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第5話 酒豪のお貴族様

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 デズモンドのオッサンが帰っていった後、「赤獅子亭」の店内はいつもの穏やかな空気を取り戻していた。
 店内で席についている男性客と同席する女中が、再び会話と食事を楽しみ始める中、安堵の息を吐いて席に着いた5番テーブルの男性客に近づいたタニアさんが、深く頭を下げる。

「ありがとうございます、パーシヴァルきょう
「なに、あまりに見苦しかったのでね。手を出してしまってすまなかった」

 タニアさんの言葉に、男性客はにこやかな笑顔で答える。人当たりの良い男性だ。さっきのオッサンとは比べ物にならない。
 全く何もしないのも変な気がして、私も5番テーブルに近づいて頭を下げた。

「ええと……ありがとう、ございます」

 おずおずとお礼の言葉を述べながら頭を下げると、男性客がおや、という表情を一瞬だけ見せる。しかし、すぐに柔和な笑みを浮かべて、私に小さく頷いた。

「どういたしまして、勇敢なお嬢さん。君の行動は一つの不正を確かに暴いた。『赤獅子亭』の客の一人として、君を賞賛する」

 彼の言葉に、私の目が見開かれる。なんだろう、賞賛の仕方が微妙にむず痒い。芝居か何かを聞いているかのようだ。
 もう一度頭を下げる私に、男性客が声をかけてくる。

「お嬢さん、お名前は?」
「えっ、と、リセです」

 名前を問われ、弾かれるように頭を上げて答える私だ。頭を下げたままで名前を覚えてもらうというのも、あんまり行儀がよろしくない。
 そうして私は、改めてその角の生えた男性客を見た。
 浅黒い肌の奥で、深い青の瞳が輝いている。瞳孔が縦に細長いところと、頭から生えている赤い三本の角。よく見れば、腰から鱗に覆われた尻尾も生えている。竜人とか、爬虫類の特徴を持つ種族の人だろうか。
 その男性は、柔和な笑みを浮かべた目で私の顔を見ると、そっと頷いた。

「そうか、覚えておこう。次の機会には、君と同席したいものだ」

 そう話す彼に、私はますます目を大きく見開いた。
 こういう店の中で、女中である私と、同席したいということは、つまり。
 脳味噌が情報を処理する合間に、5番テーブルに座っていた弓耳族ボウイヤーズの女中が彼の腕を掴んだ。表情に陰りが見える。

「えーっパーシヴァル様ぁ、そんな寂しいこと言わないでくださいよぅ」
「ははは、キャメロン、君はもちろん素敵な女性だとも。何も完全に、君を手放すわけではないさ」

 酔っているのか、耳まで真っ赤にしながら甘い声を発する女中。彼女の頭を優しく撫でながら、パーシヴァルと呼ばれた男性客が困った顔で笑う。
 再び着席しながら、彼はくい、とワイングラスを傾けた。

「さて、お店に迷惑をかけてしまったし、もう少し落ち着いていようか、キャメロン。何を飲みたい?」
「えーいいんですかぁ? じゃあ私、たまにはワインが飲みたいですぅ」

 和やかに飲みながら女中に声をかけるパーシヴァルさん。と、女中が飲みたいものを告げてくる中、浅黒い肌の手がグラスに伸びた。そのグラスにテーブルの上のピッチャーの中身を注ぐ。液体は、無色透明だ。
 ハッとした。つまり彼は、女中がワインを飲むより先に、水を用意したのだ。ワインボトルはテーブルの上に置かれているようだから、それをすぐに注ぐことも出来たのに。
 理想的な飲み方だ。やはり水を合間に飲みつつ酒を飲むのは大事である。
 ちょっと感動を覚えながらカウンター席に戻ると、中に戻ったタニアさんが深くため息をついていた。

「ふう。パーシヴァル卿が間に入ってくれてよかったわ。あんな騒ぎを起こしたのだし、デズモンドさんは当面は入店お断りかしらね」
「そんなにひどかったんですか?」

 彼女の言葉に、ベッキーさんが不思議そうな顔をしている。その反応に、苦笑を零しながらタニアさんが頷いた。

「ええ、女中を酔い潰させてからの肌吸い、髪吸い。それも今日が初めてじゃない。しかも反省の色なしと来たら、そりゃあ駄目よね」
「ああ……」

 その内容を聞いて、私もベッキーさんも力なく声を漏らす。それは、アウトだ。タニアさんも呆れた表情で、カウンターに肘をつきながら話を続けている。

「うちの店に限らず、王都の酒場はどこだって『女中を酔い潰すことはご法度』だからね。そのルールに抵触する飲ませ方をしたら良くないわ……えーと、あの、リセが言っていたじゃない? ほら、『あるはら』」

 彼女の発言に、私は納得するやら驚くやら。確かに女中は同席しているとはいえ仕事中。酔い潰れてしまったら仕事が出来なくなってしまうわけで。ペースを考えずに飲んで自分で酔い潰れるならまだしも、わざと酔い潰させるのはダメに決まっている。
 そしてさっき聞いたばっかりの言葉を口にしながら、笑うタニアさんだ。ベッキーさんがきょとんとしながら私の方を見る。

「『あるはら』ってそういう意味だったんですか? リセさん」
「えーと……まぁ、つまりそういうこと、でいいと思うかな……たくさん飲ませたり、飲めない人に無理に飲ませたり」

 困ったように頬をかいて、私はアルハラの何たるかを説明する。自分しか知らない単語の意味を、分かるように説明するのは難しい。この世界にアルハラの概念がちょっとでもあって助かった。
 説明を聞いてベッキーさんが息を吐いたところで、タニアさんが肉球のある両手をぽんと打ち鳴らした。

「さあ、片付いたところで仕事に戻りましょう。ベッキーもリセも、持ち場に戻って」
「はーい」

 その言葉に、私達はそれぞれの持ち場へと向かっていく。すなわち、ベッキーさんは1番カウンターへ、私は3番カウンターへ。と言っても、デズモンドのオッサンはさっき帰ってしまった。今の私はフリーな状態だ。
 カウンター席に座って所在なさげな私に、コンロの前でフライパンを振るタニアさんが声をかけてくる。

「リセ、お腹空いていない? 何か食べる?」
「あ、ありがとうございます……実は、結構お腹ぺこぺこで」

 彼女の声に思いだしたように、私はお腹を押さえた。オッサンに酔い潰された私の腹は、アルコールしか入れていなかったらしい。そう言えばカウンターに突っ伏している時も、グラスはあったけど皿や食器は無かったな。くそう。
 私の言葉を聞いたタニアさんが、にっこり笑いながら煮立った鍋にトングを入れる。そこから取り出されるのは、茹でたてのソーセージだ。
 結構太いそれを三本皿に盛って、カウンター下の樽の中からザワークラウトを別のトングで一つかみ。あとは木のボウルに山盛りになっていたマッシュポテトをスプーンで取って皿に盛りつけると、タニアさんがその大きな皿とナイフ、フォークを私の前に持ってきた。

「はい、おまたせ。ソーセージのボイルと、サウアークラウト、マッシュドポテトよ」
「あ、美味しそう……いただきます」

 思っていた以上に美味しそうな料理に、私がつばを飲み込む。異世界にしては美味しそうなものを出してくるじゃないか。
 ソーセージにフォークを刺し、ナイフで一口大にカットする。口に運べば、濃い肉の旨味と肉汁、強めの塩気が口いっぱいに広がった。美味しい。

「ほぉぉ……美味しい、ちょっと塩気が強いけど」
「あら、お口に合った? よかったわ、覚醒者は舌が肥えている方も多いから」

 私の反応に、タニアさんは嬉しそうだ。確かに異世界を知る人が、こっちの料理に満足するとは限らない。私なんて地球の、それも日本の料理のレベルの高さを知っているから、余計にそうだ。

「私も結構、舌が肥えている方だと自覚はしていますけど……でも、普通に美味しいです。どこの店でもこのくらいのが出るんですか?」
「ここは王都だからね、このくらいの質のものを出さないと生き残れないわ。お貴族様もいいお料理といいお酒を求めて酒場にいらっしゃるし」

 再びフライパンを振って、慣れた手つきでソーセージと葉物野菜を炒めていくタニアさんが頷く。
 曰く、ラム王国は世界の中でも料理が盛んな土地で、王都クリフトンは世界有数の酒場町なのだそうだ。
 「赤獅子亭」のある三番街通りには数多くの名店が軒を連ね、名だたる貴族や商人が、この通りの店に美食と美女を求めてやってくるらしい。
 これは、なかなか幸運な環境に放り込まれたものだ。そしてそれと同時に、貴族制が残っていることに異世界らしさを感じる。

「貴族とか、あるんですね……」
「そうよ。王都ではあちこちにいらっしゃるわ。酒場にもおいでになる。このお店にもたくさんいらっしゃるのよ、2番テーブルのエイブラハム卿、3番テーブルのモンタギュー卿……それに先程お助け下さった、5番テーブルのパーシヴァル卿も」

 そう話しながら、タニアさんの右手のトングが店内に向かって突き出された。
 2番テーブル、3番テーブルに座っている男性客も、随分と整った身なりだ。5番テーブルのパーシヴァルさんと同様に。
 なるほど、そういう立場の人間なら、マナーや飲み方をしっかり分かっていてもおかしくはない。
 タニアさんによると、彼はコンラッド伯爵家の第6代当主、パーシヴァル・コンラッド。種族は鱗耳族スケイルイヤーズ。ラム王国の外交に携わっている外交官の一人で、王家の関係者や各国の首脳陣とも親しい間柄だとか。
 それを聞いて私は目を剥いた。国の重要人物ではないか。

「さっきの人がですか? ……うぇっ、じゃあ私、すごい人から同席を誘われたってことに」
「ふふっ、気をつけてね。パーシヴァル卿は飲み方がお上手な方でいらっしゃるけれど、飛びぬけて酒豪でもいらっしゃるから」

 そう言いながら、タニアさんが悪戯っぽく笑う。出来上がった葉物野菜の炒め物に塩を振り、皿に盛り付けてカウンター内の別のスタッフに渡すと、虎の顔を私に近づけて、そっと言った。

「『王都一の酒飲み』って、有名なのよ」
「はー……」

 その言葉に、嘆息する私。
 これは、とんでもない相手に目をかけられたみたいだ。
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