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4. 竜種編
幼き死告竜
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聖域の中で倒れ伏したままの死告竜の子供に対して、僕達がまずしたことは、竜の身体を清めることだった。
何しろ血だらけの木の葉だらけなのだ。治癒で傷は塞げるが、流れ出した血は自分の身体で造ってもらうより他にない。
僕、アグネスカ、アリーチェ、リュシールの四人がかりで清水よ来たれを使い、屋敷に繋がる転移陣の泉の水も運んできて、ようやく竜の身体の血の汚れを洗い流し終わった頃には、既に太陽が高く登っていた。
血の汚れで真っ赤に染まった生成りの綿布を水洗いしながら、僕が額の汗をぬぐう。
「これで、大丈夫かな」
「大丈夫じゃろう、地面に接している腹側は仕方ないがな」
聖域やその周辺の木々の様子を確認してきたルドウィグが、腕を組みながら大きく頷いた。
そして汚れを落とされたことで、この死告竜がいかに酷い傷を負っていたのかが、ありありと分かる。
背中に生えた二対四枚の翼はいずれも皮膜が大きく破れ、このままでは飛ぶことすら覚束ないだろう。
尻尾には何本もの深い切り傷が走り、ところどころで表面の鱗がえぐり取られている。
最もダメージが酷かったのは首から背中にかけてだった。深く大きな傷が走るだけでなく、焼け爛れたような痕が広範囲に広がっている。まるで炎の雨の中を歩いて来たかのようだ。頭の角も根元から折れている。
これだけ深い傷が幾本も走っていると、治癒の最上級魔法である瞬間修復でも回復には時間がかかる。
神術にも傷は去れりや命は汝が身に宿るという治癒系神術はあるが、光属性だから闇属性の死告竜にどれほど効くか。それなら相手を問わずに使える、普通の治癒の方がまだましだ。
僕自身、そこまで治癒に熟達しているわけではないので、回復そのものはアリーチェとリュシールに任せ、僕はアグネスカとルスランと一緒になって、聖域の神力を高める作業に従事している。
聖域にいるだけでも豊富な神力のおかげで僕達自然神に属する者は力を得るが、土地の神力を高めていけば通常の魔法の魔力効率もその分だけ上がる。リュシールも聖域の外なら一日に二度が限度の快癒を、神力を高めた聖域の中ならギリギリ四度は使えるようになるのだ。
血に染まった草地の上に腰を下ろしたまま、僕は竜の背中の火傷に快癒をかけるリュシールに、おずおずと声をかけた。
「リュシール、ここで治療するより、屋敷の庭に連れて行った方がいいんじゃないか?」
僕の声に、手元で治癒の燐光を光らせていたリュシールが傷口から手を放す。背中の火傷は、既にかなりの範囲が治癒されて元の鱗が生えてきている。それでも、まだ完全回復には程遠いようだが。
聖域の中とは言えど、場所が完全に森の中なのだ。足場も悪いし衛生的ではない、布も足りない。使える水は魔法でいくらでも生み出せるけれど。
しかしリュシールは、額に汗を浮かべながらゆるりと首を振った。
「残念ながら、それは出来ません……本来ならばこの聖域の中で、治療を行うことすら叶いませんでしたから、ここで出来るだけ僥倖というところでしょう。
この者は竜種です。自然神カーンでなく、火神インゲを奉じる者です。自然神カーンの領域であるヴァンド森の屋敷には、どう足掻いても立ち入ることが出来ません」
「狼人の三人も、ウサギ達も、わしが伴魔にしたからこそ立ち入ることが出来るのであるからなぁ。イヴァノエもエリク殿の伴魔だから同様に立ち入れる。
しかしそれも、彼らがカーン神を奉じるから、という大前提の下で成り立っている。インゲ神を奉じる者であっては、伴魔にしたとしても立ち入ることは出来んのじゃよ」
リュシールの言葉の後を継いで、ルドウィグも腕を組みながらそう答えた。
僕達が寝起きして、日々生活しているヴァンド森の屋敷は、このルピアクロワの大地のどこかに、地域として存在しているわけではない。
自然神カーンの力によって生み出された、ルピアクロワの次元から一段高いところに出来上がった、本物の聖域だ。教会や国家から聖域指定されている、この森の中心部とは訳が違う。
つまり、カーン神の力も、目も、ルピアクロワという世界より一等強く届くのだ。
そんなところに自然神の眷属ですらない、自然神を奉じてもいない竜種を連れ込むことなど、確かに出来ようはずもない。
光属性の治癒系神術よりも効果は劣るが、そちらを使うよりは効果的だろうと水属性神術の癒しの水で傷の治療を行っていたアリーチェが、顔を上げる。
「魔物の信仰はそうほいっと変えられるものじゃないですからねー、その神からの加護を受けると同時に、言葉を通じ合わせる力や、生きる力を授かっていますから。
別に、竜種だからってカーン神を奉じちゃいけないって訳じゃないんですけれど、そうしたらその魔物は竜種ではなく、獣種として扱われることになります。自分のアイデンティティーを捨て去ることになるわけですねぇ。
死告竜はただでさえ絶滅寸前の魔物ですから、並大抵のことじゃ信仰を動かすことは出来ないと思いますよー」
「うーん……そうだよなぁ……」
珍しく難しい顔をしたアリーチェの言葉に、僕は唸るしかなかった。
屋敷の建つ聖域に連れ込むことが出来ない以上、この死告竜はここに静置するしかない。しかしこの周辺には魔物はおろか、獣も鳥もいない。結界の中から出ることも叶わない。このままでは飢えるばかりだ。
つまりは。
「ここに寝かせておいて、食料や水を屋敷なり外の森なりから運んでくるしか、ないってことかな……」
「今現在、取れる手段はそのくらいですね。竜の若い個体ですから、食事量もかなりのものになるので大変ですが」
二度目の快癒を翼の皮膜にかけ始めながら、僕の疑問にリュシールが答えた。
そう、竜はその巨体ゆえ、食事量も並大抵ではない。
ラコルデール王国の北方、フィネル公国に伝わる逸話で、火山竜の成体が一頭、牛が多数飼われた牧場を襲撃した時に、牧場にいた全ての牛はおろか、一緒に飼われていた羊までも全て焼いて食らい尽くしてしまって、それでいて悠々と大空に飛び去って行ったというのがあるくらいだ。
屋敷の周囲には森が広がっていて、鹿やウサギがいるにはいるが、恐らく森中の鹿をすべてかき集めても、2週間もつかどうかだろう。
僕達が揃ってため息をついた瞬間。
「……グァァ」
「あっ……目が覚めましたか?」
ずっと伏せて目を閉じたままだった死告竜が、うっすらと目を開けて小さく鳴いた。
ゆっくりと目を見開いた若い竜は、身体を少し動かそうと身じろぎしたが、やはり血が足りないのだろう、血で濡れた草地の上に横たわるばかりである。
視線をぐるりと動かして、僕、アグネスカ、アリーチェ、リュシール、ルドウィグを順番に見ていく死告竜。そして最後に、後方で神力調整に努めていたルスランの姿を見ると、その瞼の内側、縦に割れた瞳孔がきゅっと針のように細められた。
「グァッ!? ガァァァ、グルルァァ!?」
「グオゥッ、グォン、ガルルォォ」
「あっ、駄目ですよ! まだ回復しきってないんですから!」
自由にならないはずの身体を酷使して、僅かに頭を持ち上げた竜が、アリーチェの神術を施す手を離れてその頭をルスランの方へと向ける。対してルスランも、ラガルト語で何やら言葉を返している。
ルスランがラガルト語を話せたという事実よりも、突然死告竜が明確な反応を見せたことに、驚きを隠せない僕だ。
「えっ、何、ルスラン? 二人ともなんて言ったの?」
「『日輪狼!? 何故人間種と一緒にいる!?』『神獣が使徒と共にいることの何がおかしい』という具合だな。
まぁ彼奴が驚くのも無理はないだろうな。大したことは言ってはおらん」
何食わぬ顔で通訳してみせるルスランが、フンと鼻を鳴らす。
先程頭を持ち上げたことで体力を消耗したのか、再び地に臥せって目を細める死告竜。
竜が行動を起こしたことに安堵しつつも、僕は治癒を受け続けるその巨体の傷に、心の中で歯噛みするのだった。
何しろ血だらけの木の葉だらけなのだ。治癒で傷は塞げるが、流れ出した血は自分の身体で造ってもらうより他にない。
僕、アグネスカ、アリーチェ、リュシールの四人がかりで清水よ来たれを使い、屋敷に繋がる転移陣の泉の水も運んできて、ようやく竜の身体の血の汚れを洗い流し終わった頃には、既に太陽が高く登っていた。
血の汚れで真っ赤に染まった生成りの綿布を水洗いしながら、僕が額の汗をぬぐう。
「これで、大丈夫かな」
「大丈夫じゃろう、地面に接している腹側は仕方ないがな」
聖域やその周辺の木々の様子を確認してきたルドウィグが、腕を組みながら大きく頷いた。
そして汚れを落とされたことで、この死告竜がいかに酷い傷を負っていたのかが、ありありと分かる。
背中に生えた二対四枚の翼はいずれも皮膜が大きく破れ、このままでは飛ぶことすら覚束ないだろう。
尻尾には何本もの深い切り傷が走り、ところどころで表面の鱗がえぐり取られている。
最もダメージが酷かったのは首から背中にかけてだった。深く大きな傷が走るだけでなく、焼け爛れたような痕が広範囲に広がっている。まるで炎の雨の中を歩いて来たかのようだ。頭の角も根元から折れている。
これだけ深い傷が幾本も走っていると、治癒の最上級魔法である瞬間修復でも回復には時間がかかる。
神術にも傷は去れりや命は汝が身に宿るという治癒系神術はあるが、光属性だから闇属性の死告竜にどれほど効くか。それなら相手を問わずに使える、普通の治癒の方がまだましだ。
僕自身、そこまで治癒に熟達しているわけではないので、回復そのものはアリーチェとリュシールに任せ、僕はアグネスカとルスランと一緒になって、聖域の神力を高める作業に従事している。
聖域にいるだけでも豊富な神力のおかげで僕達自然神に属する者は力を得るが、土地の神力を高めていけば通常の魔法の魔力効率もその分だけ上がる。リュシールも聖域の外なら一日に二度が限度の快癒を、神力を高めた聖域の中ならギリギリ四度は使えるようになるのだ。
血に染まった草地の上に腰を下ろしたまま、僕は竜の背中の火傷に快癒をかけるリュシールに、おずおずと声をかけた。
「リュシール、ここで治療するより、屋敷の庭に連れて行った方がいいんじゃないか?」
僕の声に、手元で治癒の燐光を光らせていたリュシールが傷口から手を放す。背中の火傷は、既にかなりの範囲が治癒されて元の鱗が生えてきている。それでも、まだ完全回復には程遠いようだが。
聖域の中とは言えど、場所が完全に森の中なのだ。足場も悪いし衛生的ではない、布も足りない。使える水は魔法でいくらでも生み出せるけれど。
しかしリュシールは、額に汗を浮かべながらゆるりと首を振った。
「残念ながら、それは出来ません……本来ならばこの聖域の中で、治療を行うことすら叶いませんでしたから、ここで出来るだけ僥倖というところでしょう。
この者は竜種です。自然神カーンでなく、火神インゲを奉じる者です。自然神カーンの領域であるヴァンド森の屋敷には、どう足掻いても立ち入ることが出来ません」
「狼人の三人も、ウサギ達も、わしが伴魔にしたからこそ立ち入ることが出来るのであるからなぁ。イヴァノエもエリク殿の伴魔だから同様に立ち入れる。
しかしそれも、彼らがカーン神を奉じるから、という大前提の下で成り立っている。インゲ神を奉じる者であっては、伴魔にしたとしても立ち入ることは出来んのじゃよ」
リュシールの言葉の後を継いで、ルドウィグも腕を組みながらそう答えた。
僕達が寝起きして、日々生活しているヴァンド森の屋敷は、このルピアクロワの大地のどこかに、地域として存在しているわけではない。
自然神カーンの力によって生み出された、ルピアクロワの次元から一段高いところに出来上がった、本物の聖域だ。教会や国家から聖域指定されている、この森の中心部とは訳が違う。
つまり、カーン神の力も、目も、ルピアクロワという世界より一等強く届くのだ。
そんなところに自然神の眷属ですらない、自然神を奉じてもいない竜種を連れ込むことなど、確かに出来ようはずもない。
光属性の治癒系神術よりも効果は劣るが、そちらを使うよりは効果的だろうと水属性神術の癒しの水で傷の治療を行っていたアリーチェが、顔を上げる。
「魔物の信仰はそうほいっと変えられるものじゃないですからねー、その神からの加護を受けると同時に、言葉を通じ合わせる力や、生きる力を授かっていますから。
別に、竜種だからってカーン神を奉じちゃいけないって訳じゃないんですけれど、そうしたらその魔物は竜種ではなく、獣種として扱われることになります。自分のアイデンティティーを捨て去ることになるわけですねぇ。
死告竜はただでさえ絶滅寸前の魔物ですから、並大抵のことじゃ信仰を動かすことは出来ないと思いますよー」
「うーん……そうだよなぁ……」
珍しく難しい顔をしたアリーチェの言葉に、僕は唸るしかなかった。
屋敷の建つ聖域に連れ込むことが出来ない以上、この死告竜はここに静置するしかない。しかしこの周辺には魔物はおろか、獣も鳥もいない。結界の中から出ることも叶わない。このままでは飢えるばかりだ。
つまりは。
「ここに寝かせておいて、食料や水を屋敷なり外の森なりから運んでくるしか、ないってことかな……」
「今現在、取れる手段はそのくらいですね。竜の若い個体ですから、食事量もかなりのものになるので大変ですが」
二度目の快癒を翼の皮膜にかけ始めながら、僕の疑問にリュシールが答えた。
そう、竜はその巨体ゆえ、食事量も並大抵ではない。
ラコルデール王国の北方、フィネル公国に伝わる逸話で、火山竜の成体が一頭、牛が多数飼われた牧場を襲撃した時に、牧場にいた全ての牛はおろか、一緒に飼われていた羊までも全て焼いて食らい尽くしてしまって、それでいて悠々と大空に飛び去って行ったというのがあるくらいだ。
屋敷の周囲には森が広がっていて、鹿やウサギがいるにはいるが、恐らく森中の鹿をすべてかき集めても、2週間もつかどうかだろう。
僕達が揃ってため息をついた瞬間。
「……グァァ」
「あっ……目が覚めましたか?」
ずっと伏せて目を閉じたままだった死告竜が、うっすらと目を開けて小さく鳴いた。
ゆっくりと目を見開いた若い竜は、身体を少し動かそうと身じろぎしたが、やはり血が足りないのだろう、血で濡れた草地の上に横たわるばかりである。
視線をぐるりと動かして、僕、アグネスカ、アリーチェ、リュシール、ルドウィグを順番に見ていく死告竜。そして最後に、後方で神力調整に努めていたルスランの姿を見ると、その瞼の内側、縦に割れた瞳孔がきゅっと針のように細められた。
「グァッ!? ガァァァ、グルルァァ!?」
「グオゥッ、グォン、ガルルォォ」
「あっ、駄目ですよ! まだ回復しきってないんですから!」
自由にならないはずの身体を酷使して、僅かに頭を持ち上げた竜が、アリーチェの神術を施す手を離れてその頭をルスランの方へと向ける。対してルスランも、ラガルト語で何やら言葉を返している。
ルスランがラガルト語を話せたという事実よりも、突然死告竜が明確な反応を見せたことに、驚きを隠せない僕だ。
「えっ、何、ルスラン? 二人ともなんて言ったの?」
「『日輪狼!? 何故人間種と一緒にいる!?』『神獣が使徒と共にいることの何がおかしい』という具合だな。
まぁ彼奴が驚くのも無理はないだろうな。大したことは言ってはおらん」
何食わぬ顔で通訳してみせるルスランが、フンと鼻を鳴らす。
先程頭を持ち上げたことで体力を消耗したのか、再び地に臥せって目を細める死告竜。
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