上 下
77 / 91
5. 禁域編

姿なき村長

しおりを挟む
 木の焼けるにおいを孕んだ、乾いた風が吹き荒れている。
 家々が燃え、畑が踏み荒らされた、廃墟と化したゲヤゲ村の中を、醜悪なキマイラ達が闊歩している。

「アロロロ……」
「ガガ……」

 その鳴き声は魔獣のそれとしても、非常にいびつだ。もしかしたら喉の構造も、一般的な魔物とは違うのかもしれない。
 そんなキマイラを横目に見ながら、僕達は村だった場所の、多分道だったところを歩いていた。
 もっと隠れたりしながら進んでいくのかと思いきや、イルムヒルデはびっくりするくらい堂々とキマイラ達の間を進んでいた。
 僕のすぐ横を、ループトカゲレザルズが入り組むように組み合わさった頭部を持つキマイラが通り過ぎていく。その口からは腐臭が漏れていた。

「う……っ」
「エリク、大丈夫です……大丈夫……」

 思わず鼻を押さえる僕に、アグネスカが声をかけてきた。彼女の声も、震えている。
 最後尾を歩くディートマルが、チラと僕達の方を見ながら口を開いた。

「エリクさんもアグネスカさんも、決して列からはみ出さないようにお願いします。走らず、ゆっくりと……そう、そうです」

 その声は優しくも、力がこもっていた。声を潜めているわけでもない、はっきりと上げられた声だ。隠れよう、逃げよう、という意思は見られない。
 そのことに違和感を感じながら、僕は前を行くイルムヒルデの顔を見上げた。

「あのキマイラは、襲って、こないんですか……?」

 僕の問いに、彼女はこくりと頷く。そして前方、畑だった場所で向かい合わせになりながら吠えているキマイラ達をみながら口を開いた。

「元が人間だからなのでしょうね。いくら『器』を歪められても、人間種ユーマンは獲物とみなさないようです」

 その言葉を聞いて、ホッと胸を撫で下ろす僕とアグネスカだ。だがその反面、にわかに慌てだした者がいる。この中で唯一人間種ユーマンではないイヴァノエだ。

『オイ待てよ、じゃあ俺は危なくないのか!?』

 尻尾を僕の足に巻きつけるようにしながら、彼がベスティア語で声を上げる。しかし、イルムヒルデの返答は実に明るいものだった。

「だからダヴィド様についていてください、とお願いしましたのです。その位置でしたら外からは人間の仲間と見れますから」

 そう話しながらも、彼女の表情はどこか冴えない。少し間を置いてから、再びイルムヒルデが口を開いた。

「……ええ、それでも万一がございますので、いざという時にはご対応いただかなければなりませんが」
『うげっ……アレにかよ』

 その言葉にげっそりした表情をするイヴァノエだ。無理もない、あんな醜悪なキマイラを相手にして戦うなんてこと、考えたくも無い。
 僕の手は自然と、イヴァノエの頭へと伸びていた。彼の柔らかい頭を優しく撫でる。

「イヴァノエ……大丈夫、僕がついてるよ」
『ううっ、尻尾の先がビリビリしやがるぜ……エリク、もっと傍に寄ってくれ』

 僕の足に身体を寄せつつ歩くイヴァノエ。彼にチラと視線を向けて、アリーチェが隣を行くイルムヒルデに声をかけた。

「それはそうと……どうするんです? この現状を見るだけでも、とんでもないことは分かりますけど」

 彼女の言葉に、挟まれるようにして歩く僕達は一様に、不安げな表情を浮かべた。
 こんな場所だ。邪神エスメイを何とかするという目的こそあれど、無為無策に歩き回っていい場所でないことは間違いない。そうでなくても、情報が必要だ。
 果たして、イルムヒルデが右の翼を軽く持ち上げて言う。

「はい、まずはゲヤゲ村の村長様にお話を伺いに参ります」
「村長……? 無事なの、その人は?」

 その返答に、眉をひそめながらマドレーヌが問うた。
 至極自然な疑問だ。容赦も遠慮もない邪神が、村長だからと言う理由で「いたずら」をしないとは思えない。
 最後尾を歩くギーも、ため息を付きながら口を開く。

「この状況だ。どう考えても、話を聞ける状況にはないと思うが」

 彼の疑問に納得の表情を見せつつ、その場の全員がイルムヒルデの言葉を待った。果たして、彼女は首を振りながら答える。

「いいえ、ギー様。村長様に関してだけは、間違いなくヒトの形を保っていらっしゃる、と断言できます」
「ほう……その心は?」

 確信を持って言われた言葉。ギーがふと、面白そうなものを見つけたように口角を上げた。
 そこまで断言できるには、相応の理由があるのだろう。それを、イルムヒルデは薄っすらと笑みを見せながら口にした。

「簡単なこと。既にお亡くなりだから・・・・・・・・・・です」
「む……?」

 だが、その答えは何とも突拍子も無い、というよりにわかには信じ難いものだった。
 この村の村長が既に死人だと言うならどうして話など聞けようか。アグネスカもアリーチェも、同じように不思議そうな顔をしつつイルムヒルデに問いかける。

「お亡くなり……って、イルムヒルデさん、どういうことですか?」
「死人ってことですよねぇ? 死人に口なし、それもそれで話を聞ける状況じゃないと思いますが……」

 二人の疑問に、イルムヒルデは笑みを浮かべたままで小さく頷いた。そして、一軒の廃墟の前で足を止める。

「ご覧になればお分かりになりますわ……ああ、こちらです」

 その廃墟は、見るからに他の家々とは一線を画すほどに大きいものだった。他の家は平屋建ての小屋のようなものだったが、これは明確に家だ。他より二周りは大きく見える。
 崩れかかったドアを開いて中に入るも、そこはあらゆるものが壊された、家とも呼べない酷い有様だった。

「ここも……壊されてるね」
「見るも無残な状況だわ……死体があったとしても、これでは瓦礫がれきに埋もれているのではなくて?」

 僕の零した言葉にマドレーヌも頷いた。そしてキョロキョロと辺りを見回すイルムヒルデに声を投げると、彼女は小さく頷きながらある一つのドアを示した。

「ご心配には及びませんわ。皆様、こちらへ」

 壊れかかったそのドアを、イルムヒルデがぐいと引っ張る。ドアが歪んでいるのかすぐには開かなかったが、ギーも加わって力を込めると大きく音を立てて開いた。
 中に入ると、そこはじゅうたんが敷かれてソファーが置かれていたらしい部屋だった。客間だったのだろう、今は見る影もないけれど。

「ここは、客間ですか?」
『酷い荒れようだ。埃と火のにおいがプンプンしやがるぜ』

 アグネスカが部屋の中を見回すと、スンと鼻を鳴らしたイヴァノエが眉間にしわを寄せた。
 ここも酷い壊されようだ。道路側に面していたからだろう、窓側の破損が特にひどい。まるて暴れるヴァーシュでも突っ込んだかのようだ。
 と、そんな荒れ果てた部屋の中で。イルムヒルデはふと天井を見上げた。そして『誰か』に呼びかけ始める。

「……コホン。ジラルデ様? イルムヒルデにございます。いらっしゃいますか?」

 その口調は明らかに、この空間にいる『誰か』を呼んでいた。
 しかし当然、この部屋には僕達以外は誰もいない。念の為に生命よ我が声に応えよアニマルエコーを使うが、僕達以外の反応は無かった。

「イルムヒルデさん?」
「何を――」

 アグネスカが、マドレーヌが彼女に訝しむ視線を向け始めたところで。部屋の天井から、否、「天井のある空間から」、『誰か』が声を返してきた。

「おお……イルムヒルデ。その声を久しく聞かなんだ……懐かしや……」
「ヒッ!?」
「ど、どこから……」

 にわかに、イルムヒルデとディートマルを除いた六人が慌てだした。
 相手は死者だ。既に死んだものだ。ならば今ここで声を返してきたものは、村長の幽霊に他ならない、としか思えない。
 本物の幽霊におののく僕達をそのままに、イルムヒルデは言葉を重ねていく。

「ジラルデ様、三大神の使徒として、お話を伺いに参りました。よろしゅうございますか?」

 彼女の言葉に、声は少しの間を置いて返してくる。そのレスポンスにはいくらかの間があるようだし、返答も途切れ途切れ。しかし、声は確かに聞こえる。

「いいとも……だが、上では具合が悪い……下に降りて来やれ……」

 そう告げる声は、徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
 今のが村長ジラルデだとしたら、彼と話をするためにはその声に従って下の階に降りる必要がある。しかし先程玄関から見るに、地下への階段は見当たらなかった。
 どうするのか、と思いきや。イルムヒルデがおもむろに壁側の暖炉に向かった。

「とのことでございます、皆様。参りますわよ」
「そこの暖炉、火床ひどこの下にはしごがあります。そこから降りましょう」

 ディートマルも後に続き、その言葉通りに火床に手をかける。と、それが蓋のように外れて持ち上がった。その下には空間があり、下に続くはしごがあった。
 その予想外の隠し方に、ため息交じりの声が口から漏れる。

「え……」
「ええ……」
『畜生め、俺はどうやって降りればいいんだよ……』

 イヴァノエも頭を振りながら呻いた。どうしよう、ここに置いていくわけにもいかないし。
 どうしよう、どうすれば。道が開かれながらも、僕とイヴァノエは頭を悩ませるしかなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

神の使いでのんびり異世界旅行〜チート能力は、あくまで自由に生きる為に〜

和玄
ファンタジー
連日遅くまで働いていた男は、転倒事故によりあっけなくその一生を終えた。しかし死後、ある女神からの誘いで使徒として異世界で旅をすることになる。 与えられたのは並外れた身体能力を備えた体と、卓越した魔法の才能。 だが骨の髄まで小市民である彼は思った。とにかく自由を第一に異世界を楽しもうと。 地道に進む予定です。

とある中年男性の転生冒険記

うしのまるやき
ファンタジー
中年男性である郡元康(こおりもとやす)は、目が覚めたら見慣れない景色だったことに驚いていたところに、アマデウスと名乗る神が現れ、原因不明で死んでしまったと告げられたが、本人はあっさりと受け入れる。アマデウスの管理する世界はいわゆる定番のファンタジーあふれる世界だった。ひそかに持っていた厨二病の心をくすぐってしまい本人は転生に乗り気に。彼はその世界を楽しもうと期待に胸を膨らませていた。

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

神に異世界へ転生させられたので……自由に生きていく

霜月 祈叶 (霜月藍)
ファンタジー
小説漫画アニメではお馴染みの神の失敗で死んだ。 だから異世界で自由に生きていこうと決めた鈴村茉莉。 どう足掻いても異世界のせいかテンプレ発生。ゴブリン、オーク……盗賊。 でも目立ちたくない。目指せフリーダムライフ!

魔物の装蹄師はモフモフに囲まれて暮らしたい ~捨てられた狼を育てたら最強のフェンリルに。それでも俺は甘やかします~

うみ
ファンタジー
 馬の装蹄師だった俺は火災事故から馬を救おうとして、命を落とした。  錬金術屋の息子として異世界に転生した俺は、「装蹄師」のスキルを授かる。  スキルを使えば、いつでもどこでも装蹄を作ることができたのだが……使い勝手が悪くお金も稼げないため、冒険者になった。  冒険者となった俺は、カメレオンに似たペットリザードと共に実家へ素材を納品しつつ、夢への資金をためていた。  俺の夢とは街の郊外に牧場を作り、動物や人に懐くモンスターに囲まれて暮らすこと。  ついに資金が集まる目途が立ち意気揚々と街へ向かっていた時、金髪のテイマーに蹴飛ばされ罵られた狼に似たモンスター「ワイルドウルフ」と出会う。  居ても立ってもいられなくなった俺は、金髪のテイマーからワイルドウルフを守り彼を新たな相棒に加える。  爪の欠けていたワイルドウルフのために装蹄師スキルで爪を作ったところ……途端にワイルドウルフが覚醒したんだ!  一週間の修行をするだけで、Eランクのワイルドウルフは最強のフェンリルにまで成長していたのだった。  でも、どれだけ獣魔が強くなろうが俺の夢は変わらない。  そう、モフモフたちに囲まれて暮らす牧場を作るんだ!

雪狐 氷の王子は番の黒豹騎士に溺愛される

Noah
BL
【祝・書籍化!!!】令和3年5月11日(木) 読者の皆様のおかげです。ありがとうございます!! 黒猫を庇って派手に死んだら、白いふわもこに転生していた。 死を望むほど過酷な奴隷からスタートの異世界生活。 闇オークションで競り落とされてから獣人の国の王族の養子に。 そこから都合良く幸せになれるはずも無く、様々な問題がショタ(のちに美青年)に降り注ぐ。 BLよりもファンタジー色の方が濃くなってしまいましたが、最後に何とかBLできました(?)… 連載は令和2年12月13日(日)に完結致しました。 拙い部分の目立つ作品ですが、楽しんで頂けたなら幸いです。 Noah

選ばれたのはケモナーでした

竹端景
ファンタジー
 魔法やスキルが当たり前に使われる世界。その世界でも異質な才能は神と同格であった。  この世で一番目にするものはなんだろうか?文字?人?動物?いや、それらを構成している『円』と『線』に気づいている人はどのくらいいるだろうか。  円と線の神から、彼が管理する星へと転生することになった一つの魂。記憶はないが、知識と、神に匹敵する一つの号を掲げて、世界を一つの言葉に染め上げる。 『みんなまとめてフルモッフ』 これは、ケモナーな神(見た目棒人間)と知識とかなり天然な少年の物語。  神と同格なケモナーが色んな人と仲良く、やりたいことをやっていくお話。 ※ほぼ毎日、更新しています。ちらりとのぞいてみてください。

一緒に異世界転生した飼い猫のもらったチートがやばすぎた。もしかして、メインは猫の方ですか、女神様!?

たまご
ファンタジー
 アラサーの相田つかさは事故により命を落とす。  最期の瞬間に頭に浮かんだのが「猫達のごはん、これからどうしよう……」だったせいか、飼っていた8匹の猫と共に異世界転生をしてしまう。  だが、つかさが目を覚ます前に女神様からとんでもチートを授かった猫達は新しい世界へと自由に飛び出して行ってしまう。  女神様に泣きつかれ、つかさは猫達を回収するために旅に出た。  猫達が、世界を滅ぼしてしまう前に!! 「私はスローライフ希望なんですけど……」  この作品は「小説家になろう」さん、「エブリスタ」さんで完結済みです。  表紙の写真は、モデルになったうちの猫様です。

処理中です...