自然神の加護の力でのんびり異世界生活

八百十三

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5. 禁域編

悪神のいたずら

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 沈鬱な空気が、部屋の中に満ちていく。リュシールも腕組みをしながら、深くため息をついて言葉を零した。

「エスメイですか……実に厄介な神が降りましたね」
「はい、エリク様が相対するには荷が勝ちすぎる部分は否めないと、私も思う次第です。申し訳ないとは思うのですが……」

 申し訳ないという表情をして、イルムヒルデも頭を振る。
 邪神そのものを相手取るだけでも新人の使徒である僕には荷が重いのに、よりにもよって相手がエスメイ。そんな相手の待ち構える場所に僕を連れて行こうとするイルムヒルデだって、心の底ではつらさを感じているはずだ。
 沈黙が空間を支配するなか、リュシールが静かに、イルムヒルデへと目を向けた。

「イルムヒルデ様、一つよろしいですか」
「はい、なんなりと」

 彼女の発言に小さく頷くイルムヒルデ。「念のために」と前置きをしてから、守護者は真剣な表情で口を開いた。

「禁域に住まわれている邪神の信徒の皆さん……いえ、魔物も含めて申し上げますが。無事でいると・・・・・・思いますか?・・・・・・

 その言葉に、僕とアグネスカ、ブリュノが小さく首を傾げる。しかし残りの面々の表情が一気に暗くなった。
 僕が状況を理解するより早く、イルムヒルデが再び頭を振る。

「十中八九、否ですわね」

 否。つまり、禁域の中で暮らす人に、確実に何かが起こっているという。
 どういうことだろうか。実際に邪神が禁域に降臨したとして、その神を崇める人々が無事でいるかどうかに、何が関係するというのだろう。
 疑問を抱く僕の前で、リュシールも力なく首を振る。

「……やはりですか」
「目の前にいくらでもあるおもちゃ・・・・を、あれが放っておくはずはございませんからね」

 彼女の、まるでその答えが返ってくることが分かっていたかのような反応に、僕は目を見張った。イルムヒルデもイルムヒルデで何やら物騒なことを言いだしている。
 おもちゃ?

「あの……イルムヒルデさん、リュシールも、どういう、ことですか?」

 意を決して僕が声をかけると、こちらに視線を向けたイルムヒルデが、うっすらと目元に笑みを浮かべた。

「エリク様は、『小さなトビの冒険』を、お読みになられたことはありますか?」
「え……と」

 唐突な問いかけに、僕は記憶を手繰り寄せた。
 「小さなトビの冒険」。ラコルデール王国のみならず、マリエール大陸全土に広まっている、少年トビを主人公とする童話だ。何度か、魔法写本として出版されているものを読んだことがある。
 アグネスカが小さく頷いて口を開く。

「エリクが四歳の頃に、私が読んで聞かせた覚えがあります」
「うん、そうだ。学校でも、何度か授業で取り上げられた気がする」

 僕も、隣に座るアグネスカの方を向きながら頷いた。
 僕がまだ幼かった頃、アグネスカの膝に座って読み聞かせてもらった時も、学校の授業で取り上げられて第一巻の「邪神のいざない」の書き取りをした時も、邪神に邪魔をされながらも懸命に冒険するトビにわくわくし、邪神を憎らしく思ったものだ。
 その、主人公トビの邪魔をしてくる邪神が、エスメイだ。

「それならよかった。あの物語にも主人公トビの行く手を阻み、邪魔をする敵としてエスメイは登場します。第一巻から長いこと登場したので、よくご存知とは思いますが」
「そもそもの冒頭が、エスメイの悪戯いたずらにトビが巻き込まれ、姿を変えられてしまうことから始まりますからね」

 イルムヒルデが口角を持ち上げるのと一緒に、ディートマルもにこやかに笑って頷いた。
 悪戯いたずらと聞くと可愛らしいものを想像するが、エスメイのそれは被害の大きい、一歩間違えれば取り返しのつかなくなるものばかりなのだ。それがまた、あの邪神の邪悪さ、たちの悪さを強調している。
 イルムヒルデが腕の翼をゆるく広げながら、僕達へと解説を続けた。

「あの物語の冒頭で描かれたように、エスメイは様々な悪戯を思いつくままに生きものへと仕掛けてきます。突然穴に落としたり、身体を持ち上げて木に吊るしたり、崖から突き落としたり。その果てに生きものの命が奪われようとも気にも留めません。
 しかし、あの邪神が最も得意とし、また好む悪戯……それこそ、トビに仕掛けたように、『相手の姿を変える』ものなのです」
「姿を、変える……」

 その説明を受けて、僕とアグネスカが揃って表情を硬くした。
 「小さなトビの冒険」の第一巻の冒頭で、主人公トビは邪神エスメイの悪戯に巻き込まれて、人間族ヒュムの若者の姿から猫妖精キャットフェアリーへと変えられてしまう。他の魔物と比しても小柄で、力も弱い猫妖精キャットフェアリーから元の人間に戻るべく、あらゆる魔法の効果を打ち消す魔法の泉を目指して冒険する、というのが第一巻のストーリーだ。
 アグネスカが、おずおずと右手を上げる。

「それは、あの、魔法を使って、ということですか? 確か邪神の魔法の中に、『変化トランスフォーム』があったような……」

 彼女の言葉に、僅かに場の空気が静まり返る。
 確か作中では、トビはエスメイの魔法によって姿を変えられていた。エスメイが村のヴァーシュに「変化トランスフォーム」をかけていて、それに牧場の傍を歩いていたトビが巻き込まれる形で変身させられてしまうのだ。
 物語にあるようにそうするのではないか。そうであって欲しい。しかし僕達の期待も空しく、イルムヒルデは沈痛な面持ちで頭を振る。

「いいえ、もっと性質の悪いものですわ……あれは、『を書き換えるのです・・・・・・・・・
「え……!?」

 次いで発せられた彼女の言葉に、僕も、アグネスカも、さらには隣のアリーチェも、信じられないと言いたげに目を見開いた。
 『器』を書き換える。そんなことが出来るなんて……というよりも、そんなことをする・・なんて。
 いまひとつその行動の重篤さを理解できなかったらしいブリュノが、隣に座るギーへと耳打ちしている。

「ギー様、『器』……ってえと」
「生命の在り方を定める、肉体の核とも言えるものだ……それを書き換えられるということは、文字通り存在を作り替えられることに他ならない」

 ギーの返答に、ブリュノがひ、と悲痛な声を漏らすのが聞こえた。
 魔法で変身させるのとは根本的に訳が違うのだ。融合士フュージョナーの魔物への変身も、「変化トランスフォーム」による他者への変身も、どちらも元の姿に戻ることが出来る。しかし『器』の書き換えは、決してそうはならないのだ。

「『変化トランスフォーム』は魔法ですので、かけられた側が力を尽くせば解除することも不可能ではありません。しかし、『器』を書き換えられたら、もう何をどうやっても元の姿には戻れない……エスメイは、それをたわむれに、まるで子供が紙に落書きをするように、行うのですわ」

 イルムヒルデのその言葉に、僕は背筋を冷たいものが走るのを感じた。
 戯れに、ほんの小さな悪戯をする感覚で、他人の存在を書き換える。
 そんな恐ろしいことを、何の良心の呵責かしゃくも持たずに行うだなんて、邪神とはどこまで、恐ろしく、悪しき存在なのだ。
 それに追い打ちをかけるように、ディートマルが頭を振りながら口を開く。

「しかも、あの神が『変化トランスフォーム』も行使できるのをいいことに、いたずらに相手に希望を持たせるのです。『もしかしたら努力すれば元に戻れるかもしれないぞ』などと吹き込んで。本当は、どうやっても戻れないというのに……そうして無為な努力に走る人々を見て嘲笑う、それがあれは、楽しくて仕方ないのです」
「なんてこと……」

 そのあまりにも悪辣な、邪神と呼ぶにふさわしいやり口に、アグネスカが絶望の声を漏らした。
 これは、三神教会が危険視するのも当然だ。まだカーン神の使徒として新米の僕を引っ張ってでも、現地に乗り込んで調査する必要があるのも分かる。一筋縄ではいかなくても、何とかしないとならないのも勿論だ。
 いくら禁域が地階マテリアルから切り離され、接続点であるゲヤゲ島が聖域指定されて立ち入りできなくなっていても、放置しておいたら悪影響しかない。
 アリーチェが力なく天を仰ぎながら、脱力しつつ口を開いた。彼女自身、『器』に手を出されて生まれた経緯があるから、思うところは多いのだろう。

「三大神の使徒がいかに極大加護を受けていると言っても、『器』に手を出されたらどうにもなりませんものね……」
「そうです。そこばかりは、三大神の加護があっても守り切れません……『器』を書き換えられたとしても、加護が外れることは無いのがせめてもの救いですが」

 彼女の言葉に額を押さえながら、リュシールも呻く。
 そう、三大神の使徒は加護を最大限に受け取り、その存在が神によって保護されているとはいえど、肉体の核となる『器』は例外なのだ。
 加護が及ぶのはあくまで魂。付随する効果として神力の生産とそれを効率よく扱う回路の形成。だから、肉体に手を出されても加護の効果は発揮されない。せいぜい、肉体が変化しても神力の馴染みがいいくらいである。
 それ故に、エスメイのように肉体に限定して手を出してくる邪神は、相手取るのが難しくなるのだ。

「はい、ですのでダヴィド様……生きてお帰りになられることは保証いたしますが、人間族ヒュムのお姿のままでお帰りになられることは、私も保証いたしかねます。あれは、あの手この手を使って、相手を陥れて参りますので……」

 悲痛な表情で告げられたイルムヒルデの言葉に、僕は項垂れるしかなかった。
 アリーチェの厄呪を解いた時とは比較にならないほど、僕が人間を辞める・・・可能性は高いのだ。いや、イルムヒルデの口振りから思うに、かなり高い確率で辞めさせられる感じがする。
 融合士フュージョナーでもある僕は、いまさら人間族ヒュムでなくなることに特別な感情こそないけれど、僕の身体に融合した魔物たちが、動物たちがどうなるのかは気がかりだ。
 そして何より、アグネスカやアリーチェに手を出されたら。僕自身のことよりそっちが心配だ。

「……」
「エリク……」
「エリクさん……」

 両脇から、アグネスカとアリーチェが僕の手を握ってくる。
 その手をゆるく握り返しながらも、僕はずっと俯いたままだった。
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