上 下
9 / 27

第8話 ベンフィールド伯爵の悪癖

しおりを挟む
 その週の金の日、朝の11時五分前。
 いつものジャンパースカート姿ではなく、少しシルエットの細いドレスに身を包んだ私は、「赤獅子亭」の前に佇んでいた。
 勿論、パーシヴァルさんと合流して酒席に向かうためだ。さすがに酒場で仕事をする時の服装で、お貴族様の酒会に行くわけにはいかない。タニアさんに聞いたら、同伴の時用に持ってるドレスがあると教えてくれたのだ。
 落ち着けない私がきょろきょろと辺りを見回していると、町の中心街の方から一台の幌馬車ほろばしゃがやってくる。それは店の前に止まると、幌の内側からパーシヴァルさんが顔を覗かせた。

「こんにちは、リセ。待たせてしまったかな」
「いいえ、大丈夫です。これから向かいますか?」

 幌を上げながら笑うパーシヴァルさんに声をかけながら、私は一歩前に進み出る。
 彼は小さく頷くと、私の座る場所を空けつつ手を差し出してきた。

「ああ、行こう。さあ馬車に乗って」

 手袋のされたその手を取って、馬車のステップを踏む。硬いスプリングがぎしりとなって、私の体重を支えた。座面には柔らかいクッションが置かれている。お尻が痛くならないように配慮されているのは流石だ。
 御者の人が馬に指示を出して、馬車が走り出す。幌を下ろしながら一息つくパーシヴァルさんに、私はそっと問いかけた。

「今回の酒席を催すっていう、ベンフィールド伯爵って、どんな人なんですか?」

 私の言葉に、パーシヴァルさんが微笑みながらこちらを見つめてくる。
 彼曰く、フルネームはメレディス・ベンフィールド。ベンフィールド伯爵家の当主であり、種族は熊の毛耳族ファーイヤーズ。王都クリフトンを中心にした領内の、財政管理を任されているらしい。
 市内の酒場や食料品店にも顔が利き、彼との酒席の場は重要な政治の場なのだそうだ。

「酒好きで明るく朗らかな、毛耳族ファーイヤーズらしい男だ。大人数で酒席を共にすることを好む、賑やかな男だと言えるね。人当たりもいい……ただ」
「ただ?」

 話しながら、パーシヴァルさんの表情が僅かに曇る。同時に言葉を切った彼に、首を傾げつつ問いかけると。小さく頭を振りながら、彼は言った。

「酒を飲み進めると、所作が乱暴になるのが玉にきず、かな」

 その、迂遠うえんな発言に、目を細める私だ。
 所作が乱暴になる、そういう言い方をすれば丁寧なようにも思うが、要するに酒が入ったら容易に手が出る乱暴者、ということだ。

「パーシヴァル様」
「なんだい」

 なので私は問いかけた。この場は馬車の中、御者の人は前にいるけれど、その人もコンラッド家の人間だろう。躊躇する理由はない。
 返事を返してくる彼に、ずばりと切り込んだ。

「それ、遠回しな表現だったりしません?」

 私の言葉に、彼が目を小さく見開く。その目が再び細められると、パーシヴァルさんの首が小さく傾いた。

「さすが、鋭いね、リセ」
「やっぱり……」

 その返答に、肩を落とす私。予想通りすぎて脱力すらする。
 地球にだって結構いたものだ。酒が入ったら怒りの沸点が下がって、すぐに手が出てくるような人間は。私もそういう奴にぶん殴られて異世界転生したんだし。
 そういう人間は、カッとならなければ楽しい人だし、場を盛り上げることが多いから飲み会では喜ばれる。とはいえ、周囲の人間が「いつプツンと行くか」と怯えつつ飲むことになるのも事実だ。
 まぁ、そのメレディスさんがどんなタイプの酒飲みか、にもよるけれど。これで気軽にセクハラもかましてくるような酒飲みだったら救えない。

「どうして分かったんだい、ベンフィールド伯が酒乱しゅらんだと」

 呆れる私に、不思議そうにパーシヴァルさんが問いかけてきた。
 彼の顔を見上げるようにしながら、私は目を細めつつ答える。なるべく、笑顔に見せるように心がけることも忘れない。

「パーシヴァル様はお優しい方ですから。他人の大きな欠点を悪しざまに言うほど、容赦のない方ではありません」
「やれやれ、まだ二週間弱だというのに、私は随分君に見られていたものだ」

 私の言葉に、彼は苦笑を浮かべながら肩を竦めた。
 話している間にも、視界の横では景色がどんどん変わっていく。私はこの二週間ほどの間、三番街通りと二番街の市場くらいにしか行ったことが無かったから、もうこの辺りは王都のどの辺りなのかも分からない。
 幌馬車の背もたれに寄り掛かりながら、パーシヴァルさんが深くため息をついた。

「まぁ、ね。酒に酔うと、彼はよく手が出てくる。叩く、張る、蹴る……殴るまでは、私も見たことが無いけれど」
「あー……そういうタイプですか」

 彼の力ない言葉に、私も一緒になって背もたれに身体を預けながら応えた。
 なるほど、結構悪質な奴だ。殴るまでしていなくても、蹴ったり叩いたりしている時点でよろしくない。人間に対してそうしているならもっとよろしくない。
 これは一筋縄での攻略ではいかないかもしれないなぁ、なんて思っていると、私の肩に手を置きながら、パーシヴァルさんが笑った。

「ああ、私も極力、君に被害が及ばないようにするけれど。もし君がその現場を目にしたら、思いっきりやっつけてくれて構わない」

 その言葉に、思わず私はパーシヴァルさんの顔を見つめた。肩に置かれた手を払うことも忘れて、驚きを露わにして口を開く。

「いいんですか?」

 そう、普通ならあり得ないことなのだ、客であり一般人の私が、パーティーのホストである貴族をやっつけるなどと。本当だったらやっつけた途端に、パーシヴァルさんによってつまみ出されてもおかしくないだろうに、彼はそれを許容するどころか、認めている。
 見開いた私の目をその青く澄んだ瞳で見つめ返しながら、パーシヴァルさんは小さく笑った。

「いいんだ。この世界は存外、君のように物怖じせずに進言できる人間を、求めていたのかもしれないから」
「……?」

 その、含みのある言い方にますます私が目を見開く中。
 静かに馬を操っていた御者の人が、ベンフィールド伯爵邸への到着を告げてきた。



 幌馬車を降りると、大きな屋敷の玄関で豪華な服を身に付けたが、私たち二人を出迎えた。
 そう、熊である。後ろ足で立ち上がった熊である。つまりは彼が、この酒席の主催者、メレディスさんだ。

「ようこそ、パーシヴァル!」
「久しぶりだね、メレディス」

 年の頃は四十後半と言うあたりだろう、バリトンボイスを響かせながら彼はパーシヴァルさんの肩を抱く。パーシヴァルさんの方も近くに寄られて、それを拒絶する素振りはなさそうだ。
 別に、仲が悪いとかそういうわけではないのだろう。にこやかに笑いながら、とても親し気に話しかけている。

「久しぶりだとも、こいつめ。私からの誘いを何度も断りやがって」
「はは、すまない。どうしても都合が合わなくてね」

 メレディスさんがパーシヴァルさんの肩を抱いたまま、頬を小突く。
 随分と人懐っこいというか、おおらかというか。なかなかに人との距離が近い人物のようだ。そういうところも、財政管理には都合がいいのだろう。
 パーシヴァルさんが彼の腕を外しながら、私へと手を差しだしてくる。

「メレディス、こちらが私の、今日の同伴者。覚醒者のリセ嬢だ」
「初めまして、メレディス様」

 紹介された私は、ゆるやかにメレディスさんへと頭を下げる。と、私に向かって大きく頷いた彼が、興味深そうに笑った。

「ほーう……? その顔には見覚えがあるぞ、三番街通りの『赤獅子亭』で働く女中だな」
「はい、仰る通りです」

 彼の言葉に、私は素直に頷いた。別にここで否定する理由はない。彼もきっと、私が『覚醒』する前に赤獅子亭に来ていたのだろう。
 するとメレディスさんの手が、私の肩をぽんと叩いた。そのまま振り返って屋敷の扉を開ける。
 少しよろける私をパーシヴァルさんが支える中、彼は私達を屋敷の中に招き入れながら笑った。

「そいつはいい、後でしゃくでもしてもらおうかな。はっはっは」

 そう言いつつ、私達二人を中へと招くメレディスさん。促されるままに屋敷の中に立ち入ると、彼はそのまま扉を閉めた。まだまだ来客はあり、出迎えの必要があるのだろう。
 扉の中に控えていたベンフィールド家のメイドさんにパーティー会場へと案内されながら、パーシヴァルさんが小さく息を吐いた。

「あいつ……まったく」

 そのため息は、明らかに呆れを含んだそれだ。私を小突いたこともそうだろうが、あのセクハラとも取られかねない発言。友人としても、悩ましいのだろう。
 彼の後ろをついて歩きながら、私はパーシヴァルさんに問いかける。

「パーシヴァル様、メレディス様のあれは、性質の悪い冗談・・・・・・・だ、と捉えてよろしいのですよね?」
「勿論だとも。彼も本気で、客に酌をさせようなどと思ってはいないさ……いや、そうだと思うけれど、うん」

 答えながらも、しどろもどろになるパーシヴァルさん。きっと頭の中で、随分悩んでいるに違いない。
 そうだろう、ああいう振舞いを客に対してする人間だ。貴族としての驕りも多分に含んでいるだろうが、褒められたものであるはずがない。
 パーティー会場である広間に通されて、メイドさんを見送ったパーシヴァルさんが、私にそっと耳打ちする。

「リセ」
「はい」

 私も声を潜めながら、彼の言葉に応えた。それを確認して、パーシヴァルさんが真剣な面持ちになる。

「そうならないことを願っているが、馬車の中で話したことに付け加える。あいつなり他の招待客なりが君に酌を強要した・・・・・・場合でも、やっつけて構わない」

 その表情を見るに、彼は本気のようだ。本気で、私に「何かあったら手を出していい」と言っている。
 有り難い話だ。私も変に気を使わなくて済む。

「承りました」

 静かに返事をして、私は口元にはっきりと笑みを浮かべた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました

東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。 攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる! そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?

すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。 一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。 「俺とデートしない?」 「僕と一緒にいようよ。」 「俺だけがお前を守れる。」 (なんでそんなことを私にばっかり言うの!?) そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。 「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」 「・・・・へ!?」 『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!? ※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。 ※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。 ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

〈完結〉妹に婚約者を獲られた私は実家に居ても何なので、帝都でドレスを作ります。

江戸川ばた散歩
ファンタジー
「私」テンダー・ウッドマンズ伯爵令嬢は両親から婚約者を妹に渡せ、と言われる。 了承した彼女は帝都でドレスメーカーの独立工房をやっている叔母のもとに行くことにする。 テンダーがあっさりと了承し、家を離れるのには理由があった。 それは三つ下の妹が生まれて以来の両親の扱いの差だった。 やがてテンダーは叔母のもとで服飾を学び、ついには? 100話まではヒロインのテンダー視点、幕間と101話以降は俯瞰視点となります。 200話で完結しました。 今回はあとがきは無しです。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

転生令息は攻略拒否!?~前世の記憶持ってます!~

深郷由希菜
ファンタジー
前世の記憶持ちの令息、ジョーン・マレットスは悩んでいた。 ここの世界は、前世で妹がやっていたR15のゲームで、自分が攻略対象の貴族であることを知っている。 それはまだいいが、攻略されることに抵抗のある『ある理由』があって・・・?! (追記.2018.06.24) 物語を書く上で、特に知識不足なところはネットで調べて書いております。 もし違っていた場合は修正しますので、遠慮なくお伝えください。 (追記2018.07.02) お気に入り400超え、驚きで声が出なくなっています。 どんどん上がる順位に不審者になりそうで怖いです。 (追記2018.07.24) お気に入りが最高634まできましたが、600超えた今も嬉しく思います。 今更ですが1日1エピソードは書きたいと思ってますが、かなりマイペースで進行しています。 ちなみに不審者は通り越しました。 (追記2018.07.26) 完結しました。要らないとタイトルに書いておきながらかなり使っていたので、サブタイトルを要りませんから持ってます、に変更しました。 お気に入りしてくださった方、見てくださった方、ありがとうございました!

処理中です...