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Primul capitol:Tokyo
新小岩
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『奥様~~~……』
『ハイハイ、分かってる分かってる』
東京23区の東部を構成する区の一つ、葛飾区の中でも南側、新小岩。
葛飾区と江戸川区の境目に位置し、両区のバスのターミナルともなっているJR総武線新小岩駅の北と南を繋ぐ改札前を、グロリアとヘレナは二人して歩いていた。
いや、二人してというには些か状況が異なるだろう。何しろグロリアの腰と尻尾に縋りつくようにして、ヘレナが涙目でずるずると引きずられているのだから。
駅を利用する一般の客が、何事かとぎょっとしながら見遣っては去っていく中、ヘレナの体重に引っ張られながらも南口の階段を上っていくグロリアの身体を引きとめんとする栗毛の少女は、涙を目に一杯溜めながら主人に噛みついた。
『酷いです奥様!! 折角久しぶりにたんまりとワインが飲めると思ったのに!! 途中でお店を変えるだなんて!!』
『しょうがないでしょう、確かにあそこのお店にはワインがあったけど、満足できるレベルじゃなかったのだから』
そう、この二人、実は既に別のお店に行っている。
最初は東新小岩にあるバーに入って、ヘレナが飲みたがっていたワインを飲ませつつ楽しもう、と思ったのだが、どうやらグロリアのお眼鏡には適わなかったらしい。
一杯だけ飲んで、お通しを摘まんで、ヘレナがグラス一杯を飲んだところで支払いをしてお店を出てきたのだ。
市民と一緒に安く楽しく、が身上のグロリアの、好みに合わないというのも珍しい話だが、彼女の中で「ここじゃない」と感じる何かがあったのだろう。
そしてそこについては、ヘレナも思うところがあったらしい。自分の足で階段を上りながら、しゅんとした面持ちでグロリアの手を握った。
『それは、確かにそうです……なんだか、安っぽい味しかしませんでした』
『安っぽい味がするにしても、あれは無いでしょ? ね? だからもっと美味しいワインを飲みに行きましょ』
お付きの侍女を宥めるように、手袋をはめた手でヘレナの頭を優しく撫でるグロリア。ヘレナはこくりと頷くと、目元の涙を拭って一緒に歩き出した。
『でも奥様、さっきのお店もワインを置いてあるって、グルメポータルサイトで調べて出て来たんですよね? 今度はどうやって探すんですか?』
『アァ、それなら大丈夫よ。今度は『ワインバル』のカテゴリで調べたから』
左手に持ったスマートフォンを見せながら、グロリアはヘレナに笑いかける。
グルメサイトで検索条件を変えれば、出てくるお店が変わってくるのも当然の話である。そうして当初は見つけられなかったいいお店を見つけられることも、よくある話だ。
日本人でもうっかりすると見落としがちになる部分だが、グロリアは苦も無く使いこなして見せている。さすがは日本語を研究することを生業にしている人間、と言えるだろうか。
そうこうするうちに新小岩駅南口のロータリーを過ぎて、駅前から伸びる繁華街に入っていく二人の異邦人。程なくしてグロリアが、一軒のワインバルの扉をゆっくりと引き開ける。
「いらっしゃいませ」
「先程電話したグロリアヨ」
「グロリア様……はい、二名様ですね。こちらへどうぞ」
にっこりと笑顔を見せながら、その瞳の奥に驚愕を湛えた男性店員が、グロリアとヘレナをカウンターへと誘う。
仄かに明るい店内、木製の椅子を引いて着席したグロリアが、椅子の背もたれの隙間からしゅるりと尻尾を出す。
それをじっと見つめていたヘレナが、小さく首を傾げてみせた。
『奥様……私はずっと不思議に思っていたのですが。
この国、いえ、この世界には竜人族どころか獣人族も居ないのに、椅子の構造がどうして、尻尾を出すのに適した形をしているのでしょう』
椅子に腰かけてぐっと足でカウンターに寄せながらも、視線はグロリアの座る椅子の背中に向いているヘレナ。
木製の椅子の背もたれは背中に当たる板と支えとなる棒がある以外は大きく開いており、テーブル席に並べられた椅子はU字型の背もたれと座面を繋ぐように縦向きに棒が渡されている。
いずれも尻尾を持つ種族が座るときに、尻尾が邪魔にならなくて済む構造だ。この世界には尻尾を持つ人類はいないはずなのに。
そう訝しんだヘレナだが、尻尾を持つ人類である当のグロリアは苦笑するばかりである。
『そうね……私も詳しい理由は知らないわ、文化学者でもなんでもないからね。
それでも、そうね、この世界には短耳族しかいないでしょう?だから尻尾の有無なんて考える必要が無くて、だから様々なデザインが通用するのだと思うの。
ドルテでは『竜人族が座る椅子は竜人族専用にデザインすること』とか『獣人族が竜人族用の椅子に座ってはならない』とか、色々とルールや取り決めがあるけれど、こちらではそんな必要はないものね』
ふっと息を吐き出しながらワインメニューに視線を向けるグロリアが、ついと左手に視線を向けて店員に手を挙げる。
グロリアの話す通り、彼女たちの世界には複数の人種がいる。そしてその人種によって、かなり明確に線引きがされているのだ。
貴族は彼女のように竜人族のみ。ヘレナのような短耳族は労働者階級。獣の特徴を有する獣人族は奴隷同然。一時期に海を渡った先のアメリカを支配していたような、白人と黒人の関係性に近いものが、社会通念として定着している。
その実、本来だったらグロリアのような貴族階級に、ヘレナやパトリックのような労働者階級が侍女や付き人として付くこと自体が稀なのである。これは彼らの出身国、ひいてはグロリアの家が治めている領地が差別撤廃に積極的なことが大いに関係しているが、今は置いておこう。
やって来た店員に、グロリアは藍色の指先でメニューの一点を指さしてみせた。
「パヌールの白ヲ一つ、グラスで。ヘレナ、決まッタ?」
「ハイ、奥様。レザンドールの、赤をグラスでお願いシマス」
「かしこまりました。お料理はお決まりですか?」
「ジャアそうね、冷製のラタトゥイユと、タコと野菜のアヒージョ、スペアリブを貰おうカシラ」
「かしこまりました」
一礼して去っていく店員にヘレナはそっと頭を下げると、自分の視界の真正面に位置するグロリアの、細くすらっとした口吻を持つ細かな鱗に覆われた顔を、まじまじと見つめた。
短耳族である自分よりも何倍も、この世界に溶け込み難い姿をしているこの主人は、どうしてこんなにも堂々として、身分や姿の違いが何でもないことのように振る舞うことが出来るのだろう、と。
そして、自分に間近から視線が向けられていることを察知したグロリアが、ヘレナの方を見てすっと目を細めて笑って見せる。
『えっ、あの』
『ヘレナ、あなた大方、『どうして奥様はこんなに、短耳族しかいない世界で堂々と振る舞えるのだろう』とか考えていたのでしょう』
『あう……ハイ』
丸く細い爪の付いた指先で、優しくツン、と額を触ってくるグロリア。彼女がこうする時は、得てして付き人の心情を察した時だ。事実、言い当てられたヘレナは肯定するしかない。
カウンターに左の肘をついて、柔らかな笑みをヘレナに向けるグロリアが、運ばれてきた白ワインを湛えるグラスを持ち上げる。
『当然、この地球に竜人族はいないわ。私は完全にボッチってコト。
でもね、姿が違っていても、使う言葉が違っても、お酒を一緒に飲めば仲良くなれるでしょう?
貴女もパトリックも、それをあんまり許してくれないけどね』
『奥様……それは、当然デス。奥様は貴族なのですから』
真面目な表情で言葉を返すヘレナも、赤ワインを注がれたワイングラスを手に取った。
そうして、すっと互いにグラスを近づける。触れさせることはなく、音は立てず。
『分かってるワヨ……乾杯』
『乾杯』
そうして杯を掲げた二人が、くいっと口に付けたグラスを傾ける。
目を閉じて葡萄から作られた色鮮やかな液体を口腔に流し込んだ異邦人は、同時にほう、と甘い吐息を漏らした。
『やっぱり……日本で飲める、ちゃんとしたワインは美味しいです』
『ね?さっきのお店に留まったままでいるより、こっちの方がよかったでしょう』
うっとりした表情でグラスの中で揺れる赤ワインを見つめるヘレナに対し、そのままくいくい、とワイングラスを空にしていくグロリア。主人を侍女は、身分の違いや立場の違いを勘案せずに批判的な視線を向けてくる。
『奥様……そんなにあっさりと、水みたいに飲んでしまったら、ワインが可哀想ではないでしょうか』
「ちゃんと味わッテ飲んでいるワヨ、これでも。タダ、そうネ、もうチョット飲みごたえが欲しいワネ」
「あっ、飲みごたえのあるワインがお好きですか?でしたらお客様、こちらのワインなどはいかがでしょう」
グロリアの零した言葉をしっかり捉えたカウンター奥の店員が、グロリアの前に一本のワインボトルを出してきた。
白ワインの入った、グリーンの色合いが目に鮮やかなボトルだ。ラベルもシンプルながら洗練されている。
グロリアの視線が、嬉しそうに細められる。
「いいワネ、ジャア次はそれをグラスでお願いネ」
「ありがとうございます。お客様方、お名前聞いていましたが日本の方じゃないでしょう? 随分日本語、お上手ですね」
「ありがとうゴザイマス……奥様は日本語ノ研究者デいらして、私はソノ、助手を務めておりマシテ」
「この子はまだ助手になってカラ二年ってところだケレド、覚えがいいノヨ。いい子デショ?」
「はは、確かに」
カウンターを挟んで笑い合う、店員とグロリア。話題に挙げられたヘレナは恥ずかしがって俯いている。
そうして話をする間にも、料理が運ばれ、ワイングラスは空になり。
「アッ、もう空デス、奥様」
「あらヤダ。ってヘレナ、貴女のももう空ジャナイ。次のワイン頼みまショ」
「赤でしたらこちらがおすすめですよ」
「いいワネー、なんならボトルで頼んジャウ?」
「奥様、そうなさるナラ最初からボトルを入れてくだサイ……」
新小岩の夜が更けていく中、ワインバーの店内から楽し気な笑い声が、路地へと漏れ出ていた。
『ハイハイ、分かってる分かってる』
東京23区の東部を構成する区の一つ、葛飾区の中でも南側、新小岩。
葛飾区と江戸川区の境目に位置し、両区のバスのターミナルともなっているJR総武線新小岩駅の北と南を繋ぐ改札前を、グロリアとヘレナは二人して歩いていた。
いや、二人してというには些か状況が異なるだろう。何しろグロリアの腰と尻尾に縋りつくようにして、ヘレナが涙目でずるずると引きずられているのだから。
駅を利用する一般の客が、何事かとぎょっとしながら見遣っては去っていく中、ヘレナの体重に引っ張られながらも南口の階段を上っていくグロリアの身体を引きとめんとする栗毛の少女は、涙を目に一杯溜めながら主人に噛みついた。
『酷いです奥様!! 折角久しぶりにたんまりとワインが飲めると思ったのに!! 途中でお店を変えるだなんて!!』
『しょうがないでしょう、確かにあそこのお店にはワインがあったけど、満足できるレベルじゃなかったのだから』
そう、この二人、実は既に別のお店に行っている。
最初は東新小岩にあるバーに入って、ヘレナが飲みたがっていたワインを飲ませつつ楽しもう、と思ったのだが、どうやらグロリアのお眼鏡には適わなかったらしい。
一杯だけ飲んで、お通しを摘まんで、ヘレナがグラス一杯を飲んだところで支払いをしてお店を出てきたのだ。
市民と一緒に安く楽しく、が身上のグロリアの、好みに合わないというのも珍しい話だが、彼女の中で「ここじゃない」と感じる何かがあったのだろう。
そしてそこについては、ヘレナも思うところがあったらしい。自分の足で階段を上りながら、しゅんとした面持ちでグロリアの手を握った。
『それは、確かにそうです……なんだか、安っぽい味しかしませんでした』
『安っぽい味がするにしても、あれは無いでしょ? ね? だからもっと美味しいワインを飲みに行きましょ』
お付きの侍女を宥めるように、手袋をはめた手でヘレナの頭を優しく撫でるグロリア。ヘレナはこくりと頷くと、目元の涙を拭って一緒に歩き出した。
『でも奥様、さっきのお店もワインを置いてあるって、グルメポータルサイトで調べて出て来たんですよね? 今度はどうやって探すんですか?』
『アァ、それなら大丈夫よ。今度は『ワインバル』のカテゴリで調べたから』
左手に持ったスマートフォンを見せながら、グロリアはヘレナに笑いかける。
グルメサイトで検索条件を変えれば、出てくるお店が変わってくるのも当然の話である。そうして当初は見つけられなかったいいお店を見つけられることも、よくある話だ。
日本人でもうっかりすると見落としがちになる部分だが、グロリアは苦も無く使いこなして見せている。さすがは日本語を研究することを生業にしている人間、と言えるだろうか。
そうこうするうちに新小岩駅南口のロータリーを過ぎて、駅前から伸びる繁華街に入っていく二人の異邦人。程なくしてグロリアが、一軒のワインバルの扉をゆっくりと引き開ける。
「いらっしゃいませ」
「先程電話したグロリアヨ」
「グロリア様……はい、二名様ですね。こちらへどうぞ」
にっこりと笑顔を見せながら、その瞳の奥に驚愕を湛えた男性店員が、グロリアとヘレナをカウンターへと誘う。
仄かに明るい店内、木製の椅子を引いて着席したグロリアが、椅子の背もたれの隙間からしゅるりと尻尾を出す。
それをじっと見つめていたヘレナが、小さく首を傾げてみせた。
『奥様……私はずっと不思議に思っていたのですが。
この国、いえ、この世界には竜人族どころか獣人族も居ないのに、椅子の構造がどうして、尻尾を出すのに適した形をしているのでしょう』
椅子に腰かけてぐっと足でカウンターに寄せながらも、視線はグロリアの座る椅子の背中に向いているヘレナ。
木製の椅子の背もたれは背中に当たる板と支えとなる棒がある以外は大きく開いており、テーブル席に並べられた椅子はU字型の背もたれと座面を繋ぐように縦向きに棒が渡されている。
いずれも尻尾を持つ種族が座るときに、尻尾が邪魔にならなくて済む構造だ。この世界には尻尾を持つ人類はいないはずなのに。
そう訝しんだヘレナだが、尻尾を持つ人類である当のグロリアは苦笑するばかりである。
『そうね……私も詳しい理由は知らないわ、文化学者でもなんでもないからね。
それでも、そうね、この世界には短耳族しかいないでしょう?だから尻尾の有無なんて考える必要が無くて、だから様々なデザインが通用するのだと思うの。
ドルテでは『竜人族が座る椅子は竜人族専用にデザインすること』とか『獣人族が竜人族用の椅子に座ってはならない』とか、色々とルールや取り決めがあるけれど、こちらではそんな必要はないものね』
ふっと息を吐き出しながらワインメニューに視線を向けるグロリアが、ついと左手に視線を向けて店員に手を挙げる。
グロリアの話す通り、彼女たちの世界には複数の人種がいる。そしてその人種によって、かなり明確に線引きがされているのだ。
貴族は彼女のように竜人族のみ。ヘレナのような短耳族は労働者階級。獣の特徴を有する獣人族は奴隷同然。一時期に海を渡った先のアメリカを支配していたような、白人と黒人の関係性に近いものが、社会通念として定着している。
その実、本来だったらグロリアのような貴族階級に、ヘレナやパトリックのような労働者階級が侍女や付き人として付くこと自体が稀なのである。これは彼らの出身国、ひいてはグロリアの家が治めている領地が差別撤廃に積極的なことが大いに関係しているが、今は置いておこう。
やって来た店員に、グロリアは藍色の指先でメニューの一点を指さしてみせた。
「パヌールの白ヲ一つ、グラスで。ヘレナ、決まッタ?」
「ハイ、奥様。レザンドールの、赤をグラスでお願いシマス」
「かしこまりました。お料理はお決まりですか?」
「ジャアそうね、冷製のラタトゥイユと、タコと野菜のアヒージョ、スペアリブを貰おうカシラ」
「かしこまりました」
一礼して去っていく店員にヘレナはそっと頭を下げると、自分の視界の真正面に位置するグロリアの、細くすらっとした口吻を持つ細かな鱗に覆われた顔を、まじまじと見つめた。
短耳族である自分よりも何倍も、この世界に溶け込み難い姿をしているこの主人は、どうしてこんなにも堂々として、身分や姿の違いが何でもないことのように振る舞うことが出来るのだろう、と。
そして、自分に間近から視線が向けられていることを察知したグロリアが、ヘレナの方を見てすっと目を細めて笑って見せる。
『えっ、あの』
『ヘレナ、あなた大方、『どうして奥様はこんなに、短耳族しかいない世界で堂々と振る舞えるのだろう』とか考えていたのでしょう』
『あう……ハイ』
丸く細い爪の付いた指先で、優しくツン、と額を触ってくるグロリア。彼女がこうする時は、得てして付き人の心情を察した時だ。事実、言い当てられたヘレナは肯定するしかない。
カウンターに左の肘をついて、柔らかな笑みをヘレナに向けるグロリアが、運ばれてきた白ワインを湛えるグラスを持ち上げる。
『当然、この地球に竜人族はいないわ。私は完全にボッチってコト。
でもね、姿が違っていても、使う言葉が違っても、お酒を一緒に飲めば仲良くなれるでしょう?
貴女もパトリックも、それをあんまり許してくれないけどね』
『奥様……それは、当然デス。奥様は貴族なのですから』
真面目な表情で言葉を返すヘレナも、赤ワインを注がれたワイングラスを手に取った。
そうして、すっと互いにグラスを近づける。触れさせることはなく、音は立てず。
『分かってるワヨ……乾杯』
『乾杯』
そうして杯を掲げた二人が、くいっと口に付けたグラスを傾ける。
目を閉じて葡萄から作られた色鮮やかな液体を口腔に流し込んだ異邦人は、同時にほう、と甘い吐息を漏らした。
『やっぱり……日本で飲める、ちゃんとしたワインは美味しいです』
『ね?さっきのお店に留まったままでいるより、こっちの方がよかったでしょう』
うっとりした表情でグラスの中で揺れる赤ワインを見つめるヘレナに対し、そのままくいくい、とワイングラスを空にしていくグロリア。主人を侍女は、身分の違いや立場の違いを勘案せずに批判的な視線を向けてくる。
『奥様……そんなにあっさりと、水みたいに飲んでしまったら、ワインが可哀想ではないでしょうか』
「ちゃんと味わッテ飲んでいるワヨ、これでも。タダ、そうネ、もうチョット飲みごたえが欲しいワネ」
「あっ、飲みごたえのあるワインがお好きですか?でしたらお客様、こちらのワインなどはいかがでしょう」
グロリアの零した言葉をしっかり捉えたカウンター奥の店員が、グロリアの前に一本のワインボトルを出してきた。
白ワインの入った、グリーンの色合いが目に鮮やかなボトルだ。ラベルもシンプルながら洗練されている。
グロリアの視線が、嬉しそうに細められる。
「いいワネ、ジャア次はそれをグラスでお願いネ」
「ありがとうございます。お客様方、お名前聞いていましたが日本の方じゃないでしょう? 随分日本語、お上手ですね」
「ありがとうゴザイマス……奥様は日本語ノ研究者デいらして、私はソノ、助手を務めておりマシテ」
「この子はまだ助手になってカラ二年ってところだケレド、覚えがいいノヨ。いい子デショ?」
「はは、確かに」
カウンターを挟んで笑い合う、店員とグロリア。話題に挙げられたヘレナは恥ずかしがって俯いている。
そうして話をする間にも、料理が運ばれ、ワイングラスは空になり。
「アッ、もう空デス、奥様」
「あらヤダ。ってヘレナ、貴女のももう空ジャナイ。次のワイン頼みまショ」
「赤でしたらこちらがおすすめですよ」
「いいワネー、なんならボトルで頼んジャウ?」
「奥様、そうなさるナラ最初からボトルを入れてくだサイ……」
新小岩の夜が更けていく中、ワインバーの店内から楽し気な笑い声が、路地へと漏れ出ていた。
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