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第1章 古本屋を出たら異世界でした
第3話 地球の常識ドルテの非常識
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「ドルテは世間一般の人が『異世界』と聞いて想像するような異世界とは、ちょっと違うんだ。
剣と魔法の世界じゃないし、電気や水道は各家庭に引かれているし、家電なんかもあるものはあったりする。まぁ、スマートフォンの電波は飛んでないけれどね」
「電気も水道も通っているんですか?」
「各家庭にコンセントも標準的に備わっているよ。水道は飲料用とその他用途とで分けられている。飲料用の水道の水は、沸かさなくても普通に飲めるんだ」
自己紹介を終えた後。私はベンさんにこの世界――ドルテの話を聞いていた。
今後どのように行動するにしても、その世界の常識を知らないことにはおちおち安心して行動も出来ない。
幸い今はここに、ドルテにも詳しい上に日本語ペラペラなベンさんがいる。ならば今のうちに聞けることは聞いてしまえ、と質問をぶつけたのだ。
そして、まず最初。ドルテという異世界そのものについて質問すると、予想外の答えが返ってきた。
まさかの、剣も無く魔法も無い異世界。警察の代わりに騎士はいるそうだが、別に鎧を着て剣を携えているわけでもないようで。
ベンさん曰く、19世紀後半のヨーロッパをイメージするのが近いらしい。
まだ世界的には一般的ではないが自動車も作られ始めており、鉄道もあるとのこと。石炭燃料をすっ飛ばして電気自動車や電車が走っているのは、なんというか異世界だなって感じがするけれど。
それにしても飲料水の安全が担保されているのは、非常に有り難い。
「ところで、ドルテには人間以外の種族も、普通にいるんです?」
「そう、長耳族、獣人族、竜人族。
それに短耳族――いわゆる僕やミノリちゃん、さっきのチャーリーみたいな普通の人間を加えた四種族で、この世界の人類は構成されている。
ただ……そうだな」
予想だにしない答えに驚きを露にしながら、この世界の人種について質問すると、ベンさんは少し難しい表情をした。
私が小さく首を傾げると、ベンさんは私のショートボブの黒髪と、その陰に隠れる私の耳に目を向けた。
「ミノリちゃんは、日本生まれで日本育ちなんだよね?」
「はい……両親も日本人ですし、生粋の日本人ですけれど……それが、なにか?」
「いやね……日本の人には馴染みの薄い話だからピンと来ないかもしれないんだけど。
ドルテはね、全世界的に種族差別が日常茶飯事に行われているんだ」
悲しそうに目を細めたベンさんの言葉に、私は目を大きく見開いた。
種族差別や人種差別。確かに、日本ではなかなか触れることの無い風習だ。両親や祖父母の頃には、黒人差別があったと話に聞いたことがあるくらいで、どこか遠い世界の話だった。
私の表情を見て、ベンさんは細めた目をさらに細めて宙を仰いだ。
「インドのカースト制度をイメージするのが一番分かりやすいかなぁ。司祭、王族、市民、労働者、不可触民、っていうのを、学校で習っただろう。
あれの王族から下が、種族ごとに分かれているものと思えばいい。
竜人族がトップに立ち、次に長耳族、その下に短耳族。一番下が獣人族。
長耳族と短耳族の境目は、少しずつなくなってきているけれど……一番上が竜人族、一番下が獣人族って構図は、もう何百年って単位で、変わっていないねぇ」
「うわぁ……えぐいですね……」
私が眉を顰めると、ベンさんが小さく頷いた。
「そうだねぇ。
このフーグラー市があるマー大公国は世界の中でも急進派で、当代の大公様は短耳族や獣人族の中からも有用な人材をお城に登用しているけれど……それでもまだまだ、差別の解消には程遠い。
市井で直接仕事に従事するのはほとんどが短耳族だし、獣人族の小間使いが長耳族の雇用主に理不尽な暴力を振るわれるなんて場面も、未だにありふれたものだ。
フーグラー市の前の市長も融和政策を推し進めていたけれど、お亡くなりになって市長が変わってから、またちょっと差別が横行するようになってきたし。
だからミノリちゃんも、自分が下に見られることは、よくあることだと思っていた方がいい」
ベンさんの優しく、しかし真面目な声色に、私は姿勢を正し、両手を膝の上で握って話に聞き入っていた。
この声は、からかったり騙そうとしたりする雰囲気ではない。心底から、私に注意を促す声色だ。話の内容を考えても、私を騙すメリットは多くないだろう。
私はベンさんの忠告に、はっきりと頷いた。
頷きを返した後、他に何か聞かなければならないことは無いか、と思案を巡らせる私。と、ここで一つ思い当たることがあった。
「あと……そうだベンさん、ドルテ語の発音の仕方、というか日常会話について、軽くレクチャーしてほしいんですけど」
「あぁ、そうだね。簡単な会話くらいは、ドルテ語で出来るのに越したことは無い。
「みるぶ」の……えーと何ページだったかな、最初の方に基本の会話集があったはず。開いてごらん」
ベンさんに促されて「みるぶ」のページを先頭から繰る。すると7ページ目に挨拶などの会話集がアルファベットらしき言語と一緒に載っていた。
そのページをベンさんに見せると、彼は笑みを浮かべて頷いた。
「うん、この中に載っている挨拶を言えれば、困ることは無いだろう。
それじゃあ上から順にいこう。まずは『おはようございます』。これは「Buna dimineata.」」
「ブナ……ディミニャーツァ」
「そうそう。それじゃ次、『こんにちは』。これは「Buna ziua.」」
「ブナ ズィワ」
「いいね、その調子。次は『さようなら』。これは「La revedere.」。最初の「ラ」だけLで舌を巻かないから、注意して」
「ラ……ラ? レヴェデレ」
「いいよ。それじゃ次は『ありがとう』だ。これは「Multumesc.」。少し発音に難儀すると思うが、素直にカタカナで読む感じでいい」
「えー……ムルツメスク?」
ベンさんの言葉を繰り返すようにして、たどたどしくなりながらも発音される、私のドルテ語。
それを耳にしていたか、チャーリーと呼ばれた先程の青年が古書を抱えてこちらに戻ってきた。両手に5冊ほどの分厚い本を持っている。
「Ben, ii spui cuvintele? De ce?」
何をやっているのか、といった表情で問いかけてくるチャーリーに、ベンさんは「みるぶ」から顔を上げ、にこやかな笑みを浮かべて答えた。
「Nu poate vorbi in limba dorthesc. Ar fi spus ca e cel mai nou calatorul.」
「In nici un caz……este un calatorul din "Japonia"?」
ますます、信じられないといった口ぶりで目を丸くするチャーリーに、ベンさんが大きく頷くと。
チャーリーは驚愕の表情を顔に貼り付けたままで、手に持っていた古書をばさばさと取り落とした。落ちた本が立て続けに、チャーリーの足の甲へと落下していく。
「Oa!!」
足を抱えてうずくまるチャーリーに、思わず私は丸椅子から立ち上がって駆け寄った。落ちた本を拾うと、痛みに顔を顰めるチャーリーへとそっと手渡す。
「どうぞ……あー、大丈夫?」
「Multumesc, dor. Bine, bine.」
そう言いながらチャーリーは笑って、私が手渡した本を両手で受け取った。すぐさま私は後ろのベンさんを振り返る。
「ベンさん、今のって『ありがとう』ですよね? 「みるぶ」に『どういたしまして』って載ってますか?」
「飲み込みが早いね、そうだよ。『どういたしまして』は「Cu placere.」だ」
「ありがとうございます。えーと……「ク プラチェーレ」」
改めてチャーリーの方を向いて、にこやかに笑顔を作りながら習ったばかりの「どういたしまして」を返すと。
目の前のチャーリーの顔が一気に紅潮した。勢いよく立ち上がって、私の脇をすり抜けてレジカウンターに突撃していく。
「************!!!」
何やらものすごい興奮して、聞き取れないレベルの早口でベンさんにまくし立てているチャーリー。
取り残されてポカーンとする私に、カウンターからベンさんが声をかけてきた。
「やるね、ミノリちゃん。どこかでドルテ語習ってた?」
「え? いえ、全くですけど」
興奮しきりのチャーリーをなだめながら笑うベンさんに、私は大きく首を傾げるのだった。
剣と魔法の世界じゃないし、電気や水道は各家庭に引かれているし、家電なんかもあるものはあったりする。まぁ、スマートフォンの電波は飛んでないけれどね」
「電気も水道も通っているんですか?」
「各家庭にコンセントも標準的に備わっているよ。水道は飲料用とその他用途とで分けられている。飲料用の水道の水は、沸かさなくても普通に飲めるんだ」
自己紹介を終えた後。私はベンさんにこの世界――ドルテの話を聞いていた。
今後どのように行動するにしても、その世界の常識を知らないことにはおちおち安心して行動も出来ない。
幸い今はここに、ドルテにも詳しい上に日本語ペラペラなベンさんがいる。ならば今のうちに聞けることは聞いてしまえ、と質問をぶつけたのだ。
そして、まず最初。ドルテという異世界そのものについて質問すると、予想外の答えが返ってきた。
まさかの、剣も無く魔法も無い異世界。警察の代わりに騎士はいるそうだが、別に鎧を着て剣を携えているわけでもないようで。
ベンさん曰く、19世紀後半のヨーロッパをイメージするのが近いらしい。
まだ世界的には一般的ではないが自動車も作られ始めており、鉄道もあるとのこと。石炭燃料をすっ飛ばして電気自動車や電車が走っているのは、なんというか異世界だなって感じがするけれど。
それにしても飲料水の安全が担保されているのは、非常に有り難い。
「ところで、ドルテには人間以外の種族も、普通にいるんです?」
「そう、長耳族、獣人族、竜人族。
それに短耳族――いわゆる僕やミノリちゃん、さっきのチャーリーみたいな普通の人間を加えた四種族で、この世界の人類は構成されている。
ただ……そうだな」
予想だにしない答えに驚きを露にしながら、この世界の人種について質問すると、ベンさんは少し難しい表情をした。
私が小さく首を傾げると、ベンさんは私のショートボブの黒髪と、その陰に隠れる私の耳に目を向けた。
「ミノリちゃんは、日本生まれで日本育ちなんだよね?」
「はい……両親も日本人ですし、生粋の日本人ですけれど……それが、なにか?」
「いやね……日本の人には馴染みの薄い話だからピンと来ないかもしれないんだけど。
ドルテはね、全世界的に種族差別が日常茶飯事に行われているんだ」
悲しそうに目を細めたベンさんの言葉に、私は目を大きく見開いた。
種族差別や人種差別。確かに、日本ではなかなか触れることの無い風習だ。両親や祖父母の頃には、黒人差別があったと話に聞いたことがあるくらいで、どこか遠い世界の話だった。
私の表情を見て、ベンさんは細めた目をさらに細めて宙を仰いだ。
「インドのカースト制度をイメージするのが一番分かりやすいかなぁ。司祭、王族、市民、労働者、不可触民、っていうのを、学校で習っただろう。
あれの王族から下が、種族ごとに分かれているものと思えばいい。
竜人族がトップに立ち、次に長耳族、その下に短耳族。一番下が獣人族。
長耳族と短耳族の境目は、少しずつなくなってきているけれど……一番上が竜人族、一番下が獣人族って構図は、もう何百年って単位で、変わっていないねぇ」
「うわぁ……えぐいですね……」
私が眉を顰めると、ベンさんが小さく頷いた。
「そうだねぇ。
このフーグラー市があるマー大公国は世界の中でも急進派で、当代の大公様は短耳族や獣人族の中からも有用な人材をお城に登用しているけれど……それでもまだまだ、差別の解消には程遠い。
市井で直接仕事に従事するのはほとんどが短耳族だし、獣人族の小間使いが長耳族の雇用主に理不尽な暴力を振るわれるなんて場面も、未だにありふれたものだ。
フーグラー市の前の市長も融和政策を推し進めていたけれど、お亡くなりになって市長が変わってから、またちょっと差別が横行するようになってきたし。
だからミノリちゃんも、自分が下に見られることは、よくあることだと思っていた方がいい」
ベンさんの優しく、しかし真面目な声色に、私は姿勢を正し、両手を膝の上で握って話に聞き入っていた。
この声は、からかったり騙そうとしたりする雰囲気ではない。心底から、私に注意を促す声色だ。話の内容を考えても、私を騙すメリットは多くないだろう。
私はベンさんの忠告に、はっきりと頷いた。
頷きを返した後、他に何か聞かなければならないことは無いか、と思案を巡らせる私。と、ここで一つ思い当たることがあった。
「あと……そうだベンさん、ドルテ語の発音の仕方、というか日常会話について、軽くレクチャーしてほしいんですけど」
「あぁ、そうだね。簡単な会話くらいは、ドルテ語で出来るのに越したことは無い。
「みるぶ」の……えーと何ページだったかな、最初の方に基本の会話集があったはず。開いてごらん」
ベンさんに促されて「みるぶ」のページを先頭から繰る。すると7ページ目に挨拶などの会話集がアルファベットらしき言語と一緒に載っていた。
そのページをベンさんに見せると、彼は笑みを浮かべて頷いた。
「うん、この中に載っている挨拶を言えれば、困ることは無いだろう。
それじゃあ上から順にいこう。まずは『おはようございます』。これは「Buna dimineata.」」
「ブナ……ディミニャーツァ」
「そうそう。それじゃ次、『こんにちは』。これは「Buna ziua.」」
「ブナ ズィワ」
「いいね、その調子。次は『さようなら』。これは「La revedere.」。最初の「ラ」だけLで舌を巻かないから、注意して」
「ラ……ラ? レヴェデレ」
「いいよ。それじゃ次は『ありがとう』だ。これは「Multumesc.」。少し発音に難儀すると思うが、素直にカタカナで読む感じでいい」
「えー……ムルツメスク?」
ベンさんの言葉を繰り返すようにして、たどたどしくなりながらも発音される、私のドルテ語。
それを耳にしていたか、チャーリーと呼ばれた先程の青年が古書を抱えてこちらに戻ってきた。両手に5冊ほどの分厚い本を持っている。
「Ben, ii spui cuvintele? De ce?」
何をやっているのか、といった表情で問いかけてくるチャーリーに、ベンさんは「みるぶ」から顔を上げ、にこやかな笑みを浮かべて答えた。
「Nu poate vorbi in limba dorthesc. Ar fi spus ca e cel mai nou calatorul.」
「In nici un caz……este un calatorul din "Japonia"?」
ますます、信じられないといった口ぶりで目を丸くするチャーリーに、ベンさんが大きく頷くと。
チャーリーは驚愕の表情を顔に貼り付けたままで、手に持っていた古書をばさばさと取り落とした。落ちた本が立て続けに、チャーリーの足の甲へと落下していく。
「Oa!!」
足を抱えてうずくまるチャーリーに、思わず私は丸椅子から立ち上がって駆け寄った。落ちた本を拾うと、痛みに顔を顰めるチャーリーへとそっと手渡す。
「どうぞ……あー、大丈夫?」
「Multumesc, dor. Bine, bine.」
そう言いながらチャーリーは笑って、私が手渡した本を両手で受け取った。すぐさま私は後ろのベンさんを振り返る。
「ベンさん、今のって『ありがとう』ですよね? 「みるぶ」に『どういたしまして』って載ってますか?」
「飲み込みが早いね、そうだよ。『どういたしまして』は「Cu placere.」だ」
「ありがとうございます。えーと……「ク プラチェーレ」」
改めてチャーリーの方を向いて、にこやかに笑顔を作りながら習ったばかりの「どういたしまして」を返すと。
目の前のチャーリーの顔が一気に紅潮した。勢いよく立ち上がって、私の脇をすり抜けてレジカウンターに突撃していく。
「************!!!」
何やらものすごい興奮して、聞き取れないレベルの早口でベンさんにまくし立てているチャーリー。
取り残されてポカーンとする私に、カウンターからベンさんが声をかけてきた。
「やるね、ミノリちゃん。どこかでドルテ語習ってた?」
「え? いえ、全くですけど」
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