ビトは隠れて暮らしたい

八百十三

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第4章 ビトの憤怒

第34話 猫人、なぐさめる

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 その日の夕暮れ時。虎の獣人ファーヒューマン共の死体を解体して、ついでに周辺の魔物も狩って肉に変え、キャンプを設営した俺たちは、声もなく静かに『笑う大鷲ファルコチェリーデ』の一行の検査けんさをするアンベルを見つめていた。
 キスによって唾液を見て、そこで判断するだけではない。ナイフを使って血を表出させ、その血を舐め取るアンベル。その表情も、眼差しも、いつになく真剣だ。

「……」
「……」

 傷口の修復を行うヒューホでさえも言葉少なになる中、一番最後、チェレスティーノの指先から口を離したアンベルが、ぺろりと舌を舐めずりながら呟いた。

「ふむ」
「ど、どうなんだよ、アンベル」

 意味深な声に、最初に検査を行ったアンセルモが声を上げた。この五人の中で唯一被害に遭わなかった彼は、人間の『』の基準として真っ先に検査を受けたのだ。その味からどれだけ離れているか、あるいは魔物の血の味がするか。それによって判定が行われる。
 しかして、アンベルは銀色の目を細めながら、悲しげな目つきをして言った。

「チェレスティーノ、それからイデア。どうやら君たち二人は確実・・なようだ。既に味がする」

 その言葉に、アンベルに手を添われるようにしていたチェレスティーノががくんと崩れ落ちた。同時にイデアが両手で顔を覆いながら慟哭どうこくを漏らす。

「あぁぁぁぁ!!」
「畜生、畜生……!」

 崩れ落ちたチェレスティーノが、握った拳で地面を叩く。その度に、焚き火の炎がちらりと揺れ、火花が散った。
 彼らとしては死を宣告されるよりも屈辱だろう。今の言葉は、遠からず人間の肉体を失う・・・・・・・・宣告に他ならないのだ。
 人間の血液と魔物の血液は、構成する成分が異なるとかで味に違いがある、とアンベルから聞いたことがある。特に味覚に優れる彼女だからこそ明確に区分できるらしいが、その彼女が「確実」と言うからには、二人の血液は既に魔物寄りになってしまっているのだろう。
 フローラとティーナが、肩を震わせ泣き声を漏らす二人にそっと寄り添う。

「リーダー……イデアちゃん……」
「大丈夫よ、二人が獣人ファーヒューマンになったって、私たちは見捨てたりしないわ」

 二人が言葉をかけても、チェレスティーノとイデアの目からは涙がぼろぼろと零れ落ちていた。これは、当分は収まりそうもない。
 と、アンセルモが不安げな表情になりながら小さく身を乗り出してアンベルに声をかけた。

「だ、だが、アンベル。フローラとティーナも獣人ファーヒューマンにヤられているだろう。そっちの方は……どうだったんだ」

 彼の言葉に、アンベルは小さく目を伏せながら首を振った。
 問われたのは魔物による被害のもう一つの可能性、妊娠にんしんについてだ。人間と魔物は互いに子供を作ることが出来る。魔物に襲われた冒険者が妊娠していた場合、妊娠期間中の8ヶ月か9ヶ月は冒険者としての活動が制限されてしまうのだ。そうしないと胎内の子供もそうだが、母体にも負担がかかってよくない。
 しかし、襲われた当日。さすがにアンベルと言えどもそこまでは分からないようだ。

「下腹部の音を聞かせてもらった限りでは、三人とも可能性はある、と言う他ない。私は助産師でも医師でもないからな、断定は出来ん」

 アンベルの言葉に、ティーナが悲しげな表情になった。今後の自分たちの生活をも左右する事柄だというのに、判断を留保りゅうほされるのはやはり気が気ではない。

「そんなぁ……」
「やだよ……半人間メッゾになった上に魔物の子供なんて産みたくない……」

 イデアもようやく泣き止んだというのに、またすんすんと鼻を鳴らしながら泣き出してしまった。フローラも何と言ったらいいのか、非常に悲しげな顔をしている。
 その表情に、泣き声に、俺はまたも胸がちくりと痛んだ。彼女たちの悲しみは非常に分かるし、心配なのも無理はないと思う。ただ、そこまでして嘆かれると、同じ経緯でこの世に産み落とされた俺としては、立場が無い。

「……」

 全員が何とも言えぬ思いになってか、また無言の時間が訪れた。焚き火にくべられた枝や木が、パチリと弾ける音だけが聞こえる。
 ふと、丸木に座り込んで傍らの薪を手に取ったアンベルが、その薪を火の中に放り込みながら口を開く。

「悲しむ気持ちは分かる。ビトのように生まれついた半人間メッゾ・ウマーノは元からそうだから悲しみようも無いが、後天的に、しかも意図せずして半人間メッゾ・ウマーノされる・・・のだからな」

 パチパチと爆ぜながら燃えていく薪を見つめながら、静かな声色でアンベルが言う。その言葉に、その場の誰もが顔を上げ、全くの魔物の姿を晒している彼女を見た。
 狼の長いマズルを炎で照らしながら、なおもアンベルは話し続けた。

「だがこの国も、他の国々も、半人間メッゾ・ウマーノ人間ウマーノと扱うのが常識だ。人間の形を知っている諸君なら、我々と違って人化転身じんかてんしんを身に付けるのも難しい話ではない。人間社会に混じって生き続ける道が断たれたわけでは無いのだ」

 アンベルの言葉に、イデアとチェレスティーノが揃って目を見開いたのが、薄暗い中でもはっきりと見えた。
 そう、ギュードリン自治区の魔物はSランクであっても人化転身を会得するのは簡単ではないが、人間ウマーノ半人間メッゾに関してはそこまで難易度が高いわけでは無い。それは、「身の回りの人間」ひいては「人間としての自分」という姿が、お手本として無数に存在するからだ。
 人化転身は人間らしい姿を「真似る」ためのスキル。つまり人間という生き物の姿かたちを知っているならば、真似るのはそんなに難しくはない。もちろん、俺のように真似るのが下手な連中もいるけれど。
 ここぞとばかりに、俺は身を乗り出して焚き火の向こうにいる二人に声をかけた。

「そうだぞ。俺は人化転身が苦手で、なかなかうまく人化出来なかったから苦労したけど……お前らはそうじゃないだろ、きっと」

 俺の言葉を聞いて、チェレスティーノとイデアは互いに顔を見合わせた。そして揃って、気落ちしたように視線を地面へと落とす。

「そうかも、しれないが……」
「分かんないよ、ビトみたいに、うまく出来ないかも、しれないし……」

 がっくりとうなだれて、肩を落としながら言葉を返す二人に、俺はため息が漏れるのを抑えられなかった。
 何度も言うが気持ちは痛いほど、もう胸が締め付けられるくらいに分かるのだ。しかしこうも落胆し通し、落ち込まれっぱなしでは、俺としても寝覚めが悪い。
 だから俺はベンチ代わりの丸太から立ち上がって、未だにウジウジしている二人の前まで行った。腰を下ろし、二人の顔を見つめながら言う。

「チェレスティーノ、イデア、あのな」

 俺の言葉に、二人が二人とも僅かに顔を上げて俺を見た。どうせ焚き火を背にしているから逆光で俺の顔なんて見えちゃいないだろうけれど、それでも話す。顔をぐいと近づけて話す。

「俺も、長い間すごく不安だった。冒険者になれても、獣人ファーヒューマンの姿を見せたら嫌われたり、笑われたりするんじゃないかって思ってた。でもみんな、俺のことを応援してくれた。笑ったり馬鹿にしてきたりなんてことは、全くじゃなかったけどほとんど無かった」

 猫の獣人ファーヒューマンと何も変わらない顔で、つんと立った鼻先を二人にぐいと寄せながら、俺は淡々と告げた。
 俺は確かに劣等感の塊だった。不要だと捨てられもした。しかし、大半の冒険者は俺を一人の冒険者として見てくれた。半人間メッゾだと明確に侮り、バカにしてきた奴など、記憶に残っているのは『銀の鷲アクィラダルジェント』くらいだ。
 さらに、俺は身にまとったままのローブのフードを被った。こうしていれば、マズルの短い俺はそこらの人間とそう変わらない。人化転身が上手くできなくて、こんな姿で町に入らざるを得ないギュードリン自治区の冒険者など、それこそ枚挙まいきょにいとまがない。

「それに、人化転身が苦手でも、ローブとフードで隠せばどうとでもなるんだ。帝都にもそういうやついっぱいいるだろ。あの中には何人も、人化転身を完璧に出来なくて獣人ファーヒューマン竜人ドラゴヒューマンかの姿でいる魔物の冒険者がいるんだぞ」
「う……」
「た、確かに……」

 俺の言葉に、若干気圧された様子になりながらもチェレスティーノとイデアはうなずいた。先程までよりも顔が上がっている。表情にも力があった。
 これなら、俺の言葉も多少は届くだろう。こくりとうなずいて、力強く話す。

「お前らは貴族のお抱えだろ。その貴族を守って、逃がすために街道に残ったんだろ。なら、大丈夫だろ」

 俺の言葉に、チェレスティーノもイデアも僅かにだが目を細めた。彼らとしても、クラウディアを逃がして自分たちが犠牲になったことを、咎められはしないと分かっているだろう。
 だが、その結果をクラウディアがどう思うか、その予測は俺より、『笑う大鷲ファルコチェリーデ』の面々の方が立てやすいのも事実である。

「うう……」
「そうだと、いいんだけど」

 何とも煮え切らない二人の反応を見るに、大丈夫とはとても言い難いくらいに、あの女性や彼らの主人の獣人嫌いは筋金入りなのだろう。俺としても、そこについてはどうにも出来ない。
 ため息をつきつつ立ち上がる俺を見ながら、ヒューホが焚き火に面して並べられたオーク肉の串焼きを取った。その肉に顔を近づけながら、彼は言う。

「ともあれ、チェレスティーノ君とイデアさんは、早ければ今夜か、あるいは明日には獣化が出るだろう。他の二人も、もしかしたら今は分からないだけで後になって出るかもしれないし、獣化度が低いだけかもしれない。油断はしないでくれ」
「う、うん……」
「そう、ですね。気を付けないと……」

 ヒューホの念を押すような言葉に、フローラとティーナもこくりとうなずく。と同時に、オーク肉の串焼きの表面に浮かんだ脂がぱちんと跳ねた。
 そろそろ肉も食べ頃だ。俺たちは串焼きを手に取り、携帯食の乾パンと一緒に食べて腹を満たし始める。しかし肉の味なんて、何一つ分からないまま陽は沈んでいくのだった。
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