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4. 竜種編
来たるべき時
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加護奉呈の儀式が終わって、謝肉祭三日目のイベントが全て終わった、10の刻過ぎ。
僕はブリュノと共にヴァンド東の森、ヴァンド森の聖域に向かうべく森の中を進んでいた。
「東の森の中は、こんな風になっていたのか……」
「すみません、聖域まで転移陣で飛べれば手間がなかったんですが、カーン様の聖域なので僕とダニエルさんしか飛べなくて……」
「ねー、バタイユの使徒様と巫女様は、高齢だからとさっさと転移されていきましたけど」
森の中の風景を見回しながらブリュノが言えば、僕の言葉に続けてアリーチェが話す。
実際、転移陣を使えたらどんなにか楽だったかと思う。三大神全てが集まるウジェ大聖堂に敷かれた転移陣とは異なり、ヴァンド森の聖域の転移陣はカーン神の使徒やそれに連なる者しか使えない。
そういう決まりなのだ。だから前回マドレーヌを聖域に連れてきた時にも、徒歩でその場所まで来てもらったのだ。
その経験を踏まえた上で、マドレーヌが小さく肩をすくめる。
「仕方がないわ、聖域は神の目がよく届く領域。そこに突然別の神に連なる者が現れたら、問題でしょ」
「違いない」
彼女の後ろにつくギーも、同様に頷いた。
事情については詳しいらしいイルムヒルデも、納得した様子で羽毛に覆われた頭を前後させている。
「ダヴィド様がお気に病まれる必要はありませんわ……ところで、ダヴィド様」
「はい」
と、イルムヒルデから声をかけられ、小さく僕が頷きを返す。その僕と、恐らくはアリーチェに対して、シューラ神の使徒は小首を傾げながら言うた。
「聖域の守護者の皆様は、聖域にいらっしゃって、かの死告竜を抑えていらっしゃる、ということで、お間違いはないのですよね?」
「……そのはずです。ルスランも見張りについていますし」
僕が頷きながら答えると、イルムヒルデの隣に立ち、側について歩く人間族の男性が、顎に手をやりながら頷いた。
「なるほど。使徒、巫女、神獣が三柱。それだけ揃い踏みとなれば、この森の実りが豊かなのも頷けます」
「やっぱり、分かりますか?」
その男性に、僕は目を見開きながら言葉を返す。
男性――イルムヒルデに付く巫女、アイヒホルン公国の巫女であるディートマル・レームクールは、僕の視線にうっすらと目を細めながら答えた。
「私は探査士の資格も持っておりますのでね。周囲の様子を探るのはお手の物というわけですよ。土地の神力の精査も専門分野です」
「へぇ……凄いですね」
ディートマルの言葉に、僕は素直に感心の言葉を述べた。
僕自身、探査士の素質はあると言われているし、適性が高い方だと思ってはいる。しかし、本職の探査士の人に比べたら、どうしたって一歩劣るだろう。
探査士を本職にする者は、真の意味で周辺探査の専門家だ。故に、常人には分からないことも容易に暴いてみせる。
ディートマルも、軽く頭を下げた後にさらりと「それ」を告げてみせた。
「お褒めに預かり恐縮です。なので、死告竜の抱える厄呪がどんな状況かも、土地の神力の状況から把握できます」
「やはり、神力が際限なく吸われていることが察知できますか?」
アグネスカが問いかければ、ディートマルはこくりと頷く。彼の目からしてみれば、その辺りは確証を持って言えるらしい。
然して、ディートマルがきっぱりとした口調で現状の説明を始めた。
「渇望の呪いは、藻岩のようなものです。水を瞬時に吸い上げて中に溜め込み、空気中に放出する藻岩のように、土地の神力を吸い上げ、溜め込み、神力燐光として放出する」
「今回聖域の中に墜ちられたのは、本当に幸運でしたわ。聖域ならば、吸い上げられた神力をどんどん土地に供給できますから……ヴァンド森には神獣が三柱もお揃いですから、供給過剰だったのが改善されたほどかと思われます」
ディートマルの言葉を補足するように、イルムヒルデが口を開いて現状の幸運さを話してみせる。やはり、今回の案件はだいぶ幸運が重なったらしい。
藻岩とは、地球における珪藻土と同じ性質の岩だそうだ。吸湿、吸水性が高く、湿気た部屋に置いておけばたちまち部屋の湿気を吸い取ってしまう。
その藻岩が湿気を吸うのと同じように、渇望の呪いの神力を吸い上げる力が強すぎるあまりに、並みの土地では土地の神力が枯れるのだ。神域であり、際限無く神力の供給がある場所だからこそ、これだけ被害が抑えられているとも言える。
しかし、しかしだ。現状で神力の供給が過剰であり、厄呪によってそれが吸い上げられているのなら。今はいいバランスなのではないか、と思わなくもない。
「なんか、その話を聞くと、厄呪をブリュノさんに移し替えるのが、逆にうちの聖域の状況を悪化させちゃうんじゃないか、と思うんですけど……」
「いいえ、いいえ。そうはなりませんわ」
素直に所感を述べる僕に、イルムヒルデはゆるゆると頭を振った。
その言葉に補足を付け加えるのはマドレーヌだ。ひらりと手を動かしながら口を動かす。
「厄呪を受けた肉体は、いずれ蓄積した神力に耐え切れずに、文字通り『破裂』してしまうのよ、ボウヤ。そうなったら聖域の外にまで厄呪が及ぶ。この森は死んでしまうわ」
「うっ……それは、さすがに、嫌です」
彼女の言葉に、僕が口を噤みつつ身を震わせると。
既に聖域が視界に入る位置に来ていたらしい。マドレーヌが前方を見ながらふっと笑みを見せた。
「分かったら、余計なことを考えずに仕事をすることね……ああ、いたわ」
その方向を見れば、先んじて待機していた守護者の面々が死告竜の周囲で神術行使の準備をしているのが分かった。
彼らと共にいるダニエル・バイルーとラシェル・バイルーの夫妻が、こちらに一礼した。その向こうにはリュシールを筆頭に、ルドウィグとエクトル、ルスランが作業をする姿も見える。
「おぉ、エリク殿。お疲れ様ですぞ」
「先にお邪魔しています、エリクさん。マドレーヌさんもイルムヒルデさんも、わざわざありがとうございます。そしてブリュノさんも」
ダニエルがさっと手を挙げれば、隣に立つラシェルもそっと頭を下げてこちらに礼を述べる。一緒にブリュノにも礼を述べれば、彼らとほぼ初対面になるブリュノがしっかと頭を下げた。
「お初にお目にかかります、この度インゲ神の使徒の座を拝領いたしました、ブリュノ・ルセと申します」
「拝領早々の大役、大変かと思いますが、心を強く持つんですぞ」
「私達も全力で、ブリュノさんの身をお守りしますからね」
新任の使徒たるブリュノへと、ダニエルもラシェルも優しい言葉をかけている。その傍らで、僕は下準備の監督をしていたリュシールへと声をかけた。
「なあ、リュシール」
「どうしました、エリク様」
そっと声をかければ、リュシールが小さく首をかしげた。小さく目を見開いて屈みこむ彼女に、僕は彼女の頭頂部に立つ耳に口元を寄せながら告げた。
「厄呪の専門家のイルムヒルデさんがいるし、ダニエルさんも、マドレーヌさんもいる。僕が主導で大地神の羽衣をしなくても、いいんじゃないのか?」
その発言には、幾ばくかの期待を込めていたことは否定できない。
同じカーン神の使徒で言うならダニエルは僕より何倍も年期が入っているし、マドレーヌもイルムヒルデも使徒としてはとてつもなく先輩だ。
加えて、イルムヒルデは厄呪を専門にした研究者だとも聞いている。あらゆる解呪神術に通じている彼女なら、僕以上に的確に解呪神術を行使できるはずだ。
しかし、リュシールはゆるゆると首を振る。
「いいえ、ここはカーン神の聖域ですから、エリク様に主導権を握っていただかなくてはなりません。ダニエル様はご高齢ですから、高負荷な解呪神術を行使していただくわけにはまいりませんし」
「そうか……」
彼女の発言に、僕は肩を落とす他無かった。
ここはカーン神の聖域。力を受け取れるのはカーン神の使徒や巫女、神獣他、それに連なる者のみ。インゲ神の使徒たるマドレーヌや、シューラ神の使徒たるイルムヒルデは、土地の力を借りることは出来ない。
加えて、ダニエルは僕を後継に指名するほどに高齢だ。謝肉祭でさえそうなのだから、肉体に負担のかかる神術の行使など、お願い出来る筈もない。
つまり、僕がやるしかないのだ。
落胆する僕に、リュシールが優しい口調で声をかけてくる。
「ただ、ダニエル様がいらっしゃいますから、神力の調整は格段に楽になります。マドレーヌ様には何かあった時すぐに対応できるように備えていただけますし、解呪神術の手ほどきはイルムヒルデ様がいらっしゃれば間違いありません。
地母神の右手の時より体制は整っております。心配はいりませんよ」
リュシールの言葉に、僕は頷く他無かった。
実際、体制としてはこの上ない状況が整っていると言えるだろう。
術の行使に耐えられないにしても、ダニエルとラシェルはカーン神の加護と力を受け取れる。
解呪神術に関しては専門家であるイルムヒルデがここにいるから、直接の手解きを受けられる。
万一トラブルがあったとして、世界最高峰クラスの治癒士であるマドレーヌもここにいる。
何かしらのトラブルがもし起こっても、迅速に対応が出来る。それは、間違いないだろう。
「大丈夫ですよエリクさん、私も、アグネスカさんもいますから」
「備えは万全です。信じましょう」
「……うん」
アリーチェとアグネスカが、揃って僕の両側から声をかけてきては、安心させようとしてくれている。
そうだ、僕がやらなければならないことには変わりがない。なら、僕の精神状態が安定していなければ、成功するものも成功しない。
気持ちを整えるべく、僕がほっと息を吐いたところで、ルドウィグとルスランがリュシールへと声をかけてきた。
「リュシール殿、神術円の用意が出来ましたぞ」
「死告竜にも円の真ん中に移動させた。いつでも出来る」
「ありがとうございます、お二人とも」
いよいよ、準備は整った。
これからいよいよ、大地神の羽衣が行使される。
準備が整ったことを確認したイルムヒルデが、そっと僕を手招きして呼んだ。
「ダヴィド様、こちらへ。大地神の羽衣の行使手順をお教えいたします」
「あ、はい」
僕がイルムヒルデの方へと駆けていくその背中で、リュシールがブリュノへと呼びかけては説明をする声が聞こえる。
「ブリュノ様、始める前に、よろしいですか」
「ああ」
リュシールの声は、いつも以上に真剣だった。ブリュノの声色にも緊張が見て取れて。
僕がイルムヒルデから神術の手解きを受けている後ろで、リュシールはいつも以上に真剣な声色で、ブリュノへとことの次第を説明していた。
「今回の解呪行使に伴いまして、貴方様の中には死告竜の『器』が混ざりこみます。迅速な解呪が求められる今回は、混ざりこみの多少を考慮することが出来ません……何卒、ご自身の記憶までを失わないよう、気持ちを強く持っていただければと」
「分かっている」
リュシールの言葉に、力強くブリュノが答えるのが聞こえてくる。
彼自身、よくよく覚悟はしていた様子だ。きっぱりした口調で、リュシールへと断言する。
「家畜に関わる者として、最上級の栄誉を昨日手にしたんだ。俺の羊飼いとしてのノウハウは、誰にも――誰にも渡さん。俺のもんだ」
「その意気です。どうぞ、あの死告竜にも、牧畜の素晴らしさを説いて差し上げてください」
彼の発言に、決意に、リュシールも安堵した様子で息を吐く。
かくして、三大神の使徒が五人も集まっての厄呪の解呪作業が、ここに始まろうとしていた。
僕はブリュノと共にヴァンド東の森、ヴァンド森の聖域に向かうべく森の中を進んでいた。
「東の森の中は、こんな風になっていたのか……」
「すみません、聖域まで転移陣で飛べれば手間がなかったんですが、カーン様の聖域なので僕とダニエルさんしか飛べなくて……」
「ねー、バタイユの使徒様と巫女様は、高齢だからとさっさと転移されていきましたけど」
森の中の風景を見回しながらブリュノが言えば、僕の言葉に続けてアリーチェが話す。
実際、転移陣を使えたらどんなにか楽だったかと思う。三大神全てが集まるウジェ大聖堂に敷かれた転移陣とは異なり、ヴァンド森の聖域の転移陣はカーン神の使徒やそれに連なる者しか使えない。
そういう決まりなのだ。だから前回マドレーヌを聖域に連れてきた時にも、徒歩でその場所まで来てもらったのだ。
その経験を踏まえた上で、マドレーヌが小さく肩をすくめる。
「仕方がないわ、聖域は神の目がよく届く領域。そこに突然別の神に連なる者が現れたら、問題でしょ」
「違いない」
彼女の後ろにつくギーも、同様に頷いた。
事情については詳しいらしいイルムヒルデも、納得した様子で羽毛に覆われた頭を前後させている。
「ダヴィド様がお気に病まれる必要はありませんわ……ところで、ダヴィド様」
「はい」
と、イルムヒルデから声をかけられ、小さく僕が頷きを返す。その僕と、恐らくはアリーチェに対して、シューラ神の使徒は小首を傾げながら言うた。
「聖域の守護者の皆様は、聖域にいらっしゃって、かの死告竜を抑えていらっしゃる、ということで、お間違いはないのですよね?」
「……そのはずです。ルスランも見張りについていますし」
僕が頷きながら答えると、イルムヒルデの隣に立ち、側について歩く人間族の男性が、顎に手をやりながら頷いた。
「なるほど。使徒、巫女、神獣が三柱。それだけ揃い踏みとなれば、この森の実りが豊かなのも頷けます」
「やっぱり、分かりますか?」
その男性に、僕は目を見開きながら言葉を返す。
男性――イルムヒルデに付く巫女、アイヒホルン公国の巫女であるディートマル・レームクールは、僕の視線にうっすらと目を細めながら答えた。
「私は探査士の資格も持っておりますのでね。周囲の様子を探るのはお手の物というわけですよ。土地の神力の精査も専門分野です」
「へぇ……凄いですね」
ディートマルの言葉に、僕は素直に感心の言葉を述べた。
僕自身、探査士の素質はあると言われているし、適性が高い方だと思ってはいる。しかし、本職の探査士の人に比べたら、どうしたって一歩劣るだろう。
探査士を本職にする者は、真の意味で周辺探査の専門家だ。故に、常人には分からないことも容易に暴いてみせる。
ディートマルも、軽く頭を下げた後にさらりと「それ」を告げてみせた。
「お褒めに預かり恐縮です。なので、死告竜の抱える厄呪がどんな状況かも、土地の神力の状況から把握できます」
「やはり、神力が際限なく吸われていることが察知できますか?」
アグネスカが問いかければ、ディートマルはこくりと頷く。彼の目からしてみれば、その辺りは確証を持って言えるらしい。
然して、ディートマルがきっぱりとした口調で現状の説明を始めた。
「渇望の呪いは、藻岩のようなものです。水を瞬時に吸い上げて中に溜め込み、空気中に放出する藻岩のように、土地の神力を吸い上げ、溜め込み、神力燐光として放出する」
「今回聖域の中に墜ちられたのは、本当に幸運でしたわ。聖域ならば、吸い上げられた神力をどんどん土地に供給できますから……ヴァンド森には神獣が三柱もお揃いですから、供給過剰だったのが改善されたほどかと思われます」
ディートマルの言葉を補足するように、イルムヒルデが口を開いて現状の幸運さを話してみせる。やはり、今回の案件はだいぶ幸運が重なったらしい。
藻岩とは、地球における珪藻土と同じ性質の岩だそうだ。吸湿、吸水性が高く、湿気た部屋に置いておけばたちまち部屋の湿気を吸い取ってしまう。
その藻岩が湿気を吸うのと同じように、渇望の呪いの神力を吸い上げる力が強すぎるあまりに、並みの土地では土地の神力が枯れるのだ。神域であり、際限無く神力の供給がある場所だからこそ、これだけ被害が抑えられているとも言える。
しかし、しかしだ。現状で神力の供給が過剰であり、厄呪によってそれが吸い上げられているのなら。今はいいバランスなのではないか、と思わなくもない。
「なんか、その話を聞くと、厄呪をブリュノさんに移し替えるのが、逆にうちの聖域の状況を悪化させちゃうんじゃないか、と思うんですけど……」
「いいえ、いいえ。そうはなりませんわ」
素直に所感を述べる僕に、イルムヒルデはゆるゆると頭を振った。
その言葉に補足を付け加えるのはマドレーヌだ。ひらりと手を動かしながら口を動かす。
「厄呪を受けた肉体は、いずれ蓄積した神力に耐え切れずに、文字通り『破裂』してしまうのよ、ボウヤ。そうなったら聖域の外にまで厄呪が及ぶ。この森は死んでしまうわ」
「うっ……それは、さすがに、嫌です」
彼女の言葉に、僕が口を噤みつつ身を震わせると。
既に聖域が視界に入る位置に来ていたらしい。マドレーヌが前方を見ながらふっと笑みを見せた。
「分かったら、余計なことを考えずに仕事をすることね……ああ、いたわ」
その方向を見れば、先んじて待機していた守護者の面々が死告竜の周囲で神術行使の準備をしているのが分かった。
彼らと共にいるダニエル・バイルーとラシェル・バイルーの夫妻が、こちらに一礼した。その向こうにはリュシールを筆頭に、ルドウィグとエクトル、ルスランが作業をする姿も見える。
「おぉ、エリク殿。お疲れ様ですぞ」
「先にお邪魔しています、エリクさん。マドレーヌさんもイルムヒルデさんも、わざわざありがとうございます。そしてブリュノさんも」
ダニエルがさっと手を挙げれば、隣に立つラシェルもそっと頭を下げてこちらに礼を述べる。一緒にブリュノにも礼を述べれば、彼らとほぼ初対面になるブリュノがしっかと頭を下げた。
「お初にお目にかかります、この度インゲ神の使徒の座を拝領いたしました、ブリュノ・ルセと申します」
「拝領早々の大役、大変かと思いますが、心を強く持つんですぞ」
「私達も全力で、ブリュノさんの身をお守りしますからね」
新任の使徒たるブリュノへと、ダニエルもラシェルも優しい言葉をかけている。その傍らで、僕は下準備の監督をしていたリュシールへと声をかけた。
「なあ、リュシール」
「どうしました、エリク様」
そっと声をかければ、リュシールが小さく首をかしげた。小さく目を見開いて屈みこむ彼女に、僕は彼女の頭頂部に立つ耳に口元を寄せながら告げた。
「厄呪の専門家のイルムヒルデさんがいるし、ダニエルさんも、マドレーヌさんもいる。僕が主導で大地神の羽衣をしなくても、いいんじゃないのか?」
その発言には、幾ばくかの期待を込めていたことは否定できない。
同じカーン神の使徒で言うならダニエルは僕より何倍も年期が入っているし、マドレーヌもイルムヒルデも使徒としてはとてつもなく先輩だ。
加えて、イルムヒルデは厄呪を専門にした研究者だとも聞いている。あらゆる解呪神術に通じている彼女なら、僕以上に的確に解呪神術を行使できるはずだ。
しかし、リュシールはゆるゆると首を振る。
「いいえ、ここはカーン神の聖域ですから、エリク様に主導権を握っていただかなくてはなりません。ダニエル様はご高齢ですから、高負荷な解呪神術を行使していただくわけにはまいりませんし」
「そうか……」
彼女の発言に、僕は肩を落とす他無かった。
ここはカーン神の聖域。力を受け取れるのはカーン神の使徒や巫女、神獣他、それに連なる者のみ。インゲ神の使徒たるマドレーヌや、シューラ神の使徒たるイルムヒルデは、土地の力を借りることは出来ない。
加えて、ダニエルは僕を後継に指名するほどに高齢だ。謝肉祭でさえそうなのだから、肉体に負担のかかる神術の行使など、お願い出来る筈もない。
つまり、僕がやるしかないのだ。
落胆する僕に、リュシールが優しい口調で声をかけてくる。
「ただ、ダニエル様がいらっしゃいますから、神力の調整は格段に楽になります。マドレーヌ様には何かあった時すぐに対応できるように備えていただけますし、解呪神術の手ほどきはイルムヒルデ様がいらっしゃれば間違いありません。
地母神の右手の時より体制は整っております。心配はいりませんよ」
リュシールの言葉に、僕は頷く他無かった。
実際、体制としてはこの上ない状況が整っていると言えるだろう。
術の行使に耐えられないにしても、ダニエルとラシェルはカーン神の加護と力を受け取れる。
解呪神術に関しては専門家であるイルムヒルデがここにいるから、直接の手解きを受けられる。
万一トラブルがあったとして、世界最高峰クラスの治癒士であるマドレーヌもここにいる。
何かしらのトラブルがもし起こっても、迅速に対応が出来る。それは、間違いないだろう。
「大丈夫ですよエリクさん、私も、アグネスカさんもいますから」
「備えは万全です。信じましょう」
「……うん」
アリーチェとアグネスカが、揃って僕の両側から声をかけてきては、安心させようとしてくれている。
そうだ、僕がやらなければならないことには変わりがない。なら、僕の精神状態が安定していなければ、成功するものも成功しない。
気持ちを整えるべく、僕がほっと息を吐いたところで、ルドウィグとルスランがリュシールへと声をかけてきた。
「リュシール殿、神術円の用意が出来ましたぞ」
「死告竜にも円の真ん中に移動させた。いつでも出来る」
「ありがとうございます、お二人とも」
いよいよ、準備は整った。
これからいよいよ、大地神の羽衣が行使される。
準備が整ったことを確認したイルムヒルデが、そっと僕を手招きして呼んだ。
「ダヴィド様、こちらへ。大地神の羽衣の行使手順をお教えいたします」
「あ、はい」
僕がイルムヒルデの方へと駆けていくその背中で、リュシールがブリュノへと呼びかけては説明をする声が聞こえる。
「ブリュノ様、始める前に、よろしいですか」
「ああ」
リュシールの声は、いつも以上に真剣だった。ブリュノの声色にも緊張が見て取れて。
僕がイルムヒルデから神術の手解きを受けている後ろで、リュシールはいつも以上に真剣な声色で、ブリュノへとことの次第を説明していた。
「今回の解呪行使に伴いまして、貴方様の中には死告竜の『器』が混ざりこみます。迅速な解呪が求められる今回は、混ざりこみの多少を考慮することが出来ません……何卒、ご自身の記憶までを失わないよう、気持ちを強く持っていただければと」
「分かっている」
リュシールの言葉に、力強くブリュノが答えるのが聞こえてくる。
彼自身、よくよく覚悟はしていた様子だ。きっぱりした口調で、リュシールへと断言する。
「家畜に関わる者として、最上級の栄誉を昨日手にしたんだ。俺の羊飼いとしてのノウハウは、誰にも――誰にも渡さん。俺のもんだ」
「その意気です。どうぞ、あの死告竜にも、牧畜の素晴らしさを説いて差し上げてください」
彼の発言に、決意に、リュシールも安堵した様子で息を吐く。
かくして、三大神の使徒が五人も集まっての厄呪の解呪作業が、ここに始まろうとしていた。
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