ビトは隠れて暮らしたい

八百十三

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第3章 ビトの逡巡

第22話 猫人、追撃をかわす

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「うぅっ、うぁっ……!」
「くそっ、くそぉっ……!」

 マリオが涙を流しながら駆け、シルビオが悪態をつきながら走る。
 Sランクパーティーが見るも無残な有様だ。だが当然、嵐竜テンペストドラゴンはその程度で止まってくれるはずがない。住処にしている山を飛び出すほどとなればなおさらだ。

「往生際の悪い!! 大人しく殺されろ、人間どもが!!」

 人間語を喋るくらいには理性が戻ってきたようだが、怒りは全く収まる様子を見せない。それどころか、「銀の鷲アクィラダルジェント」の二人を殺す気まんまんだ。
 テンペストドラゴンの翼が突風を巻き起こす。その風に勢いよく押される形で、シルビオとマリオが揃って転んだ。その間にテンペストドラゴンが迫る。

「ひ――」
「畜生っ――!!」

 悲鳴を、悪態を漏らしながら、二人が死を覚悟した瞬間だ。

「おぉぉぉぉっ!!!」
「てやぁぁぁっ!!!」

 アンベルが矢のように突っ込んで、テンペストドラゴンの前脚を押しとどめた。同時にエルセが飛び出し、鼻先に一撃を入れる。
 二人の行動で、確実にテンペストドラゴンの動きが止まった。

「ぬぅっ!!」
「な――!?」

 テンペストドラゴンが驚きの声を上げ、シルビオが呆気に取られた表情で声を漏らす。このチャンスを逃すわけにはいかない。俺はすぐさま魔法の詠唱に入る。

「黒きあらしよ、闇夜やみよをもたらすするどき波となれ! 暗黒あんこくの日はここに来たれり! なんじの身は岩の海に沈み、かえりみられることはない!」
「よし、かませ!!」

 俺の肩に乗っていたヒューホが声を上げた。治癒士ヒーラーの彼はこういう時には出番がない。俺たちに遅れないように行動するのでいっぱいだ。
 すぐさまアンベルとエルセが後方に下がり、シルビオとマリオをかばうように立つ。今だ。

岩雪崩ロックアバランシェ!!」

 大地魔法第七位階、岩雪崩ロックアバランシェ。空間から大量の岩を召喚して標的に向かって降らせる上級魔法だ。効果範囲の広さもさることながら、岩と言う重量物。それによる圧殺と足止めの効果が大きい。

「おぉぉぉぉっ……!!」

 重複詠唱こそしていないがフル詠唱、降ってくる岩の量も並ではない。翼にどんどん岩を積まれたテンペストドラゴンは、見る間に身動きが取れなくなっていった。

「あ――」
「な、なん――」

 突然乱入してきた他の冒険者、そして目の前に降り注いだ岩。何が何だか分からない様子でへたり込んでいるシルビオの首を、アンベルがつかみ上げた。

ほうけるな、撤退するぞ!!」
「走るよ、急いで!!」

 同時にエルセもマリオの脚を何度も蹴る。弾かれたように彼らは立ち上がり、アンベルとエルセに先導させるようにして、俺たちの方に向かって走り出した。
 走る最中に二人は俺に気が付いたのだろう、目を見開く。だが過去にどんなトラブルがあったと言っても、命の方が大事だ。アンベルとエルセがそばまで来るのに合わせて俺も方向転換、走り出す。
 と、走り出して十数秒も経たないという頃に岩が崩れる音がした。後方を見ればテンペストドラゴンが、大きな翼を上空に向けて伸ばし吼えている。

「おのれぇぇぇぇぇっ!!!」

 空気を震わすようなその怒声に身がすくむ。しかし足を止めるわけにはいかなかった。なおも走りながらアンベルが舌を打つ。

「くっ、やはり第七位階一発では時間稼ぎにしかならないか」
「どうするアンベル!?」

 俺は隣を走るアンベルに声をかけた。自然と焦りが声に出てくる。正直こんな状況、焦るなと言っても無理だ。
 全力で翼を羽ばたかせるヒューホが、眉間にシワを寄せながら告げる。

「三人とも、ここは生きての離脱が最優先と思う」
「分かっている。エルセ、行けるか」

 パーティー最年長の言葉にうなずいたアンベルが、足元を走るエルセに声をかけた。うなずいたエルセがすぐさま足を止めた。

「うん! みんな離れて……!」

 俺たちを先に行かせて、俺たちとエルセの距離が2ラインほど離れたところで、突如エルセの身体が爆発した、ようにふくれ上がった。

「おぉぉぉぉっ!!!」

 先程までと変わらない少女らしい声を響かせながら、エルセが俺たちの頭上を通過する・・・・。そして俺たちの前に、巨獣転身して俺たち全員が上に乗れそうな大きさになったエルセが、さっそうと現れた。
 突然身体がふくれ上がったエルセを見て、シルビオとマリオが腰を抜かす。

「ひ……!?」
「で、でっかくなった……角有り兎ユニホーンバニーが……!?」

 信じられない、という声が言葉の端々から漏れ聞こえていた。
 ユニホーンバニーはそこまで強い魔物、というわけではない。一般的にはCランクの下の方、強い個体が出てきてもBランクというレベルだ。Sランクに達するどころか、巨獣転身を会得しているユニホーンバニーなど、異常もいいところである。
 と、再びアンベルがシルビオの首をつかんだ。もう片方の手でマリオをつかみ上げ、二人まとめてエルセの背中に放り投げる。

「わ……!?」
「戸惑っている暇があるなら乗れ! ビト、君も早く!」
「分かってる!」

 二人を背中の上に放り投げ、すぐさまエルセの肩をつかんだアンベルがこちらに手を伸ばす。その手を俺がつかめば、ぐいと引き上げられてへたり込む二人の前にまたがった。ヒューホは最初から俺の肩だ、問題はない。

「待たんか、貴様らぁぁぁぁぁぁ!!」

 アンベルがエルセの背中、俺の前にまたがるや、後方からテンペストドラゴンが追いかけてきた。怒り心頭、角の先から煙が出そうな勢いだ。追いつかれる前にエルセが身を低くする。

「皆乗った!? 行くよ、つかまって!!」

 エルセが言葉を発してすぐに、俺もアンベルもエルセの身体に手を回した。シルビオとマリオも慌てて体勢を整えて彼女の背中をつかむ。と、次の瞬間エルセが全力で前へと飛び出した。

「うわ――!」
「ひぃ――!」

 俺の後ろからシルビオとマリオの情けない声が聞こえてくる。そのまま始まる激しい上下運動。エルセが全速力で、跳ねながらテンペストドラゴンから逃げているのだ。
 だが、じりじりと距離を離せてはいるものの、逃げ切るまでには至らない。
 意を決して俺は腰を回して後ろを向いた。エルセの身体に回していた右手を離して後方に伸ばす。テンペストドラゴンは低空飛行しているから顔は良く見えるし、よく見れば頭がほとんど動いていない。チャンスだ。

「鋭きつぶてよ! 石矢ストーンアロー!」

 大地魔法第一位階、石矢ストーンアローを放つ。重複詠唱はしない、単発の方が狙いもつけやすい。魔法名を省略してもよかったが、念のためだ。
 果たして、俺の手の中から放たれた小さな石が一直線に飛び、テンペストドラゴンの右目を直撃する。
 当たった。そう思った次の瞬間、テンペストドラゴンが右目を押さえて地面に転がった。けたたましい叫び声が上がる。

「ガァァァァァ!!」
「ビト君、よくやった!!」
「急げ、今のうちに離脱するぞ!!」

 完全に相手の足が止まった。ヒューホが快哉かいさいを上げると同時にアンベルがエルセの背を叩く。それを受けてエルセがぐんとスピードを上げた。テンペストドラゴンの姿がみるみる小さくなっていく。
 テンペストドラゴンを置き去りにして、追加でヴァッサロ高原を走ること3分。エルセの息が荒くなってきたところで、ようやくヒューホがほうと息を吐く。

「はぁっ、はぁっ……!」
「ま、まいたか……!?」

 ヒューホの言葉に、全員が後方を振り返った。あの深い緑色のウロコは、ちらとも見えない。
 ほっとした様子のエルセに、アンベルが優しく声をかけた。

「エルセ、速度を落とせ。一度様子を見よう」
「分かった」

 アンベルの言葉を受けて、エルセが徐々に速度を落とす。ゆったりと走り始めたエルセの背で、アンベルが鋭い視線を俺の後方に向けた。

「貴君ら。アンブロシーニ帝国冒険者ギルド所属、『銀の鷲アクィラダルジェント』とお見受けする。何があった」

 彼女の淡々とした問いかけに、表情をゆがめるのはシルビオだ。苦々しい顔をしながら、アンベルに向かって言葉を吐く。

「何だと、き、貴様……魔物のくせして、えらそうに……」
「し、シルビオさん、ちょっと」

 だが、そんなシルビオの暴言をマリオがさえぎった。まだ多少は状況の見えている彼が、自分のパーティーの長をいさめる。

「こいつらもSランクパーティーっすよ、何言ってるんっすか」
「は……!?」

 それを聞いて、ようやくシルビオはアンベルの頭上に浮かぶ簡易ステータスの下地の色が薄緑色であり、名前の横の印がSランクパーティーのものであることに気付いたらしい。
 なかなかの暴言を吐かれたことに怒るでもなく、アンベルがため息混じりに言った。

「魔物のくせとはご挨拶だな。我々はギュードリン自治区冒険者ギルド所属、『眠る蓮華ロートドルミーレ』。魔物の身ではあるが、正式な冒険者だ……そこの彼だけは人間ウマーノだがね」

 アンベルの自己紹介を聞いて、シルビオもマリオもぐっと口をつぐんだ。
 ギュードリン自治区の冒険者ギルド所属のパーティーというだけでも、そのパーティーが恐ろしい力を持っていることの証明になる。加えてSランクまでランクを上げている実績。そこらの冒険者とは比べ物にならないことの証だ。
 アンベルに視線を向けられて言われた俺の肩に乗ったままで、ヒューホが肩をすくめて言う。

「ついでに言うが、僕も彼女も下の彼女も、魔物としてのランクはSだ。君たちより、よほど強いよ」

 そのついでの一言に、シルビオもマリオも完全に押し黙った。ギュードリン自治区の魔物のSランクが、世間一般のSランクとは意味合いが違うのはもはや常識だ。
 二人ともが静かになったのを見て、声を抑えながら俺が口を開く。

「素直に話をしろ、シルビオ、マリオ。お前ら、強がってる余裕なんて無いだろう」

 俺の言葉に、シルビオもマリオも目を見開いた。「眠る蓮華ロートドルミーレ」の一員になってこそいるが、知らない顔ではないわけで。二人ともが表情を歪める。

「っ……」
「ビト、てめえ何をえらぶって」

 シルビオが負けじと言い返すのを見て、アンベルがため息をついた。明らかに呆れている様子だ。

「先程ビトの魔法で助けられていながら、その物言いとは呆れるな。第一、貴君らは我々の目の前で、仲間を殺されているだろう」

 アンベルの発言に、もう一度二人は言葉に詰まった。
 そう、先程俺たちの目の前でファビオが殺されているのだ。「銀の鷲アクィラダルジェント」は他にも二人、テーアとイッポリトが構成メンバーとしていることはよく知られている。その二人もいないとなれば、どうなったのかは明白だ。

「そうだよね、『銀の鷲アクィラダルジェント』って五人パーティーのはずでしょ。あたしたちの目の前で一人死んでたし、三人殺されているよね?」
「神獣があそこまで怒り狂うとは相当だ。君たち、何か彼女の怒りを買うことをしたんじゃないだろうね」

 エルセが足元から言えば、ヒューホが険しい表情をしながら告げる。
 その問いかけに、シルビオもマリオも押し黙って下を向いた。ただ、高原の下草を蹴るエルセの足音だけが響く。

「……」

 そのまま、沈黙の時が流れたところで。
 観念したようにシルビオが口を開いた。

「……近隣の村まで、頼む。そこで話す」

 その言葉に、アンベルがくいとあごをしゃくる。ここから一番近い村はどこがあっただろうか。随分走ったから距離感がつかめない。
 少し状況を整理してから、エルセに声をかける。近隣の村まで向かう間、沈黙がずっと流れていた。
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