなたを捨てた男だよね?」
まだまだ厳しい表情をしたままで、相手はこちらに詰め寄るような調子で言う。
「どうしてそんな男のために、今更、あなたが動くんだ……! なんなの? やっぱりまだ、あの男に気があるってこと?」
「っ、ちがいます!」
「じゅあ、なに? これがどんな用件の書状か、向こうの下心まで含めて、賢いあなたにわからないはずがないよね? だったら、いまあなたがしていることは、僕に他の女を宛がおうとすることだ。よりによって、僕の縁談の相手である、あなたが。無神経じゃない? ――……さすがに、不愉快なんだけど」
朗輝の声には、腹からの、重たい怒りが滲みで出る紅月の手を掴む相手の手指にも、痛いほどの力が籠もっていた。
「阿玲……高鈴麗どのは、家柄も年齢も、殿下と釣り合います」
「……だからなに? 僕が縁談を進めているのは、他の誰でもなく、あなたなんだよ。僕は、あなたを……」
「っ、そういうことは!」
紅月は思わず朗輝の言葉を遮るように声を荒らげた。
「そういうことは、これからは、鈴麗どのに言って差し上げてください。わたしにしたのと同じようになされば、きっとすぐにも心を開き、殿下をお慕いするようになると思いますから。阿玲は、昨日も、殿下を気にしている様子でしたし……殿下のお知りになりたいことも、彼女から、聴き出せるかもしれない」
「なんの、はなし……?」
戸惑う様子の朗輝に、紅月はそっと息を吐く。
そういえばこれは皇帝の密命に関わることだ。簡単には明かせるはずもない。それで朗輝は誤魔化そうとしているのだろう、と、そう思って、紅月は諦めたかのように、ただしずかに笑んだ。
こちらの手首を掴んでいた朗輝の手指の力がわずかにゆるんだので、紅月はするりと我が手を抜き取る。
「蘇家は、わたしは、殿下のお役に立つようなどんな情報も、はじめから持ってはおりません、と……それだけ、申し上げておきます」
それでは、と、改めて礼をして、今度こそ歩み出す。
「っ、待って!」
朗輝が叫ぶように言った。
「あなたが何を言っているのか、僕にはわからない。紅月どの! ちゃんと話をしよう! お願いだから……!」
紅月は、厳しい表情を見せる朗輝を前に、言い訳をするように小声で言った。
朗輝はいま、江棟の、特に緯県からの租賦の流れについて、不審があるのを密かに調査しているところであるらしい。その過程で、戸部を預かる高家には、当然、疑いの目を向けていることだろう。
紅月に近づいたのも、高家を探るためか、あるいは、蘇家が高家の不正に手を貸していたりしないかどうかを確かめるためだったのかもしれない、と、昨日、英俊はそう言っていた。
紅月もまた、自分などがふいに朗輝の縁談相手になったのも、そうした理由だったのだろうということで、納得していた。
朗輝の意図が、ふたつのうちのどちらなのかは、知れない。
けれども、どちらにせよ、高家と紅月とにいま繋がりがないということは、はっきりさせておくべきだろうと思われた。
高圭嘉と紅月とは、完全に切れている。
高家と蘇家とは、いま、交際を断っている。
朗輝がいくら紅月に近付こうとも、紅月が、高家に這入りこむための取っ掛かりになることはありえなかった。そして、たとえば本当に高家が不正を為しているのだとしても、真実、あちらとは断交状態にある蘇家は関わってはいない。
この書状は、だから高家との繋がりを示すものではないのだ、と、紅月はそれだけは主張しておきたかった。
「昨日、高家のご嫡男と行き合いましたでしょう。わたしが殿下とご一緒させていただいていたものですから、わたしと殿下とは懇意だと、あちらに思われたようなのです。それで……」
ただそれだけのことだから、と、紅月は言った。
蘇家と高家とは、いまは本当に付き合いがない。だから朗輝は、蘇家を、紅月を、もうこれ以上、気にかけずともよいのだ、と、そういう意図も裏に含めた。
もう、無理に口説くような真似をしてまで近づこうとする価値など、紅月にはない。そんなことをしても、すこしも朗輝の役には立たない。
ただの、徒労だ。
だから、今後はもう、何となればこの書状を利用して高家に近づいて、あるいは高家息女である鈴麗と親しくなったほうが、きっと彼の調査にとっては有用なのに違いなかった。
「用件は、それだけです……わたしはこれで」
失礼します、と、そう言って、紅月はその場を去ろうとした。
けれども、挨拶の礼をして踵を返そうとするこちらの手を、ふと、朗輝は強く掴んだ。
「――あいつは、あなたを捨てた男だよね?」
まだまだ厳しい表情をしたままで、相手はこちらに詰め寄るような調子で言う。
「どうしてそんな男のために、今更、あなたが動くんだ……! なんなの? やっぱりまだ、あの男に気があるってこと?」
「っ、ちがいます!」
「じゅあ、なに? これがどんな用件の書状か、向こうの下心まで含めて、賢いあなたにわからないはずがないよね? だったら、いまあなたがしていることは、僕に他の女を宛がおうとすることだ。よりによって、僕の縁談の相手である、あなたが。無神経じゃない? ――……さすがに、不愉快なんだけど」
朗輝の声には、腹からの、重たい怒りが滲みで出る紅月の手を掴む相手の手指にも、痛いほどの力が籠もっていた。
「阿玲……高鈴麗どのは、家柄も年齢も、殿下と釣り合います」
「……だからなに? 僕が縁談を進めているのは、他の誰でもなく、あなたなんだよ。僕は、あなたを……」
「っ、そういうことは!」
紅月は思わず朗輝の言葉を遮るように声を荒らげた。
「そういうことは、これからは、鈴麗どのに言って差し上げてください。わたしにしたのと同じようになされば、きっとすぐにも心を開き、殿下をお慕いするようになると思いますから。阿玲は、昨日も、殿下を気にしている様子でしたし……殿下のお知りになりたいことも、彼女から、聴き出せるかもしれない」
「なんの、はなし……?」
戸惑う様子の朗輝に、紅月はそっと息を吐く。
そういえばこれは皇帝の密命に関わることだ。簡単には明かせるはずもない。それで朗輝は誤魔化そうとしているのだろう、と、そう思って、紅月は諦めたかのように、ただしずかに笑んだ。
こちらの手首を掴んでいた朗輝の手指の力がわずかにゆるんだので、紅月はするりと我が手を抜き取る。
「蘇家は、わたしは、殿下のお役に立つようなどんな情報も、はじめから持ってはおりません、と……それだけ、申し上げておきます」
それでは、と、改めて礼をして、今度こそ歩み出す。
「っ、待って!」
朗輝が叫ぶように言った。
「あなたが何を言っているのか、僕にはわからない。紅月どの! ちゃんと話をしよう! お願いだから……!」
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