上 下
17 / 22
第二章 放浪

第十六話 異国

しおりを挟む
 バサリ、バサリと翼を羽ばたかせる音が海面に反響する。
 オーケビョルンはマルクスを背に乗せながら、アッシュナー大陸の北岸、海岸沿いを飛行していた。
 朝から昼にかけて太陽が昇り始めている頃合い、徐々に気温も上がってきている。海風が身体の右側に吹き付けてくる中、オーケビョルンが視線を上に向けた。

「そろそろ、国境を越えたかの?」
「そうだね。もうアールグレーン王国に入ったはずだ」

 背中のマルクスが左側、陸地の方に目を向けながら言う。国境線が可視化されているはずもないが、川は何本か越えたはずだ。その川の一本が、バーリ公国とアールグレーン王国の国境である。

「アールグレーン王国か。わしは耳に覚えのない国じゃ」
「そうだろうね、百年くらい前に建国された新興国だから」

 オーケビョルンが零しながら視線を前方に戻すと、マルクスがオーケビョルンの背中を軽く叩いた。
 アールグレーン王国はアッシュナー大陸の北岸に面する小さな国だ。建国は今から112年前、大陸の中では歴史の浅い国だ。
 主要な産業は観光と芸術。著名な現代芸術家を輩出していることで、近年名前が知られるようになっている国だ。

「ただ新興国だから、それなりに技術や文化は新しいものが入ってきている。新しいものを求める人達が集まり、新しい表現を求める人達が活動している。だから結構、絵画なんかも盛んなんだよ」
「ほう」

 マルクスの説明を聞いて、オーケビョルンが声を上げる。絵画などが有名とあれば、小説や詩を書くオーケビョルンとしても無視はできない。詩から絵画の案を得ることもあるし、その逆もしかりだ。

「そういう場所だと、わしみたいなコテコテの古典派は歓迎されんかのう」

 そう話しながら眉尻を下げるオーケビョルンだ。確かに彼は根っからの古典派、それも数百年レベルで昔の超古典派だ。アールグレーン王国の芸術と相反する、と言っても過言ではない。
 だが、マルクスはオーケビョルンの背中のとげを撫でながら首を振った。

「いや、どうだろうね。新しいものを求めると言っても、その根底には古く根付いたものがある。その大本の部分に触れられると言えば、反応する人は反応するんじゃないかな。なにせ生きた古典だもの、君は」
「嬉しいやら、悲しいやらじゃなあ」

 マルクスの言葉にオーケビョルンが苦笑する。確かにこんな、数百年昔の著作を今もなお書き続けているような古典派の書き手はそういない。何しろ書いている張本人なのだ。
 ともあれ、新しい国、新しい土地だ。新しい創作の糧との出会いもきっとあるだろう。

「まあ、ともあれ行くとするか。国境を越える前に休息は取ったから、あとは町まで飛ぶだけじゃな?」
「そうだね……ああ、でも」

 オーケビョルンが大きく翼を羽ばたかせると、マルクスがその背中で視線をさまよわせた。上を見て、海の方を見て、さらに陸地の方を見て。そうして距離を測ったマルクスが、オーケビョルンの背中を叩く。

「オーケビョルン、海岸沿いに町が見えたら、町の手前で海の方に方向を変えてくれるかい」
「んむ? 構わんが、何かあるのか?」

 言われて、ぐいと首を曲げてマルクスの方を見るオーケビョルンだ。陸地の方ならともかくとして海の方。なにかがあるにしても陸地から離れては観光名所にもならないだろうに。
 だが、マルクスはこくりと頷いた。

「うん、海岸からだいぶ離れたところではあるけれど、面白い形をした岩があるんだ。獅子岩ライオンロックっていうね」
「ほう、獅子の形をしておるのか?」

 そして説明を始めるマルクスに、オーケビョルンが目を見開いた。獅子の形をした岩とあれば、それは創作にはうってつけだ。興味も惹かれる。
 前方に視線を移せば、陸地の海岸沿いに町が見えた。その町が視界に映ったところで右方向に旋回し、海の方へと飛んでいく。そのまま数分飛び続けていると、マルクスが前方を指差した。

「ええと……あ、あれだあれ。オーケビョルン、見えるかい」
「おお、あれか」

 指し示されたその岩を見て、オーケビョルンも目を見開いた。
 言われた通り、海面から大きく張り出した巨岩が見える。その凸凹とした形状、なだらかな曲線は、確かに雄の獅子を思わせる形状だ。

「確かに、獅子じゃのう」
「そうだろう。海岸からは離れているけれども海の上からでもはっきり見える。これを見に来るための船舶ツアーも組まれているんだ」

 オーケビョルンが速度を落としてその場に留まるように飛ぶと、マルクスもうなずきながら言葉を返した。
 この獅子岩はアールグレーン王国の中でもそこそこ有名な観光スポットで、これを見るために多くの人が金を出して船に乗る。海に顔を出す獅子、ということでなかなか名が知られているのだ。
 見事に獅子の形をしている岩を見て、満足そうに微笑むオーケビョルンだ。

「いいのう、いいのう。じゃが、この海の上じゃと……」
「そうなんだよね……刻むことはできない。波で削られてしまうだろうし」

 だが、悲しそうに呟く彼にマルクスも肩を落とす。
 ここは海の上、波が激しい沖合だ。こんなところに句碑など立てようもないし、岩に刻んでも波で削られて見えなくなってしまうのは目に見えている。
 どうしたものか、考えた末に。

「ふーむ……よし」

 オーケビョルンがこくりと頷いた。背中のマルクスにちらと視線を送る。

「マルクス、わしが今から諳んじるから書きとめておくれ」
「ああ、分かった。風が強いからゆっくりめに頼むよ」

 オーケビョルンがそう言うと、マルクスが手帳と硬筆を懐から取り出した。確かにこういう環境なら、オーケビョルンが諳んじた詩をマルクスが書き留め、それをあとで句碑などに刻んだほうがいい。
 しばらく詩を考えること40分。内容がまとまったらしいオーケビョルンがこくりと頷いた。

「よし、いくぞ」

 そう一言言うと、オーケビョルンの頭が僅かに上を向いた。空に向かって長く吼えるように、彼は声を響かせていく。

――海の只中に、その獅子はいる。
  波に揉まれ、潮風にさらされながらも、その獅子は海にいる。
  凪の日も、嵐の日も、絶えず波間を見続けていたその瞳。
  白く塩をまとったその瞳に、映る景色は如何なるものか――

「どうじゃろ」
「うん、いいんじゃないかな。とりあえず大陸文字で書いておいたから、後で爪文字に変換しよう」

 諳んじられた詩を手早く手帳に書き留めて、マルクスもこくりと頷いた。こうして書き留めておけば、後で爪文字に変換して石版に刻むことも出来る。
 詩を問題なく形にできたところで、オーケビョルンがぐるりと旋回した。陸地の方に戻るルートを取りながら、彼は嬉しそうに笑う。

「書き記したら陸地の方に戻ろうか。そろそろ疲れてきたわい」
「そうだね、やっぱり冷えるだろうから」

 風に長くさらされていては、オーケビョルンの体調にも関わる。体温が下がりすぎて飛べなくなり、海に落ちたなんてことになっては一大事だ。
 すぐに陸地の方に戻らなくてはならない。オーケビョルンは再び大きく、翼を羽ばたかせた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

旦那の真実の愛の相手がやってきた。今まで邪魔をしてしまっていた妻はお祝いにリボンもおつけします

暖夢 由
恋愛
「キュリール様、私カダール様と心から愛し合っておりますの。 いつ子を身ごもってもおかしくはありません。いえ、お腹には既に育っているかもしれません。 子を身ごもってからでは遅いのです。 あんな素晴らしい男性、キュリール様が手放せないのも頷けますが、カダール様のことを想うならどうか潔く身を引いてカダール様の幸せを願ってあげてください」 伯爵家にいきなりやってきた女(ナリッタ)はそういった。 女は小説を読むかのように旦那とのなれそめから今までの話を話した。 妻であるキュリールは彼女の存在を今日まで知らなかった。 だから恥じた。 「こんなにもあの人のことを愛してくださる方がいるのにそれを阻んでいたなんて私はなんて野暮なのかしら。 本当に恥ずかしい… 私は潔く身を引くことにしますわ………」 そう言って女がサインした書類を神殿にもっていくことにする。 「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。 私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。 手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。 そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」 こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

【完結】引きこもり令嬢は迷い込んできた猫達を愛でることにしました

かな
恋愛
乙女ゲームのモブですらない公爵令嬢に転生してしまった主人公は訳あって絶賛引きこもり中! そんな主人公の生活はとある2匹の猫を保護したことによって一変してしまい……? 可愛い猫達を可愛がっていたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった主人公の無自覚無双の幕開けです! そしていつのまにか溺愛ルートにまで突入していて……!? イケメンからの溺愛なんて、元引きこもりの私には刺激が強すぎます!! 毎日17時と19時に更新します。 全12話完結+番外編 「小説家になろう」でも掲載しています。

アイスさんの転生記 ~貴族になってしまった~

うしのまるやき
ファンタジー
郡元康(こおり、もとやす)は、齢45にしてアマデウス神という創造神の一柱に誘われ、アイスという冒険者に転生した。転生後に猫のマーブル、ウサギのジェミニ、スライムのライムを仲間にして冒険者として活躍していたが、1年もしないうちに再びアマデウス神に迎えられ2度目の転生をすることになった。  今回は、一市民ではなく貴族の息子としての転生となるが、転生の条件としてアイスはマーブル達と一緒に過ごすことを条件に出し、神々にその条件を呑ませることに成功する。  さて、今回のアイスの人生はどのようになっていくのか?  地味にフリーダムな主人公、ちょっとしたモフモフありの転生記。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

白銀のケンタウロス

のの(まゆたん)
ファンタジー
オルゴールの中の骨の欠片は私の骨 お前はこれから過去の時間に旅をする・・ そこで出会う過去の私はお前の敵・・ケンタウロスの女はそう言った

処理中です...