上 下
51 / 91
4. 竜種編

幼き死告竜

しおりを挟む
 聖域の中で倒れ伏したままの死告竜ドゥームドラゴンの子供に対して、僕達がまずしたことは、ドラゴンの身体を清めることだった。
 何しろ血だらけの木の葉だらけなのだ。治癒ヒールで傷は塞げるが、流れ出した血は自分の身体で造ってもらうより他にない。
 僕、アグネスカ、アリーチェ、リュシールの四人がかりで清水よ来たれスプリングウォーターを使い、屋敷に繋がる転移陣の泉の水も運んできて、ようやくドラゴンの身体の血の汚れを洗い流し終わった頃には、既に太陽が高く登っていた。
 血の汚れで真っ赤に染まった生成りの綿布を水洗いしながら、僕が額の汗をぬぐう。

「これで、大丈夫かな」
「大丈夫じゃろう、地面に接している腹側は仕方ないがな」

 聖域やその周辺の木々の様子を確認してきたルドウィグが、腕を組みながら大きく頷いた。
 そして汚れを落とされたことで、この死告竜ドゥームドラゴンがいかに酷い傷を負っていたのかが、ありありと分かる。
 背中に生えた二対四枚の翼はいずれも皮膜が大きく破れ、このままでは飛ぶことすら覚束ないだろう。
 尻尾には何本もの深い切り傷が走り、ところどころで表面の鱗がえぐり取られている。
 最もダメージが酷かったのは首から背中にかけてだった。深く大きな傷が走るだけでなく、焼け爛れたような痕が広範囲に広がっている。まるで炎の雨の中を歩いて来たかのようだ。頭の角も根元から折れている。

 これだけ深い傷が幾本も走っていると、治癒ヒールの最上級魔法である瞬間修復リカバーでも回復には時間がかかる。
 神術にも傷は去れりラナ・ウーシュラ命は汝が身に宿るズィーズン・ズィヴェート・テレという治癒系神術はあるが、光属性だから闇属性の死告竜ドゥームドラゴンにどれほど効くか。それなら相手を問わずに使える、普通の治癒ヒールの方がまだましだ。
 僕自身、そこまで治癒ヒールに熟達しているわけではないので、回復そのものはアリーチェとリュシールに任せ、僕はアグネスカとルスランと一緒になって、聖域の神力を高める作業に従事している。
 聖域にいるだけでも豊富な神力のおかげで僕達自然神に属する者は力を得るが、土地の神力を高めていけば通常の魔法の魔力効率もその分だけ上がる。リュシールも聖域の外なら一日に二度が限度の快癒グレーターヒールを、神力を高めた聖域の中ならギリギリ四度は使えるようになるのだ。
 血に染まった草地の上に腰を下ろしたまま、僕はドラゴンの背中の火傷に快癒グレーターヒールをかけるリュシールに、おずおずと声をかけた。

「リュシール、ここで治療するより、屋敷の庭に連れて行った方がいいんじゃないか?」

 僕の声に、手元で治癒ヒールの燐光を光らせていたリュシールが傷口から手を放す。背中の火傷は、既にかなりの範囲が治癒されて元の鱗が生えてきている。それでも、まだ完全回復には程遠いようだが。
 聖域の中とは言えど、場所が完全に森の中なのだ。足場も悪いし衛生的ではない、布も足りない。使える水は魔法でいくらでも生み出せるけれど。
 しかしリュシールは、額に汗を浮かべながらゆるりと首を振った。

「残念ながら、それは出来ません……本来ならばこの聖域の中で、治療を行うことすら叶いませんでしたから、ここで出来るだけ僥倖というところでしょう。
 この者は竜種です。自然神カーンでなく、火神インゲを奉じる者です。自然神カーンの領域であるヴァンド森の屋敷には、どう足掻いても立ち入ることが出来ません」
狼人ウルフマンの三人も、ウサギラパン達も、わしが伴魔にしたからこそ立ち入ることが出来るのであるからなぁ。イヴァノエもエリク殿の伴魔だから同様に立ち入れる。
 しかしそれも、彼らがカーン神を奉じるから、という大前提の下で成り立っている。インゲ神を奉じる者であっては、伴魔にしたとしても立ち入ることは出来んのじゃよ」

 リュシールの言葉の後を継いで、ルドウィグも腕を組みながらそう答えた。
 僕達が寝起きして、日々生活しているヴァンド森の屋敷は、このルピアクロワの大地のどこかに、地域として存在しているわけではない。
 自然神カーンの力によって生み出された、ルピアクロワの次元から一段高いところに出来上がった、本物の聖域だ。教会や国家から聖域指定されている、この森の中心部とは訳が違う。
 つまり、カーン神の力も、目も、ルピアクロワという世界より一等強く届くのだ。
 そんなところに自然神の眷属ですらない、自然神を奉じてもいない竜種を連れ込むことなど、確かに出来ようはずもない。
 光属性の治癒系神術よりも効果は劣るが、そちらを使うよりは効果的だろうと水属性神術の癒しの水ツェレブナーヤ・ヴォーダで傷の治療を行っていたアリーチェが、顔を上げる。

「魔物の信仰はそうほいっと変えられるものじゃないですからねー、その神からの加護を受けると同時に、言葉を通じ合わせる力や、生きる力を授かっていますから。
 別に、竜種だからってカーン神を奉じちゃいけないって訳じゃないんですけれど、そうしたらその魔物は竜種ではなく、獣種として扱われることになります。自分のアイデンティティーを捨て去ることになるわけですねぇ。
 死告竜ドゥームドラゴンはただでさえ絶滅寸前の魔物ですから、並大抵のことじゃ信仰を動かすことは出来ないと思いますよー」
「うーん……そうだよなぁ……」

 珍しく難しい顔をしたアリーチェの言葉に、僕は唸るしかなかった。
 屋敷の建つ聖域に連れ込むことが出来ない以上、この死告竜ドゥームドラゴンはここに静置するしかない。しかしこの周辺には魔物はおろか、獣も鳥もいない。結界の中から出ることも叶わない。このままでは飢えるばかりだ。
 つまりは。

「ここに寝かせておいて、食料や水を屋敷なり外の森なりから運んでくるしか、ないってことかな……」
「今現在、取れる手段はそのくらいですね。ドラゴンの若い個体ですから、食事量もかなりのものになるので大変ですが」

 二度目の快癒グレーターヒールを翼の皮膜にかけ始めながら、僕の疑問にリュシールが答えた。
 そう、ドラゴンはその巨体ゆえ、食事量も並大抵ではない。
 ラコルデール王国の北方、フィネル公国に伝わる逸話で、火山竜ボルケーノドラゴンの成体が一頭、ヴァーシュが多数飼われた牧場を襲撃した時に、牧場にいた全てのヴァーシュはおろか、一緒に飼われていたムトンまでも全て焼いて食らい尽くしてしまって、それでいて悠々と大空に飛び去って行ったというのがあるくらいだ。
 屋敷の周囲には森が広がっていて、鹿セーフウサギラパンがいるにはいるが、恐らく森中の鹿セーフをすべてかき集めても、2週間2ウアスもつかどうかだろう。
 僕達が揃ってため息をついた瞬間。

「……グァァ」
「あっ……目が覚めましたか?」

 ずっと伏せて目を閉じたままだった死告竜ドゥームドラゴンが、うっすらと目を開けて小さく鳴いた。
 ゆっくりと目を見開いた若いドラゴンは、身体を少し動かそうと身じろぎしたが、やはり血が足りないのだろう、血で濡れた草地の上に横たわるばかりである。
 視線をぐるりと動かして、僕、アグネスカ、アリーチェ、リュシール、ルドウィグを順番に見ていく死告竜ドゥームドラゴン。そして最後に、後方で神力調整に努めていたルスランの姿を見ると、その瞼の内側、縦に割れた瞳孔がきゅっと針のように細められた。

「グァッ!? ガァァァ、グルルァァ!?」
「グオゥッ、グォン、ガルルォォ」
「あっ、駄目ですよ! まだ回復しきってないんですから!」

 自由にならないはずの身体を酷使して、僅かに頭を持ち上げたドラゴンが、アリーチェの神術を施す手を離れてその頭をルスランの方へと向ける。対してルスランも、ラガルト語で何やら言葉を返している。
 ルスランがラガルト語を話せたという事実よりも、突然死告竜ドゥームドラゴンが明確な反応を見せたことに、驚きを隠せない僕だ。

「えっ、何、ルスラン? 二人ともなんて言ったの?」
「『日輪狼スコル!? 何故人間種ユーマンと一緒にいる!?』『神獣が使徒と共にいることの何がおかしい』という具合だな。
 まぁ彼奴が驚くのも無理はないだろうな。大したことは言ってはおらん」

 何食わぬ顔で通訳してみせるルスランが、フンと鼻を鳴らす。
 先程頭を持ち上げたことで体力を消耗したのか、再び地に臥せって目を細める死告竜ドゥームドラゴン
 ドラゴンが行動を起こしたことに安堵しつつも、僕は治癒ヒールを受け続けるその巨体の傷に、心の中で歯噛みするのだった。


しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

やっと買ったマイホームの半分だけ異世界に転移してしまった

ぽてゆき
ファンタジー
涼坂直樹は可愛い妻と2人の子供のため、頑張って働いた結果ついにマイホームを手に入れた。 しかし、まさかその半分が異世界に転移してしまうとは……。 リビングの窓を開けて外に飛び出せば、そこはもう魔法やダンジョンが存在するファンタジーな異世界。 現代のごくありふれた4人(+猫1匹)家族と、異世界の住人との交流を描いたハートフルアドベンチャー物語!

元悪役令嬢はオンボロ修道院で余生を過ごす

こうじ
ファンタジー
両親から妹に婚約者を譲れと言われたレスナー・ティアント。彼女は勝手な両親や裏切った婚約者、寝取った妹に嫌気がさし自ら修道院に入る事にした。研修期間を経て彼女は修道院に入る事になったのだが彼女が送られたのは廃墟寸前の修道院でしかも修道女はレスナー一人のみ。しかし、彼女にとっては好都合だった。『誰にも邪魔されずに好きな事が出来る!これって恵まれているんじゃ?』公爵令嬢から修道女になったレスナーののんびり修道院ライフが始まる!

侯爵家の愛されない娘でしたが、前世の記憶を思い出したらお父様がバリ好みのイケメン過ぎて毎日が楽しくなりました

下菊みこと
ファンタジー
前世の記憶を思い出したらなにもかも上手くいったお話。 ご都合主義のSS。 お父様、キャラチェンジが激しくないですか。 小説家になろう様でも投稿しています。 突然ですが長編化します!ごめんなさい!ぜひ見てください!

騎士団長のお抱え薬師

衣更月
ファンタジー
辺境の町ハノンで暮らすイヴは、四大元素の火、風、水、土の属性から弾かれたハズレ属性、聖属性持ちだ。 聖属性持ちは意外と多く、ハズレ属性と言われるだけあって飽和状態。聖属性持ちの女性は結婚に逃げがちだが、イヴの年齢では結婚はできない。家業があれば良かったのだが、平民で天涯孤独となった身の上である。 後ろ盾は一切なく、自分の身は自分で守らなければならない。 なのに、求人依頼に聖属性は殆ど出ない。 そんな折、獣人の国が聖属性を募集していると話を聞き、出国を決意する。 場所は隣国。 しかもハノンの隣。 迎えに来たのは見上げるほど背の高い美丈夫で、なぜかイヴに威圧的な騎士団長だった。 大きな事件は起きないし、意外と獣人は優しい。なのに、団長だけは怖い。 イヴの団長克服の日々が始まる―ー―。

またね。次ね。今度ね。聞き飽きました。お断りです。

朝山みどり
ファンタジー
ミシガン伯爵家のリリーは、いつも後回しにされていた。転んで怪我をしても、熱を出しても誰もなにもしてくれない。わたしは家族じゃないんだとリリーは思っていた。 婚約者こそいるけど、相手も自分と同じ境遇の侯爵家の二男。だから、リリーは彼と家族を作りたいと願っていた。 だけど、彼は妹のアナベルとの結婚を望み、婚約は解消された。 リリーは失望に負けずに自身の才能を武器に道を切り開いて行った。 「なろう」「カクヨム」に投稿しています。

転生したので好きに生きよう!

ゆっけ
ファンタジー
前世では妹によって全てを奪われ続けていた少女。そんな少女はある日、事故にあい亡くなってしまう。 不思議な場所で目覚める少女は女神と出会う。その女神は全く人の話を聞かないで少女を地上へと送る。 奪われ続けた少女が異世界で周囲から愛される話。…にしようと思います。 ※見切り発車感が凄い。 ※マイペースに更新する予定なのでいつ次話が更新するか作者も不明。

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

処理中です...